2013. 5/21 1257
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その49
「『心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそくちをしけれ』といらへて、この厭ふにつけたるいらへはし給はず」
――(浮舟は)「意味深そうなお話などは、とても聞き分けられないのが残念でございます」とお答えして、この「厭ふ」と詠まれたお歌についての返歌はなさらない――
「思ひ寄らずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし、すべて朽ち木などのやうにて、人に見棄てられてやみなむ、ともてなし給ふ」
――(浮舟は)思いもかけず浅ましい事もあった身の上でしたので、われながら疎ましく、何もかも殊に男女のことなども厭で、ただもう朽ち木などのようにして、人には相手にされず世を終わりたいと、そのように振る舞っていらっしゃるのでした――
「されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のこし給ひてのちより、すこしははればれしうなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、碁打ちなどしてぞあかしくらし給ふ」
――その様なわけで、今までは何カ月もただ塞ぎこんで物思いばかりしておいでになりましたが、出家の本意が叶ってからは、少し晴れ晴れとして、尼君とちょっとした冗談も言い交わしたり、碁を打ったりなどして、明かし暮らしておいでになります――
「行ひもいとよくして、法華経はさらなり、こと法文なども、いと多く誦み給ふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやるかたなかりける」
――勤行も大そうよくなさり、法華経はもちろん他の経文なども、たくさんお読みになります。とはいえ、やがて雪が深く降り積って、人の姿も見えなくなる頃には、やはり気の晴らしようもないのでした――
「年もかへりぬ」
――年も改まって――
「春のしるしも見えず、氷りわたれる、水の音せぬさへ心細くて、『君にぞ惑ふ』とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。『かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき』など、例の、なぐさめの手習ひを、行ひのひまにはし給ふ。われ世に亡くて年へだたりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし、など、思ひ出づる時も多かり」
――春の兆しも見えず、凍ったままで川音もしないのさえ心細く、「君にぞ惑う」とおっしゃった匂宮のことは、つくづく厭わしいと思い捨てはしましたものの、やはりあの時の思い出の橘の小島に伴われたことが忘れられず、(歌)「空を暗くして降りしきる野山の雪を眺めるにつけても、過去のことを思うと、今日もなお悲しい」などと、勤行の合間には、いつものように気晴らしの手習いをしておいでになります。自分が姿を消してからもう一年が経ってしまったのに、思い出してくれる人があるだろうか、などと思い巡らすことも多いのでした――
◆ 浮舟23歳、薫28歳、匂宮29歳。
では5/23に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その49
「『心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそくちをしけれ』といらへて、この厭ふにつけたるいらへはし給はず」
――(浮舟は)「意味深そうなお話などは、とても聞き分けられないのが残念でございます」とお答えして、この「厭ふ」と詠まれたお歌についての返歌はなさらない――
「思ひ寄らずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし、すべて朽ち木などのやうにて、人に見棄てられてやみなむ、ともてなし給ふ」
――(浮舟は)思いもかけず浅ましい事もあった身の上でしたので、われながら疎ましく、何もかも殊に男女のことなども厭で、ただもう朽ち木などのようにして、人には相手にされず世を終わりたいと、そのように振る舞っていらっしゃるのでした――
「されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のこし給ひてのちより、すこしははればれしうなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、碁打ちなどしてぞあかしくらし給ふ」
――その様なわけで、今までは何カ月もただ塞ぎこんで物思いばかりしておいでになりましたが、出家の本意が叶ってからは、少し晴れ晴れとして、尼君とちょっとした冗談も言い交わしたり、碁を打ったりなどして、明かし暮らしておいでになります――
「行ひもいとよくして、法華経はさらなり、こと法文なども、いと多く誦み給ふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやるかたなかりける」
――勤行も大そうよくなさり、法華経はもちろん他の経文なども、たくさんお読みになります。とはいえ、やがて雪が深く降り積って、人の姿も見えなくなる頃には、やはり気の晴らしようもないのでした――
「年もかへりぬ」
――年も改まって――
「春のしるしも見えず、氷りわたれる、水の音せぬさへ心細くて、『君にぞ惑ふ』とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。『かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき』など、例の、なぐさめの手習ひを、行ひのひまにはし給ふ。われ世に亡くて年へだたりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし、など、思ひ出づる時も多かり」
――春の兆しも見えず、凍ったままで川音もしないのさえ心細く、「君にぞ惑う」とおっしゃった匂宮のことは、つくづく厭わしいと思い捨てはしましたものの、やはりあの時の思い出の橘の小島に伴われたことが忘れられず、(歌)「空を暗くして降りしきる野山の雪を眺めるにつけても、過去のことを思うと、今日もなお悲しい」などと、勤行の合間には、いつものように気晴らしの手習いをしておいでになります。自分が姿を消してからもう一年が経ってしまったのに、思い出してくれる人があるだろうか、などと思い巡らすことも多いのでした――
◆ 浮舟23歳、薫28歳、匂宮29歳。
では5/23に。