元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

不良から宗教家になった男。関東中に悪名を、とどろかせた与国秀行、半生を赤裸々に語る。幸福の科学の教えを学べば、人生、どこからでも、やり直せる!

2022-02-02 23:30:39 | 日記

 https://matome.naver.jp/odai/2141264568445490501  より転載

 

与国 秀行(よくに ひでゆき、旧姓谷山 秀行、1976年6月6日 - )は、日本の作家、思想家、宗教家。東京都杉並区出身。1990年代、関東一辺に悪名を轟かした元カリスマアウトロー。

不良時代(東京ステゴロ最強)

 

 

出典ameblo.jp 

小学校高学年から警察沙汰の問題を起こしたり、筋トレに励むなど、かなり早い時分から不良の世界に足を踏み入れている。「男の強さ」を追求するうちに地元杉並の頭となり、チーマー全盛期において、東京を始め関東近辺に悪名を轟かせる 

 

不良時代 喧嘩エピソード

 

渋谷、府中、三鷹、中野、江東区の頭を倒す

谷山氏ブログより
渋谷、府中、三鷹、中野、江東区の頭をタイマンで勝利したと書かれていた
中野の頭はその後真面目になり慶応大学に進学できたとの事
また結婚式の友人代表としてスピーチもしたとの事
「お前のおかげで公正できた!」と中野の頭は谷山氏へ言ったという
現在はそのブログは削除済み

 

田丸大と池袋でタイマン合戦し勝つ

谷山氏ブログより
池袋にて田丸大氏と谷山氏の2人が組み、池袋の不良たちとのタイマン合戦が行われた事がある
谷山氏は勝利、田丸氏も足の骨を骨折という状態でありながら勝利する

その後「杉並の不良は女の子にモテないから、女の子を紹介して欲しい」と田丸氏に頼み
田丸氏も笑顔を浮かべ承諾したという


2人は親友となり、谷山氏が第45回衆議院議員総選挙終了後、暴漢に襲われた後、返しに行こうと田丸氏が名乗り出る(谷山氏が争いは止めようと田丸氏を説得)
現在はそのブログは削除済み

 

相撲取りと喧嘩をして勝ったことがある

谷山氏ブログより
谷山氏が高校生の頃、病気がちで入退院を繰り返し、余命1年の女の子が居た
谷山氏を含む友人らで、その女の子が退院した時に、花見をし励ましていた
その時に相撲取りが来て、腕っぷしがどうのと空気の読めない言動を繰り返していた
頭にきた谷山氏が相撲取りをボコり、追い返す

 

金村剛弘に呼び出されるが、ボこる

谷山氏ブログより
谷山氏が不良として大暴れしていた頃、新宿の不良に呼び出される
関東連合の面倒見として知られる金村剛弘氏である
金村氏がタイマンを張れといい、金村氏の後輩とタイマンを張らされる
勝利し「次は誰ですか?」と金村氏に問い詰め、金村氏が逃げる
後日、金村氏は悔しがっていたそうである

 

湘南乃風、若旦那氏が不良を辞めた理由

湘南乃風・若旦那氏が不良を辞めるキッカケとして谷山氏の名前を挙げている
若旦那氏と谷山氏は同い年で杉並と世田谷という近い地域で不良として暴れていた
偶然にも谷山氏の喧嘩を目撃した若旦那氏が谷山氏には勝てないと悟った
その後、意気投合。「俺が番長じゃなくてもいい」と不良の道を断ったという



ウィキペディアより転載

1990年代、「東京最強の不良」と言われた。レゲエグループ湘南乃風若旦那の自伝的マンガ『センター』に登場する喧嘩最強の大山は谷山(与国)がモデルであり、 また関東連合元幹部の柴田大輔が執筆した『聖域』に登場する「都内喧嘩最強の杉並の先輩・谷川」なる人物は、「谷山・与国」のことであると自身のブログで告白している

 

書籍『「幸福の科学」はどこまでやるのか』によれば、1997年頃 与国の実家の会社が倒産・破産後に、ケンカ・暴力の世界から抜けるため放浪の旅をしている時に、2000年頃沖縄宮古島の図書館で大川隆法著『太陽の法』に出会った。これをキッカケに啓蒙活動を開始した。この大川の思想こそが世界を救うと信じ、2011年に幸福の科学の職員となっている

 
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https://blogs.yahoo.co.jp/hisa390214/35451201.html  より転載
 
幸福の出家者(職員)に、「与国秀行(旧姓谷山)」っていう人がいるんですがね。
もしかしたら、知ってる人もいるかも知れないけど。

この人が、すんげえ壮絶な人なんですよ。
東京中にその名を轟かせた不良だったというんです。

もちろん全部は知りません。確かだろうということだけ書きますけども。
歳は41。俺とはだいぶ離れてます。ちょうど1まわり違うね。

杉並の不良少年で、小学生時分から、喧嘩や暴力沙汰で警察の世話になるような残念な人間でした。
不良時代の喧嘩エピソードは耳を疑うようなものばかりです。

左・谷山秀行。
イメージ 13

渋谷・府中・三鷹・中野・江東区のアタマをアゴの骨を砕いて倒す。
中野のアタマはその後真面目になり、慶応大学に進学したとの事。

「お前のおかげで更正できた」と中野のアタマは谷山に言った。
池袋でタイマン合戦し、勝つ。

池袋にて、池袋の不良たちとタイマン合戦が行われた。
相撲レスラーと喧嘩して勝利。

高校生の頃、病気がちで入退院を繰り返し、余命1年の女の子がいた。
谷山氏を含む友人らで、その女の子が退院した時に、花見をして励ましていた。

その時に相撲レスラーが来て、腕っぷしがどうのこうのと空気の読めない言動を繰り返していた。
頭にきた谷山は相撲レスラーをボコり、追い返した。
金村剛弘に呼び出されるが、ボこる。
イメージ 7

谷山が不良として大暴れしていた頃、新宿の不良に呼び出された。
関東連合の面倒見として知られる金村剛弘だった。

金村がタイマンを張れといい、金村の後輩とタイマンを張らされた。
勝利し、「次は誰ですか」と金村に問い詰め、金村は逃げた。

後日、金村は悔しがっていたそうである。
柴田大輔(工藤明男)の出所祝いで関東連合と喧嘩。

手前左が柴田大輔(工藤明男)です。
イメージ 8

柴田大輔が少年院から出所後、出所祝いが開かれた。
酒の勢いで関東連合の数人が谷山へ食ってかかる。

谷山が大暴れし、関東連合グループと乱闘に。
柴田氏が「止めてくれ。その人は俺の為に駆けつけてくれたんだ」と泣きながら静止し収まった。

見立・松嶋・柴田など関東連合OBが谷山に憧れ、ボクシングジムに通っていた。
イメージ 9

現在、六本木クラブ殺人事件により海外逃亡中の関東連合リーダー、見立真一容疑者と谷山は同じ中学の先輩後輩という間柄であり、放送委員会でも同じだった。

谷山は見立・松嶋・柴田(3人とも杉並グループ)の憧れの不良であり、この3人は谷山氏の通うボクシングジムにも通った。
湘南乃風・若旦那が不良を辞めるきっかけになる。
イメージ 11

若旦那と谷山は同い年で杉並と世田谷という近い出身で、不良として暴れていた。
谷山の喧嘩を目撃した若旦那が、谷山には勝てないと悟った。その後、意気投合。
「俺が番長じゃなくてもいい」と不良の道を断ったという。

しかし、谷山秀行は関東連合とはつながりはあったでしょうが、彼自身は関東連合OBではありません。他に格闘家の山本"KID"徳郁も不良時代の悪友です。
イメージ 10

しかし、高校卒業後、喧嘩ばかりの日々に疑問を感じて日本各地を放浪します。
もともと読書家であった谷山は、ちょうどその頃「太陽の法 」(幸福の科学出版・大川隆法)に出会って、喧嘩三昧の悪なる生き方と決別することを決意します。


谷山秀行の親友に、豪腕で知られた金村剛弘という人物がいた。ところが、2008年3月16日の深夜未明に、西新宿5丁目の路地裏で、何者かに金属バットで襲撃されて撲殺されてしまう。

谷山秀行31歳の出来事だが、かつての悪友たちが、ますます引き下がれなくなりつつあることを危惧して、金村の葬式で再会したかつての悪友たちに向かって、勇気を持ってこう言った。 

「恨み心で恨みは解けない。 だからこれを機会にみんなで堅気になろう。 報復を考えたところで誰も幸せにはなれないのだから。 殺された彼が、俺たちに堅気になれと、そう言っているのだと、今回の事件をそう受け止めて、 今こそみんなも堅気になり、そして俺たち一人一人が幸せになることが、彼に対する本当の供養ではないだろうか」

しかし彼らの中のリーダー格であり、かつての谷山の中学の後輩でもあった見立真一の答えは、まさしく正反対のものだった。 
「うるせえひっこんでろ。 今さら関わりないのにしゃしゃり出てくるな。 お前の言っている正論なんぞ誰でも分かってるんだ。 分かっちゃいるけど、こっちにも色々と都合やら考えがあるんだ。

 今さら関係ないヤツに説教くらいたくはない」。
この時谷山は、すでに幸福の科学の信者となっていた。 

谷山と彼らでは、すでに考えも生き方も異なり、同じ中学の先輩と後輩というぐらいしか関わりがなくなってしまっていた。 
そのため、すでにその世界に、何の力も持ち合わせていない谷山にとっては、見立真一のその言葉に対して何も反論ができず、ただ奥歯をかみ締めることしかできなかった。 

柴田大輔(工藤明男・関東連合OB・「いびつな絆」著者)も、「現役の頃、仲間内で飲んでいても、やたら色んな奴に絡んで暴れるなどといった傍若無人な面もありましたが、その圧倒的な喧嘩の強さは不良少年の憧れるものがあったのは間違いないです」と明かしている。

谷山は、悪どい過去に決別するため、名前を与国秀行とし、2009年、第45回衆議院議員総選挙において、東京都第12区から出馬するも落選。 

衆院選終了後、妻とともに暴漢に襲われ、左眼を半失明した。本人は「目ん玉いっこ取られて、得るものがあった」と、雑誌の取材で答えている。

ネットのウワサによると関東連合が金属バットで襲撃。本人は関東連合の関与を否定。被害者届けも提出しておらず、犯人も捕まっていない。


ざっとこんな感じです。
俺も、なかなか信じられなかったけど、本人がしゃべってるんで、ほんとなんだと納得せざるを得なくなりました。

俺が信じられないのは、不良時代のおもかげがまったく見られないことです。人はこれほどまで変われるものなのかと改めて驚くね。だから余計に信じられなかったよね。宗教にはこういう力があるんですよ。

本来ならね、こういう半グレもどきはケチョンケチョンにぶったぎってるとこだけど、更正して我らの仲間になってるって言うならね。なにも言うことなんかないですよ。
青春に贈る【コロナうつ・自殺を減らそうキャンペーン5】#幸福の科学#与国秀行#大川隆法  

日本のために共に闘う益荒男を待っている #与国秀行 #一般社団法人武士道  

 


セミナーは終了しています。

【5分でわかる深い話】人はどこから来て、どこへ行くのか

大川隆法総裁 講演会2017 「あきらめない心」抜粋版(青森県弘前市・ホテルニューキャッスル)より

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