2012. 6/23 1124
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その32
「雪にはかに降りみだれ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。この宮の御宿直所に、人々参り給ふ。ものまゐりなどして、うちやすみ給へり。大将、人にもののたまはむとて、すこし端近く出で給へるに、雪のやうやうつもるが、星の光におぼおぼしきを『闇はあやなし』と覚ゆるにほひ、ありさまにて、『衣かたしき今宵もや』とうち誦し給へるも、はかなきことを口ずさみにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき添へる人ざまにて、いともの深げなり」
――雪がにわかに降り乱れ、風がはげしく吹き出しましたので、管弦は取り止めにまりました。人々は匂宮の宿直所(とのいどころ=内裏内に設けられたお部屋)に集まり、お食事を召しあがって休息なさいます。薫が誰かに何かをおっしゃろうとして、少し端近くにお出でになって、雪が大分積もって何とか星明りで見えるほの暗さの中で、「闇は黒白(あや)なし梅の花」の古歌を思い出させるような芳しい香りを漂わせて、「衣方敷き今宵もや」と、「われを待つらむ宇治の橋姫」の上の句をふと口をついておいでになりますが、この何ということもない口ずさみも、薫はしみじみとしたところのあるお人柄ですので、大そう奥ゆかしいのでした――
「言しもこそあれ、宮は寝たるやうにて御心騒ぐ。おろかには思はぬなめりかし、かたしく袖を、われのみ思ひやる心地しつるを、同じ心なるもあはれなり、わびしくもあるかな、かばかりなる本つ人をおきて、わが方にまさるおもひは、いかでつくべきぞ、と、ねたう思さる」
――他に誦すうたもあろうに、と匂宮は寝入ったふりをしていらっしゃいますが、お心が騒ぐのでした。薫は浮舟をいい加減に思ってはいないようだ。「片敷く袖」の女が、自分だけをわびしく待っているだろうと、自分だけが思いやっているつもりだったのに、薫もまた同じ気持ちだとは、なんとまあ。これほど愛情の深い最初の人(薫)をさしおいて、浮舟が、どうして自分の方に一層の愛情を持たせることができようか、と、妬ましくお思いになるのでした――
雪が積もった翌朝早く、昨夜の詩を奉ろうと帝の前に伺候される匂宮のご容姿は、この頃は殊に優れて、今を盛りの美しさです。また薫もちょうど同じ年ごろで、落ち着いた御気質のせいか、少し大人びて見えます。帝の婿君として何一つ恥かしいところがなく、ご立派でいらっしゃると、世間の人も評して居ます。学才でも政務の上でも、人に劣る所は見当たらないのでした。詩の披露が終わって一同は御前を退出します。匂宮の御作をご立派だと言って人々が声高く誦していますが、ご自身は別段嬉しいとも思えず、どういうつもりでこんな詩などを作ったりするのだろう、と、ただぼんやりしていらっしゃる――
◆「闇はあやなし」=古今集「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」
◆「衣方敷き今宵もや」=古今集「さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の
橋姫」
では6/25に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その32
「雪にはかに降りみだれ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。この宮の御宿直所に、人々参り給ふ。ものまゐりなどして、うちやすみ給へり。大将、人にもののたまはむとて、すこし端近く出で給へるに、雪のやうやうつもるが、星の光におぼおぼしきを『闇はあやなし』と覚ゆるにほひ、ありさまにて、『衣かたしき今宵もや』とうち誦し給へるも、はかなきことを口ずさみにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき添へる人ざまにて、いともの深げなり」
――雪がにわかに降り乱れ、風がはげしく吹き出しましたので、管弦は取り止めにまりました。人々は匂宮の宿直所(とのいどころ=内裏内に設けられたお部屋)に集まり、お食事を召しあがって休息なさいます。薫が誰かに何かをおっしゃろうとして、少し端近くにお出でになって、雪が大分積もって何とか星明りで見えるほの暗さの中で、「闇は黒白(あや)なし梅の花」の古歌を思い出させるような芳しい香りを漂わせて、「衣方敷き今宵もや」と、「われを待つらむ宇治の橋姫」の上の句をふと口をついておいでになりますが、この何ということもない口ずさみも、薫はしみじみとしたところのあるお人柄ですので、大そう奥ゆかしいのでした――
「言しもこそあれ、宮は寝たるやうにて御心騒ぐ。おろかには思はぬなめりかし、かたしく袖を、われのみ思ひやる心地しつるを、同じ心なるもあはれなり、わびしくもあるかな、かばかりなる本つ人をおきて、わが方にまさるおもひは、いかでつくべきぞ、と、ねたう思さる」
――他に誦すうたもあろうに、と匂宮は寝入ったふりをしていらっしゃいますが、お心が騒ぐのでした。薫は浮舟をいい加減に思ってはいないようだ。「片敷く袖」の女が、自分だけをわびしく待っているだろうと、自分だけが思いやっているつもりだったのに、薫もまた同じ気持ちだとは、なんとまあ。これほど愛情の深い最初の人(薫)をさしおいて、浮舟が、どうして自分の方に一層の愛情を持たせることができようか、と、妬ましくお思いになるのでした――
雪が積もった翌朝早く、昨夜の詩を奉ろうと帝の前に伺候される匂宮のご容姿は、この頃は殊に優れて、今を盛りの美しさです。また薫もちょうど同じ年ごろで、落ち着いた御気質のせいか、少し大人びて見えます。帝の婿君として何一つ恥かしいところがなく、ご立派でいらっしゃると、世間の人も評して居ます。学才でも政務の上でも、人に劣る所は見当たらないのでした。詩の披露が終わって一同は御前を退出します。匂宮の御作をご立派だと言って人々が声高く誦していますが、ご自身は別段嬉しいとも思えず、どういうつもりでこんな詩などを作ったりするのだろう、と、ただぼんやりしていらっしゃる――
◆「闇はあやなし」=古今集「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」
◆「衣方敷き今宵もや」=古今集「さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の
橋姫」
では6/25に。