永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(28)(29)

2015年05月13日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (28) 2015.5.13

「また十月ばかりに、『それはしも、やむごとなきことあり』とて出でんとするに、時雨といふばかりにもあらずあやにくにあるに、なほ出でんとす。あさましさにかく言はる。
<ことわりのをりとは見れどさよふけてかくや時雨のふりは出づべき>
と言ふに、しひたる人あらんやは。」
――また十月の頃に、あの人が「そういえば、やむにやまれぬ用事があって」と言って帰ろうとしているときに、時雨というよりかなりの雨になおも帰ろうとします。あきれてこう言いました。
(道綱母の歌)「やむにやまれぬ御用とは思いますが、夜も更けてこんなに雨が降っているのに、帰って行かなくても良いでしょうに」
と言っているのに、強引に帰って行く人がいるものでしょうか。――


蜻蛉日記  上巻 (29) 2015.5.13

「かうやうなるほどに、かのめでたき所には、子をうみてしよりすさまじけに成にたべかめれば、人にくかりし心思ひしやうは、命はあらせてわが思ふやうにおしかへしものを思はせばやと思ひしを、さやうになりもていく。はてはうみののしりし子さへ死ぬるものか。」
――こうして過ごしているうちに、あの羽振りの良い町の小路の女のところでは、出産してからというもの、全く兼家の熱が冷めたようで、あの女を憎んでいた私の気持ちでは、命を永らえさせて私が苦しんだ思いを同じように味わわせてやりたいと思っていたことが、実際そのようになって行ったのでした。京中大騒ぎさせて生んだ子が何と死んでしまったと言うことです――


「孫王の、ひがみたりし親王の落し胤なり。いふかひなくわろきことかぎりなし。ただこのころの知らぬ人の、もてさわぎつるにかかりてありつるを、にはかにかくなりぬれば、いかなるここりかはしけむ。わが思ふにはいま少しうちまさりて嘆くらんと思ふに、いまぞ胸はあきたる。いまぞ例のところにうち払ひてなど聞く」
――あの女は天皇の孫むすめですが、それもろくでもない皇子の落し胤です。全くお話にもならないみっともない(兼家にとって)限りです。ただ事情を知らないこの頃の人が、あの女をもて騒ぐのに甘えていたのでしょうが、急にこんなことになってしまったので、どんな気持ちでいることか。私の苦しみよりも数倍嘆いていることだと思うと、やっと胸がすうっとします。今ではまた元のお方(時姫)のところへよりを戻したとか言うことです。――


「されどここには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、ここなる人、片言などするほどになりてぞある。出づとてはかならず「いま来んよ」と言ふも聞きもたりて、まねびありく。」
――けれども私のことろへは相変わらずたまにしか通って来ませんので、何かにつけて不満は募るばかりで、そうこうするうちに、ここの子(道綱)は片言を言う歳になったのでした。あの人が帰るときに必ず「そのうちまた来るよ」と言うのを聞き覚えて、いつもその口真似をしたりしています――

■成にたべかめれば=成(なり)にたるべかんめれば=兼家の寵が衰えたらしく

■うち払いてなど=夜離れを重ねた寝床に積もった塵を払って(時姫)のところへ行くことになった。