はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト 026:垂

2006年04月26日 19時16分57秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
咲き激(ばし)る枝垂(しだれ)桜の薄紅の闇に浮かびてわれを誘ふ
              髭彦 (雪の朝ぼくは突然歌いたくなった)

  桜の魔性、致死的な美しさを充分感じさせるのに、変におどろ
  おどろしくなく、リズムや臨場感が素直にこちらに伝わってくる
  歌だと感じました。
  「桜の薄紅の」と、旧仮名遣いから来る「の」の重なりが、心地
  よく響きます。

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ざあざあと花の鳴る音消されゆく雨垂れ道をふたつにわけて
                     はるな 東 (菜の花の道)

  ちょっと一読しただけでは意味がつかみづらいかな。
  「ざあざあ」「消されゆく」が掛かるのは、「花」か「雨垂れ」か。
  「道をふたつにわけて」はどういう状態か(花から滴った雨垂れが
  通せんぼのように道を分断している、と僕は読みました)。
  いずれにせよ、春嵐の雨風に揺れる桜木が目に浮かんできます。
  それを見つめるときの不安感も。

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触れたならまっ赤な汁の垂れる実がもぎってももぎっても生(な)る円蓋
                       やすまる (やすまる)

  うー、これも好きだけど読みづらい歌だ。
  「円蓋」は丸天井、ドームのことですよね。
  「もぎる」はねじり取るの意。
  トマトがビニールハウスにびっしりと生っている…じゃないですよ
  ね。
  ひょっとして、戦争や闘争などに対するメタファーでしょうか。
  円蓋は大地か天空?
  それとも…。
  イメージがどんどんふくらんでいく歌です。
  うーん、ちょっと考えさせてください。

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「欠席」を垂直線で消しながら新郎の名を確かめておく
                 田崎うに (楽し気に落ちてゆく雪)

  ふーん、ケイコ(仮名)結婚すんのかあ。ま、出てもいいけどね。
  え、スピーチすんの?私これで3回目だよ。
  ケイコのカレとはどんなエピソードあったかなあ。あ、あの話しよ
  うかな。
  ん、ちょっと待って、ケイコとあのカレシまだ続いてんだっけ?
  えーやべえよ、確かめとかないと。
  あーあ、なんだやっぱり…。

  以上、連想の妄想の暴走でした。大変失礼いたしました。


鑑賞サイト 025:とんぼ

2006年04月22日 20時59分08秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
遊び女にあらぬをとんぼ縛られて雄をいざなふ 逃げられぬまま
              ほにゃらか (♪おみそしるパーティー♪)

  文語体が生々しさを消してくれているので、懐かしさと乾い
  た哀しみが伝わってきます。
  考えてみれば、ひどいことしてますね、僕たちは。
  縛られた雌とんぼも、別に雄をいざないたくはないでしょう。
  種族保存本能というか、生体機能に物理的に従っているだ
  けで。
  最後の一字あけが有ると無いとで、伝わる風景の量が違っ
  てくる気がします。

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(液体になる瞬間があるらしい)とんぼに羽化するヤゴの蛹に
                  遠山那由 (百億粒の灰の鳴る空)

  その話は、耳にしたことがあります。
  虫は、幼虫から成虫になる際、体内の組織を改編するために、
  さなぎの中で溶解するのだと。
  普通の歌なら、説を紹介するだけで終わってしますのですが、
  この歌はそこから始まっているところがすごい。
  ( )の使い方が、蛹の中の液体を思わせます。
  ヤゴを指して、隣の人に説明しているのでしょうか。
  それとも、蛹に向かって囁いているのでしょうか。
  「お前はもうすぐ液体になるんだよ」

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きみのため一所懸命とってきた目玉と翅を失くせしとんぼ
                     原田 町 (カトレア日記)

  子どもの無邪気さ、で説明してしまうには、ちょっと重い歌
  です。
  「目玉と翅」は、取ってきたときはすでに無かったのでしょ
  うか。
  それとも「きみ」が喜ぶと思って、主体がむしり取ったので
  しょうか。
  どちらにせよ、そのとんぼを差し出したときの主体の顔は、
  誇らしげに笑っていたことでしょう。
  誰もが持っている、闇につながる陽。

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春は来てかつてとんぼであった風が庭のミモザを揺らして逃げる
                       やすまる (やすまる)

  正直に言って歌意をつかみにくい歌ですが、なぜか目を離せ
  ません。
  夏や秋には、ミモザを揺らすのはとんぼだった。
  冬には誰も揺らす者はいず、春になってやっと風がその役目
  を引き継いだ。
  理屈をつければこんな感じでしょうか。
  でも、これは正解としてはふさわしくないでしょう。
  「かつてとんぼであった」という言葉を味わいながら、ゆっく
  り考えてみようと思います。