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Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ散歩32多摩湖・狭山湖

2011-04-21 00:08:23 | まち歩き

ちよ散歩、今回は都内の水がめ多摩湖狭山湖をめぐります。

002西武多摩湖線の、この武蔵大和駅からスタートします。

早くも、桜吹雪が出迎えてくれます。

この建物は、駅のエレベーターです。

 

 

 

009すぐ横が貯水池まで広がる狭山公園で、南門から入ります。

自然のままの公園で、しばらく行くと宅部池(やけべいけ)があります。

貯水池完成間近な1925(大正14年)、たっちゃんという子供がこの池で溺れ死んだそうです。

それ以来、この池を「たっちゃん池」と呼ぶようになりました。

 

 

階段を上って、貯水池の入口に出ます。

012多摩湖は、正式には村山貯水池といいます。

下貯水池は、10年以上かけて1927(昭和2年)に完成しました。

多摩川羽村取水堰から導水管により貯水池に貯留されます。

それから、東村山などの各浄水場に送水しています。

 

 

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多摩湖のランドマーク、取水塔です。(上)

これは第一取水塔で、貯水池に先がけて1925(大正14年)完成しました。

日本で、一番美しい取水塔と言われています。

ネオ・ルネッサンス様式レンガ造りで、円筒に丸いドーム屋根です。

024現在の堤体です。

1995(平成7年)阪神大震災を機に、耐震向上が計画されました。

堤体と取水塔の強化工事が行われ、2009(平成21年)完成しました。

 

 

 

018その時の工事で、全体が出現した完成当時の旧親柱です。

戦時中、爆弾から保護するため耐弾層(自然石を積みコンクリーで固めた厚い層)に半分を埋められていました。

上半分は、カモフラージュするためタールで塗られていました。

ここに、保存されています。

 

 

新しい堤体の上を、歩いて行きます。

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奥に見えるのは、第二取水塔で1973(昭和48年)完成です。(左上)

はるか遠くに、西武ドームが見えます。(中上)

貯水池の反対側には、桜がまだ咲いています。(右上)

034堤体を渡ると、西武園遊園地が見えてきます。

高い塔は、ジャイロタワーと言います。

ドーナツ状の乗り物が回転しながら上昇し、空中散歩が楽しめます。

下に見えるのは、ループ・スクリューコースターです。

 

 

032これも強化工事で出現した、遺構の排水路トンネルの一部です。

1923(大正12年)堰堤を盛立てる際に、宅部川の水を堤の外へ抜くため設置されました。

この遺構も、ここに保存されています。

 

 

 

サイクリングロードを、上貯水池に向かって歩いて行きます。

037多摩湖の周りには、サイクリングロードが整備されています。

残念ながら、多摩湖の姿はほとんど見えません。

でも、車道の横に西武山口線レオライナーを見ることが出来ます。

 

 

 

087これが、その8500系レオライナーです。(画像は西武球場前駅でのもの)

1985(昭和60年)からの登場の、かわいい車両です。

新交通システム採用で、レールはなくゴムタイヤを履いています。

西武遊園地と西武球場間を、往復しています。

 

 

しばらく行くと、西武ドームがだんだん近づいてきます。

045西武ドームは、当初屋根付き球場ではありませんでした。

1999(平成11年)ドーム化されましたが、壁面を設けずスタンドと屋根の間をフルオープンにしました。

この画像で、屋根が柱で支えられているのがよくわかります。

ドームなのに、唯一場外ホームランの出る球場です。

 

 

上貯水池が、見える所まで来ました。

047多摩湖は、上・下貯水池に分かれています。

右が上貯水池で、真ん中がその堤体です。

上貯水池は、1924(大正13年)に完成しました。

堤体の上は、車道なので歩けません。

 

 

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上貯水池の取水塔です。(左上)

堤体下、下貯水池側に整備された歩道です。(中上)

先ほど渡って来た下貯水池の堤体が、はるか遠くに見えます。(右上)                

056これは慶性門と言い、上貯水池西部にあった慶性院長屋門形式のめずらしい山門です。                

慶性院は移転したのですが、この山門は取り残されました。

1954(昭和29年)、有志によってここに移転修復されました。

現在のものは、1991(平成3年)修理し当時の姿を現したものです。

 

 

またサイクリングロードを進み、途中右に曲がります。

069_3もうひとつの湖、狭山湖に向かいます。

狭山湖の正式名は、山口貯水池です。

これは第一取水塔で、貯水池とともに1934(昭和9年)完成です。

 

 

 

074_3これは、昭和の建設時に建てられた高欄(手すり)と親柱です。

多摩湖同様、戦時中は耐弾層に埋もれていました。

強化工事の際、高欄が55年ぶりに姿を現しました。

親柱とともに、一部を展示保存しています。

 

 

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新しくなった狭山湖の堤体ですが、親柱の雰囲気は前のと似ています。(左上)

その堤体からの、狭山湖の眺めです。(右上)

車道にもどり、途中の細い道を左に下って行きます。

080山口観音金乗院が、あります。

これは、本堂で1762(宝暦12年)の造営です。

本尊は千手観音菩薩で、本堂の天井には墨絵の「鳴き竜」が描かれています。

 

 

 

下って山門を通り、山口観音をあとにします。

086すぐ目の前が、西武ライオンズの本拠地西武ドームです。

ここからだと、巨大なUFOに見えます。

この左が、ゴールの西武球場前駅です。

 

 

 

今日のおみやげは、ありません。

-ちよ散歩32多摩湖・狭山湖おわり-

 

 

 

 

 


ちよ散歩31復興祈願西新井大師

2011-03-22 01:56:37 | まち歩き

ちよ散歩、今回は東日本大震災に遭われた方々への復興祈願のため西新井大師に詣でます。

東武大師線の終着駅でもある、大師前駅からスタートです。

006大師線は、西新井からたったひと駅1kmしかありません。

戦前、西新井-上板橋間に計画された東武西板線の一部なのです。

ほぼ環七沿いに計画されましたが、関東大震災などで頓挫しました。

大師前までが、1931(昭和6年)大師参拝者のために開業されました。

1991(平成3年)高架となり、現在の駅となっています。

 

004大師駅から参道を歩いて、5分も行かぬうちに仲見世です。

ここの仲見世は、先日行った川崎大師(ちよ散歩27参照)に比べると震災後で元気がないように感じました。

西新井大師は通称で、正式名は五智山遍照院総持寺と言います。

826(天長8年)弘法大師の創建と、されています。

 

 

いよいよ、西新井大師に入ります。

009まずは、山門をくぐります。

この山門は、寺院内に入る総門三門とも書きます。

江戸後期の建立で、両脇に寺内安護の金剛力士像を祀っています。

 

 

 

013祈願のため、大本堂に向かいます。

この大本堂は火災で焼失後、1971(昭和46年)に建立されたものです。

ここで、東日本大震災に遭われた方々が一日も早く復興できるようにお祈りいたしました。

 

 

 

寺務所で、うさぎの宝船絵馬を買いました。

014絵馬にも、復興祈願を書き奉納してきました。

今、自分たちに出来ることは節電と祈ることです。

本当につらいでしょうが、復興に向けて全力を尽くしてください。

応援しています。

 

 

020これは、弘法大師立像です。

真言宗の開祖で、名はご存知のとおり空海です。

密教を伝授され帰朝、806(大同元年)真言宗を伝えました。

後に、醍醐天皇より弘法大師の名を賜りました。

「弘法も筆のあやまり」と例えられる、三筆のひとりです。

 

017池の向こうに見える鐘楼堂横の花は、紅梅ではなく寒桜です。

境内には、寒桜が4本あり3月中旬までにわたって開花が見られます。

また、ぼたんの名所でもあり4,500株余りが植立されています。

 

 

 

028境内にある古着屋です。

21日の縁日では、このような古着屋や骨董屋で賑わいます。

うしろの塔は江戸時代に流行った三匝堂(さんそうどう)で、俗に栄螺堂(さざえどう)と言われる仏堂の一形式です。

1884(明治17年)改築ですが、都内ではここだけの貴重なものです。

 

 

他には、弘法大師が病を平癒したと言われる加持水の井戸があります。

その井戸がお堂の西側にあったことから、「西新井」の地名ができたと言われて います。

山門から西新井大師を出ます。

034山門前にある創業元禄清水屋で、名物の草だんごを買いました。

試食ができ、よもぎのもちもちなだんごと上品なこしあんが絶妙です。

この後、ゴールの大師前駅にもどりました。

 

 

 

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今日のおみやげは、門前にある清水屋の草だんごです。(上)

-ちよ散歩31西新井大師・おわり-

 

 

 

 


ちよ散歩30横浜散策

2011-03-15 00:10:52 | まち歩き

ちよ散歩、今回は横浜市内を散策します。

「ちよ散歩15横浜山手」からの、続編になります。

JR根岸線関内駅からスタートです。

まず、横浜スタジアムに向かいます。

089ひとつ手前の道に、優勝モニュメントを見つけました。

これは、1998(平成10年)に横浜ベイスターズが日本一に輝いた記念に作られました。

上の銅版レリーフは、権藤博監督の胴上げシーンです。

下には、優勝メンバー全員のブロンズ手形が並んでいます。

 

 

1978(昭和53年)大洋ホエールズは、本拠地を川崎から横浜に移しました。

087その時建てられたのがこの横浜スタジアムで、名前も横浜ベイスターズに変わりました。

ナイター照明は、横浜の頭文字「Y」の形をしています。

そして、横浜に移って20年目の日本一です。

 

 

 

スタジアム横にある玄武門(北門)より、横浜中華街に入って行きます。      

009中華街の東西南北の門は、四聖獣によって守られています。

この北門は、北を守護するを合わせた姿の玄武神です。

玄武門と命名され、柱は・季節はを意味します。

 

 

 

011北門通りを進むと、賑やかなこの善隣門があります。

ここをくぐると、メインストリートの中華街大通りです。

中華街でのおすすめの店は、市場通りはずれにある梅蘭本店です。

ここの梅蘭焼そばは、ふつうの焼そばとは一味違いびっくりしますよ。

 

 

015中華街大通りを進み、真正面にあるのがChina Town 80です。

お薦めが、ここに置いてある「中区の歴史を碑もとく絵地図」です。                                                                                    

中区に点在する碑のある場所と説明文が載っていて、この地図片手に歴史を伝える碑を探して歩くのも一興です。

 

 

 

朝陽門(東門)から出て、横浜の元祖ランドマークである横浜マリンタワーに向かいます。

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マリンタワーは1961(昭和36年)開業されましたが、このほど横浜開港150周年にあわせて2009(平成21年)にリニューアルオープンしました。(左上)

高さは106mあり展望フロアからは、横浜ベイブリッジなど横浜の街を一望できます。(中上)

さらに、よ~く見てみると東京スカイツリーがうっすらわかりました。(右上、見にくいですが真ん中あたりです)

028マリンタワーから見た、山下公園氷川丸です。

山下公園は、1930(昭和5年)日本初の臨海公園として誕生しました。

氷川丸は、戦後シアトル航路に復帰後引退しました。

1961(昭和36年)この地に係留されました。

 

 

035これは、氷川丸のとなりに移設された白灯台です。

1892(明治29年)に、山下埠頭の内防波堤に設置されました。

現在でも使われている赤灯台と、ペアで活躍していました。

 

 

 

043これは、山下公園の「赤い靴はいてた女の子」の像です。

他にも、「かもめの水兵さん」など多くの歌碑・記念碑があります。

珍しいものでは、横浜在住インド人団体から寄贈された「インド水塔」があります。

 

 

 

山下臨港線プロムナードを通り、大さん橋ふ頭へ向かいます。

046ここには国際客船ターミナルがあり、大型客船が寄港します。

これは、大さん橋ふ頭に向かう道です。

道や屋上広場は、甲板をイメージしたウッドデッキになっています。

1Fの駐車場と送迎デッキの屋上広場は、24時間オープンしています。

 

 

054屋上広場にはビューポイントがあり、これもそのひとつで赤レンガ倉庫みなとみらい21地区の高層ビル群が望めます。

ちょうど豪華客船にっぽん丸が、着岸してきました。

横浜ランドマークタワーとにっぽん丸を、まとめて撮れました。

ちなみに、にっぽん丸はこれから小笠原クルージングです。

 

 

大さん橋ふ頭から、真っすぐ街中にもどります。

057開港広場があり、レンガ造りのマンホールの遺構があります。

となりにあるこの建物は旧英国総領事館で、1931(昭和6年)に建てられ古典主義建築の秀作と言われています。

1972(昭和47年)に業務を停止し、今は横浜開港資料館です。

 

 

 

日本大通りに出て神奈川県庁正面に立つと、三つの塔を一度に見ることができます。                   

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左に見えるのが、横浜開港記念会館の時計塔ジャックの塔と呼ばれています。(左上)

正面は、神奈川県庁キングの塔です。(中上)

さらに、右には横浜税関クイーンの塔が見えます。(右上)

デジカメには納まりませんが、県庁前の道路を越えたある位置に立つと同時に三塔が見えます。

新港橋を渡り、みなとみらい21新港地区に入っていきます。

076まずあるのが、横浜赤レンガ倉庫です。

新港ふ頭の貨物を、税関が管理する倉庫として建設されました。

しかし、1989(平成元年)倉庫としての用途が廃止されました。

2002(平成14年)に商業文化施設として、オープンしました。

 

 

082赤レンガ倉庫から、ナビオス横浜に向かいます。

建物には四角い空洞があり、その理由としては真ん中に汽車道の軌道が走っているからです。

もうひとつの理由としては、額縁の役目をしています。

画像額縁の中の景色は、横浜ランドマークタワーです。

 

 

万国橋を渡り真っすぐ進み、馬車道へと入っていきます。

083途中に、貴重な建築物である旧横浜正金銀行本店本館があります。

1904(明治37年)の建設で、震災前の横浜繁栄を象徴する建物です。

現在は、神奈川県立歴史博物館となっています。

 

 

 

086この馬車道には、横浜ならではの記念碑があります。

写真の開祖・下岡蓮杖は、横浜初の日本人写真家です。

日本で最初のガス灯アイスクリーム発祥の碑もあります。

記念碑を探しながら歩いていくと、ゴールの関内駅は目の前です。

 

 

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今日のおみやげは、マリンタワーショップで買ったミニュチュアマリンタワーです。(上)

-ちよ散歩30横浜散策・おわり-

追記

この「ちよ散歩横浜散策」をした翌日に、東日本大震災がありました。

災害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。                                          

つらいでしょうが、復興に向けて全力を尽くしてください。

応援しています。                                                            

 

 


ちよ散歩29越生梅林

2011-02-24 16:54:57 | まち歩き

ちよ散歩、今回は越生梅林(おごせばいりん)まで紅梅、白梅を見に行きます。

002東武越生線JR八高線の駅でもある越生駅からスタートです。

越生線は、東上線坂戸から越生までの短い距離です。

駅前の通りを行くと、右側に越生町観光案内所があります。

そこで、地図などの情報を仕入れます。

 

 

059県道を越えて行くと、あるのが法恩寺(ほうおんじ)です。

これは、優美な姿を残した見事な鐘楼です。

1901(明治34年)の火災で、山門とともに焼け残ったものです。

この鐘楼と山門は1714(正徳4年)に再建されたものです。

 

 

009坂道を上って行き、細い山道に入った所に越生神社があります。

越生神社奥の高取山は、戦乱に備えた越生氏の砦跡です。

は、山麓のこの越生神社一帯にあったとされています。

祭礼での囃子は、江戸神田囃子のながれをくんでいます。

 

 

012さらに山道を上って行き、正法寺(しょうぼうじ)の所で右に降ります。

ここは、死期を悟った僧が生きながら食を絶ち仏となる聖地とされていました。

この事を、入定(にゅうじょう)といいます。

今でも寺域には、「入定場」という地名が残っています。

 

 

ここから街中を進むと、越生町役場の所に出ますので真っすぐ進みます。

県道沿いには歩道がなく危険ですので、もらった地図によるとこの道が梅林までの推奨徒歩コースとなっています。

やがて三滝入口の交差点となり、ここで歩道橋を渡ります。

016しばらく行くと弘法山があり、山麓に弘法山入口の立札があります。

そこから階段を登って行くと、中腹にあるのが弘法山観世音(こうぼうやまかんぜおん)です。

ここの観世音は、弘法大師の作と伝えられています。

安産子育の観音様として、参拝者が絶えないそうです。

 

 

この後は徒歩コースの地図どおりに歩き、ようやく越生梅林にたどり着きました。

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水戸偕楽園と並び、関東三大梅林のひとつである越生梅林です。

600年前の古木や、白加賀・越生野梅・紅梅など約千本あります。

時期が少し早く、紅梅は見ごろでしたが白梅はまだ咲き始めでした。                                                         

越生梅林では3月21日(日)まで梅まつりが開催され、土・日を中心にして郷土芸能などが披露されます。

入場料200円と書いてありましたが、無料で入れました。

子供たちに大人気のミニSLがあり、満開の梅のトンネルを走り抜けるのもあと少しです。

052越生梅林を出て、すぐそばにある梅園神社に寄ってみます。

越生梅林の起源は、九州大宰府から菅原道真公の霊を分祀した時梅園神社に植えられたのが始まりと言われています。

ただし梅園神社と改称したのは、1907(明治40年)のことです。

 

 

 

さらに、越生梅林前の道を奥へ進みます。

039右に曲がると、最勝寺があります。

本尊の十一面観世音は、争いのある世の中を救う仏だそうです。

ここの境内には、見事な紅梅が咲いていました。

 

 

帰りは、県道沿いの白線だけの歩道を歩きゴールの越生駅までもどりました。

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今日のおみやげは、梅林内の売店で買った梅ゼリーです。(上)

-ちよ散歩29越生梅林・おわり-

 

 

 

 

 


ちよ散歩28小江戸川越

2011-02-09 23:24:12 | まち歩き

ちよ散歩、今回は小江戸と言われる川越市内を散策します。

川越にはJR川越線東武東上線併用の川越駅と、西武新宿線の終着駅である本川越駅があります。

さらに東上線川越駅の次の駅川越市駅があり、近い距離に三つの駅があるのが川越市の特徴です。

001今日は、川越駅からスタートです。

細い道のショッピング街であるクレアモールを、北へ向かいます。

かなり長い距離を歩きますが、人の波は絶えません。

 

 

 

003途中にあった、最近オープンした小江戸蔵里(くらり)です。

約120年続いた酒造蔵を利用した、産業観光館です。

おみやげ処、まかない処などに分かれています。

 

 

 

004_3喜多院不動通りを渡り、大正浪漫夢通りへと入って行きます。

その名のとおり、大正時代の建物が続きます。

これらの建物は、喫茶店シマノコーヒーの大正館(左)と和菓子屋のいせや(右)です。

 

 

 

いよいよ蔵造りの町並みです。

007まず、入口にあたる仲町交差点の角にあるのが松崎家です。

こういった土蔵造りの店舗は、江戸の町家形式として発達しました。

しかし、今の東京ではほとんど見ることが出来ません。

川越のこの通りに、江戸の面影を残しています。

 

 

010_2このように建物ひとつにしても、江戸の文化が川越に流通していました。

それが、「川越を小江戸」と言う所以(ゆえん)なのでしょう。

蔵造りの町並みに、人力車が似合います。

 

 

 

021右側に見えてくる高い建物は、現埼玉りそな銀行川越支店です。

明治時代に、第八十五国立銀行として設立されました。

今の建物は、1918(大正7年)に改築されたものです。

西洋の建築様式で、大正ロマンを感じます。

 

 

012中頃にある、蔵造りの町並みを代表するりっぱな建物です。

特に、瓦に重厚感があります。

正面は原家で、屋号は陶舗やまわ陶器の店です。

となりは、宮岡家です。

 

 

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ここで右に曲がると、川越のランドマーク時の鐘が見えます。(上)

最初のものは、江戸時代初期川越城主酒井忠勝によって建設されました。

現在のものは、1894(明治27年)に再建されたものです。

高さは16mあり、今でも1日4回時を知らせています。

017時の鐘入口の角に建つのが、酒屋の滝嶋家です。

ごらんのとおり、時の鐘付近は人がいっぱいです。

思った以上に、小江戸川越は注目されているようです。

 

 

 

014蔵造りの町並み最後に紹介する建物は、大澤家住宅です。

1792(寛政4年)呉服店として、建てられました。

明治の川越大火でも、焼け残ったそうです。

川越商人に、蔵造りを建てさせるきっかけになった建物のひとつです。

 

 

027_2寺町通りから、菓子屋横丁に向かいます。

横丁と言うのがぴったりで、狭い路地の両側に駄菓子を売る店が並んでいます。

川越と言えばさつま芋で、大学芋とおみやげに飴を買いました。

 

 

 

蔵造りの町並み終わりの交差点札の辻から北へ向かい、広済寺の前を右に曲がります。

030 しばらく行くとあるのが、川越氷川神社です。

ここには1990(平成2年)に建立された大鳥居があり、高さ15mもあり木製のものとしては国内随一だそうです。

中央額の文字は、勝海舟の直筆です。

 

 

 

南に進み、川越城跡に向かいます。

川越城の本丸御殿には、玄関と広間が現存しています。

残念ながら本丸御殿は保存修理工事のため休館中で、平成23年3月26日(土)14時から公開される予定です。

034しかたなく、となりにある三芳野神社に寄ります。

ここは、わらべ唄「とおりゃんせ」歌詞の発祥地と言われています。

しばし休憩で、菓子屋横丁で買った紅東(べにあずま)の大学芋を頬張ります。

 

 

 

川越城は江戸時代松平信綱が城地を拡大し、徳川家親藩・譜代大名の重要な居城でした。

040 維新後、破壊され現在唯一残っているのが富士見櫓跡です。

この高台が、富士見櫓が建てられていたところです。

本丸西南の隅櫓として建てられ、三重櫓の高いもので天守閣の代わりをつとめていました。

 

 

 

また南に進み、いよいよ喜多院に向かいます。

045まずは、喜多院の山門があります。

家康に取入った天海僧正が、1632(寛永9年)に建立したものです。

建立後すぐの1638(寛永15年)川越大火にも、焼失を免れました。

喜多院では、最古の建築物です。

 

 

048喜多院は平安時代の創建とされ、江戸時代天海の時に栄えました。

寛永の川越大火後の再建時には、江戸城から移築したものを書院・客殿としました。

ですから、「家光誕生の間」「春日局の間」が喜多院に存在するのです。

 

 

 

喜多院境内には五百羅漢の石仏群があり、これは1782(天明2年)から約50年間かけて建立されたものです。

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顔、動作などひとつとして同じものはなく、人間味にあふれる様々な表情を見せてくれます。(上)

全部で538体あるそうで、ずっと見ていても飽きません。

喜多院のとなりにある、仙波東照宮に寄ります。

071入れるのは隨身門から石段を登り、この拝殿までです。

家康没後、遺骸は日光に移送されました。

その途中、天海が喜多院で大法要を営んだことで 建立されました。

日光・久能山とともに三大東照宮のひとつと称されています。

 

 

069しかし、日光東照宮に比べたらはるかに小さく質素なものです。                          

正門の扉にあった、徳川家の「葵」の紋所です。

水戸黄門で、おなじみのものです。

 

 

 

帰りは、東照宮中院通りを西へ向かいます。                                              

074中央通りと交差するところが、駅ビル西武本川越PePeの入口です。

ここを直進し、案内板どおりに進みます。

ゴールの川越市駅に、無事に着くことが出来ました。

 

 

 

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今日のおみやげは、菓子屋横丁小江戸茶屋で買ったノスタルジーを感じさせるガラスの瓶に入ったフルーツ飴です。(上)   

-ちよ散歩28小江戸川越・おわり-