2013. 4/19 1245
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その37
「『まだいと行く先遠げなる御程に、いかでか、ひたみちにしかは思ひ立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起し給ふ程は強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとだいだいしきものになむ』とのたまへば」
――(僧都が)「まだ行く末長くお若い身空に、どうしてそのように一途に思い立たれたのでしょう。なまじの決心などで出家なさるのは、却って罪障になるものです。決心された当座は道心堅固なおつもりでも、年月が経ちますと女の御身というものは、はなはだ困ったことになるものですし」とおっしゃいます――
「『をさなく侍りし程より、ものをのみ思ふべきありさまにて、親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知り侍りてのちは、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深く侍りしを、亡くなるべき程のやうやう近くなり侍るにや、心地のいと弱くのみなり侍るを、なほいかで』とて、うち泣きつつのたまふ」
――(浮舟は)「幼い時から、苦労の絶えない身の上で、親なども尼にしてしまおうかと心にも思い、口にも出しておいででした。まして物ごころつきましてからは、私自身、世間並みの女の暮らしなどは求めず(結婚などは求めず)、出家して、せめて後世でも救われたいと思う心が深かったのですが、死ぬべき時がだんだん近づいてきましたせいか、気分が悪くて仕方がなく、やはりどうぞ尼にしてくださいませ」と、泣く泣くお頼みになります――
「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身を厭はしく思ひはじめ給ひけむ、もののけもさこそ言ふなりしか、と思ひあはするに、さるやうこそはあらめ、今までも生きたるべき人かは、あしきものの見つけそめたるに、いとおそろしくあやふきことなり、と思して、『とまれかくまれ、思し立ちてのたまふを、三宝のいとかしこくほめ給ふことなり、法師にて聞え返すべきことならず。御忌むことはいと易く授けたてまつるべきを、急なることにてまかでたれば、今宵かの宮に参るべく侍り。明日よりや御修法はじまるべく侍らむ。七日果ててまかでむに、つかまつらむ』とのたまへば」
――どうも不思議なことだ。このような美しい容姿なのに、どうしてまた身を厭うように思い出したのであろう。そういえば物の怪もいつぞやそのような事を言っていたが、と思い合わせると、それにはそれだけの理由があるのであろう。(僧都はお心の中で)大体今まで生き長らえられる人ではなかったのだ。いったん物の怪が見込んだからには、このままで置いていては、まったく恐ろしく危険なことであろう、とお考えになって、「とにもかくにも、出家を思い立たれたのは、御仏も殊にお誉めくださることです。法師としてお留め申すことではありません。御受戒のことは、まことにたやすくお授け申す事ができますが、何分急用で山を下りまして、今夜は女一の宮の御所に参上しなければなりません。七日の御修法が済んで退出した際に、ご出家申させましょう」とおっしゃいますが、――
「かの尼君おはしなば、必ず言ひさまたげてむ、と、いとくちをしくて、みだり心地の悪しかりし程にしたるやうにて、『いと苦しう侍れば、重くならば、忌むことかひなくや侍るらむ。なほ今日はうれしき折とこそ思う給へつれ』とて、いみじう泣き給へば…」
――(浮舟は)あの尼君が帰ってこられましたなら、必ず私の出家に反対なさるだろうと思い、それでは困りますので、いつぞやのような生死をさまよったと同じ容態を装って、「とても苦しうございますので、これ以上重くなりましてからでは、受戒も甲斐がないことになりましょう。やはり今日が良い折と存じます」と言って、ひどくお泣きになります――
では4/21に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その37
「『まだいと行く先遠げなる御程に、いかでか、ひたみちにしかは思ひ立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起し給ふ程は強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとだいだいしきものになむ』とのたまへば」
――(僧都が)「まだ行く末長くお若い身空に、どうしてそのように一途に思い立たれたのでしょう。なまじの決心などで出家なさるのは、却って罪障になるものです。決心された当座は道心堅固なおつもりでも、年月が経ちますと女の御身というものは、はなはだ困ったことになるものですし」とおっしゃいます――
「『をさなく侍りし程より、ものをのみ思ふべきありさまにて、親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知り侍りてのちは、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深く侍りしを、亡くなるべき程のやうやう近くなり侍るにや、心地のいと弱くのみなり侍るを、なほいかで』とて、うち泣きつつのたまふ」
――(浮舟は)「幼い時から、苦労の絶えない身の上で、親なども尼にしてしまおうかと心にも思い、口にも出しておいででした。まして物ごころつきましてからは、私自身、世間並みの女の暮らしなどは求めず(結婚などは求めず)、出家して、せめて後世でも救われたいと思う心が深かったのですが、死ぬべき時がだんだん近づいてきましたせいか、気分が悪くて仕方がなく、やはりどうぞ尼にしてくださいませ」と、泣く泣くお頼みになります――
「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身を厭はしく思ひはじめ給ひけむ、もののけもさこそ言ふなりしか、と思ひあはするに、さるやうこそはあらめ、今までも生きたるべき人かは、あしきものの見つけそめたるに、いとおそろしくあやふきことなり、と思して、『とまれかくまれ、思し立ちてのたまふを、三宝のいとかしこくほめ給ふことなり、法師にて聞え返すべきことならず。御忌むことはいと易く授けたてまつるべきを、急なることにてまかでたれば、今宵かの宮に参るべく侍り。明日よりや御修法はじまるべく侍らむ。七日果ててまかでむに、つかまつらむ』とのたまへば」
――どうも不思議なことだ。このような美しい容姿なのに、どうしてまた身を厭うように思い出したのであろう。そういえば物の怪もいつぞやそのような事を言っていたが、と思い合わせると、それにはそれだけの理由があるのであろう。(僧都はお心の中で)大体今まで生き長らえられる人ではなかったのだ。いったん物の怪が見込んだからには、このままで置いていては、まったく恐ろしく危険なことであろう、とお考えになって、「とにもかくにも、出家を思い立たれたのは、御仏も殊にお誉めくださることです。法師としてお留め申すことではありません。御受戒のことは、まことにたやすくお授け申す事ができますが、何分急用で山を下りまして、今夜は女一の宮の御所に参上しなければなりません。七日の御修法が済んで退出した際に、ご出家申させましょう」とおっしゃいますが、――
「かの尼君おはしなば、必ず言ひさまたげてむ、と、いとくちをしくて、みだり心地の悪しかりし程にしたるやうにて、『いと苦しう侍れば、重くならば、忌むことかひなくや侍るらむ。なほ今日はうれしき折とこそ思う給へつれ』とて、いみじう泣き給へば…」
――(浮舟は)あの尼君が帰ってこられましたなら、必ず私の出家に反対なさるだろうと思い、それでは困りますので、いつぞやのような生死をさまよったと同じ容態を装って、「とても苦しうございますので、これ以上重くなりましてからでは、受戒も甲斐がないことになりましょう。やはり今日が良い折と存じます」と言って、ひどくお泣きになります――
では4/21に。