永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(70)その2

2018年07月18日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その2  2018.7.19

 物など啓せさせむとても、そのはじめ言ひほめし人をたづね、しもなるをも呼びのぼせ、局などにも来て言ひ、里なるには、文書きても、みづからもおはして、「おそくまゐらば、『さなむ申したる』と申しにまゐらせよ」のどのたまふ。「その人の候ふ」など言ひゆづれど、さしもうけひかずなどぞおはする。
◆◆(頭の弁は)何かを中宮様に申し上げさせようというときでも、最初に取り次ぎを頼んだ私を探して、局に下がっているのまでも呼んでのぼって来させ、さもなければ局などにも来て言い、宿下がりをしている時には、手紙を書いてでも、またご自分でおいでになってでも、「もしあなたが遅く参上するのなら、『このように頭の弁が申しております』と中宮様に言上しに人を参上させよ」などとおっしゃる。「わたくしでなくても、何事でも、これこれの人がひかえております」とその人にゆずるのだけれど、そうは承知しないといったふうでいらっしゃる。◆◆

■啓せさせむ=「させ」は使役。取り次ぎの者を通して中宮に言上するのが普通。
■しもなるを=「上」に対し女房の私的な個室のある方面。自分の局にさがっているわたし(作者)
■里なるには=自宅に宿下がりをしているとき。



 「あるにしたがひ、定めず、何事も、もてなしたるをこそ、よきにはすれ」とうしろ見きこゆれど、「わがもとの心の本性」とのみのたまひつつ、「改まらざる物は心なり」とのたまへば、「さて『はばかりなし』とは、いかなる事を言ふにか」とあやしがれば、笑ひつつ、「仲よしなど人々にも言はるる。かう語らふとならば、何かは恥づる。見えなどもせよかし」とのたまふを、「いみじくにくければ、『さあらむ人はえ思はじ』とのたまひしによりて」。「にくくもぞなる。さらば、な見えそ」と、おのづから見つべきをりも、顔をふたぎなどしてまことに見たまはぬも、まごころにそら言したまはざりけりと思ふに、
◆◆「何言でもその場にあるのに従って、一つとは決めずに処理してしるのをこそ、よいことにしております」と、忠告がましいことを申し上げますが、「自分のもともとの本性だから」とだけいつもおっしゃって、「改まらない物は心だ」とおっしゃるので、「それでは『改めるのに遠慮はいらない』とは、いったいどういうことを言うのでしょうか」と不審がると、笑いながら、「あなたと仲が良いなどと人々からも言われています。こう親しく話をするからには、どうして恥ずかしがることがあろうか。わたしに顔なども見せなさいよ」とおっしゃるのを、「わたしはとても憎らしい顔をしていますから、『そういうような人は好きになれそうもない』と前におっしゃったので」と言う。頭の弁は「憎らしくなるといけないな。それでは、どうぞ顔を見せてくださるな」とおっしゃって、自然に私の顔を見てしまいそうな機会にも、顔をふさぎなどして、本当に御覧にならないのも、本心で、うそはおっしゃらないのだったと思っていたところ、◆◆
 



三月つごもりころは、冬の直衣の着にくきにやあらむ、うへの衣がちにて、殿上人宿直姿もある。つとめて日さし出づるまで、式部のおもとと廂に寝たるに、奥の遣戸をあけさせたまひて、うへの御前、宮の御前出でさせたまへれば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせたまふ。唐衣を髪の上にうち着て、宿直物も何も、うづもれながらあるうへにおはしまして、陣より出で入る者など御覧ず。殿上人のつゆ知らで寄り来て物言ふなどもあるを、「けしきな見せそ」と笑はせたまふ。さて立たせたまふに、「二人ながら、いざ」と仰せらるれば、「いま顔などつくろひてこそ」とてまゐらず。
◆◆三月の末ごろは、冬の直衣が着づらいのであろうか、多くは袍だけで、殿上人が宿直姿をしているのもある。翌朝、日が差し出るころまで、式部のおもとと、廂の間に寝ていると、奥の引き戸をお開けあそばされて、主上と中宮様がお出ましあそばされたので、起きおおせもできず慌てふためくのを、たいそうお笑いあそばされる。唐衣を髪の上に着こんで(髪は唐衣の上に出すものを)、夜具類やなにやかや、それらに埋もれているあたりにお出でになって、陣から出たりはいったりする者どもをご覧あそばす。殿上人で、主上と中宮様のおいでを全く知らずに、寄ってきて話かける者などもいるのを、「わたしたちが、ここにいるというそぶりを見せないでおくれ」とお笑いあそばされる。そうしてお立ちあそばされる時に、「二人とも、さあ」と参上をお命じあそばすので、「ただいま、顔などとのえましてから」といって参上しない。◆◆


■三月つごもりころ=ここからは、三月末のある日のことを描く。四月一日の更衣前だが暑い。
■うへの衣がち=下襲を脱いで袍だけの姿。
■宿直姿(とのゐすがた)=束帯(昼の装束)に対する略式の姿。袍・冠・指貫はつけるが、束帯のように下襲・石帯はつけない。
■式部のおもと=中宮つきの女房であろう。
■うえと宮=一条帝と中宮定子