永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(30の1)

2015年05月15日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (30の1) 2015.5.15

「かくて又、心のとくる世なく嘆げかるるに、なまさかしらなどする人は、『わかき御こころに』など、かくては言ふこともあれど、人はいとつれなう、『我やあしき』など、うらもなう罪なきさまにもてないたれば、いかがはすべきなどよろづに思ふことのみ繁きを、いかでつぶつぶと言ひ知らするものにもがなと思ひみだるるとき、心づきなき胸うちさわぎて、もの言はれずのみあり。」
――こうしてまた、心の休まるときとてなく嘆き暮していると、お節介めいたことを言う者(侍女の一人)が、「少し幼すぎます。もっと世慣れなければ」などと言ったりするけれど、あの人(兼家)は、「わしのどこが悪いのか」とけろっと、悪びれた様子もなく振舞っているので、いったいどうしたら良いのかと悩みばかりが募るので、私はこの悩みを何とかつぶさに分らせてやりたいと心を砕くものの、その鬱屈した心のうちは煮えたぎるばかりで、言葉にさえ出来ないでいました。――


「なほ書きつづけても見せんと思ひて、
<おもへただ むかしもいまも わがこころ のどけからでや はてぬべき みそめし秋は
言の葉の うすき色にや うつろふと なげきのしたに なげかれき 冬は雲居に わかれゆく 人ををしむと はつしぐれ くもりもあへず ふりそぼち こころぼそくは ありしかど
君にはしもの 忘るなと おひおきつとか ききしかば さりもとおもふ ほどもなく とみに遥けき わたりにて 白雲ばかり ありしかば こころ空にて へしほどに 霧もたなびき
たえにけり またふるさとに 雁がねの 帰るつらにやと 思ひつつ ふれどかひなし かくしつつ わがみむなしき 蝉の羽の いましも人の うすからず 涙の川の はやくより かくあさましき そこゆゑに ながるることも たえねども いかなる罪か 重からん ゆきもはなれず かくてのみ 人のうき瀬に ただよひて つらきこころは 水の泡の 消えば消えなんと 思へども かなしきことは みちのくの つつじのをかの くまつづら くるほどをだに 待たでやは 宿世たゆべき 阿武隈の あひ見てだにと おもひつつ なげく涙の 衣手に かからぬ世にも 経べき身を なぞやとおもへど あふはかり かけ離れては しかすがに こひしかるべき 唐衣 うちきて人の うらもなく なれしこころを 思ひては うき世をされる かひもなく 思ひいで泣き われやせん と思ひかくおもひ 思ふまに 山と積もれる しきたへの 枕の塵も ひとり寝の 数にし取らば 尽きぬべし なにか絶えぬる たびなりと おもふものから 風ふきて 一日もみえし 雨雲は 帰りしときの なぐさめに 今来んといひし ことのはを さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも きくごとに 人わらへなる なみだのみ わが身をうみと たたへども みるめもよせぬ 御津の浦は かひもあらじと しりながら 命あらばと たのめこし ことばかりこそ 白波の たちもよりこば 問はまほしけれ>
と書きつけて、二階の中におきたり。」
――それでもやはり、この胸のうちを書き連ねて見せてやりたいと思って、
(道綱母の長歌)「思ってみてください。昔も今も心の休まるときとてなく、わたしはこのまま一生を終えてしまうのでしょうか。あなたと初めてお逢いした(結婚した)あの秋は、あなたのねんごろな言葉も、折からも木の葉のように時ならず移ろってゆくだろうと、こころひそかに嘆かれたことでした。その冬は遠い陸奥へ赴任する父との別れを惜しんで、泣き濡れて心細さに打ちひしがれておりました。
けれども父はあなたに「娘を決してお忘れなく」と言い置いて行かれたと聞いていましたので、そうであると思っていたのもつかの間、急に通って来られる事も遠のき(町の小路の女の件)、私はすっかりうつろな気持ちでいるうちに、本当にすっかり隔たって音沙汰なくなってしまいました。でもそのうち私の所に雁が季節がくれば再び帰ってくるように、住み慣れた私の所に帰ってきてくれると思っていましたが、結局その甲斐もありませんでした。
このように今の私は蝉のぬけがらのようにむなしく暮していますが、あなたの薄情さは今に始まったことではなく、そんな見こみ違いのあなたでしたから、私の涙の絶える事はありませんでした。いったい私は前世でどんな重い罪を犯したというのでしょう。あなたとの縁から逃れることもできず、ただこうして浮世に漂ってつらい毎日を過ごしています。
いっそ消えてしまえるなら消えたいと思うものの、悲しいのは遠い陸奥にいる父のこと、その父が任務を終えて上京するのを待たずには、どうして死ねましょう。せめて一日なりと父に会ってからと思いながら悲嘆にくれて心も沈んで涙が袖にぬれてくることです。
このようなつらい思いをするならば、出家という道もあるでしょうが、それではあなたとすっかり離れてしまうと思うと、やはり恋しくてならないでしょう。あなたがこられた時の思い出を思い起こしては、世を捨てた甲斐もなく、涙にむせぶようなことになりかねません。
あれこれと思っているうちに、私の寝屋戸に積もる枕の塵が山となり、その塵の数もひとり寝の夜数に比べたら物の数にならないでしょう。
いやこれは一時的な夜離れだと自分に言い聞かせてはみるものの、あの野分のあとの一日、あなたが見えて帰りがけに、「またじきに来るよ」と気休めに言ったあの一言を真に受けて、幼いあの子(道綱)がいつも口真似をしていますが、それを聞くたびに人の見る目も恥ずかしいほど、わが身の憂さを嘆く涙があふれてなりません。もうすっかりお見限りの私のところへは、お立ち寄りくださるはずもないとは思いながらも、「命ある限り、私を頼め」と約束されたあのお言葉が、ご本心なのかどうか、こちらにいらした時には、是非とも伺いたいものです」
と書き付けて、二階棚の中に置きました――


■二階=二段になっている戸棚