はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

心に残った言葉

2009年12月27日 19時31分41秒 | インターミッション(論文等)

(新春座談会「前衛短歌とは何だったのか」
 佐々木幸綱 三枝之 永田和宏  角川『短歌』平成22年1月号)


佐々木
 今、いろいろな雑誌で、角川『短歌』もそうだけれど、「老年の短歌」の特集をやっている。それには前衛短歌の問題はまったく出ないね。つまり成熟、円熟ということが前衛短歌運動の意識の中に全くなかった。だから今でも、「老年の短歌」は近代短歌の延長上で考え、作り、論じている。

三枝
 そう。(略)短歌ってどこかマラソンみたいな長距離ランナーの詩型という要素があるんだが、(前衛短歌は)二百メートルか四百メートルのトラック競走として短歌という詩型をとらえていた。そのことは一つの前衛短歌の突出力であると同時に、前衛短歌の狭さというか、短歌というものをどう捉えるかというときの歪みにも作用している。

佐々木
 トラックの話はおもしろい比喩だね。岡井隆さんは、長距離ランナーにはならないで、もう一つ別のトラックを見つけて走るみたいなかたちでいってるよね。

三枝
 そう。一直線ではなくて、あの人は別の競技場へ(笑)。

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佐々木
 大もとは短歌革新運動から来ているわけだ。古典和歌の美学は、様式の前ですべてのものが相対化される、短歌形式の前ですべての人間が平等であるという、これが大前提だった。〈われ〉を非常に小さく見ていた。短歌革新運動はそれを否定して〈われ〉を前面に出そうとした。子規の病気の歌、晶子の恋愛の歌、啄木の貧乏の歌、みんな〈われ〉の歌です。前衛短歌はそれに対する揺り返しなんだ。大きな図式を書くとね。

三枝
 今の話が非常に興味深いのは、だから、前衛短歌の様々な発言は本当に正しく受け継がれたか。そこはどうも、もう一度洗い直したほうがいいということですよね。

永田
 中途半端にしたまま、また近代に帰っているという部分もあるのでね。

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 『現代短歌史』(篠 弘著 短歌研究社刊)全3巻をやっと読み終わった、ちょうどその時に、タイムリーな企画が出た。
 「現在から見て、前衛短歌とはいったい何だったのか」
という問いを、
「様々な角度から、このメンバー(佐々木幸綱、三枝之、永田和宏)にゲストを交えて評論を展開していくという連載」(編集後記)だという。
 『現代短歌史』は、(特に後半は)前衛短歌を中心に語られていたので、この問いには、すごく興味がある。
 佐々木、三枝、永田という人選も絶妙で、まさに前衛短歌全盛の頃に頭角を現してきた三氏だ。

 と言うわけで、プロローグ座談会から特に興味深い発言を(かなり長いが)抜き出してみた。
 これからどのような論が展開されるのか、とても楽しみだ。

心に残った言葉

2009年12月23日 11時26分09秒 | インターミッション(論文等)
短歌初めてって人、けっこういたよね。短歌しか考えてないって人もいたけど。


 芦屋での『穂村弘の短歌教室』二次会の席で、穂村さんの言葉。
 偶然にも(?)僕の方を向いて言われたので、すごく怖かった。


説明不足だったので、下記コメント欄で補足いたしました。

五首選会(一応)終了します

2009年12月20日 07時26分22秒 | イベント
 締め切り日を過ぎましたので、「五首選会」を(一応)終了いたします。
 「まだまだ、選が終わっていない!」という方、焦ることはありません。
 これは中締めと考えていただいて、ゆっくりと皆さんの百首を読み込んでいってください。

 今年は、僕を含めて18人もの方々が参加してくださいました。
 どうもありがとうございます。

 本来ならば、主催者として率先してすべての方に選を行うべきところ、公私ともにドタバタしていた上に体調を崩してしまい、ほとんど行うことが出来ませんでした。
 本当に申し訳ありません。
 皆さんのブログを拝見すると、とても楽しそうに選をされていたので、開催して良かったと思っています。それがせめてもの救いです。

 僕のブログにも素敵な選とコメントをいただき、ありがとうございます。
 本当ならお一人おひとりにお礼をしたいのですが、上のような事情なので、今回はこの場にてご勘弁ください。

 『題詠100首』が開催される限り、この『五首選会』も続けていきたいと思っています。
 来年もまた元気で走りましょう。そして、またご参加ください。

 それでは、良いお年を。

心に残った言葉~自戒と備忘として

2009年12月06日 11時23分38秒 | インターミッション(論文等)
 コトバに七五のリズムがあると、強い自己主張があると錯覚されるが、それを剥ぎとってみれば、備忘録に類する内容のものが多い。それではなぜこれらの歌の作者たちは、五七のリズムに固執するのかといえば、コトバのマナリズムを信じているからであろう。体験を五七の定型に投げこむと、自己が自己を超える存在になるように思われるのだ。それは原始的心性に通じている。マナリズムとはマンネリズムのことで、定型における安定した技法と表現を信じているということであろう。

(「つぎの段階の定型-池田・石川論争にふれて」関根弘『短歌』昭和35年9月号)

『現代短歌史Ⅲ 六〇年代の選択』(篠 弘著 短歌研究社刊)から孫引き。
詩人である関根弘が、1960年代の短歌の時事詠について言及したものの一部。
篠弘はこれを
「はなはだ外側からの抽象的な意見であったと言うほかはない。」
と言っているが、ここだけ抜き出すと、定型の力強さと、それに安易に頼ろうとする歌人への警告とも取れ、とても興味深かった。
自身への戒めと備忘の意味を込めて、ここに載せておく。