永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(191

2017年05月21日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (191)  2017.5.21

「助をあけくれ呼びまとはせば、つねにものす。女絵をかしくかきたりけるがありければ、取りてふところに入れて持てきたり。見れば釣り殿とおぼしき高欄におしかかりて、中島の松をまぼりたる女あり。そこもとに、紙の端に、書きて、かくおしつく。
〈いかにせん池の水波さわぎては心のうちの松にかからば〉
また、やもめ住みしたる男の、文書きさして頬杖つきて、もの思ふさましたるところに、
〈ささがにのいづこともなく吹く風はかくてあまたになりぞすらしも〉、もてかへり置きけり。

◆◆右馬頭は助を朝夕呼びつけては離さないので、助は出かけて行きます。女絵の面白いのがあったので、助が持ち帰ってきました。見ると、釣り殿と思われる建物の高欄に寄りかかって中島の松を見ている女が描いてあります。そのそばに、紙の端に書いて、このような歌をはりつけました。
(道綱母の歌)「どうしましょう。心ひそかに待っている男が心変わりしたら」
また、やもめ暮らしの男が手紙を書きさして、頬杖をついて、物思いにふけっている様子でいる絵のところには、
(道綱母の歌)「あてもなく吹く風のように、誰彼の区別なくいい寄る男は、書く手紙の数もおおくなるらしい)
と書くと、助が持っていってあちらへ返してきました。◆◆


【解説】  蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より

当時の男性は、こと求婚に関しては実に刻苦勉励して和歌を送り続けたり、保護者の許可を得るため忍耐し、種々奔走を続けるのが常である。右馬頭も思うとおりに進捗せず、不愉快なことがあってもあきらめず、まったく粘り強く押しの一手で迫ってくる。若い男性でなく、こうした経験豊富な中年男だけに簡単に引き下がらない。兼家の異母弟である、かつ道綱の直接の上司だけに、無愛想に追い払うわけにも行かず、作者の気骨の折れることおびただしい。

また当時こうした絵を貴族の間で愛好したことは『源氏物語』はじめ『落窪物語』その他の作品によって伺われる。(中略)
道綱が右馬頭のところから持ち帰った絵に、歌心のある作者は紙切れに歌をすさび書きして付けたのであろう。道綱が借りてきてのであろうが、(事情は不明)「いかにせん」の歌によって養女の結婚につき頭(かみ)の心変わりを案じている意を、『ささがにの』の歌によって、頭もこのような好き者ではないかと懸念している意をほのめかすためであったろうと見る説もある。