永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(188)その2

2017年05月08日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (188)その2  2017.5.8

「さてなほここには、いといちはやき心ちすれば思ひかくることもなきを、かれより、『かくなん仰せありきとて、責むるごときこえよ』とのみあれば、『いかでさはのためはするにかあらん。いとかしがましければ、見せたてまつりつべくて。御かへり』と言ひたれば、『さは思ひしかども、助のいそぎしつるほどにて、いとはるかになんなりにけるを、もし御心かはらずは、八月ばかりにものし給へかし』とあれば、いとめやすき心ちして、」

◆◆さて、ここではこの結婚話は少し早すぎるという気がしますので、本気で考えてもいないのに、右馬頭から道綱へは、「私の方からは、このように殿の仰せがありました、と言って、母上にどしどし催促申し上げてください」とばかり言ってくるので、私はあの人(兼家)に「どうしてあのように言ってくるのでしょうか。とてもしつこいので、右馬頭さまにお見せしたいと思いまして。あなたからのご返事を」と言ってやりますと、あの人からは「そうは思ったけれど、助の支度をしていた最中で、随分のびのびになってしまったが、もし、右馬頭の心が変わらなければ、八月ごろに行われるのが良いだろう」と返事があったので、ちょっとほっとした気持ちがして◆◆


「『かくなんはべめる。いちはやかりける暦は不定なりとは、さればこそきこえさせしか』とものしたれば、返りごともなくて、とばかりありてみづから、『いと腹だたしきこときこえさせになんまゐりつる』とあれば、『なにごとにか。いとおどろおどろしくはべらん。さらばこなたに』と言はせたれば、『よしよし、かう夜昼まゐり来ては、いとどはるかになりなん』とて、入らで、とばかり助と物語して、立ちて硯、紙と乞ひたり。」

◆◆右馬頭に私の方から「殿はこのように仰っております。気の早い暦ざたは確かではございません。ですからこそ申し上げるのございます」と言いおくるが、返事がなくて、しばらくして右馬頭自身が訪れてきて、「とても腹の立つことを申し上げに参りました」というので、「なにごとでしょうか。大変なご剣幕でございますこと。では、こちらへ」と言わせますと、「まあ、まあ、こんなふうに、夜昼の参ってはますます遠のいてしまいましょう」と言って、内には入らず、少しばかり助と話をして、帰り際に硯と紙とを所望したのでした。◆◆


「出だしたれば、書きておしひねりて入れて去ぬ。見れば、
『<契りおきし卯月はいかにほととぎすわが身の憂きにかけ離れつつ>
いかにはべらまし。屈しいたくこそ。暮れにを』と書いたり。
手もいとはづかしげなりや。返りごと、やがて追いて書く。
<なほしのべ花橘の枝や無きあふひすぎぬる卯月なれども>

◆◆それらを出しますと、書いて、両端をひねってこちらへ差し出して帰っていきました。見ると、
「(右馬頭の歌)『お約束の四月はどうなったのでしょうか。わが身がなさけなく、おそばにも寄れない日々を過ごしています。おとずれた鶯もやがて卯の花の木陰を離れて泣きます。』いったいどうしたら良いでしょう。すっかり悲観しております。また夕方に参ります」と書いてありました。
筆跡はなかなか立派でした。返事を追いかけるようにして書きました。
(道綱母の歌)「やはり辛抱して時節をお待ち下さい。卯の花の陰はなくても、五月には花橘の花があるではありませんか。葵の祭(養女と逢う・結婚の)の四月はすぎましたけれど」◆◆