いよいよWBCが始まりますが、日本人のメジャーリーガーを身近に感じ応援出来るのはこの時だけです。WBCで選手はやってくれるでしょう。心配なのは監督だけです。
昨年の日本シリーズで先発陣をリリーフに惜しげもなく起用したL渡辺監督に対して、G原監督は公式戦のようにローテーションを守り、第7戦8回の大ピンチではどう見ても限界だった越智を続投させた。なぜ山口を、いや上原をリリーフで起用しなかったのか疑問だ。実際上原はベンチにも入れてない。今頃になって文句を言うのはまだ悔しさが抜けてないからだ。
監督の執念の差が勝敗を分けた。勝負は時の運で負けてもしかたない。けれども悔いの残らないねばりのある采配をしてもらいたい。
でもファンはわがままだから野球は勝ってこそおもしろい。結果がすべてだ。一年総決算の試合でこんな情けない野球を見せられたらGファンは離れていく。責任はすべてビビリまくった原監督にある。それなのに何でWBC監督が原なのか。なべ久でいいでしょう。
FAでいい選手ばかりを取っているのに日本一にとどかないGだが、胸躍りエキサイティングな年もあったのだ。それはあの10・8決戦の1994年である。監督は長嶋だった。
その年のGは8/2の時点でDに9ゲーム差をつけて首位を独走していた。8/18にはマジック25が早くも点灯していた。
ピッチャー三本柱は槙原・斉藤・桑田。クリーンアップは松井・落合・原。こんな夢のようなビックネームが並んだ時もあったのだ。5/18槙原はC戦でパーフェクトゲームを達成していた。
このまま独走優勝だ、誰もがそう思った。しかし8月末から8連敗して、9/3には10連勝して2位に浮上したCに3ゲーム差に迫られてしまった。もちろんマジックも消えた。
それでも薄氷を踏む思いで何とか持ちこたえていたが、9/28D戦で負けてとうとうDに同率首位で並ばれてしまったのである。この時点で両チーム残り5試合。
Dは7連勝となり勢いは完全に上だった。次の日9/29もD戦があったのだが(実はこの試合は9/27に中止になってこの日に組み込まれていたものだった)、ところが運命のいたずらか台風が上陸してまたもや中止となってしまった。2度の中止でこの試合は10/8最終戦に組み込まれたのだ。しかしこの時点では消化試合になる可能性もあった。
その後Dは9連勝まで伸ばすもGも負けじと3連勝し、10/5には桑田はS戦で8回2死までノーヒットノーランを続ける力投を見せた。この時点でGがDに1ゲーム差をつけて両チーム残り2試合のところまできた。
そして10/6D10-2T、S6-2G槙原痛恨のリリーフ失敗。かくしてGとDは69勝60敗で同率となり、10・8D-Gの最終決戦となるのである。あの9/29中止でなかったらGはDの勢いに屈していただろう。Gは最後のチャンスを台風にもらったのだ。
優勝決定戦ともいえる10/8Gの先発は槙原。斉藤は中継ぎで好ロングリリーフ。そして押さえが桑田。最終戦に三本柱をもってくるゾクゾクするような采配を長嶋監督はやってのけた。打つ方でも落合や松井のホームランなどで6-3でDを破りリーグ優勝を飾ったのである。
その勢いで日本シリーズでは過去三度叩きのめされてきた王者Lにも槙原の活躍などにより4勝2敗で初めて勝ち、長嶋は監督として初の日本一に輝くのである。
ファンはひいきのチームが勝った時は記憶にとどめようとするが、負ければとたんに忘れてしまう。でも昨年の日本シリーズのように悔しくて忘れられない試合もたまにはある。
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