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Forever hill

男は夢に追われる孤独なランナー

ちよ散歩37世田谷線沿線

2011-07-07 23:50:22 | まち歩き

ちよ散歩、今回は東急世田谷線沿線を歩きます。

散歩の前に、世田谷線の歴史をおさらいしましょう。

東急田園都市線宮崎台駅にある、「東急・電車とバスの博物館」に寄ります。

玉川電気鉄道(通称玉電)として、1907(明治40年)渋谷・玉川(二子玉川園)間が開通しました。

主に、多摩川の砂利輸送が目的でした。

1924(大正13年)玉川・間、翌年には三軒茶屋・下高井戸間の支線が開通しました。

しかし、車社会の到来で都電と同じ運命をたどり1969(昭和44年)玉電は終焉を迎えました。

ただ、三軒茶屋・下高井戸間だけは専用軌道だったため世田谷線として生き残っています。

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この博物館に展示されている、玉電デハ200形の路面電車です。(左上、右上)

愛嬌あるスタイルから、「ペコちゃん」「いもむし」と呼ばれ人気者でした。

断面が卵形をしていて、乗り降りしやすいように車輪を小さくして車高が低くなっています。

1955(昭和30年)6両(2連結で1両)製造され玉電廃止とともに廃車となりましたが、この204号だけがここで余生を送っています。

 

さて、三軒茶屋にもどって散歩のスタートです。

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東急世田谷線「三軒茶屋駅」から、305号が出発して行きました。(左上)

この始発駅は単線で、ホームの左が入口専用で右が出口専用です。

現在の世田谷線の車両は、300形で色がカラフルです。

駅ビルといっていい26F建てのキャロットタワー、名前のとおり「にんじん色」をしています。(右上)

最上階には、展望フロアがあり無料で夜景が見られます。

027三軒茶屋駅からは、最勝寺数学院に寄ります。

ここの不動堂の目青不動は、東都五色不動のひとつとして有名です。

これで、目赤・目白・目青の3つ行ったことになります。

 

 

 

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三軒茶屋駅を出てすぐの、306号です。(左上)

すぐに、309号が停車している「西太子堂駅」に着きます。(右上)

西太子堂駅からは、太子堂八幡神社に行ってみます。

太子堂の名前の由来が、書いてありました。

円泉寺境内に聖徳太子像を安置し、それより太子の號をとりの村名にしたそうです。

ここから、 環七に向かいます。

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環七と交差する、若林踏切に出ます。

踏切といっても電車優先ではなく、電車も信号待ちをする踏切です。

信号待ちをする、303号です。(左上)

環七の信号が赤となり、301号が横断しています。(右上)

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若林踏切のすぐそばにあるのが、「若林駅」です。(左上)

先ほど三軒茶屋駅で見かけた305号が、もどって来ていました。

その次の駅の「松陰神社前駅」で、310号が止まっています。(右上)

この駅からは、駅名にもなっている松陰神社に向かいます。

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吉田松陰を祀る、松陰神社です。(左上)

吉田松陰は私塾松下村塾(長州)を主宰、高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文らを輩出しました。

安政の大獄により刑死、享年30歳でした。

吉田松陰の墓で、回りには同志たちも眠っています。(右上)

1882(明治15年)門下の人々によって、吉田松陰が眠るこの地に松陰神社が創建されました。

047「世田谷駅」まで、やって来ました。

オレンジ色の309号が、停車しています。

世田谷駅からは、世田谷通りを渡って毎年ボロ市が開かれるボロ市通りを歩きます。

 

 

 

やがて世田谷代官屋敷があり、となりには郷土資料館もあります。

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江戸時代代官職を務めていた大場氏の屋敷地で、代官役所として使用した居宅を含む屋敷跡です。

表門(左上)と主屋(右上)は、貴重な遺構で重要文化財に指定されています。

再び、世田谷通りを渡り世田谷線にもどります。

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「上町駅」があり、反対軌道を306号が走り過ぎます。(左上)

上町駅からは、世田谷城阯公園に寄ります。

これが世田谷城跡で、14世紀後半に吉良氏が居住したのが始まりと伝えています。(右上)

吉良氏は北条氏と手を結んだのですが、1590(天正18年)豊臣氏小田原攻略により廃城となりました。

宮の坂駅に行く途中、豪徳寺に寄って行きます。

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豪徳寺山門へと続く、参道です。(左上)

世田谷郷井伊家領で、豪徳寺は井伊家の菩提寺でした。

緑に囲まれた、仏殿です。(中上)

ここには井伊家墓所があり、江戸で亡くなった藩主や家族が葬られています。

その中で最も有名な、13代井伊直弼の墓です。(右上)

幕末期の大老で安政の大獄を断行し、桜田門外の変水戸浪士らに暗殺されました。

安政の大獄で井伊直弼に殺された吉田松陰、このふたりの墓が世田谷線沿いの1kmに満たない所にあるのには因縁を感じます。

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310号が停車している、「宮の坂駅」に着きます。(左上)

宮の坂駅には、江ノ電601号が展示保存されています。(中上、右上)

この車両は1925(大正14年)製造され、長い間玉電を走りました。

玉電廃止後、江ノ電に譲渡され601号として活躍しました。

1990(平成2年)に引退し、化粧直ししてこの地に帰って来ました。

082宮の坂駅からすぐのところにある、世田谷八幡宮に寄ります。

ここの鳥居には、茅の輪なるものが作られています。

この輪をくぐることによって、悪疫を免れるという教えです。

輪のくぐり方は、正面より8の字形に左・右・左3回くぐるそうです。

 

 

「山下駅」まで、来ました。

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停車しているのは、310号(左上)と309号(右上)です。

上に見えるのは、小田急線豪徳寺駅です。

ここで、世田谷線と小田急線が交差しています。

ここからは、ひたすら線路沿いを歩くだけです。

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山下・松原駅間で、出合った306号(左上)と309号(右上)です。

山下駅で見かけた309号は、早くも下高井戸駅を折り返して来ました。

094「松原駅」に仲良く並んだ、304号(左)と301号(右)です。

初登場の、緑が鮮やかな304号です。

301号は、玉電200形をイメージしたツートンカラーです。

 

 

 

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松原駅を出ると、次は終点の下高井戸駅です。

303号とは、また踏切で出合いました。(左上)

早くも折り返して三軒茶屋に向かう、ツートンの301号です。(右上)

099京王線の駅でもある下高井戸駅に近づくと、雑踏が迫ってきます。

ゴールの「下高井戸駅」に、着きました。

始発も終点も、車両はピンクと赤の305号でした。

 

 

 

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今日のおみやげは、豪徳寺で買った招福猫児(まねきねこ)です。(上)

-ちよ散歩37世田谷線沿線・おわり-      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちよ散歩36鎌倉あじさい寺明月院

2011-06-20 23:48:49 | まち歩き

ちよ散歩、今回は鎌倉を散策しますが季節がらあじさい寺明月院がメインです。

002_2JR横須賀線鎌倉駅から、スタートです。

鎌倉駅には、とんがり帽子の時計台があります。

 

 

 

 

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すぐに、二の鳥居の見える若宮大路に出ます。(左上)

源頼朝京都朱雀大路にならって造った道で、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮までの参道です。

その中でも、中央の一段高く造られた道を段葛(だんかずら)と言います。(右上)

八幡宮に向かうにつれ道幅が狭くなっていて、遠近法で実際より長く見せています。

段葛の終わりに三の鳥居があり、くぐると鶴岡八幡宮の境内です。

014昨年3月に、御神木の大銀杏が強風によって根元から折れました。

折れた親木は、根元の西側に移植されました。

1年経って残された根(囲いがしてある所)や移植された幹からは、若い木が勢いよく伸びてきています。

時間はかかると思いますが、再生を祈りましょう。

 

 

鎌倉街道を、北へ向かいます。

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鎌倉五山禅宗の寺格を定める制度)の第1位、建長寺があります。

1253(建長5年)執権北条時頼が建立した、日本最初の禅寺です。

開山は中国蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)で、後に大覚禅師という日本最初の禅師号を賜りました。

総門から始まり三門(左上)・仏殿(中上)・法堂(はっとう・右上)と、伽藍配置は直線に並んでいます。

さらに北へ進み、線路沿いの小路を右に曲がります。

あじさいで有名な、明月院があります。

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明月院の開山は、建長寺開山の大覚禅師五世法孫にあたる密室守厳禅師です。

先ほどの線路沿いの小路を、北鎌倉駅の方へ向かいます。

北鎌倉駅前にあるのが、円覚寺です。

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鎌倉五山第2位の円覚寺は、1282(弘安5年)執権北条時宗が開基です。

開山は、中国の名僧無学祖元(むがくそげん・仏光禅師)です。

山門(左上)・仏殿(中上)・舎利殿(右上)です。

舎利殿は、中国から伝えられた「唐様式」の美しい建造物で国宝に指定されています。

横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を八幡宮の方へもどります。

069縁切り寺」として有名な、東慶寺があります。

開山は、覚山志道尼(かくざんしどうに)の尼寺です。

妻からは別れることが出来なかった時代に、この寺に駆け込めば離縁出来るという女人救済の寺でした。

 

 

 

さらに、踏切の手前を右に入って行きます。

076鎌倉五山第4位の、浄智寺があります。

上に梵鐘がある、鐘楼門が迎えてくれます。

1281(弘安4年)北条時頼の三男宗政が没後、宗政夫人とその子師時が開基として創建されました。

開山は、宋僧兀庵普寧(ごつたんふねい)とされています。

 

 

踏切を渡りさらにもどり、長寿寺のところで右に曲がります。

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細い道となり、一挙に静寂がもどります。

坂を上って行くと、そこが亀ヶ谷坂切通です。(左上) 

切通を下り、T字路を右に海蔵寺へ向かいます。

海蔵寺手前を、左に曲がって行きます。

しばらく行くと、仮粧坂(けわいざか)切通となります。(右上)

辺りはうす暗く道幅も狭く急坂で、鎌倉時代にタイムスリップしたようです。

険しい坂道をやっとの思いで上り切ったところが、源氏山公園です。

右に進み、道なりに円を描くように坂を下って行きます。

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坂の途中に、鳥居のあるトンネルが見えてきます。(左上)

ここが、銭洗弁財天の入口です。

ここの湧水でお金を洗って使うと何倍にもなって返ってくると、信じられています。

ザルにお金を入れ、ひしゃくで水をかけます。(右上)

坂を下りて真っすぐ行き、途中で右に曲がります。

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やがて赤い鳥居があり、社までいくつも続いています。(左上)

ここが、佐助稲荷神社です。(右上)

余談ですが、はるか昔に来たときには裏山に野生のリスを見かけました。

大通りに出て、駅とは反対方向へ進みます。

新佐助トンネルを抜けたところで、左に曲がり大仏に向かいます。

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鎌倉大仏は、高徳院の本尊銅造阿弥陀如来座像です。

1243(寛元元年)最初の大仏が木造で完成しました。

それが台風により崩壊し、1253(建長4年)青銅製大仏の鋳造が始められ大仏殿に安置されました。

しかし、大仏殿は1495(明応4年)明応の大地震による津波で流されました。

それ以来、再建はなされてなく露座となっています。

113大仏の体内は空洞で人が入る事ができ、見学できます。

そのため、背中には明かりとりの窓が開いています。

高さは13m(台座共)で、重さは約122トンあるそうです。

 

 

 

大仏の通りを、海の方へ向かいます。

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736(天平8年)創建の、鎌倉長谷寺があります。

本尊十一面観音像は、日本最大級(9.18m)の仏像です。

山門(左上)と、境内に咲いていた花菖蒲(右上)です。

大和長谷寺とは、深いかかわりがあります。

開山の徳道上人は二体の観音像を造り一体は大和長谷寺の観音像とし、もう一体は海に流しました。

その後、三浦半島に流れ着いたその観音様を遷し建立したのが鎌倉長谷寺です。

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長谷寺には「あじさい散策路」があり、裏山全体にあじさいが咲いていて散策ができます。

また、見晴台からは海を一望できます。

142海の方へ少し行くと、ゴールの江ノ電長谷駅です。

江ノ電は単線ですが、長谷駅で上下線が一緒になります。

左側の鎌倉行で、鎌倉駅に向かいました。

 

 

 

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今日のおみやげは、ミニチュアの鎌倉大仏です。(上)

-ちよ散歩36鎌倉あじさい寺明月院・おわり-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ちよ散歩35碓氷峠アプトの道

2011-06-12 01:37:35 | まち歩き

ちよ散歩、今回は前回の続きで碓氷峠「アプトの道」遊歩道を歩きます。

横川・軽井沢間(通称碓氷線)は、急勾配のためアプト式が採用され1893(明治26年)に開通しました。

アプト式については、「ちよ散歩34碓氷峠鉄道文化むら」を参照してください。

アプト式は、1963(昭和38年)新線開通でその役割を終えました。

1997(平成9年)長野新幹線が開業し、碓氷線は廃線となりバス路線となりました。

007_2その廃線となった碓氷線を利用した遊歩道が、「アプトの道」です。

「鉄道文化むら」ゲート近くの、ウォーキング・トレイル「アプトの道」起点からスタートです。

 

 

 

 

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しばらくは、「鉄道文化むら」沿いを歩きます。

「峠の強力(ごうりき)」と言われた、留置線のEF63形の2台です。(左上) 

ここで遊歩道を少し外れて、碓氷関所跡に寄ります。(右上)

門柱や門扉は当時使用されていたもので、1959(昭和34年)に復元されました。

この地に移ったのは徳川幕府初期で、1869(明治2年)の廃止まで中山道の要でした。

083新線の上り線(画像右)に造られた、これが遊歩道「アプトの道」です。

砂利で固めてありますが、レールが見えています。

下り線(画像左)は、「トロッコ列車シェルパくん」の軌道です。

残念ながら、現在故障運休中です。

 

 

087やがて、レンガ造りの丸山変電所があります。

1912(明治45年)、碓氷線電化のため建築されました。

この棟は蓄電池室で、蓄電池312個が整然と並んでいました。

もう1棟(画像左奥)は機械室で、回転変流器変圧器を収容していました。

1963(昭和38年)新線開通で、その役割を終えました。

 

096アプト式の碓氷線が完成したときは、トンネル数26・レンガ造りの橋梁18を要しました。

この霧積川にもレンガ造りの第1橋梁がありましたが、取壊されました。

「人間の証明」に出てくる西条八十の詩「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねぇ」、その舞台がこの霧積川の上流です。

 

 

 

098日帰り温泉の「峠の湯」が、見えてきます。

新線の遊歩道は終わり、旧線(アプト線)の遊歩道に入って行きます。

通常トロッコ列車はここまでで、終点の駅「峠の湯」があります。

 

 

 

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いよいよ、第1号トンネルです。(左上、中上)

第1号トンネルを出た所にある、レンガ造りのアーチ橋の第2橋梁です。(右上)

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続いて、第2号トンネルへと入って行きます。(左上、右上)   

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第2号トンネルを抜けると、眼下に碓氷湖が広がります。(左上)

ほとりに下りて、昼飯です。

横川駅で買っておいた、おぎのやの「峠の釜めし」を食べます。(中上)

碓氷湖は、中尾川碓氷川の合流地点を堰き止めて造られた人造湖です。(右上)

125遊歩道にもどり進むと、段々勾配がきつくなってきます。

碓氷線が出来る前は、碓氷馬車鉄道が走っていました。

旧国道18号線に軌道を敷き、1888(明治21年)に開通しました。

途中、碓氷橋(停車場)・中尾橋で馬の継ぎ替えを行っていました。

所要時間は、2時間30分(1日4往復)かかりました。

 

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第3号トンネルです。(左上、右上)

ここから、3つのトンネルが連続します。

この入口からは、次のトンネルさらにその次のトンネルまで覗くことが出来ます。

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第4号トンネルです。(左上、右上)

134碓氷線の橋で、径間4.57m以下のものをカルバートと呼びました。

碓氷線には21のカルバートがあったとされ、これもそのひとつです。

その中で、第11カルバートは当時の原型をとどめています。

ただし、第9号第10号トンネルの間にあり見に行くのが大変です。

 

 

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少し長く、左にカーブしている第5号トンネルです。(左上、中上)

トンネル内、むき出しのレンガです。(右上)

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この第5号トンネルを出ると、ゴールの第3橋梁めがね橋の上です。(左上)

めがね橋の上から、旧国道18号線を見た所です。(右上)

画像の左上辺りに、碓氷馬車鉄道の碓氷橋停車場がありました。

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碓氷線第3橋梁(めがね橋)は、国内最大のレンガ造り4連アーチ式鉄道橋です。(上)

碓氷線旧線(アプト式)のもので、長さ91m・高さ31mあります。

設計には、日本人古川晴一氏も参加していました。

古川氏は、東洋一と言われた山陰本線旧余部鉄橋(現在は解体され新鉄橋が出来ています)の設計も手掛けています。

長さ310m・高さ41mの余部鉄橋では、1986(昭和61年)突風による列車の転落事故が起きています。

ちなみに、自分はこの事故で有名になる前の1980(昭和55年)に余部鉄橋を見に行っています。

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いろいろな方向からのめがね橋です。(左上、右上)

すぐ横に階段があり、下まで降りられます。

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めがね橋を渡ったところにある第6号トンネルですが、ここから先は工事中で入れません。(左上)

熊ノ平まで「アプトの道」が伸びるそうで、完成は24年3月末日です。

めがね橋の上から山側を見ると、平行して走る新線(廃線)が見えます。(右上)

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今日のおみやげは、タブレットのストラップです。(上)

タブレットは、単線区間で安全確認のため通行手形のような役割をしています。 

-ちよ散歩35碓氷峠アプトの道・おわり-

 

 

 

 

 

 

 


ちよ散歩34碓氷峠鉄道文化むら

2011-06-10 00:42:53 | まち歩き

ちよ散歩、今回は群馬県まで遠出してまずは「碓氷峠鉄道文化むら」を見学します。

006JR信越本線横川駅から、スタートです。

1997(平成9年)長野新幹線が開業し、横川・軽井沢間は廃止されバス路線となりました。

横川と言ったら駅弁おぎのやの「峠の釜めし」で、さっそく昼飯用に買っておきます。

 

 

 

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「碓氷峠鉄道文化むら」は、横川駅からすぐの所にあります。(左上)

ここは、鉄道ファンにとって「懐かしさと感動」にあふれている場所です。   

園内を一周する、ディーゼル機関車の「DLあぷとくん」です。(右上) 

本格的蒸気機関車、愛称「あぷとくん」も交代で走ります。

012まず迎えてくれるのが、新幹線軌道確認車GA-100です。

新幹線の保線作業後、線路の異状の有無を確認する車両です。

自動運転機能を搭載し、新幹線の運行開始前に走行します。

1995(平成7年)製造で、現在同型の36両が活躍しています。

 

 

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アプト式鉄道とは、スイス人ローマン・アプト氏により考案された急勾配対応方式のひとつです。

レールの中央に、歯形軌条(ラックレール)を敷きます。(左上)

動力車の床下に設けた歯車(ピニオン)を、噛み合わせて登り降りします。(右上)

急勾配対応には、他にループ式スイッチバック式があります。

現在でもループ式は上越線で、スイッチバック式は箱根登山鉄道で見られます。

アプト式は、大井川鉄道井川線の一部区間でも使われています。

067西展示館には、国産アプト式電気機関車ED42-1が展示されています。

ピットから、ラックレールに噛み合う歯車を見ることが出来ます。

碓氷線のアプト式鉄道は、1893(明治26年)に開通しました。

それまでの信越本線は、碓氷峠だけが馬車鉄道で連絡していました。

1912(明治45年)碓氷線は日本初の幹線電化区間となり、ED42形が活躍しました。

アプト式は、山側に平行して走る新線に切り替わる1963(昭和38年)まで使用されました。

017特急あさま号と、鉄道展示館です。

この直流特急型電車189系は、電車の動力を駆動させEF63と協調運転方式に改良されたものです。

横川・軽井沢間の輸送力増強とスピードアップが、図られました。

同系は、今でも中央線特急あずさ号で活躍しています。

 

 

アプト式廃止後、主役に躍り出たのは碓氷峠の粘着運転用に開発されたEF63電気機関車でした。

電磁石でレールに吸いつける電磁吸着ブレーキを、備えていました。

また、制限速度オーバー空回りを検知する装置などがついていました。

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「峠の強力(ごうりき)」と言われたEF63電気機関車(左上)と、運転席の機器類(右上)です。

東展示館には、特急あさま・EF63のシミュレーター(有料)があり映像を見ながら運転体験が出来ます。

077奥へと進み、屋外展示スペースに向かいます。

ここには、旧国鉄時代に活躍した貴重な車両が常設展示されています。

 

 

 

 

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ディーゼル機関車DD51-1。(左上)

蒸気機関車の後継機として誕生し、大出力エンジンを搭載しています。

除雪用ディーゼル機関車DD53-1。(中上)

DD-51形の動力ユニットを使用していますので、こちらも大出力です。

交直流電気機関車EF-80-63。(右上)

常磐線用に造られ、電気暖房装置を搭載し特急ゆうづるなどを牽引しました。

040愛称「デゴイチ」の、蒸気機関車D51-96です。

D50形に変わって、軸重を軽減し誕生しました。

実に1,115両造られ、戦中・戦後を駆け抜けたベストセラー機でした。

Dは動軸数で4軸・51は形式番号でテンダ機関車(炭水車牽引)・96は製造番号です。

 

 

ここで、あの「峠の強力」が再び登場します。

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直流電気機関車EF63-1。(左上)

碓氷峠専用の補助機関車で、本線用EF62形や189系などと協調運転が出来ました。

総数25両が造られシェルパとして活躍しましたが、長野新幹線開業とともに任を終えました。

直流電気機関車EF53-2。(中上)

EF52形を基本に改良を重ね旅客列車として誕生し、当初は東海道本線で活躍しました。

一般型気動車キハ20-467。(右上)

従来に比べて、車体が大きく乗り心地や居住性が改善されました。

同形式で1,126両造られ、両側運転席など様々なバリエーションがありました。

キは気動車(ディーゼル)、ハは普通車両の意味です。

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交直流電気機関車EF30-20。(左上・左)

関門トンネル専用として造られ、海水による腐食防止のためステンレス車体が採用されました。

直流電気機関車EF58-172。(左上・右)

デッキ付から当時流行の流線形に変更し、はとつばめなどの旅客列車を牽引しました。

直流電気機関車EF62-1。(中上・左)

本線運転用で、碓氷峠では補助機関車EF63形と協調運転出来ました。

直流電気機関車EF15-165。(中上・右)

客車用EF58形とは、客貨の双璧となる貨物用として202両造られました。

鉄道展示館・東館にある、製造番号によると新しいEF62-54です。(右上)

178ここでは、本物の電気機関車が運転出来る「EF63形機関車」運転体験コースがあります。

希望する方は前日までに学科講習を受講し、当日は指導員に従い往復約30分の運転を体験出来ます。

画像は、運転体験の前に指導員から説明を受けている所です。

 

 

 

008さて、ぶんかむら駅からトロッコ列車「シェルパくん」が出ています。

廃線となった信越本線の下り軌道を、利用しています。

動力車は、碓氷線の線路を守っていたディーゼル機関車です。

残念ながら故障運休中で、年内の再開も厳しいとの事です。

 

 

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今日のおみやげは、直売店で買った文化むら限定のNゲージ「特急あさま号」です。(上)

-ちよ散歩34碓氷峠鉄道文化むら・おわり-

次回は、今回の続きで遊歩道「アプトの道」を歩きます。


ちよ散歩33東京競馬場

2011-05-11 01:30:38 | まち歩き

ちよ散歩、今回はちよ馬券とのコラボで東京競馬場内を散策します。

NHKマイルCを観戦に来ましたので、レースだけでなく場内をじっくり歩きたいと思います。

JR武蔵野線府中本町駅からスタートして、競馬場に向かいます。

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府中本町駅からは、屋根付き通路があり雨に濡れずに競馬場入口まで行くことが出来ます。(左上)

歩いて行くと、西門に着きます。(右上)

指定席なのですが、入場料別なので入場券(200円)を買って中に入ります。

006_2ど~んと、フジビュースタンドが見えてきます。

あまりの大きさに、圧倒されます。

東京競馬場は、長期工事をへて2007(平成19年)グランドオープンしました。

 

 

 

いよいよ、スタンドの中に入って行きます。

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まずは、ミニチュアホースが迎えてくれました。(左上)

ホースグッズが揃う、「ターフィーショップ」です。(中上)

総合インフォメーション、右は荷物預り所です。(右上)

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まずは今日は暑いので、2Fの「COFFEE SHOP 耕一路」に向かいます。(左上)

ここで、具志堅用高も食べたという名物モカソフトを食べます。(右上)

メモリアル60スタンドの5Fへ、上がります。

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ガラス張りのS指定席に、陣取ります。(左上)

ダービーと同じ2400mの7Rスタート位置は、目の前からです。(右上)

昼食は、「サンドイッチオークラ」コロッケサンドです。

縁起をかついで勝つサンドを食べたかったのですが、売り切れでした。

これから、場内をめぐります。

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まずは、5Fから見るパドックです。(左上)         

そばで見る、パドックです。(中上)

偶然撮った、父トウカイテイオーブルームインハートは10着でした。(右上)

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パドックの裏にある、日本庭園です。(左上)

トキノミノル像で、後に見える建物が正門です。(中上)

この馬は、1951(昭和26年)ダービーを制覇後破傷風により無敗のまま死去しました。

唯一の天覧競馬となった、2005(平成17年)天皇賞・秋行幸・行啓記念碑です。(右上)

右の小さい写真は、そのレースを勝ったへヴンリーロマンス(牝)松永幹夫ジョッキー(現調教師)が両陛下に挨拶している写真です。

ちなみに、うちの玄関にも同じ写真が飾ってあります。

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ターフィーくんと、記念撮影が出来ます。(左上)

JRA競馬博物館ですが、水・木・金曜の開館です。(中上)

乗馬センターでは、体験乗馬が出来ます。(右上)

馬場内のホースリンクでは、馬車運行もしています。

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東京競馬場は日吉町にあり、スタンドの東側に日吉が丘という小高い丘があります。

そこにあるのが、海賊ダービー号です。(左上)

お子様向け遊具の、フアフアレインボーランドです。(右上)

083スタンドの前を通り、地下道入口から馬場内に向かいます。

馬場内連絡通路を歩いて行くと、やがて馬場内に出ます。

馬場内は子供連れには持って来いの遊園地みたいですが、もちろん投票や払戻しも出来ます。

 

 

 

いよいよ、馬場内ですが今日は暑いです。

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まずは、フアフアターフィーがいます。(左上)

ミニ新幹線が、走ります。(中上)

馬場内A棟屋上より、観戦しているメモリアル60スタンドを望みます。(右上)

連絡通路をもどり、またスタンド前です。

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世界最大級を誇る、マルチ画面ターフビジョンです。(左上)

最後に寄ったのが、1Fホースレビューです。(右上)

地下馬道を引き上げて来る馬たちや、検量室に入って行く騎手たちを覗くことが出来ます。

さて、スタンドにもどりレースです。

10RブリリアントSから勝負です。

1番人気キクノアポロから薄目に流し、キクノアポロ1着で2着には12番人気のタマモクリエイトが入り馬連9,430円をゲットしました。

これで、NHKマイルCの資金が出来ました。

NHKマイルCの詳細は、「ちよ馬券2011NHKマイルC」を見てください。

084帰りは、先ほどの連絡通路からさらに地下道を通り南門から出ます。

ここから少し歩くと西武多摩川線是政駅があり、そこがゴールです。

JR中央線武蔵境駅まで、ゆっくり座って行けます。

 

 

 

今日のおみやげは、ターフィーショップで買ったブエナビスタ勝負服ストラップです。

-ちよ散歩33東京競馬場おわり-