はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト 032:上海

2006年05月30日 19時24分13秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
上海のホテルで交わした約束も、タヒチの寝床を埋めた花も
     五十嵐きよみ (ドン・ジョヴァンニはアリアを歌わない)

  「ドン・ジョヴァンニ」に沿って作歌をされている五十嵐さん
  ですが、この歌劇を知らなくても、ドラマが目の前に拡がって
  いく歌です。
  この場合、約束を交わした土地は、上海でなくてはならない。
  それも、列強がそれぞれの思惑でカードゲームをしていた時代
  の、魔都上海。
  その時代のタヒチがどんなふうだったか、まではちょっと分か
  りませんが。

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輪になって皆下を向きもぞもぞと上海蟹をすする沈黙
                    濱屋桔梗 (桔梗の独白)

  上海蟹を歌った歌は多かったですが、インパクト、イメージ喚
  起ともにこのお歌が一番浸みました。
  見えすぎるほどに、その場が見えてきます。
  他の蟹だったら〈食べる〉〈ほじる〉でしょうが、上海蟹だと
  「すする」でベストですね。
  「もぞもぞと」の語も、食べる人の動作とともに、蟹の形態か
  ら来る連想も直結して、ナイスです。

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感傷の端切れとともに飛行機は水に浮かべた都市上海へ
                    クロエ (90%の幸福)

  一読して、なぜか映画「紅の豚」を思い出しました(あっちは
  イタリアですが)。
  「飛行機」「水」「都市」のため、水上飛行機を連想したんで
  しょうか。
  それはともかく、なぜか上海は飛行機が似合います。
  空港の場所が変わり、ビルをかすめるような着陸が見られな
  くなった今では、「感傷」はどこに置いておけばいいのでしょ
  うか。
  「都市上海へ」のリズムが、個人的に好きです。

鑑賞サイト 031:寂

2006年05月23日 19時15分12秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
一人では寂しい空だ 僕たちがつくられた日もこんな青かな
                   かっぱ (きゅーりをこのむ)

  一口に青空と言っても、いろいろな青があります。
  でも、寂しいなと感じる青は、実はどの青空にも当てはまりそうな
  気もします。
  一人でいると寂しいときに、見上げる空。
  「つくられた」日と同じ青であるなら、人は自分の内面に、自分だ
  けの青を持っているのでしょうか。
  (かっぱさんのブログを拝見し、改作された歌が掲載されていたの
  で、そちらを鑑賞させていただきました。)

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間違いはすべて消されて正解が寂しくひとつ残る黒板
                        ドール (花物語)

  このサイトは、投稿歌を拝見していて「おっ」と意識に引っかかっ
  たものをご紹介しています。
  このお歌はまさにそれで、画面をスクロールしていて、いったん通
  り過ぎてから「おっ」と引き返してきました。
  間違いたちの残骸(黒板消しで消されたチョークの跡)に囲まれた
  正解。
  ふと、目を引く寂しさです。
  多くの間違いと一つの正解は、少なくとも見た目はそんなに違わ
  ないのにね。

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静寂がやぶられて空ゆるされてヒコーキ雲をつくりはじめる
                   斉藤そよ (つれづれつづり)

  どこで切るのか、ちょっと迷いました。
  やぶられて/空 か、空/ゆるされて か。
  静寂を続けていた空が許されたのか。
  空の静寂が破られたことにより主体が許されたのか。
  後者は読みに無理があるかな。
  前者だとすると、「やぶられ」るというマイナスイメージの行動に
  よって「ゆるされ」る、という展開の仕方が素敵ですね。

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静寂をわたる波紋は三秒で途切れてしまう 途切れてしまえ  
                  松本響 (春色ぶれす SIDE-D)

  第4句・5句が、波紋の連なりのように見えます。
  途切れるまでの三秒に、もっと多くの波紋が拡がっていったんで
  しょうか。
  しまおう しまうな しまいたい しまった…
  でも、ここまで読み過ぎると、歌意を変えてしまいそうです。
  一字空けは、あまり好まない人も多いですが(僕もその傾向があ
  りますが)、この歌には絶対に必要です。

鑑賞サイト 030:政治

2006年05月17日 20時18分07秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
はるの日はためらいがちなぼくたちのやさしい王の政治のように
                     飯田篤史 (ひこうき雲)

  王政は、どんなに立派な王が行っても独裁であることに変わ
  りはありません。
  やさしく包み込む、抗いがたい支配。春の気分とは、まさに
  そんな気分ですね。
  2句が3句にかかり、それが「やさしい→王→政治→ように」
  とかかり、その全体が「はるの日」に導かれる。
  複雑な構造ですが、意味を掴むのはそれほど困難ではない。
  技巧的にもうまいなあと思いました。

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合併の町に小さな政治あり曇硝子を塞ぐポスター
                   水須ゆき子 (ぽっぽぶろぐ)

  「政治」というお題。今の政治に遺憾の意を表する人が多か
  ったですが、その中で、政治の複雑さを風景描写的に詠んだ
  歌だと思いました。
  「小さな政治」とは、すなわち住んでいる人にとっては、一
  番身近で大事な政治。
  そして、卑近な政治でもあります。
  「曇硝子」をわざわざ「ポスター」で塞ぐ。
  息苦しいほどの閉塞感が表れています。
  建物にとっても、政治にとっても。

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この店に今度入ってきた人と政治とか愛とかの話をしたい
                      やすまる (やすまる)

  「とか」の使い方が好きです。
  別に政治や愛でなくても(お好み焼きとかカンガルーとか人
  類とか終末とかでも)、なんでもかまわない。
  さらに言えば、話し合う人も誰でもかまわない。
  胸の内を打ち明けたいし、打ち明けてほしい。
  初めに読んだときは「おいおい」と突っこみたくなるような
  楽しい歌でしたが、だんだん胸が切なくなってきました。
  そんな歌です。

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野いばらにおるがんの音照り映えて恐怖政治下したたる五月
                    萱野芙蓉 (Willow Pillow)

  「恐怖政治」の読み方で、歌意が変わってきます。
  恐怖政治(戦時下日本とかスターリンとか)の元でも新緑の
  季節は巡ってくるのだ、という意味か。
  五月という季節そのものが「恐怖政治」であるのか。
  どちらを取っても、胸に響く歌です。
  いばらの緑、紫外線降り注ぐ五月の太陽、そして「おるがん」。
  その音色は、呪術的にすら聞こえるのでしょうか。

鑑賞サイト 029:草

2006年05月12日 19時45分19秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
搗きたての清明節の草餅を並んで食べた 恋じゃなかった
              ふしょー (DEATH IS A LONELY BUSINESS)

  「清明節」は中国の祝日の一つ。
  4月5日ころで、お墓の掃除をするのだとか。
  日本のお彼岸のようなものでしょうか。
  ご先祖のことを思いながら作った草餅を、(おそらく)墓地の脇
  で並んで食べる。
  おだやかな春の日射し、さわやかな苦みと甘みの草餅、隣にいる
  人。
  「恋だと思ってたけど、別の何かなのかなあ」
  あるいは、もっと劇的で辛い歌なのかもしれませんが、僕が思い
  浮かべたのはこんな風景でした。

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はふはふと息を切らして帰り来し老犬の毛に絡む草の実
                      水都 歩 (水都blog)

  迷子になっていた愛犬が、自力で家に帰ってきたんでしょうか。
  毛に絡みついたさまざまな物が、彼がくぐり抜けてきた冒険を物
  語ります。
  心を動かされるのは、彼が「老犬」であるということ。
  向こう見ずな若気の至りではなかったということ。
  迎える家族も、子どもではないでしょう。
  再会も、熱さを表に出さない穏やかなものだったのではないで
  しょうか。

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草萌ゆる季節(とき)を好みて憂鬱はふいに背後に忍び寄るらし
                   スガユウコ (ココロに花を)

  おかしなもので、もの悲しい秋やつらい冬での憂鬱よりも、
  命あふれる新緑の時期に感じるそれのほうが、何倍も心に
  食い込みます。ひどいときは、心を殺してしまうほどに。
  「ふいに」の語が、本人の努力だけではどうにもならない
  理不尽な力を表しています。