永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1190)

2012年12月13日 | Weblog
2012. 12/13    1190

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その30

「かくもの思したるも見知りければ、忍びあまりて聞こえたり。『あはれ知る心は人におくれねど数ならぬ身にきえつつぞ経る。かへたらば』とゆゑある紙に書きたり。ものあはれなる夕暮、しめやかなる程を、いとよくおしはかりて言ひたるも、憎からず」
――(小宰相は)薫が浮舟のことで悲嘆にくれていらっしゃるのを察して、忍びきれなくなって、歌を差し上げます。「貴方にご同情申す気持ちは他人に負けませんが、つまらぬ自分を思って、殊更引き込んでご挨拶もせずに過ごしております。わたしが代わりに死にましたらよかったのに」と趣きのある紙に書いてあります。何となくものあわれな夕暮のしめやかな頃合いを、巧みに見計らって届けてきたのも気が利いている――

「『つねなしとここら世を見る憂き身だに人の知るまで歎きやはする』このよろこび、『あはれなりし折からも、いとどなむ』など言ひに立ち寄り給へり」
――(薫は返歌に)「世は無情なものと、いろいろな経験から痛感している私でも、人が察する程は歎かぬつもりでしたのに、(あなたはよく気がついてくださった)」お便りを頂いた嬉しさは、慰めがたく過ごしていた折からひとしおでした」などと語り合おうと思って、小宰相の許にお立ちよりになりました――

「なべて、かやうになどもならし給はぬ、人柄もやむごとなきに、いとものはかなき住ひなりかし、局など言ひて、せばく程なき遣り戸口より居給へる、かたはらいたく覚ゆれど、さすがにあまり卑下してもあらで、いとよき程にものなども聞ゆ」
――薫のご様子は、こちらが恥かしくなる程重々しいお方で、常にはこのような女房の局に出入りなさらぬ高貴なお人柄ですのに、おいでになってみますと、これはまあ、なんとささやかな住いであろうか。遣り戸口も狭く、薫が、ちょっとしたところに寄りかかっておいでになるのはお気の毒なようでもありますが、小宰相はさすがにそう卑下する様子もなく、お相手申し上げます――

「見し人よりも、これは心にくきけ添ひてもあるかな、などてかく出で立ちけむ、さるものにて、われも置いたらましものを、と思す。人知れぬすぢは、かけても見せ給はず」
――(薫はお心の中で)あの浮舟よりも小宰相の方が奥ゆかしい感じがするものだ。どのような理由で宮仕えになど出たのだろう。自分の愛人という風にして囲って置きたいものだ、と思っていらっしゃる。しかし薫は小宰相との関係を、全く他人にはお見せにならない――

「蓮の花の盛りに、御八講せらる。六条の院の御ため、紫の上など、皆思し分けつつ、御経仏など供養ぜさせ給ひて、いかめしく尊くなむありける。五巻の日などは、いみじき見ものなりければ、こなたかなたに、女房つきつつ参りて、もの見る人多かりけり」
――(明石中宮が)蓮の花の盛りの頃に、法華八講を催されました。故六条の院(源氏)の御ため、紫の上の御ためになどと、それぞれにお分けになって、お経や仏の供養をおさせになり、厳かに尊い御供養でした。三日目の五巻の日などは、大そう立派な催しですので、あちこちから女房の縁故を頼って参上し、拝観する人が多いのでした――

◆御八講(みはっこう)=法華八講=法華経八巻を四日に分け、朝座、夕座に一巻づつ読誦する。五巻の日は、その三日目

では12/15に。