永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(834)

2010年10月11日 | Weblog
2010.10/11  834

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(11)

 薫は必死に、

「へだてぬ心をさらにおぼしわかねば、きこえ知らせむとぞかし。めづらかなりとも、いかなる方に、おぼし寄るにかはあらむ。仏の御前にて、誓言も立て侍らむ。うたて、なほじ給ひそ。御心やぶらじ、と思ひそめて侍れば、人はかくしもおしはかり思ふまじかめれど、世にたがへるしれものにて過ぐし侍るぞや」
――隔てのない私の気持ちを少しも分かってくださらないので、お教えしようと思っているのですよ。妙な態度だとおっしゃいますが、それは何をもってそうおっしゃるのですか。仏の御前で誓いましょう。気味悪そうに怖がりなさいますな。はじめから私はお気に障らないようにしようと思っておりますから、他人はこれほど私が潔白だとは思わないでしょうが、実は人並みはずれた馬鹿者で過ごしているのですよ――

 こうおっしゃって、

「心にくき程なる火影に、みぐしのこぼれかかりたるを、かきやりつつ見給へば、人の御けはひ、思ふやうに薫をかしげなり」
――(薫は)ほの暗い灯影に、大君の御髪がこぼれかかるのを、掻き遣ってお顔をご覧になりますと、大君のお感じは、薫が想像していたとおり、言うにいわれぬお美しさです――

 薫は心の中で、

「かく心細くあさましき御すみかに、すいたらむ人は障りどころあるまじげなるを、われならで尋ね来る人もあらましかば、さてや止みなまし、いかにくちをしきわざならまし、と、来し方の心のやすらひさへ、あやふくおぼえ給へど、いふかひなく憂しと思ひて泣き給ふ御けしきの、いといとほしければ、かくはあらで、おのづから心ゆるびし給ふ折もありなむ」
――こうした心細いお住いでは、浮気男にとっては何の邪魔もなさそうで、もし自分以外に(姫君の噂を聞いて)探して来る男があるならば、そのまま無事に済むだろうか、そうなったりしたら、自分は残念でならないだろう。今までの優柔不断さが不安になるものの、大君がどうしようもなく辛いと思ってお泣きになるご様子が、やはりお気の毒で、こんな風ではなく自然と打ち解けてくれる折りもあろう――

 と、思い続けています。が、大君がひどくお辛そうにしておいでなのも気の毒で、何やかやと機嫌をとっていらっしゃるのでした。

◆写真:中世の宇治川

では10/13に。

源氏物語を読んできて(833)

2010年10月09日 | Weblog
2010.10/9  833

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(10)

 大君は、

「ものむつかしくて、しのびて人めせど、おどろかず。『心地のかきみだりなやましく侍るを、ためらひて、暁がたにもまたきこえむ』とて、入り給ひなむとするけしきなり」
――大君は気味悪くなられて、そっと侍女をお呼びになりますが、まったく起きてもきません。(大君は、薫に)「今夜はとても気分が悪うございますので、休養いたしましてから、明日の朝にでもまたご対面いたしましょう」とおっしゃって、奥にお入りになるご様子です――

 薫は、

「『山路わけ侍りつる人は、ましていと苦しけれど、かくきこえうけたまはるは、なぐさめてこそ侍れ。うち棄てて入らせ給ひなば、いと心細からむ』とて、屏風をやをら押しあけて入り給ひぬ」
――「山路を踏み分けて参りました私は、あなた以上にひどく苦しいのですが、こうしてお話していることで慰められているのです。それを無下にもうち棄てて奥に行かれるならば、どんなにか残念でしょう」とおっしゃるや、屏風をやおら押し開けて、こちらのお部屋へお入りになります――

「いとむくつけくて、半ばかり入り給へるに、引きとどめられて、いみじくねたく心憂ければ、『へだてなきとは、かかるをやいふらむ。めずらかなるわざかな』とあばめ給へるさまのいよいよをかしければ」
――(大君は)たいそう気味が悪くて、半分ほど奥に入られたところを引きとめられて、ひどく憎らしく口惜しく「あなたがいつもおっしゃっている、隔てなく、というのはこういうことなのですか。妙なご態度ですこと」と、たしなめられるそのご様子のなまめかしさに、いっそう薫は気持ちをかきたてられて――

 大君のお着物の裾を握っておられます。

◆いとむくつけく=いと(はなはだしいことを示す語。たいそう、ひどく)むくつけし(恐ろしい、気味がわるい)

◆写真:大殿油(おおとなぶら)=燈火

では10/11に。

源氏物語を読んできて(832)

2010年10月07日 | Weblog
2010.10/7  832

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(9)

 夕暮れになってきましたので、

「仏のおはする中の戸を開けて、みあかしの火けざやかにかかげさせて、すだれに屏風を添へてぞおはする。外にもおほとなぶら参らすれど、『なやましうて無礼なるを、あらはに』などいさめて、かたはら臥し給へり」
――(大君は)仏間との間の戸を開けて、燈明の火をいっそうあざやかにかかげさせ、間仕切りには御簾と屏風を隔てていらっしゃいます。薫のお部屋にも大殿油(おおとなぶら)をご用意させますが、薫は「気分が悪くて失礼な風をしていますのを、それでは明るすぎて…」などとお断りになって、物に寄りかかって横になっていらっしゃいます――

「御くだものなど、わざとはなくしなして参らせ給へり。御供の人々にも、ゆゑゆゑしき肴などして、出させ給へり。廊めいたる方に集まりて、この御前は人げ遠くもてなして、しめじめと物語きこえ給ふ。うちとくべくもあらぬものから、なつかしげに愛敬づきて、物のたまへるさまの、なのめならず心に入りて、思ひ焦らるるもはかなし」
――(大君は、また)くだものなども、特に調えた風にはせずにご用意なさり、お供の人々にもそれぞれに、それ相当の酒肴を出させられます。この人々は廊のあたりに集まっていて、お二人の近くには人が居ないように気をつかっております。お二人はしみじみと物語なさっております。大君は容易に気をお許しになられないものの、なつかしげにものをおっしゃるご様子を、薫はなおのこと気に入られて、恋焦がれるのも、考えれば儚いことです――

「かく程もなき物のへだてばかりを障りどころにて、おぼつかなく思ひつつすぐす心おそさの、あまりをかがましくもあるかな、と思ひ続けらるれど、つれなくて、おほかたの世の中のことども、おはれにもをかしくも、さまざま聞き所多くかたらひきこえ給ふ」
――このようなちょっとした隔て位に妨げられて、いらいらしながら時を過ごす愚直さの、あまりのばかばかしさよ、と薫はやるせない思いでおられますが、表面上は平気を装って、世の中のことや世間話をあわれにも面白くもお話なさっておられるのでした――

「内には、人々近くなどのたまひおきつれど、さしももて離れ給はざらなむ、と思ふべかめれば、いとしもまもりきこえず、さし退きつつ、みな寄りふして、仏の御ともしびもかかぐる人もなし」
――御簾の内側では、大君が侍女たちに、近くに付き添っているようにと言っておかれましたが、侍女たちは大君がそれほど薫をお避けにならないで欲しい、もうそろそろその時期ではないかと思うらしく、大して警戒も申し上げず、皆奥へと退き下がってしまい、仏の御燈明の火を守る人もおりません――

◆ゆゑゆゑしき=故故しき=いわれがありそうな、品格があって重々しい。

◆しめじめと=ひっそりと心沈んださま。しんみり。

◆写真:几帳(きちょう)部屋の間仕切りなどに使用。

では10/9に。


源氏物語を読んできて(831)

2010年10月05日 | Weblog
2010.10/5  831

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(8)

つづけて、

「きさいの宮はた、馴れ馴れしく、さやうに、そこはかとなき思ひのままなるくだくだしさを、きこえ触るべきにもあらず。三條の宮は、親と思ひきこゆべきにもあらぬ御若々しさなれど、かぎりあれば、たやすく馴れきこえさせずかし。その外の女は、すべていと疎くつつましく恐ろしくおぼえて、心からよるべなく心細きなり」
――后の宮(明石中宮)には、そう容易く馴れなれしく、訳もない気ままな患いごとをお耳に入れるべきでもありませんし、三條の宮(女三宮=母宮)は、母と申し上げるには似合わぬ程の若々しさであっても、親子としての分がありますから、何でもお話できるという訳にも参りません。そのほかの女は、何となく疎ましく気ずまりで、恐ろしく、自分から打ち解けて心許せる人とてもないあり様です――

「なほざりのすさびにても、懸想だちたることは、いとまばゆく、ありつかず、はしたなきこちごちしさにて、まいて心にしめたる方の事は、うち出づることも難くて、うらめしくもいぶせくも、思ひきこゆる気色をだに見え奉らぬこそ、われながら限りなくかたくなしきわざなれ。宮の御事をも、さりともあしざまにはきこえじ、と、まかせてやは見給はぬ」
――女とのちょっとした戯れ事でも、色恋沙汰はひどく恥ずかしく身に着かず、極まり悪い無骨さですから、まして真剣に思いつめている方の事は、口にするのも難しくて、これほどまでに怨めしく遣る瀬無くお慕い申しながら、その素振りさえお見せできないでいますのこそ、われながら何と言う偏屈者だろうと口惜しくてなりません。匂宮の御事も、悪いようには取り図るまいと信じて私にお任せになってご覧になりませんか――

 などと、おっしゃいます。弁の君は心の中で、

「かばかり心細きに、あらまほしげなる御ありさまを、いと切にさもあらせ奉らばや」
――(薫中納言が)このようにお心細く暮していらっしゃるよりは、この理想的な薫を大君の婿におさせ申したい――

 と思うのですが、薫も大君も御身分としてもご立派なので、何とも申し上げようがないのでした。
 薫は今夜は宇治にお泊まりになって、ゆっくりと物語などなさりたいとお思いのうちに、ぐずぐずとして日を暮らしてしまわれました。

「あざやかならず、物うらみがちなる御けしき、やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしくて、うちとけてきこえ給はむ事も、いよいよ苦しけれど、おほかたにてはあり難くあはれなる人の御心なれば、こよなくももてなし難くて、対面し給ふ」
――(大君は)、薫がはっきりと口には出されないまま、自分を恨んでいらっしゃるらしい素振りが、次第に昂じてこられるのを迷惑に思われますが、一方では大体において情愛深い人ですので、あまり素っ気ない態度もお見せできず、それなりのお相手をなさっておられます――

◆はしたなきこちごちしさにて=端なき(体裁悪い)骨骨しさ(ごつごつしている、無骨である) 

◆うらめしくもいぶせくも=怨めしくも(残念な)いぶせく(鬱陶しい、気が晴れない)

◆限りなくかたくなしきわざなれ=限りなく頑くなしき(頑固な、強情な)わざ(業・態)であることよ。

では10/7に。


源氏物語を読んできて(830)

2010年10月03日 | Weblog
2010.10/3  830

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(7)

 弁の君は、さらに、

「今はとざまかうざまに、こまかなる筋きこえ通ひ給ふめるに、かの御方をさやうにおもむけてきこえ給はば、となむおぼすめかめる。宮の御文など侍るめるは、さらにまめまめし御事ならじ、と侍るめる」
――今ではあれこれと細々しい点をご相談されますにつけ、大君はあなた様が中の君を奥様としてお望みのようでしたら、(そのようにと)お考えのようでございますよ。匂宮からお手紙があるようですが、それは全く真面目な筋のことではない、とお考えのようですから――

 と申し上げます。薫は、

「あはれなる御一言を聞きおき、露の世にかかづらはむかぎりは、きこえ通はむの心あれば、いづかたにも見え奉らむ、同じ事なるべきを、さまではた、おぼし寄るなる、いとうれしきことなれど、心のひく方なむ、かばかり思ひ棄つる世に、なほ留まりぬべきものなりければ、改めて、さはえ思ひなほすまじくなむ。世の常のなよびかなる筋にもあらずや」
――(亡き八の宮から)身に沁みるご遺言をお聞きしましたので、この世に生きている限りは、ご交際申そうとの所存ですから、御姉妹のどちらを頂いても同じわけのものですが、またそこまでお考えくださるのはたいそう嬉しいことですが、私の好きな方はといえば、これほど思い棄てた世にもやはり残っている気持ちのことですから、今更、中の君の方に思い替えされそうにありません。大君に寄せる私の気持ちは世間普通の浮気めいた向きのものではないのですよ――

「ただかやうに物へだてて、言残いたるさまならず、さし向ひて、とにかくに、さだめなき世の物語を、へだてなくきこえて、つつみ給ふ御心のくま残らずもてなし給はむなむ、兄弟などのさやうにむつまじき程なるもなくて、いとさうざうしくなむ、世の中の思ふ事の、あはれにも、をかしくも、憂はしくも、時につけたるありさまを、心に籠めてのみ過ぐる身なれば、さすがにたづきなく覚ゆるに、うとかるまじく頼みきこゆる」
――ただこのように物を隔ててのご対面で、申し上げたいことも言えない風ではなく、さし向いであれこれと、この定めなき世のお話を十分に申し上げ、あちらも、お心に包み隠されることなくお接しくださることこそ、(と、お頼り申しているのです)。私には兄弟というような睦まじい人もなくて淋しくもの足りなく、世の中にあって思うこと、もののあわれ、風流なことも、憂いも、その時々のありさまを自分だけで過ごしている身としては、実に頼り所なく思われましてね――

 と、まだ、薫はお話を続けられます。

では10/5に。


源氏物語を読んできて(829)

2010年10月01日 | Weblog
2010.10/1  829

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(6)

弁の君はつづけて、

「身を棄て難く思ふかぎりは、程々につけてまかで散り、昔の古き筋なる人も、多く見奉り棄てたるあたりに、まして今はしばしも立ちとまり難げにわび侍りて、おはしましし世にこそ、かぎりありて、かたほならむ御有様は、いとほしくもなど、古代なる御うるはしさに思しもとどこほりつれ」
――山里に朽ちるのが厭な侍女たちは、みなそれぞれに暇をとり、古くから縁故のある人も大方お側を去ったあとのお邸に、ましてや八の宮の亡き今は留まり難くたいそう困っております。八の宮御在世の間は、一定の格式があって、見苦しいご縁組はお気の毒だなどと、古風な几帳面さから御躊躇もなさったのですが――

「『今はかうまたたのみなき御身どもにて、いかにもいかにも世になびき給へらむを、あながちにそしり聞こえむ人は、かへりて物の心をも知らず、言ふかひなき事にてこそはあらめ、いかなる人か、いとかくて世をば過ぐしはて給ふべき、松の葉をすきてつとむる山伏だに、生ける身の棄て難さによりてこそ、仏の御教えをも、道々別れては行ひなすなれ』などやうのよからぬ事をきこえしらせ、若き御心どもみだれ給ひぬべきこと多く侍るめれど」
――(侍女の中には)「姫君方は、今ではこうして他に頼りどころもないお身の上で、どのように世間一般に従われましょうとも、それに強いて陰口申すような人は、却って世の中のことを知らず道理を知らない人でしょう。いったい誰がこんなひどい有様で一生をお過ごしになられる訳のものでしょうか。松の葉を食するという山伏でさえも、やはり生きる身の難しさに、仏の御教えさえも、別々の派を立てて修行するということですもの」などと、こんなとんでもない事を申し上げて、姫君たちの御心を乱れさせ申すことも多いのですが――

「たわむべくもものし給はず、中の宮をなむ、いかで人めかしくもあつかひなし奉らむ、と思ひ聞こえ給ふべかめる。かく山深く尋ねきこえさせ給ふめる御志の、年経て見奉り馴れ給へるけはひも、うとからず思ひきこえさせ給ひ」
――(大君は)戯れにもそのようなお考えはなく、ただ(中の宮)中の君だけには、何とか人並みにしてさしあげたいとお考えのようでございます。このような山深いところへお尋ねくださるあなた様の御厚意が、姫君方が長い間お見上げしなれた感じからも、親しくお思い申しておられ、疎ましくは思っておられない筈です――

 と、申し上げます。

では10/3に。