永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(141)

2016年09月07日 | Weblog
141蜻蛉日記  下巻 (141) 2016.9.7

「かくてなかなかなる身の便なきにつつみて、世人のさわぐ行ひもせで、二七日はすぎぬ。」
◆◆こうして、なまじっか兼家という人の妻であるという我が身なので、気兼ねして、世間の人々が熱心にする勤行もせずに、二七日(十四日)が過ぎていきました。◆◆



「十四日ばかりに古き袍、『これ、いとようして』など言ひてあり。『着るべき日は』などあれど、急ぎも思はであるに、つかひのつとめて『おそし』とあるに、
<久しとはおぼつかなしや唐衣うち着てなれんさて送らせよ>
とあるに、たがひて、これよりも文もなくてものしたれば、『これはよろしかめり。まほならぬがわろさよ』とあり。」
◆◆その十四日ころに、古い袍(うえのきぬ)を、あの人の方から「これを仕立て直して」などと言って寄こしました。「着る予定の日はこれこれ」などとあるけれども、急いで仕立てようとは思わずにいると、使いが翌朝、「まだですか」と言ってきて、
(兼家の歌)「まだ出来上がらないとは気がかりなことよ。その着物をずっと着慣れたいもの。きものはそのまま返送させよ」
とありましたが、行き違いにこちらから手紙も付けずに仕立物を届けたので、「これはなかなかの出来栄えのようだ。素直でないのがいただけないが」とありました。◆◆



「ねたさにかくものしけり。
<わびてまたとくとさわげどかひなくてほどふるものはかくこそありけれ>
とものしつ。それよりのち『司召しにて』などて、音なし。」
◆◆しゃくにさわってこう言ってやりました。
(道綱母の歌)「せっかく仕立て直した甲斐もなく、ぐずぐずしている古女房の私はこうして文句を言われるのですね」
と、言って送りました。それから後、「司召し」で忙しいなどと言って、音沙汰がないのでした。◆◆


■袍(うへのきぬ)=奈良時代以来の朝服およびその変化形式である束帯や衣冠の上着。〈うえのきぬ〉ともいう。詰襟式の盤領(あげくぴ)で,身は二幅,袖は奥袖にほぼ半幅の端(鰭)袖(はたそで)をつけた裄(ゆき)の長い衣。奈良時代から平安時代初期にかけての袍は身ごろも袖も細いものであったが,平安時代中期以降,服装の和様化,長大化によって,身ごろが広く,袖丈が長いものに変わった(図)。袍の形に2種あり,文官の用いるものは両脇が縫いふさがり,裾に襴(らん)がついた,有襴(うらん)の袍または縫腋袍(ほうえきのほう)といい,若年や武官の用いるものは両脇を縫いふさがず開いていて,襴をつけていないもので,襖(あお)とか無襴の袍,または闕腋袍(けつてきのほう)と呼んだ。

■写真=袍