永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(22)(23)

2015年05月02日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (22) 2015.5.2

「年また越えて春にもなりぬ。このごろ読むとて持てありく書とり忘れてあるを、取りにおこせたり。つつみてやる紙に、
<ふみおきしうらも心もあれたれば跡をとどめぬ千鳥なりけり>
――こうして翌年になって早くも春になりました。あの人はこの頃読むために持ち歩く書(ふみ)を忘れていたのを、使いの者に取りによこしたのでした。包んでやる紙に、
(道綱母の歌)「書物を置いていた我が家に愛想をつかしたので、荒波の浦の千鳥のように、あなたはわが家に足跡を残すまいとするのですね」――


「返りごと、さかしらにたちかへり、
<心あるとふみかへすとも浜千鳥うらにのみこそ跡はとどめ目>
使ひあれば、
<浜千鳥あとのとまりをたづぬとてゆくへもしらぬうらみをやせむ>
など言ひつつ、夏にもなりぬ。」
――別に返事をもらうようなことでもないのに、わざとらしく書いてある手紙は、
(兼家の歌)「私の心が離れたからといって書物を返してきても、私はいずれあなたのところへ戻っていくだろう」
兼家の使いの者が待っているので、また返事に、
(道綱母の歌)「後になって私を捜し求めても、行方知らずで困ることでしょう」(恨みに浦みをかける。)
こんなやりとりをしつついるうちに、夏になったのでした。――


蜻蛉日記  上巻 (23) 2015.5.2

「この時のところに、子うむべきほどになりて、よき方えらびて、ひとつ車にはひのりて、一京ひびきつづきていと聞きにくきまでののしりて、この門の前よりしも渡るものか。われはわれにもあらず、物だに言はねば、見る人、使ふよりはじめて、『いと胸いたきわざかな。世に道しもこそはあれ』など、言ひののしるを聞くに、ただ死ぬるものにもがなと思へど、心にしかなはねば、今よりのちたけくはあらずとも、たえて見えずだにあらん、いみじう心憂し、と思ひてあるに、三四日ばかりありて文あり。」
――このところ、兼家が夢中になっている町の小路の女が、出産近くになったとかで、無事に出産をと良き方角を選んで、一つ車に一緒に乗って、京じゅうに響き渡るほどの車を連ねて、聞くに堪えないほどの先払いをさせて、こともあろうに、わが家の門の前を通って行くとは。あまりの仕打ちに私はあきれてただ呆然としていると、侍女たちはじめ下仕えの者たち皆が、「胸もはりさけるなさりようですこと。他に道がないわけじゃなし」などと、大声で言い立てています。それを聞いている私は、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれど、それもままならぬゆえ、
これからというもの、たいして抵抗は出来ずとも、顔も見せてやるものかと心も煮えくり返っていると、三、四日ほどして手紙がきました。――


「あさましうつべたましとおもふおもふ見れば、『このごろここにわづらはるることありて、えまゐらぬを、昨日なん平らかにものせらるめる。けがらひもや忌むとてなん』とぞある。あさましうめづらかなることかぎりなし。ただ、『給はりぬ』とてやりつ。使ひに人問ひければ、『をとこ君になん』と言ふを聞くに、いと胸ふたがる。」
――あきれたことだ、なんと冷酷な仕打ちだと思い思いしながら読むと、「このごろこちらでお産で臥せっている人がいて、そちらへ伺えなかったが、昨日無事に出産が終わったようだ。穢れた身ではご迷惑かと思い、失礼した」とありました。こんな報告をしてくるなんてこれもあきれたこと。(愛人の出産を報告するなどということは前代未聞)返事にただ「お手紙は頂戴しました」とだけ言ってやりました。使いの者にどちらが生まれたのかと聞くと、「男君でした」と言うのを聞いて、ほんとうに胸もつぶれる思いでした。――


「三四ばかりありてみづからいともつれなく見えたり。なにか来たるとて見入れねば、いとはしたなくて帰ること、度々になりぬ。」
――三、四日ほどしてあの人本人が、いとも平気な顔をして来ました。何のつもりで来たのかと相手にしないでいると、あの人はとりつくしまもなく格好もつかず、すごすごと帰って行きました。こんなことが度々ありました。――


■つべたまし=恐ろしい、気味が悪い。