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永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(107)その2

2019年02月10日 | 枕草子を読んできて
九四  宮の五節出ださせたまふに(107) その2

 若き人の、さる顕証のほどなれば、言ひにくきにやあらむ、返しもせず、そのかたはらなるおとな人たちもうち捨てつつ、ともかくも言はぬを、宮司などは、耳とどめて聞きけるに、久しくなりにけるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとに寄りて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなるに、四人ばかりをへだててゐたれば、よく思ひ得たらむにも言ひにくし、まして歌よむと知りたる人のおぼろけならざらむは、いかでかとつつましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそは言へ」と、爪はじきをしありくも、いとほしけれ、
◆◆(小弁は)年若い人で、このような人目に立つ場所柄なので、言いにくいのであろうか、返歌もしない。またその側にいる年かさの女房たちも聞き捨てにして、何にも言わないのを、中宮職の役人などは、今返歌があるのかどうかと、耳をすまして聞いたのだったが、ないまま長くなってしまっていたたまれなくなり、別の方から入って、女房の側に寄って、「どうしてこんなに返歌しないのか」などと、ささやいているが、(私は)この小弁とは四人ほど座を隔てて座っているので、もし返歌を思いついても言いにくい、まして歌を上手に詠むと知っている中将の並一通りではなさそうな歌に対しては、どうして返歌ができようかと、つい遠慮してしまうのは良くないことだ。「歌を詠む人がそんなでどうする。まあ立派には出来なくても、即座にこそ詠むものだ」と、中宮職の役人がやきもきして指先をならして回るのも、気の毒なので、◆◆

■爪(つま)はじき=気に入らないことなどがある時、指の先を鳴らす動作。


 うす氷あはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを
と弁のおもとといふに伝へさするに、消え入りつつえも言ひやらず。「などかなどか」と耳をかたむけて問ふに、すこしことどもりする人の、いみじうつくろひめでたしと聞かせむと思ひければ、えも言ひつづけずなりぬるこそ、なかなか恥隠す心地してよかりしか。
◆◆(作者の歌)うす氷は淡く凍っている氷なのですから、日光がさすと解けるだけのことですよ―やんわりと解けやすく結んだ紐なのですから、日陰のかずらをかざすだけでゆるんだだけのことです。
と弁のおもとという女房に中継ぎさせて中将に伝えさせるのに、弁は臆してしまって人心地もない様子で、その歌を言い終えることもできない。中将が「何ですか、何ですか」と耳を傾けて尋ねるけれど、すこし言葉をどもる人が、ひどく気取ってすばらしいと聞かせようと思ったので、言いつづけることも出来ないで終ってしまったのこそは、かえって私の下手な歌を詠んだ恥を隠す気持ちがして良かった。◆◆



 おりのぼる送りなどに、なやましと言ひ入りぬる人をも、のたまはせしかば、ある限り群れ立ちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげなンめれ。舞姫は、相尹の馬頭のむすめ、染殿の式部卿の宮のうへの御おとうとの四の君の御はら、十二にていとをかしげなり。果ての夜も、おひかへにもさわがず。やがて仁寿殿より通りて、清涼殿御前の東の簀子より、舞姫を先にて、うへの御局へまゐりしほどをかしかりき。
◆◆舞姫が御殿から下がったり上がったりするときの送りなどに、気分が悪いと言って引っ込んでしまった女房たちをも、中宮様が出仕するようにと仰せになったので、いる限りの女房たちがこの五節所に群れ立って、他から出す舞姫とは違ってあまりにも煩わしそうである。中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭(かみ)の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であって大層可愛らしい。最後の夜もオヒカヘ(不審)にも騒がない。舞の終わった後、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の簀子から、舞姫を先に立てて、中宮様の上の御局へ参上した折もおもしろかった。◆◆

■相尹(すけまさ)=藤原相尹。右大臣師輔の孫。
■染殿(そめどの)の式部卿の宮のうへ=村上帝皇子為平親王。「うへ」はその妃で
左大臣源高明の娘。
■おひかへにもさわがず=不審。「負ひ被き出でも騒がす」(疲労して人に背負われて退出するような騒ぎもなくて)。

*写真は舞姫の舞い。

枕草子を読んできて 「五節の舞姫とは」

2019年02月06日 | 枕草子を読んできて
■■五節の舞姫とは■■  2019.2.6

五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞われる舞。大嘗祭では5人。

 大歌所には和泉国から「十生」と呼ばれる人が上洛し、臨時に大歌所に召された官人に教習した。別当はこの大歌所の責任者である。
舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人が選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が舞姫を出すこともあった。大嘗祭では公卿の娘が3人になる。

 古くは実際に貴族の子女が奉仕し、大嘗祭の時には叙位にも預かった。清和天皇の后の藤原高子も后妃になる前に清和天皇の大嘗祭で舞姫を奉仕して従五位下に叙された。もっとも貴族女性が姿を見せないのをよしとするようになった平安中期以降、公卿は実際に娘を奉仕させず、配下の中級貴族の娘を出した。『源氏物語』少女巻において、光源氏が乳母子の惟光の娘(のちの藤典侍)を奉仕させたというのも、こうした時代背景を反映する。

 また、これとは別に五節舞姫と天皇が性的関係を結ぶことが行われ、天皇と貴族との関係強化の場としても機能していたが、藤原北家などの特定の家からしか天皇の后妃が出せなくなると、性的要素が排除されて変質が行われて行ったとする見方もある[1]。

 舞姫に代理を出すようになっても、五節舞姫奉仕は奢侈的に行われ、宮中に賜る局の設営や女房・童女の装束等に多大な費用を要した。すでに延喜14年(914年)の『意見封事十二箇条』では舞姫を毎年貴族に出させるのをやめ、専門の舞姫を置くという案が出されているが、その第一の目的が奢侈の防止にあった。

 摂関家から舞姫を出す時には配下の受領らの奉仕が当然のように行われ『類聚雑要抄』や『猪隈関白記』『勘仲記』には経費割り当ての文書である「五節雑事定文」が掲載されている。選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上、直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露、当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。

 五節舞の情景を描写した、僧正遍昭の「天つかぜ 雲の通ひ路吹きとぢよ  をとめの姿しばしとどめむ」の歌が有名である。    


枕草子を読んできて(107)その1

2019年02月05日 | 枕草子を読んできて
九四  宮の五節出ださせたまふに(107) その1 2019.2.5

 宮の五節出でさせたまふに、かしづき十二人、こと所には、御息所の人出だすをば、わろき事にぞすると聞くに、いかにおぼすにか、宮の女房を十人出ださせたまふ。今二人は、女院、淑景舎の人、やがてはらからなり。
◆◆中宮様がその御もとから五節の舞姫をお出しあそばされるのに、介添えの女房十二人について、よそでは、御息所にお仕えする女房を出すのをば、よくないことにしていると聞くのに、どうおぼしめすのであろうか、中宮方の女房を十人お出しあそばされる。あとのもう二人は、女院と、淑景舎との女房で、その二人はそのまま姉妹の間柄であったのだった。◆◆

■宮の五節=正暦四年(993)十一月のことか。

■かしづき十二人=八人が通例。

■女院=皇太后藤原詮子。東三条院。一条帝母。兼家の二女。

■淑景舎(しげいさ)の人=中宮の同母妹の原子。道綱(兼家と蜻蛉日記の作者との間の息子)の二女。


 辰の日の青摺の唐衣、汗衫を着せさせたまはへり。女房にだにかねてさしも知らせず、殿上人にはましていみじう隠して、みな装束したちて、暗うなりたるほど持て来て着す。赤紐いみじう結び下げて、いみじく瑩じたる白き布に、かた木のかたは絵にかきたり。織物の唐衣の上に着たるは、まことにめづらしき中に、童はいますこしなまめきたり。下仕へまでつづきだちてゐたる、上達部、殿上人おどろき興じて、小忌の女房とつけたり。小忌の君達は、外にゐて物言ひなどす。
◆◆中宮様は五節の辰の日に舞姫が着る青摺りの唐衣や、汗衫をこれらの女房や童女にお着せあそばしていらっしゃる。この計画は他の女房にさえ知らせず、殿上人ににはまして極秘にして、他の人がすっかり装束をつけて、暗くなったころに持って来て着させる。赤紐をとてもきれいに結んで下げて、たいへんよく磨き上げてある白い衣、それに型木で摺るのが通例の模様は、肉筆で描いてある。織物の唐衣の上にこれを着ているのは、ほんとうに珍しく、その中でも童女は他の人よりひときわ優雅にみえる。下仕えの女までが女房や童女の続きのようにそこに座っているのを、上達部、殿上人がびっくりしておもしろがって、小忌の女房とあだ名をつけている。小忌の若者たちは、外に座って中の女房と話をしたりなどする。◆◆

■辰の日の青摺の唐衣=丑寅卯辰と四日間にわたる五節の最終日。青摺は山藍の摺り染め。

■かた木のかた=普通は版木で摺る模様は。


 「五節の局をみなこぼちすかして、いとあやしくてあらする、いとことやうなり。その夜までは、なほうるはしくてこそあらめ」とのたまはせて、さもまどはさず、几帳どものほころび結ひつつ、こぼれ出でたり。小弁といふが、赤紐の解けたるを、「これ結ばばや」と言へば、実方の中将寄りてつくろふに、ただならず。
 あしひきの山井の水はこほれるをいかなる紐の解くるなるらむ
と言ひかく。
◆◆中宮様が「五節の控室をみな取り壊して見透かされるようにして、変な様子にして置かせるのはおかしい。その辰の日の夜までには、やはりきちんと決まり通りにしておくがよい」と仰せあそばして、皆が困らないように、外から覗かれないよう几帳などもほころびている所は縫い合わせて、袖口は局の外にこぼれ出ている。小弁という介添えの女房が、赤紐が解けているのを、そばの女房に、「これを結びたいわ」と言うと、外にいた実方の中将が御簾のきわに近寄って結びなおすにつけて、何か意味ありげだ。
(中将の歌)私に対してあなたは、うち解けないのに、紐(下紐の意)が解けたというのはどういう紐か。――「山井」(山の湧水)に小忌衣の「山藍→やまゐ」をかけ「紐」の「ひ」に「氷」をかける。――
と言い掛ける。◆◆

■五節の局=五節の舞姫の控室。五節所。

■実方の中将=実方の親は勅撰集に六十余首入っている。

枕草子を読んできて(106)

2019年02月02日 | 枕草子を読んできて
九三  なまめかしきもの  (106)2019.2.2

 なまめかしきもの ほそやかに清げなる君達の直衣姿。をかしげなる童女のうへの袴などわざとにはあらで、ほころびがちなる汗衫ばかり着て、薬玉など長くつけて、高欄のもとに、扇さし隠してゐたる。若き人のをかしげなる、夏の几帳の下打ちかけて、白き綾、二藍ひき重ねて、手習ひしたいる。薄様の草子、むら濃の糸してをかしくとぢたる。柳もえたるに、青き薄様に書きたる文つけたる。
◆◆優雅なもの ほっそりとしてきれいに見える貴公子の直衣姿。明るく可愛らしげな童女が、上の袴などをことさらにははかないで、縫い合わせの少ない汗衫(かざみ)くらいなのを着て、薬玉など組糸を長くして袖脇あたりにつけて、高欄のもとに、扇で顔を隠して座っているの。若い女房でうつくしげな人が、夏の几帳の帷子の裾を上に引っ掛けて、白い綾の単衣に、二藍の薄物の表衣を着重ねて、手習いしてるの。薄様の草子を、むら染の糸でおもしろく綴じてあるの。柳の萌え出ている枝に、青い薄様に書いてある手紙をつけてあるの。◆◆

■汗衫(かざみ)=衵(あこめ)の上に着る童女の服。


 髭籠のをかしう染めたる、五葉の枝につけたる。三重がさねの扇。五重はあまり厚くて、もとなどにくげなり。よくしたるひわり籠。白き組のほそき。あたらしくもなくて、いたく旧りてもなきひはだ屋に、菖蒲うるはしく葺きわたしたる。青やかなる御簾の下より、朽木形のあざやかに、紐いとつややかにてかかりたる。紐の吹きなびかされたるも、いとをかし
◆◆髭籠のおもしろく染めてあるのを、五葉の松の枝につけてあるの。三重かさねの扇。五重ねの扇はあまり厚くて、手元のところなどがにくらしい様子だ。上手にこしらえてある檜破籠(ひわりご)。白い組紐の細いの。新しくもなく、それほど古くもない檜皮葺きの屋根に、菖蒲をきれいに並べてあるの。青々としている新しい御簾の下から、几帳の帷子の朽木形の模様が鮮やかで、紐がとてもつややかに掛かっているの。帷子の紐が風に吹きなびかされているのも、とてもおもしろい。◆◆

■髭籠(ひげご)=竹を編み残して髭のように立てた籠。

■三重がさねの扇=檜扇の親骨になるところを檜の薄板三枚重ねて、その上を薄様で包んものと言うが確かではない。一説に、薄板八枚を一単位とし、三重とは二四枚をもちいたもの。

■ひわり籠(ひわりご)=檜の薄板で作り、中仕切りのある食物容器。



 夏の帽額のあざやかなる。簀子の高欄のわたりに、いとをかしげなる猫の、赤き首綱に白き札つきて、いかりの緒くひつきて、引きありくも、なまめいたる。五月の節のあやめの蔵人。菖蒲のかづら、赤紐のいろにはあらぬを、領巾、裙帯などして、薬玉を親王たち、上達部などの立ち並みたまへるに奉るも、いみじうなまめかし。取りて腰にひきつけて、舞踏、拝したまふも、いとをかし。火取りの童。小忌の君達もいとなまめかし。六位の青色の宿直姿。臨時の祭の舞人。五節の童なまめきたり。
◆◆夏の帽額(もこう)の鮮やかなの。簀子の高欄のあたりに、とてもかわいらしげな猫が赤い首綱に白い札がついて、重りの緒を、食いついて引っ張り回るのも優雅な感じだ。五月の節会のあやめの女蔵人。髪に菖蒲のかずらをつけ、赤い紐の派手ではないのをつけて、領巾、裙帯などをまとって、薬玉を親王たち、上達部などの、立ち並んでいらっしゃるのに差し上げるのも、たいそう優雅だ。薬玉を受け取って、腰に引きつけて、御礼の拝舞をなさるのも、たいへんおもしろい。五節の折の火取りを持つ童女。小忌の役の若君たちもとても優雅だ。六位の蔵人の青い色の宿直姿。臨時の祭の折の舞人。五節の姫につく童女も優雅な様子である。◆◆

■帽額(もこう)=簾の上辺に横につけた布。

■領巾(ひれ)、裙帯(くたい)=正装の時、肩に掛ける装飾の帯状の布。腰に結び垂れる紐。

■小忌(おみ)の君達=小忌衣(おみごろも=白布に山藍で模様を摺り出す)を着て新嘗祭や豊明節会の神事に奉仕する君達。



枕草子を読んできて(105)その3

2019年01月28日 | 枕草子を読んできて
九二   めでたきもの (105)その3  2019.1.28

 法師の才ある、すべて言ふべきにあらず。持経者の一人としてよむよりも、あまたが中にて、時など定まりたる御読経などに、なほいとめでたきなり。暗うなりて「いづら、御読経油おそし」など言ひて、よみやみたるほど、しのびやかにつでけゐたるよ。
◆◆法師で才学のあるのは、まったく言うまでもない。持読経が一人で読むよりも、大勢の中で、早朝・日中・日没・初夜(そや)・中夜・後夜・という六の時の勤行は一層立派である。暗くなって「どうした、御読経の灯明が遅い」などと言って、みなが読みやんでいる間、才学のある法師だけは声をひそめてあとの文句を空で読み続けて座っていることよ。◆◆  

■持経者(ぢきょうじゃ)=『法華経』を読むことを専門にしている僧。まつりなどしたる、



 后の昼の行啓。御産屋。宮はじめの作法。獅子、狛犬、大床子など持てまゐりて、御帳の前にしつらひすゑ、内膳、御へつひわたしたてまつりなどしたる、姫君など聞こえしただ人とぞつゆ見えさせたまはぬ。
◆◆供の女官・女房などの装いの美麗さが見える后の昼のお出まし。さまざまな儀式が行われる御産屋。立后の作法。立后の時には、御帳台の帷子の裾に据える獅子と狛犬の像、天皇の食膳を載せるための大床子(だいしょうし)などを持って伺って、御帳台の前に設け据え、内膳司が竈神の霊をお移し申し上げなどしているのは、以前姫君などと申し上げた普通の人とはまったくお見えあそばさない。◆◆

■御へつひ=竈(かまど=食事)の神。「竈つ霊(ひ)」の意という。后が天皇と同格であることを示すために后の膳司のほうに分祀するのだという。



 一の人の御ありき、春日詣で。葡萄染めの織物。すべて紫なるは、何も何もめでたくこそあれ。花も、糸も、紙も。紫の花の中には、かきつばたぞすこしにくき。色はめでたし。六位の宿直姿のをかしきにも、紫のゆゑなンめり。ひろき庭に雪の降りしきる。今上一の宮、まだ童にておはしますが、御をぢに、上達部などのわかやかに清げなるに、抱かれさせたまひて、殿上人など召し使ひ、御馬引かせて御覧じあそばせたまへる、思ふ事おはせじとおぼゆ。
◆◆摂政・関白の御外出や、春日明神への御参詣。葡萄染めの織物。すべて紫いろであるのは、何でもかでもすばらしくあることだ。花も、糸も、紙も。紫の花の中では、かきつばたは、形が少しにくらしい。色はすばらしい。六位の蔵人の宿直姿が素晴らしいのは、紫だからだろう。広い庭に雪がしきりに降ってるの。今上の一条帝の一の宮様で、まだ幼児でいらっしゃるのが、御おじに、その上達部などの若々しくきれいな方に、お抱かれあそばして、殿上人などをお召し使いになり、御馬を引かせて御覧あそばして、お遊びになっていらっしゃるのは、何の思うこともおありになるまいと思われる。◆◆

■一の人=摂政・関白。

■春日詣で=春日神社は藤原氏の祖、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭るから、藤原氏で摂関たる人は必ず参詣する。

■六位の宿直姿=六位蔵人の宿直姿は麴塵(きくじん)の法衣に紫色の指貫をつける。

■今上一の宮=一条帝第一皇子、敦康親王。母は定子中宮。長保元年(999)11月7日誕生。(翌年12月定子崩御)


枕草子を読んできて(105)その2

2019年01月25日 | 枕草子を読んできて
九二   めでたきもの (105)その2  2019.1.25

 御むすめの女御、后おはします、また、姫君など聞こゆるも、御使にてまゐりたるに、御文取り入るるよりうち始め、褥さし出づる袖口など、明け暮れ見し者ともおぼえず。
◆◆御娘である女御や后がおいであそばす所、また姫君などと申し上げる場合も、蔵人が主上のお使いとして参上していると、主上のお手紙を御簾の内に取り入れるのから始めて、敷物を差し出す女房の立派な袖口など、それに対する待遇ぶりは、今まで明け暮れ見知っていた者とも思われない。◆◆


下襲の尻引き散らして、衛府なるは、いますこしをかしう見ゆ。みづから杯さしなどしたまふを、わが心にもおぼゆらむ。いみじうかしこまり、べちにゐし家の子の君達をも、けしきばかりこそかしこまりたれ、同じやうにうち連れてありく。うへの近く使はせたまふさまなど見るは、ねたくさへこそおぼゆれ。御文書かせたまへば、御硯の墨磨り、御団扇などまゐり、ただまつはれつかうまつるに、三年ばかりのほどを、なりあしく、物の色わろく、薫物、香などよろしうて、まじろはむは、言ふかひなきものなり。
◆◆下襲の裾を無造作に長く引いて衛府を兼ねている蔵人は、もう少しすぐれて見える。その家の主人みずから杯をさしなどなさるのを、蔵人自身の心にも、それは素晴らしいと感じられていることだろう。ひどく畏まって、かつてはその御傍から離れて自分は別の所に控えていた名家の若君に対しても、今は形ばかりはかしこまってはいるけれど、その若君たちと対等に連れ立って歩きまわる。主上が御身近くにお使いあそばす様子などを見るときは、ねたましく思うほどだ。主上がお手紙をお書きあそばすと、御硯に墨を磨り、御団扇などでおあおぎ申し上げ、ひたすらお傍に親しくお仕え申し上げるのに、その三年くらいの間を、身なりが悪く、衣服などの色が劣っていて、薫物や香などが普通の状態で、殿上の人の中に交わっているのは、言う甲斐もないものだ。◆◆

■べちにゐし=君達とは同席を避けて座った。

■三年ばかり=六位蔵人の任期は六年。「六」の誤写か。一説に、当時は三年ぐらいで叙爵退下するのが普通だった。」



かうぶり得て、おりむ事近くならむだに、命よりはまさりてをかるべき事を、臨時にその御給はりなど申して、まどひをるこそいとくちをしけれ。昔の蔵人は、今年の春よりこそ泣きたちけれ、今の世の事走りくらべをなむするとか。
◆◆

■かうぶり得て=六位蔵人は任期が満ちると五位に叙せられる。除爵。なお蔵人は六位でも昇殿できるが、蔵人を辞すると四位以上でなければ昇殿できない。



 才ある人、いとめでたしといふもおろかなり。顔もいとにくげに、下郎なれども、ことなる事なけれども、世にやんごとなきものにおぼされ、かしこき人の御前に近づきまゐり、さるべき事など問はせたまふ御文の師にて候ふは、めでめでたくこそおぼゆれ。願文もさるべき物の序作り出だしてほめらるる、いとめでたし。
◆◆才学のある人はとても立派だというのは当然である。顔がとても憎らしげで、身分も低い者で、これといって特筆するものはないけれども、世の中で尊重すべきものと高貴な人がおぼしめして、その御前に近く参上して、しかるべきことなどおたずねあそばされる御侍読として伺候するのは、とても素晴らしいと感じられる。願文も、またしかるべき詩歌の序を作り出して褒められるのは、とてもすばらしい。◆◆



枕草子を読んできて(105)その1

2019年01月22日 | 枕草子を読んできて
めでたきもの (105)その1  2019.1.22

 めでたきもの 唐錦。飾り太刀。作り仏のもくゑ。色合ひよく、花房長く咲きたる藤の、松にかかりたる。
◆◆たいそう素晴らしいもの。唐土渡来の錦。金・銀・螺鈿などで飾った太刀。彩色を施した仏像の木絵。色合いが良く、花房が長く咲いた藤が松に掛かっているの。

■めでたきもの=「賞で甚し(めでいたし)」が原義。非常に賞美すべきもの。すばらしいもの。

■もくゑ=木絵(もくえ)。彩色した小木片を貼って絵模様を表したものをいう。



 六位の蔵人こそなほめでたけれ。いみじき君達なれども、えしも着たまはぬ綾織物を心にまかせて着たる青色姿などの、いとめでたきなり。所衆、雑色などの、人の子どもなどにて、殿ばらの四位五位も司あるがしもにうちゐて、何と見えざりしも、蔵人になりぬれば、えもいはずあさましくめでたきや。宣旨持てまゐり、大饗の甘栗の使ひなどにまゐりたるを、もてなしきやうようしたまふさま、いづこなりし天くだり人ならむとこそおぼゆれ。
◆◆六位の蔵人こそはやはり立派なものだ。身分の高い若君たちではあるけれども、必ず着られるとはならない綾織物を、思いのままに着ている青色姿などは、とても立派である。元は、蔵人所の衆や、雑色などでどこかの人の子どもなどであって、殿さま方の家の、四位や五位の官職のある人の下にかしこまっていて、何とも見えなかった者も、蔵人になってしまうと、何とも言えないほど意外に立派なものだ。宣旨を持って参上したり、大饗のときの甘栗の使いなどに参上したりしているのを、主人の側で接待して饗応なさるありさまは、元はどこに住んでいた天降りの人なのだろうかとこそ、感じられる。◆◆

■綾織物=綾は六位以下の使用を禁じたが、六位蔵人は許された。

■青色姿=麴塵(きくじん)の袍をつけた姿六位の蔵人は天皇の召し古しを賜って着ることがあった。

■大饗の甘栗の使ひ=大臣家の大きな饗応の時、天皇から甘栗を大臣に賜う使い。六位蔵人の役。

■もてなしきやうよう=「もてなしきやうおう」と同じ。饗応。



枕草子を読んできて(104)その8

2019年01月19日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その8  2019.1.19

 さて二十日まゐりたるにも、まづこの事を御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎりひきさげて持て来たりつる法師のやうにて、すなはちまうで来たりしが、あさましかりし事、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじく書きてまゐらせむとせし事など啓すれば、いみじく笑はせたまふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事をたがへたれば、罪得らむ。まことに、四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。その翁出で来て、いみじうてをすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。彼の里より来たらむ人に、かう聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近のつかひ、南の築地の外にみな取り捨てて、『いとたかくておほくなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけ、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。うへも聞こしまして、『いと思ひよりがたくあらがひたり』と、殿上人などにも仰せられけり。さてもそのうたを語れ。今は、かく言ひあらはしつれば、同じ事、勝ちにたり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「何せむにか、さばかりの事をうけたまはりながらは啓しはべらむ」など、まめやかに憂く、心憂くがれば、うへのわたらせたまひて、「まことに年ごろは、おぼえの人なンめりを見つるを、あやしと思ひし」など仰せらるるに、いとつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いで、あはれ。いみじき世ノ中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、『それあいなし』、とて『かき捨てよ』など候ひし」と申せば、「げに勝たせじとおぼしけるならむ」と、うへも笑はせおはします。
◆◆そうして、二十日に参内した時にも、真っ先にこの事を中宮様の御前ででも言う。「みな消えてしまった」と言って、蓋だけを引き下げて持って来てしまった法師のような格好で、すぐにこちらに参って来たのが意外であったこと、物の蓋に雪で小山を美しく作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなど申し上げると、中宮様はたいへんお笑いあそばす。回りの女房たちも笑うと、「こんなに心に入れて思ったことを、違わせてしまったのだから、きっと私は仏罰を受けているだろう。ほんとうに十四日の夕方、侍どもを行かせて取り捨てさせたのだよ。そなたの返事にそれを言い当てていたのこそ、たいへん面白かった。その庭木番が出て来て、一生懸命手をすり合せて言ったのだけれど、『これはお言いつけ事なのだよ。あちらの里からやってくる人に、言ってはならないぞ。もし言ったなら、家を壊させよう』と言って、左近の使いが、南の土塀の外に雪をみな取って捨てて、『たいそう高く、量も多かった』と言ったそうだから、まことに二十日まで待ってもそこにあって、悪くすると、今年の新春の初雪でも降って一段と積もってしまったかもしれない。主上もお聞きあぞばされて、『だれも考えつかないほど言い争ったね』と、殿上人などにも仰せられたのだった。それにしても、その歌を披露しなさい。今は、こう打ち明け話をしてしまったのだから、そなたが勝ってしまっているのど同じ事だ。さあ話しなさい」などと、御前におかれても仰せあそばし、女房たちも仰るけれど、「いったいどうしてこれほどのことを承っておきながら、申し上げましょうか」などと、全く芯から憂鬱で、情けなく思っていると、主上も渡御あそばされて、「年来、宮の気に入りの人であるようなのに、これでは変だなと思ったよ」などと仰せになるので、とても辛く、泣いてしまいそうであった。「全く本当に、なんて辛い世の中ですね。『それは無意味だ』ということで、『掻き捨てろ』などと仰せがございましたよ」と申すと、それをお聞きになって、「いかにも宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」と、主上もお笑いあそばしていらっしゃる。◆◆

■四日=中の四日。すなわち十四日。


枕草子を読んできて(104)その7

2019年01月14日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その7  2019.1.14

 里にても、明くるすなはち、これを大事にして見せにやる。十日のほどには「五六尺ばかりあり」と言へば、うれしく思ふに、十三日の夜、雨いみじく降れば、「これにぞ消えぬらむ」と、いみじうくちをし。「いま一日も待ちつけで」と、夜も起きゐて嘆けば、聞く人も物ぐるほしと笑ふ。
◆◆里にいても、夜が明けるとすぐにこれを大事なこととして、見せに使いを送る。十日ごろには、「五、六尺ほどありました」と言うので、うれしく思っていたところ、十三日の夜に雨がひどく降ったので、「きっとこれで消えてしまうだろう」と思うと本当にくやしい。「もう一日というところを待っていないで」と、夜も起きたままで嘆くので、それを聞いている人も気違いじみていると言って笑う。◆◆



 人も起きて行くに、やがて起きゐて、下衆起こさするに、さらに起きねば、にくみ腹立たれて、起き出でたるをやりて見すれば、「円座ばかりになりて侍る。こもりいとかしこう童べを寄せでまもりて、『明日明後日までも候ひぬべし。禄給はらむ』と申す」と言へば、いみじくうれしく、「いつしか明日にならば、いととう歌よみて、物に入れてまゐらせむ」と思ふも、いと心もとなうわびしう、まだ暗きに、大きなる折櫃など持たせて、「これに白からむ所、ひと物入れて持て来。きたなげならむは、かき捨てて」など言ひくくめてやりたれば、いととく、持たせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せはべりにけり」と言ふに、いとあさまし。
◆◆だれかが起きて行くので、私も起きて座っていて、下使いの者を起こさせるのに、一向に起きないので、憎らしく腹が立ってきて、起き出した者を遣わせて見させると、「円座ぐらいになっております。木守番とてもきびしく子どもを近寄らせないで守っていて、「明日、明後日までもきっと残っていることでございましょう。ご褒美をいただきましょう」と言っていました。」と言うので、すっかりうれしくなって、「早く明日になったら、急いですぐに歌を詠んで、入れ物に雪を入れて中宮様に差し上げよう」と思うのも、私にもとてもじれったく、やりきれない感じがして、まだ暗いうちに、大きな折櫃などを使いに持たせて、「これに白そうな所を、いっぱい入れて持ってこい。汚らしい所は掻き捨てて」などと言い含めて行かせたところ、とても早く、持たせてやった物を引き下げて、「(雪が)とうに無くなってしまったのでございました」と言うので、どうしてなのかとひどく意外である。◆◆

■円座(わらふだ)=藁などを丸く編んだ敷物。

■折櫃(をりびつ)=檜の薄板を折り曲げて作った箱のような物。

■言ひくくめて=こちらの言うことをよくのみこませて。

■いとあさまし=意外だ。あきれたことだ。



 をかしうよみ出でて人にも語りつたへさせむと、うめき誦じつる歌もいとあさましくかひなく、「いかにしつるならむ。昨日さばかりけむものを、夜のほどに消えぬらむ事」と言ひうんずれば、「こもりが申しつるは、『禄を給はらずなりぬる事』と、手を打ちて申しはべりつる」と言ひさわぐに、内より仰せ言ありて、「さて雪は今日までありつや」とのたまはせたれば、いとねたくくちをしけれど、「『年の内、ついたちまでだにあらじ』と人々の啓しらまひし、昨日の夕暮れまで侍りしを、いとかしこしとなむ思ひたまふる。今日までは、あまりの事になむ。夜のほどに、人のにくがりて、取り捨てたるにもたやなむ推しはかりはべる、と啓せさせたまへ」と聞こえつ。
◆◆面白く歌を詠んで人にも語り伝えさせようと、懸命にうんうん言って声に出して詠みあげた歌も、もうすっかり詠みがいもなく、「いったいどうなってしまったのだろう。昨日まではそのようにあったものを。夜のうちに消えてしまったとは」と言ってしょげていると、「庭の木守が申しますことには、『ご褒美をいただかずに終わってしまったことよ』とくやしさに手を打って申しておりました」と言って騒いでいると、宮中から中宮様の仰せ言があって、「そのままで雪は今日までちゃんとあったか」と仰せあそばしているので、敗北感からとてもいまいましく残念であるけれど、「『年内、新年の初めまでさえもあるまい』と人々が申しあげなさいましたのが、昨日の夕暮れまでございましたのを、とてもたいしたことだと、私は存じております。今日まで保つのは、度の過ぎたことでございまして……。夜のうちに、人がにくらしがって、取って捨てたのかも知れないと推量しております、と申し上げてください」とご返事を申し上げた。◆◆



枕草子を読んできて(104)その6

2019年01月09日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その6  2019.1.9
 
 雪の山は、まことに越のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒くなりて、見るかひもなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」となほ言へば、いかでこれ見果てむと皆人思ふほどに、にはかに三日内へ入らせたまふべし。「いみじうくちをし。この山の果てを知らずなりなむ事」とまめやかに思ふほどに、人も「げにゆかしかりつるものを」など言ふ。御前にも仰せらる。
◆◆雪の山は、ほんとうに歌にある「越の白山」であるかとように、消える気配もない。ただ黒くなって見るに堪えないようすではある。勝ってしまったような気持ちで、どうかして十五日を待ってそれに合わせたいと祈るけれど、「七日さえも過ごせないだろう」と女房たちがなおも言うので、どうにかしてこの結果を見たいものだと、皆で思っているところ、急に中宮様が内裏にお入りになられるということだそうだ。「ああ、残念だ。この山の状態を知らないままになってしまうとは」と本気で思っているうちに、女房たちも「ほんとうにそれがしりたかったのに」などと言う。また中宮様におかせられても、そのように仰せになる。◆◆

■越のにやあらむ=越の白山。古今集「消えはつる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける」

■三日内へ=中宮が現在の「職の御曹司」の場所から内裏へ。



 「同じくは言ひ当てて御覧ぜさせむ」と思へるかひなければ、御物はこびさわがしきに合はせて、こもりといふ者も築地の外に廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼び寄せて、「この雪の山いみじくまもりて、童べ人などに踏み散らせこぼたせで、十五日まで候はせよ。よくまもりて、その日にあたらば、めでたき禄給はせむとす。わたくしにも、いみじきよろこび言はむ」など語らひて、常に台盤所の人、下衆などにこひてにくまるるくだ物や何や、いとおほく取らせたれば、うちゑみて、「いとやすき事。たしかにまもりさぶらはむ。童べなどぞのぼりはべらむ」と言へば、「それを制し聞かせざらむ者は、事のよしを申せ」など言ひ聞かせて、入らせたまひぬれば、七日まで候ひて出でぬ。
◆◆「同じ事なら、言い当ててその雪山をご覧あそばすようにおさせ申しあげたいものだ」と思うに甲斐がないので、御道具運びが騒がしい時に合わせて、木守という者が築地の外に廂を差し掛けて住んでいるのを、縁のそば近く呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子供や他の人などに踏み散らせ壊さぬように、十五日まで残るようにしておけ。よく番をしてその日になったら、結構な褒美をおくだしあそばそうぞ。私個人の立場でも十分なお礼を言おう」などと親しく話して、いつも庭木番が台盤所の女房や下僕などにせがんでは憎らしがられている果物や何やかやを、たいそうたくさん与えたところ、にこにこ笑って、「至極たやすいことです。きっとしっかり番をしましょう。子供などがのぼるでしょうから」と言うので、「それを制止して言い聞かせないような者があったら、事の次第をこちらに申し出よ」などと言い聞かせて、中宮様が内裏にお入りになられたので、七日までお仕えして里に退出した。◆◆


■こもりといふ者=木守。植木番のようなものか。
そのほどもこれがうしろめたきままに、おほやけ人、すまし、をさめなどして絶えずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、拝みつることなど、帰りては笑ひあへり。
◆◆その間にも、このことが不安で仕方がないので、宮仕えの者、すまし、長などを使って絶え間なく注意しに行かせ、七日の御節句のおさがりなどを与えたところ、庭木番が拝んだことなど、使いが帰っては、皆で笑っている。◆◆

■七日の御節供=正月七日、七草粥を奉る日。

■おほやけ人、すまし、をさめなど=宮中に仕える公人。「すまし」は湯殿や厠掃除の役。「をさめ」は下仕え女官の長。