永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(70)その3

2018年07月21日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その3  2018.7.21

 入らせたまひて、なほめでたき事ども言ひ合はせてゐたるに、南の遣戸のそばに、几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、黒みたる物の見ゆれば、のりたかがゐたるなンめりと思ひて、見も入れで、なほことどもを言ふに、いとよくゑみたる顔の、さし出でたるを、「のりたかなンめり、そは」とて見やりたれば、あらぬ顔なり。
◆◆(主上と中宮が)奥にお入りあそばされてから、なお素晴らしい御有様どもを式部のおもとと話あっている時に、南の引き戸のそばに、几帳の手の突き出ているのにつかえて、簾がすこし開いている所から、黒ずんだ物が見えるので、則隆が座っているのだろうと思って、気をつけて見もしないで、やはりいろいろと二人で話していると、たいへんにこにこしている顔が差し出たのを、「則隆だろう、それは」と思って、そちらに目を向けたところ、違う顔である。◆◆

■几帳の手=几帳の丁字形につき出ている両端を「手」という。
■のりたか=橘則隆。六位蔵人。


 あさましと笑ひさわぎて、几帳引きなほし隠るれど、頭弁にこそおはしけれ。見えたてまつらじとしつるものをと、いとくちをし。もろともにゐたる人は、こなたに向きてゐたれば、顔も見えず。立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」とのたまへば、「のりたかと思ひはべれば、あなづりてぞかし。などかは、『見じ』とのたまひしに、さつくづくとは」と言ふ。
◆◆あきれたことだと笑って騒いで、几帳を引きなおして隠れるけれど、それは頭の弁でいらっしゃったのだった。顔を見られ申されないようにしていたのに、たいへん残念だ。一緒に座っている人は(式部のおもと)、こちらに向いて座っていたのであちらからは顔も見えていない。頭の弁は立ってこちらへ姿を現して、「まったくあますところなく見てしまったことだ」とおっしゃるので、「則隆と思っていたので、気をゆるしていたのですよ。どうして、『見まい』とおっしゃっていらしたのに、そんなにしっかりとは」と言う。◆◆

■もろともにゐたる人=式部のおもと



 「『女は寝起きたる顔なむ、いとよき』となむ言へば、ある人の局に行きて、かいま見して、またもし見えやするとて来たりつるなり。まだうへのおはしつるながらあるを、え知らざりけるよ」とて、それより後恥ぢず、局の簾うちかづきなどしたまふめりき。
◆◆「『女は寝起きの顔が、とても良い』ということだから、ある人の所の局に行って、覗き見をして、また、ひょっとしてあなたの顔が見られるかも知れないと思ってやって来てしまったのですよ。まだ主上がおいでになっているときから、そのまま居るのを、あなたは全く気がつかなかったのですね」と言って、それから後は平気で、私の局の簾をおくぐりになって、中に入りなどなさるようでした。◆◆

■『女は寝起きたる顔なむ~』=当時のことわざのようなものか。あるいは行成の皮肉か。
「女は寝起き顔なむいと難き」(女は寝起き顔は容易に見られない)の意か。
◎「五七」の前半は長徳三年(997)六月~十月の間のことか。後半「三月つごもり~」以下は長保二年(1000)三月のことであろう。行成と作者との交渉は他の段にも見え、気が合っていたらしい。作者の方が十歳ほど年長。