永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(161)

2017年01月20日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (161) 2017.01.20

「大夫、そばのもみぢのうちまじりたる枝に付けて、例のところにやる。
<夏山の木の下露のふかければかつぞなげきの色もえにける>
返りごと、
<露にのみ色もえぬれば言の葉をいくしほとかは知るべかるらん>
など言ふほどに、宵居になりて、めづらしき文こまやかにてあり。廿よ日いとたまさかなりけり。あさましきことと目馴れにたれば、いふかひなくて、なにごころなきさまにもてなすも、わびぬればなめりかしとかつ思へば、いみじうなんあはれに、ありしよりけにいそぐ。

◆◆大夫が紅葉のまじったそばの木の枝につけて、例の大和の女のところへ歌を送る。
(道綱の歌)「夏山では木々が繁って露が多くしたたり落ちるので、青々と繁る一方ではこんなに紅葉するのでした。私もあなたを恋う涙がしきりに流れるので、わたしの嘆きの模様はますます目に立つようになりました。」
返事は、
(大和の歌)「露だけで葉がこんなに美しく紅葉しましたが、同様にあなたの御言葉も幾度、濃く色よく作り上げられた美辞麗句なのでしょう」
などと言ってきましたが、そのうちに夜中まだ起きているときに、珍しくあの人から情のこもったお手紙がきました。二十日あまりでほんとうに久しぶりでした。こんな状態には馴れてしまっているので、今さらどうという感情もないけれど、あの人端無関心に振る舞いながらも一方ではこんな手紙を寄こしたりして気を使っているのだなあと思うと、ひどく気の毒になって、いつもより返事を急いで書きました。◆◆



「そのころ県ありきの家なくなりにしかば、ここに移ろひて、類おほくことさわがしくて明け暮るるも、人目いかにと思ふ心あるまで音なし。」

◆◆そのころ、地方任官の父の家がなくなったので、皆がこちらに移ってきて、我が家に親戚の者達が多くなってにぎやかに明け暮れしているものの、その人たちの目にどう映っているのかと思うほど、あの人からの訪れは無いのでした。◆◆


■そば=にしき木の古名。紅葉が美しい。今は六月だが季節はずれに紅葉したもの。