永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1122)

2012年06月19日 | Weblog
2012. 6/19    1122

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その30

「『つくらするところ、やうやうよろしうしなしてけり。一日なむ見しかば、ここよりはけじかき水に、花も見給ひつべし。三條の宮も近き程なり。あけくれおぼつかなき隔ても、おのづからあるまじきを、この春の程に、さりぬべくばわたしてなむ』と思ひてのたまふも、かの人の、のどかなるべきところ思ひ設けたり、と、昨日ものたまへりしを、かかることもし知らで、さ思すらむよ、と、あはれながらも、そなたになびくべきにはあるずかし、と思ふからに、ありし御さまの、面影に覚ゆれば、われながらも、うたて心憂の身や、と思ひ続けて泣きぬ」
――(薫が)「今新築している京の邸が、だんだん出来上がってきましたよ。先日見てきましたが、ここよりはもっと川に近くて、花も御覧になれるでしょう。私の住まいにも近い所です。朝夕逢えないことを嘆くことも自然なくなりましょうから、この春の間に、都合がよければお移ししましょう」と、そういうお積りでおっしゃるにつけても、浮舟は、匂宮が静かな住居を見つけたから、と、昨日も御文でおっしゃっていましたのを、匂宮は薫大将がこのようにお考えでいられるともご存知なく、そのように思っていらっしゃるのを、身に沁みながらも、やはり、そちら(匂宮)へ靡くべきではないとも思うのでした。ただいつぞやの取り乱しての匂宮の御愛情の様子が目の前にちらつき、われながら、何とまあ厭な女であろうかと思い、情けなく泣きつづけているのでした――

「『御心ばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。人のいかに聞え知らせたることかある。すこしもおろかならむこころざしにては、かうまでまゐり来べき、身の程道のありさまにもあらぬを』など、つひたちごろの夕月夜に、すこし端近く臥してながめ出だし給へり」
――(薫が)「あなたのお気持が、いままでこのように嘆くこともなく、おっとりなさっていたので、わたしは気楽に安心していたのですよ。誰か私について告げ口でもした者がいたのですか。私の心が少しでも浅かったならば、この身分でわざわざお訪ねできる道中でもないでしょうに」などと、月初めの夕月夜の頃でしたので、少し端近くに横におなりになって、外を眺めておいでになります――

「男は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身の憂さを嘆き加へて、かたみにもの思はし」
――男(薫)は大君が生きておられた当時のことなどを思い出し、女(浮舟)は女で匂宮が現れて、これからいっそう加わった身の辛さを嘆いて、お互いに物思いに沈んでいるのでした――

 山のほうは霞に隔てられ、寒い洲崎に立っている鷺の姿も、場所柄のせいかまことに趣き深く見えます。他所ではみられない景色に、薫は過ぎ去った大君の面影が、今更のようにありありと思い出されるのでした。

「いとかからぬ人を見かはしたらむだに、めづらしき中のあはれ多かるべき程なり」
――たとえ、大君に似ていない女と向かい合っていたとしても、怪しいほどに気持ちが揺らぎそうな、そんな風情の夕べです――

では6/21に。