永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1052)

2012年01月11日 | Weblog
2012. 1/11     1052

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(23)

 北の方のお話に中の君もお泣きになって、

「世の中のうらめしく心細き折り折も、またかくながらふれば、すこしも思ひなぐさめつべき折もあるを、いにしへ頼みきこえける陰どもに後れたてまつりけるは、なかなかに世の常に思ひなされて、見たてまつり知らずなりにければ、あるを、なほこの御ことは、つきせずいみじくこそ。大将の、よろづのことに心の移らぬ由をうれへつつ、浅からぬ御心の様を見るにつけても、いとこそくちをしけれ」
――世の中の事が恨めしくも心細くも思われる折がありましても、こうして生きていましたなら、気の持ち方で少しは心を慰め得る折りもありますものを、昔お頼り申した両親方にお別れ申し上げました事は、却って世間的なことに諦めがつきました。とくに母上はお顔も存じ上げませんでしたので、却って諦めもつきましたが、姉上さまのことはいつまでも忘れられず、悲しくてなりません。薫大将が何事にもお心がお移りにならないということを、私に訴えられますにつけましても、姉上に対するお心の深さに、本当に残念でなりません――

 とおっしゃいます。北の方は、

「大将殿は、さばかり世にためしなきまで、帝のかしづき思したなるに、心おごりし給ふらむかし。おはしまさしかば、なほのこと、せかれしもし給はざらましや」
――大将殿は、帝が婿君としてとてもご大切になさっておいでだそうですが、それで思い上がっておられるのではないでしょうか。姉君の大君が御存命といたしましても、やはり女二の宮とのご縁組は必ずしもお取り止めにはならなかったでしょう――

 と申し上げます。中の君は、

「いさや、やうのものと、人わらはれなる心地せましも、なかなかにやあらまし。見果てぬにつけて心にくくもある世にこそ、と思へど、かの君は、いかなるにかあらむ、あやしきまで物わすれせず、故宮の御後の世をさへ、思ひやり深く後見ありき給ふめる」
――さあ、姉君が生きておいでになりましたら、姉妹そろって同じ運命を辿っていると、人に笑われたでしょうか。それも却って辛い事かも知れませんね。姉君が命を全うなさらなかったことで、却って想いが募るのでしょう。それにしましても、あの御方は、不思議なまでにいつまでも姉君をお忘れにならず、故宮の御供養まで手落ちなく気をつけてお世話してくださるのです――

 などと、素直にお話になります。

では1/13に。


源氏物語を読んできて(1051)

2012年01月09日 | Weblog
2012. 1/9     1051

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(22)

 別の女房が、

「『いさ、この御あたりの人はかけてもいはず。かの君の方より、よく聞くたよりのあるぞ』など、おのがどち言ふ。聞くらむとも知らで、人のかく言ふにつけても、胸つぶれて、少将をめやすき程と思ひける心もくちをしく、げにことなることなかるべかりけり、と思ひて、いとどしくあなづらはしく思ひなりぬ」
――「でも、こちらのお邸(二条院)の人々はだれも噂していませんよ」「いいえ、少将の方から確かな伝手(つて)があって聞きましたもの」などと、それぞれが話しています。北の方が聞いているとも知らず、こんな風に言っているのを聞くにつけても、胸つぶれる思いで、なるほど、少将など格別のこともなさそうな男だったと思い、一層少将を軽蔑する思いになるのでした――

「若君のはひ出でて、御簾のつまよりのぞき給へるを、うち見給ひて、立ち返り寄りおはしたり。『御心地よろしく見え給はば、やがてまかでなむ。なほ苦しくし給はば、今宵は宿直にぞ。今は一夜をへだつるもおぼつかなきこそ、苦しけれ』とて、しばしなぐさめ遊ばして、出で給ひぬる様の、かへすがえす見るとも飽くまじく、にほひやかにをかしければ、出で給ひぬる名残、さうざうしくぞながめらるる」
――(匂宮は)若君が這い出して御簾の端からお覗きになるのを、お目に留めて、立ち戻って側にお寄りになります。「明石中宮のご気分がおよろしそうでしたら、すぐ帰ってきましょう。でもお悪いようなら、今夜は宿直もしなくてはなるまい。今ではほんの一晩会わずにいても気懸りなのでね」とおっしゃって、しばらくあやして遊ばれてからお出ましになります。そのあでやかなお美しさは飽かず眺められ、お帰りになられた後の名残りは、物寂しく気が滅入る心地がするのでした――

「女君の御前に出で来て、いみじくめでたてまつれば、田舎びたる、とおぼして笑ひ給ふ」
――母北の方は、中の君の御前に出て、大袈裟なほどに匂宮をおほめになりますと、御方は、まあぶしつけな、と微笑まれます――

 北の方が、

「故上の亡せ給ひしほどは、いふかひなく幼き御程にて、いかにならせ給はむ、と、見たてまつる人も故宮もおぼし歎きしを、こよなき御宿世のなりければ、さる山ふところの中にも、生ひ出でさせ給ひしにこそありけれ。くちをしく、故姫君のおはしまさずなりにたるこそ、あかぬことなれ」
――亡き御母上さまがお亡くなりになりました頃は、あなた様はまだほんの幼くて、この先どうおなりになりますことかと、お仕えする人々も、故八の宮もお嘆きになられたものでした。それが、この上なく結構な御運勢でいらっしゃいましたので、あのような山懐のさびしい宇治の里でも、ご立派に成人されたのですね。残念でしたのは姉君様のお亡くなりになられたことで、本当に諦めきれません――

 などと、泣きながら申し上げます。

では1/11に。

源氏物語を読んできて(1050)

2012年01月07日 | Weblog
2012. 1/7     1050

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(21)

「帳の内に入り給ひぬれば、若君は、若き人乳母などもてあそびきこゆ。人々参りあつまれど、なやまし、とて、おほとのごもり暮らしつ。御台こなたにまゐる。よろづのことけだかく、心ことに見ゆれば、わがいみじきことをつくすと見思へど、なほなほしき人のあたりはくちをしかりけり、と思ひなりぬれば…」
――(匂宮と中の君が)帳台の中にお入りになりましたので、若君は若い女房や乳母たちがお相手をされています。人々が参上してきますが、匂宮はご気分が悪いとおっしゃって、一日中お寝すみになっていらっしゃいました。お食事もこちらへお調えします。何から何まですべてが気高く、並みはずれてご立派に見えますので、北の方は、自分たちが出来る限りの善美をつくしたつもりでも、平凡な身の上で出来る事は、たかが知れていると悟らされるのでした。それにしても…――

「わが女もかやうにてさしならべたらむには、かたはならじかし、勢ひを頼みて、父ぬしの、后にもなしてむと思ひたる人々、おなじわが子ながら、けはひこよなきを思ふも、なほ今よりのちも心は高くつかふべかりけり、と、夜一夜あらましがたり思ひつづけらる」
――自分の娘(浮舟)も、このようにして宮様に連れ添わせても、見苦しくはありますまい。裕福を頼みにして、父の常陸の介が后にもしてやりたいと思う娘たちの、同じわが娘ではありながら、様子がまるで劣っていると思いますにつけても、ますます浮舟については、志を高く持つべきであると、夜ひと夜、行く末を夢に思い続けるのでした――

「宮、日たけて起き給ひて、『后の宮、例の、なやましくし給へば、参るべし』とて、御装束などし給ひておはす。ゆかしうおぼえてのぞけば、うるはしく引きつくろひ給へるはた、似るものなく、けだかく愛敬づききよらにて、若君をえ見すて給はで、あそびおはす」
――匂宮は、日が高くなってから起きて来られて、「后の宮(御母の明石中宮)が、いつものように、お具合が悪いそうなので、お見舞いに参内しなければ」とおっしゃって、御装束などをお着けになっていらっしゃいます。北の方は好奇心にかられて覗いてみますと、正装にお整えになった匂宮の晴れ晴れしいお姿は、またとなく清らげに気高く、愛嬌が溢れていらっしゃる。そのままのお姿で若君を手放しかねて、しきりにあやしていらっしゃいます――

「御粥強飯など参りてぞ、こなたより出で給ふ。今朝より参りて、侍の方にやすらひける人々、今ぞ参りて物などきこゆる中に、きよげだちて、なでふことなき人のすさまじき顔したる、直衣着て太刀佩きたるあり」
――お粥や強飯(こわいい)などを召しあがってから、中の君の所からこちらへお出でになります。今朝から参上して侍所(さむらいどころ)に控えていた供人たちが、今しも参上して、ものを申し上げるその中に、いくらか小奇麗には見えるものの、格別取り柄もないつまらぬ顔立ちをした者が、直衣を着て、太刀を佩いているのが見えます――

 匂宮の御前では、一向目にもつかないのを、女房たちが、

「かれぞ、この常陸の守の婿の少将な。はじめはこの御方にとさだめけるを、守の女を得てこそいたはられめ、など言ひて、かじけたる女の童をえたるなり」
――ほら、あの人が常陸の守の婿君の少将ですって。はじめはこちらの御方(浮舟)の婿にと定めましたのを、常陸の介の娘を貰って、それで大事にされようなどと言って、まだひねこびた小娘を貰ったのだそうですよ――

◆かたはならじかし=片端・ならじ・かし=決して見劣りしない

◆夜一夜あらましがたり思ひつづけらる=他の本では「あらましごとを思ひつづく」=将来あって欲しいことを思い続けるのでした

◆いたはられめ=労られめ=大事にしてもらおう

◆かじけたる女の童(かじけたる・めのわらわ)=貧相な小娘

では1/9に。

源氏物語を読んできて(1049)

2012年01月05日 | Weblog
2012. 1/5     1049

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(20)

「宮わたり給ふ。ゆかしくて物のはざまより見れば、いときよらに、桜を折りたる様し給ひて、わがたのもし人に思ひて、うらめしけれど、心には違はじと思ふ常陸の守より、様容貌も人の程も、こよなく見ゆる五位四位ども、あひひざまづき侍ひて、この事かの事と、あたりあたりの事ども、家司どもなど申す」
――匂宮がこちらへお渡りになりました。北の方がどんな方かと心惹かれて、そっと物陰から覗き見ますと、まことにお美しく、まるで桜の花を折ったようなお姿でいらっしゃいます。自分では夫を頼りとして、恨めしい事の数々にも逆らうまいとひたすら堪えて連れ添っている常陸の介よりも、様子も姿形も、人品もずっとすぐれて見える五位四位の家司たちが、皆揃ってひざまづいて畏まり、それぞれ分担のあれこれを申し上げています――

「また若やかなる五位ども、顔も知らぬどもも多かり。わが継子の式部の丞にて蔵人なる、内裏の御使ひにて参れり。御あたりにもえ近く参らず」
――また若々しい五位など顔を知らない者が大勢います。自分の継子(ままこ=常陸の介の先妻の子)の式部の丞(しきぶのじょう)で蔵人が、御所からのお使いとして参りましたが、宮のお近くにも伺えません――

「こよなき人の御けはひを、あはれこは何人ぞ、かかる御あたりにおはするめでたさよ、よそに思ふ時は、めでたき人々ときこゆとも、つらき目見せ給はば、と、もの憂くおしはかりきこえさせつらむあさましさよ、この御ありさま容貌を見れば、織女ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな、と思ふに、若君抱きてうつくしみおはす」
――(北の方は)この上もなく尊い匂宮のご様子を見上げて、「何とまあ、このお方はご立派なことよ。中の君がこんなご立派なお方のお側にいらっしゃるとは、何とお仕合せなことでしょう。はたで考える時には、いくらご立派な方々と申しても、奥方に辛い目(他に歴とした女君を持って)をお見せになっては、お気の毒で、匂宮に対して厭な思いを持っていましたが、とんでもない浅はかな事でしたよ。このご様子、御容姿をお見上げするにつけても、天の川で彦星と織姫が一年に一度逢える七夕の程度でも、お目にかかり、お通いいただければ、それだけでまことに素晴らしいことではないか」と思うのでした。匂宮は若君を抱いて、しきりに慈しんでいらっしゃいます――

「女君短き几帳をへだてておはするを、おしやりて、物などきこえ給ふ。御容貌どもいときよらに似合ひたり。故宮のさびしくおはせし御ありさまを、思ひくらぶるに、宮達ときこゆれど、いとこよなきわざにこそありけれ、と覚ゆ」
――女君(中の君)は、短い几帳を間に置いていらっしゃいますが、匂宮はそれを押しやって、何かお話をなさっています。お二人ともお顔がまことに綺麗で、しっくりとお似合いでいらっしゃいます。亡くなられた八の宮の、あの山里のお暮らしと思い比べますと、同じ親王と申し上げても、なんと大きな違いがあるものかと、北の方はしみじみ思うのでした――

◆桜を折りたる様=容姿を美しくする意

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
では1/7に。