蜻蛉日記 下巻 (184)その1 2017.4.11
「からうして帰りて又の日、出居のところより夜ふけて帰りきて、臥したる所に寄り来て言ふやう、『殿なん、<きんぢが寮の頭の、去年よりいと切にのたうぶことのあるを、そこにあらん子はいかがなりたる。おほきなりや、心ちつきにたりや>などのたまひつるを、又、かの頭も<殿はおほせられつることやありつる>となんのたまひつれば、<さりつ>となん申しつれば、<あさてばかりよき日なるを、御文たてまつらむ>となんのたまひつる』と語る。いとあやしきことかな、まだ思ひかくべきにもあらぬを、と思ひつつ寝ぬ。
◆◆ようやくの思いで帰って来ての次の日、練習場から助(道綱)が夜更けて帰って来て、私の寝ているそぼにきて言うには、「殿(父・兼家)が、『お前の役所の長官(右馬頭)が、去年からひどく熱心におっしゃる事があるが、そちらにおいでになるあの女の子はどうしておいでかな。大きくおなりか、娘らしくなってきたか』などとお聞きになりました。また、その長官も『殿から何かおっしゃっられたことがおありでしょうか』とおっしゃられましたので、『はい、ございました』と申し上げますと、『明後日は佳き日にあたるので、御文をさしあげましょう』とおっしゃっていました。」と話します。まあ、奇妙なこと、まだ恋文などをもらうほどの年頃ではないのに、と思いつつ寝たのでした。◆◆
「さて其の日になりて文あり。いと返りごとうちとけしにくげなるさましたり。中の言葉は、『月ごろ思ひたまふることありて、殿に伝へ申させはべりしかば、<ことのさまばかりきこしめつ。いまはやがてきこえさせよとなんおほせ給ふ>とうけ給はりにしかど、いとおほけなき心のはべりけるとおぼし咎めさせ給はんを、つつみはべりつるになん。ついでなくてとさへ思ひ給へしに、司召しみ給へしになん、この助の君のかうおはしませば、まゐりはべらんこと、人見咎まじう思ひたまふるに>など、いとあるばかしう書きなし、端に、『武蔵といひはべる人の御曹司に、いかでさぶらはん』とあり。返りごときこゆべきを、まづこれはいかなることぞとものしてこそは、とてあるに、『<物忌みやなにやと折悪し>とて、え御覧ぜさせず』とてもて帰るほどに、五六日になりぬ。』
◆◆さてその日になって、長官(頭=かみ)から手紙が届きました。お返事をば、気を許して書けそうにもないような手紙です。中の言葉は、「幾月も前から、考えております(養女への求婚のこと)ことがありまして、殿に申し上げるようにいたさせましたところ、『殿は、事のあらましはお聞きとりくださいました。今はもう直接お話申し上げるようにと仰せになっておられます』と承りましたが、まことに身分不相応な望みを抱いていると、お咎めあそばすであろうと、遠慮申し上げていた次第でございます。その上良い機会もなくてと存じておりましたが、このほどの司召しの結果をみますと、この助の君が、このように同じ役所の勤めになられましたので、お宅に参上いたしますことを、誰も不審には思うまいと存じまして」などと、もっともらしく書いてあって、端に、「武蔵と申します人のお部屋に、是非とも伺候したいとものです」と書いてあります。◆◆
■武蔵といひはべる人=作者の侍女か。右馬頭に縁のある者であろうか。
「からうして帰りて又の日、出居のところより夜ふけて帰りきて、臥したる所に寄り来て言ふやう、『殿なん、<きんぢが寮の頭の、去年よりいと切にのたうぶことのあるを、そこにあらん子はいかがなりたる。おほきなりや、心ちつきにたりや>などのたまひつるを、又、かの頭も<殿はおほせられつることやありつる>となんのたまひつれば、<さりつ>となん申しつれば、<あさてばかりよき日なるを、御文たてまつらむ>となんのたまひつる』と語る。いとあやしきことかな、まだ思ひかくべきにもあらぬを、と思ひつつ寝ぬ。
◆◆ようやくの思いで帰って来ての次の日、練習場から助(道綱)が夜更けて帰って来て、私の寝ているそぼにきて言うには、「殿(父・兼家)が、『お前の役所の長官(右馬頭)が、去年からひどく熱心におっしゃる事があるが、そちらにおいでになるあの女の子はどうしておいでかな。大きくおなりか、娘らしくなってきたか』などとお聞きになりました。また、その長官も『殿から何かおっしゃっられたことがおありでしょうか』とおっしゃられましたので、『はい、ございました』と申し上げますと、『明後日は佳き日にあたるので、御文をさしあげましょう』とおっしゃっていました。」と話します。まあ、奇妙なこと、まだ恋文などをもらうほどの年頃ではないのに、と思いつつ寝たのでした。◆◆
「さて其の日になりて文あり。いと返りごとうちとけしにくげなるさましたり。中の言葉は、『月ごろ思ひたまふることありて、殿に伝へ申させはべりしかば、<ことのさまばかりきこしめつ。いまはやがてきこえさせよとなんおほせ給ふ>とうけ給はりにしかど、いとおほけなき心のはべりけるとおぼし咎めさせ給はんを、つつみはべりつるになん。ついでなくてとさへ思ひ給へしに、司召しみ給へしになん、この助の君のかうおはしませば、まゐりはべらんこと、人見咎まじう思ひたまふるに>など、いとあるばかしう書きなし、端に、『武蔵といひはべる人の御曹司に、いかでさぶらはん』とあり。返りごときこゆべきを、まづこれはいかなることぞとものしてこそは、とてあるに、『<物忌みやなにやと折悪し>とて、え御覧ぜさせず』とてもて帰るほどに、五六日になりぬ。』
◆◆さてその日になって、長官(頭=かみ)から手紙が届きました。お返事をば、気を許して書けそうにもないような手紙です。中の言葉は、「幾月も前から、考えております(養女への求婚のこと)ことがありまして、殿に申し上げるようにいたさせましたところ、『殿は、事のあらましはお聞きとりくださいました。今はもう直接お話申し上げるようにと仰せになっておられます』と承りましたが、まことに身分不相応な望みを抱いていると、お咎めあそばすであろうと、遠慮申し上げていた次第でございます。その上良い機会もなくてと存じておりましたが、このほどの司召しの結果をみますと、この助の君が、このように同じ役所の勤めになられましたので、お宅に参上いたしますことを、誰も不審には思うまいと存じまして」などと、もっともらしく書いてあって、端に、「武蔵と申します人のお部屋に、是非とも伺候したいとものです」と書いてあります。◆◆
■武蔵といひはべる人=作者の侍女か。右馬頭に縁のある者であろうか。