永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(163)

2017年01月27日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (163) 2017.1.27

「さながら八月になりぬ。ついたちの日、雨降り暮らす。しぐれだちたるに、未の時ばかりに晴れて、つくつくほうしいとかしがましきまで鳴くを聞くにも、『我だにものは』と言はる。いかなるにかあらん、あやしうも心ぼそう、涙うかぶ日なり。」
◆◆そのまま八月になってしまいました。一日の日は雨が一日中降り続いて、時雨のような雨で、未(ひつじ)の頃になってようやく晴れて、つくつくほうしがやかましいくらいに鳴くのを聞くにつけても、「我だにものは言はでこそ思へ」という和歌が口をついて出る。
どうしたものか、妙に心細く涙が浮かんでくる日です。◆◆



「『立たん月に死ぬべし』といふさとしもしたれば、この月にやとも思ふ。相撲の還饗なども、ののしるをばよそに聞く。」
◆◆「来月にも死ぬであろう」とのお告げも先月にあったので、今月に死ぬのかとも思う。
相撲の還饗なども、みなが騒いでいるけれども他所事のように聞いていました。◆◆



「十一日になりて、『いとおぼえぬ夢みたり、とてかうて』など、例のまことにしもあるまじきこともおほかれど、十二日にものして、ものも言はれねば、『などかものも言はれぬ』とあり。『なにごとをかは』といらへたれば、『などか来ぬ、とはぬ、にくし、あらかし、とて、打ちもつみもし給へかし」と言ひ続けらるれば、『きこゆべきかぎりの給ふめれば、なにかは』とてやみぬ。つとめて、『いま、この経営すぐしてまゐらんよ』とて帰る。十七日にぞ還饗と聞く。」
◆◆十一日になって、「まったく思いもよらぬ夢を見た。とにかくそちらに伺ってから」などとあの人から、いつものように信じられないようなことが多く書いてあるけれども、十二日に来て、私は拗ねて一言も何も言わないでいると、「どうして何も言われないのだ」と言う。「何を申し上げたらよいのでしょう。何もありません」と答えると、「どうして来ないのか、どうして便りをくれないのか、憎らしい、切ないと言ってぶったりつねったりしなさいよ」と続けざまに言われるので、「私の申しあげたいことをみなおっしゃったようですから、私からはもう申し上げることはございません」と言ってそのままにしました。翌朝、「そのうちこの仕事(還饗)を終えたら又来るよ」といって帰りました。十七日が還饗だったとか聞きました。◆◆



「つごもりになりぬれば、契りし経営おほくすぎぬれど、今はなにごともおぼえず。慎めといふ月日ちかうなりにけることを、あはれとばかりおもひつつふる。」
◆◆月末になって、約束したあの行事が済んで相当日が経ったけれど、(あの人は来ず)今はもうなんとも思わず、慎めと言われた月日が終わり近くなって死期が迫ったことを、ただしんみりと思いながら暮してします。◆◆

■相撲の還饗(すまいのかえりあるじ)=相撲の節会の後の接待

■契りし経営(けいめい)=約束した還饗のことが