はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

白き山(斎藤茂吉料理歌集)

2014年03月20日 20時59分40秒 | 斎藤茂吉料理歌集

  「白き山」


 昭和二十一年

さすたけの君がなさけにあはれあはれ腹みちにけり吾は現身(うつせみ)

雪の中に立つ朝市は貧しけれど戰(たたかひ)過ぎし今日に逢へりける

最上川みづ寒けれや岸べなる淺淀にして鮠(はや)の子も見ず

ここにして天(あめ)の遠くにふりさくる鳥海山は氷糖(ひようたう)のごとし

わが庭の杉の木立に來ゐる鳥何かついばむただひとつにて

横山村を過ぎたる路傍には太々(ふとぶと)と豆柿の樹は秀でてゐたり

あたたかき粥と菠薐草(はうれんさう)とくひし歌一つ作らむと時をつひやす

臥處(ふしど)よりおきいでくればくれなゐの罌粟(けし)の花ちる庭の隈(くま)みに

われひとりおし戴きて最上川の鮎をこそ食はめ病癒ゆがに

梅の實の色づきて落つるきのふけふ山ほととぎす聲もせなくに

晝蚊帳(ひるがや)のなかにこもりて東京の鰻のあたひを暫しおもひき

罌粟(けし)の花ちりがたになるころほひに庭をぞ歩む時々疲れて

みづからがもて來(きた)りたる蕗の薹あまつ光にむかひて震ふ

ひとときに春のかがやくみちのくの葉廣柏(はびろがしは)は見とも飽かめや

山鳩がわがまぢかくに啼くときに昼餉を食はむ湯を乞ひにけり

えにしありて樂しく吾も食はむとす紫蘇の實を堅鹽(かたしほ)につけたる

峯越をせむとおもひてさやさやし葛(くず)ふく風にむかひてゆくも

稲の花咲くべくなりて白雲は幾重の上にすぢに棚びく

颱風の餘波(よは)を語りて君とわれと罌粟の過ぎたるところにぞ立つ

砂のうへに杉より落ちしくれなゐの油がありて光れるものを

年ふりしものは快(こころよ)し歩み來て井出(ゐで)のの橡(とち)の木見れば

あまつ日の強き光にさらしたる梅干の香が臥處(ふしど)に入り來(く)

朝な朝な胡瓜畑を樂しみに見にくるわれの髯のびて白し

わが歩む最上川べにかたまりて胡麻の花咲き夏ふけむとす

秋づくといへば光もしづかにて胡麻のこぼるるひそけさにあり

かぎりなく稔らむとする田のあひの秋の光にわれは歩める

高々とたてる向日葵とあひちかく韮(にら)の花さく時になりぬる

黄になりて櫻桃の葉のおつる音午後の日ざしに聞こゆるものを

蕎麥の花咲きそろひたる畑あれば蕎麥を食はむと思ふさびしさ

茨(いばら)の實くれなゐになりて貌(かたち)づくるここの河原をわれは樂しむ

最上川に手を浸(ひた)せれば魚の子が寄りくるかなや手に觸るるまで

はだらなる乳牛(ちちうし)がつねにこの原の草を食ひしが霜がれむとす

大川の岸の淺處(あさど)に風を寒みうろくづの子もけふは見えなく

諏訪の湖(うみ)の鰻を燒きて送りこし君おもかげに立ちて悲しも

天傳(あまづた)ふ日に照らされて網船(あみぶね)のこぎたむ見ればいきほふごとし

いちはやく立ちたる夜の魚市にあまのをみなのあぐるこゑごゑ

あけびの實うすむらさきににほへるが山より濱に運ばれてくる

魚市の中にし來れば雷魚(はたはた)はうづたかくしてあまのもろごゑ

夜ごとにたつ魚市につどひくるあまの女の顔をおぼえつ

はたはたの重量はかるあま少女或るをりをりに笑みかたまけぬ

しづかなる心に海の魚を食ひ二夜(ふたよ)ねぶりていま去らむとす

わが友は潮くむ少女(をとめ)見しといへどわれは見ずけりその愛(かな)しきを

旅人もここに飲むべくさやけくも磯山かげにいづる水あり

家出でて吾は歩きぬ水のべに櫻桃の葉の散りそむるころ

最上川の支流の岸にえび葛(かづら)く色づくころとしなりて

はやくより雨戸をしめしこのゆふべひでし黄菊を食へば樂しも

健(すこや)けきものにもあるかつゆじもにしとどに濡るる菊の花々

とし老いてはじめて吾の採り持てるアスパラガスのくれなゐの實よ

朝な朝な寒くなりたり庭くまの茗荷の畑(はた)につゆじも降りて

うるし紅葉のからくれなゐの傍に岩蕗(いはぶき)の葉はく厚らに

目のまへにうら枯れし蕨の幾本(いくほん)が立ちけり礙(さまた)ぐるものあらなくに

去年(こぞ)の秋金瓶村に見しごとくうつくしきかなや柿の落葉は

にごり酒のみし者らのうたふ聲われの枕をゆるがしきこゆ

みちのくの瀬見(せみ)のいでゆのあさあけに熊茸(くまたけ)といふきのこ賣りけり

朝市はせまきところに終りけり賣れのこりたる蝮(まむし)ひとつ居て

小國川(をぐにがは)迅(はや)きながれにゐる魚をわれも食ひけり山澤(やまさは)びとと

この鮎はわれに食はれぬ小國川の蒼(あを)ぎる水に大きくなりて

新庄にかへり來りてむらさきの木通(あけび)の實をし持てばかなしも

山岸の畑(はた)より大根を背負ひくる女(め)の童(わらは)らは笑みかたまけて

のきに干す黍(きび)に光のさすみればまもなく山越え白雪の來(こ)む

ひとたびはきざす心のきざしけり稲刈り終へし田面(たづら)を見れば

わが先になれる少年酒負ひてここの山路を越えゆくものぞ

街頭に柿の實ならび進駐兵聖(サンクト)ペテロの寺に出入(いでい)りつ

進駐兵山形縣の林檎をも好しといふこそほがらなりけれ

またたびの實を秋の光に干しなめて香にたつそばに暫し居るなり

はるばると溯(さかのぼ)りくる秋の鮭われはあはれむひとりねざめに

やうやくに病癒えたるわれは來て栗のいがを焚く寒土(さむつち)のうへ

あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに

栗の實のおちつくしたる秋山をわれは歩めりときどきかがみて

おのづからみのり豊(ゆた)けき新米(にひごめ)ををさめをさめて年ゆかむとす

もろもろはこぞり喜びし豊(とよ)の年の大つごもりの鐘鳴りわたる

きさらぎにならば鶫(つぐみ)も來むといふ桑の木はらに雪はつもりぬ

供米のことに關(かか)はるものがたりほがらほがらに冬はふかみぬ

冬の夜の飯(いひ)をはるころ新聞の悲しき記事のことも忘るる


 昭和二十二年

冬の鯉の内臟も皆わが胃にてこなされにけりありがたや

重かりし去年の病を身獨りは干柿などを食ひて記念す

われひとり食はむとおもひて夕暮の六時を過ぎて蕎麦の粉を煮る

春たてる水港ゆおくりこし蜜柑食(は)む夜の月かたぶきぬ

大石田さむき夜ごろにもろみ酒のめと二たび言へども飲まず

名殘(なごり)とはかくのごときか鹽からき魚の眼玉をねぶり居りける

やうやくに病は癒えて最上川の寒の鮒食むもえにしとぞせむ

わが國の捕鯨船隊八隻はオーストラリアを通過せりとぞ

オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

歳晩の夜にわが割りし黄の林檎それを二つに割りて食はむとす

晩餐ののち鐵瓶(てつびん)の湯のたぎり十時ころまで音してゐたり

最上川に住む鯉のこと常におもふ●●(あぎと)ふさまもはやしづけきか
(●●は常用漢字に無し)

老いし齒にさやらば直(ただ)に呑めあら尊(たふ)と牛肉一片あるひは二片三片

東京におもひ及べば概論がすでに絶えたり野犬をとめを食ふ

南海(なんかい)より歸りきたれる鯨船(くぢらせん)目前にしてあなこころ好(よ)や

門齒(もんし)にても噛みて食はむとおもひけり既に鹽がるるこの蕪菜(かぶらな)よ

蕗の薹ひらく息づき見つつをり消(け)のこる雪にほとほと觸れて

かたはらにくすがれし木の實みて雪ちかからむふゆ山をいづ

最上川の鯉もねむらむ冬さむき眞夜中にしてものおもひけり

春彼岸に吾はもちひをあぶりけり餅(もちひ)は見てゐるうちにふくるる

人は餅のみにて生くるものに非ず漢譯(かんやく)聖書はかくもつたへぬ

まれ人をむかふるごとく長谷堂(はせだう)の蕎麥を打たせて食はしむるはや

年老いてはじめて來たるこの家に家鶏(にはとり)の肉をながくかかりて噛む

すゑ風呂をあがりてくれば日は暮れてすぐ目のまへに牛藁を食む

ひと夜寝て朝あけぬれば萌えゐたる韮のほとりにわが水洟はおつ

櫻桃の花咲きつづくころにして君が家の花梨(くわりん)の花はいまだ

かたまりて李(すもも)の花の咲きゐたる本澤村(もとざはむら)に一夜(ひとよ)いねけり

田を鋤(す)ける牛をし見ればおほかたは二歳牛(にさいうし)三歳牛(さんさいうし)にあらずや

この村の家々に林檎の白花の咲くらむころをふたたび來むか

山に居ればわれに傳(つた)はる若葉の香(か)行々子(よしきり)はいま鯛岸(たいがん)に啼く

わが體(からだ)休むるために居りにけりしづかに落ちくる胡桃の花は

この川の岸をうづむる蓬生(よもぎふ)は高々(たかだか)となりて春ゆかむとす

郭公(くわくこう)と杜鵑(とけん)と啼きてこの山のみづ菜ととのふ春ゆかむとす

山岸に走井(はしりゐ)ありて人ら飲むこころはすがしいにしへおもひて

したしくも海苔につつみしにぎり飯(いひ)さばね越えきて取りいだすなり

慕ひまつり君をおもへば眼交(まなかひ)に煙管(きせる)たたかす音さへ聞こゆ

ふと蕗のむらがり生ふる庭の上にしづかなる光さしもこそすれ

ゆたかなる君が家居の朝めざめ大蕗(おほぶき)のむれに朝日かがやく

太蕗(ふとぶき)の並みたつうへに降りそそぐ秋田の梅雨(ばいう)見るべかりけり

この潟に住むうろくづを捕りて食ふ業(げふ)もやや衰へて平和來し

白魚(しらうを)の生けるがままを善(よ)し善しと食ひつつゐたり手づかみにして

大きなる八郎潟をわたりゆく舟のなかには昼餉も載せあり

三倉鼻に上陸すれば暖し野のすかんぽも皆丈たかく

鉢の子を持ちて歩きしいとけなき高柳得實われは思はむ

田澤湖にわれは來りて午(ひる)の飯(いひ)はみたりしかばこのふと蕨

たかだかたと空しのぐ葉廣●木(はびろかしはぎ)を武士町とほりしばし見て居る
(●は常用漢字に無し。木偏に解)

松庵寺に高木となりし玄圃梨(げんぽなし)白き小花の散りそむるころ

角砂糖ひとつ女童(めわらは)に與へたり郵便物もて來し褒美のつもり

今しがた羽ばたき大きくおりし鸛(こふ)この沼の魚を幾つ食はむか

高はらの村の人々酒もりす凱旋したる時のごとくに

山のべにうすくれなゐの胡麻の花過ぎゆきしかば沁むる日のいろ

しづかなる朝やわが側(そば)にとりだせるバタもやうやくかたまりゆきて

かば色になれる胡瓜を持ち來(きた)り疊のうへに並べて居りき

松葉牡丹すでに實になるころほひを野分に似たる風ふきとほる

去りゆかむ日もちかづきて白々といまだも咲ける唐がらしの花

水ひける最上川べの石垣に韮の花さく夏もおはりと

朝市に山のぶだうの酸(す)ゆきを食(は)みたかりけりその眞(まくろ)きを

あけび一つ机の上に載せて見つ惜しみ居れども明日(あす)は食はむか

りんだうの匂へる山に入りにけり二たびを來(こ)む吾ならなくに

栗の實もおちつくしたるこの山に一時(ひととき)を居てわれ去らむとす

秋山のき木(こ)の實は極まりてここに來れる吾は居ねむる

魚くひて安らかなりし朝めざめ藤井康夫の庭に下りたつ

秋の光しづかに差せる通り來て店に無花果(いちじゆく)の實(このみ)を食む

湯田川に來りてみれば心なごむ柿の葉あかく色づきそめて

紅き茸(たけ)まだ損(そん)ぜざる細き道とほりてぞ來し山に別ると

しぐれ來む空にもあるか刈りをへし狭間田(はざまだ)ごもり水の音する

牛蒡畑(ごぼうばた)に桑畑つづき秋のひかりしづかになりてわが歸りゆく

丈たかくなりて香(か)にたつ蓬生(よもぎふ)のそのまぢかくに歩みてぞ來る

最上川の水嵩ましたる彼岸(かのきし)の高き平(たひら)に穗萱(ほがや)なみだつ

あさぎりのたてる田づらをとほり來て心もしぬにわれは居りにき

をさな等の落穗ひろはむ聲きこゆわが去りゆくと寂しむ田ゐに


  原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)