永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1258)

2013年05月23日 | Weblog
2013. 5/23    1258

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その50

「若菜をおろそかなる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、『山里の雪間のわかな摘みはやしなほ生ひさきの頼まるるかな』とてこなたに奉れ給へりければ、『雪ふかき野辺のわかなも今よりは君がためにぞ年もつむべき』とあるを、さぞ思すらむ、とあはれなるにも、『見るかひあるべき御さまと思はましかば』と、まめやかにうち泣い給ふ」
――若菜を質素な籠に入れて、人が持って来ましたのを尼君が見て、(歌)「山里の雪の間に生えた若菜を摘んで賞美するにつけましても、あなたの生い先を楽しみにしています」と浮舟にお贈りになりますと、浮舟から、(歌)「雪深い野辺に生えた若菜も、今後は、ただあなたの御長寿のために摘みましょう」とご返歌がありました。尼君は、なるほどそうお思いになる事であろうと、あわれに思うのでした。それにつけても、この方がお世話のし甲斐のある、世の常のお姿でいらっしゃったならと、心底から悲しく、尼君はお泣きになるのでした――

「閨のつま近き紅梅の、色も香も変らぬを、『春やむかしの』と、こと花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりしにほひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせ給ふ。下の尼の少し若きがある、召し出でて花を折らすれば、かごとがましく散るに、いとどにほひ来れば、『袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの』」
――寝所の軒端に近い紅梅が、色も香りも昔と変わらないのを、「春や昔の春ならぬ」と思って、他の花よりも紅梅に心惹かれるのは、えも言われぬ匂宮の(又は薫の説も)お袖の香りが今も身に沁みているからでしょうか。浮舟は、後夜(ごや)の閼伽(あか)をお供えさせます。下働きの尼で、少し年の若いのを呼んで、その花を折らせますと、何かをかこつような、恨み言でも言うように散りながら、いっそう匂ってきますので、ふと口ずさまれるのでした。「その昔、袖を触れたお方は見えませんが、まるでその人の香でもあるように花の香が漂う春のあけぼのですこと」――

「大尼君の孫の紀伊守なりけるが、この頃上りて来たり。三十ばかりにて、容貌きよげに誇りかなるさましたり。『何ごとか、去年一昨年』など問ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、『いとこよなくこそひがみ給ひにけれ。あはれにも侍るかな。残りなき御さまを、見たてまつること難くて、遠き程に年月を過ぐし侍るよ。親たちものし給はでのちは、一所をこそ御かはりに思ひ聞え侍りつれ。常陸の北の方は、おとづれきこえ給ふや』と言ふは、妹なるべし」
――(ところで)母尼君の孫の紀伊守(きのかみ)が、最近任国から上京してきました。三十歳くらいで、容姿も美しく整い、得意げな様子です。「何か変ったことでもございませんでしたか。去年、一昨年は」などと尋ねますが、大尼君は呆けてしまったふうですので、妹の尼君のところに来て、「大尼君は大分呆けておしまいになりましたね。おいたわしいことです。もうあまり長生きはできそうにないとお見受けしましたが、お世話もできぬ有様で、遠国で長い年月を過ごしてしまいました。私の両親が亡くなってからは、大尼君お一人を親がわりにお頼り申して来ました。常陸の介の北の方はお便りを下さいますか」と言っているのは、守の妹のことらしい(浮舟の母君とは別人)――

◆後夜に閼伽(ごやのあか)=夜半の勤行に仏前に水を供える。梵語。

では5/25に。