はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

一日一首

2012年09月26日 18時50分57秒 | 日詠短歌

2012/8/27(月)
   そうか、あの花をさるすべりと呼ぶのか。

 頭髪をあみだに包む深蒼の巾一まいに照り尽くす陽は


8/28(火)
   もう何日、雨を見ていないだろう。

 日没の街のにおいを巻き込んで個人発電風車の渦は


8/29(水)
   銚子で秋刀魚の水揚げが始まったそうな。

 ガラス屑ひとつ鉄路に投げ込めばえのころ草が陽を受けていた


8/30(木)
   「題詠100首」8回目の完走。塵も積もれば、

 薄れゆく暑さのなかを蒼咲きの桔梗は月へ刃向かうように


8/31(金)
   ランドセルって、どこの国から来たんだろう?

 肉厚の花を傾げて駈けあがるパイナップルヒル 風は海から


9/1(土)
   秋祭りの山車がにぎやかに通りぬけていった。

 灰かぶり姫の被るはなんの灰九月最初の朝の雨ふり


9/2(日)
   降ったり止んだりふったりやんだり。

 紫陽花の花のかばねの醜さよあつまる水を収めきれない


「湾岸戦争におけるニューウェーブの役割」について

2012年09月21日 20時15分59秒 | インターミッション(論文等)

下の文章は、短歌研究『第三十回 現代短歌評論賞』に応募した文章です。
例によって一次予選堕ちでしたので、こちらに供養のため載せました。

今回の課題は、『機会詩としての短歌の可能性を探る』。
必然的に、先の大震災を念頭に置いてしまうテーマですが、あまのじゃくな中村は、ご覧のように湾岸戦争を題材にしました(湾岸戦争なんて、どれくらいの人が覚えているんだ?)。

ここ数年、ライトバースやニューウェーブの時代に興味を持ってまして、その極北でもある荻原裕幸氏の一連を挙げない手は無いだろう、と。

中村の文章の出来はともかく、氏の連作は、今も(今でこそ)現在短歌のひとつの基点になると思うのですが、如何。

ご意見等、いただけたら嬉しいです。


追記
ブログの設定上、横書きにしか出来ませんでした。
荻原氏の連作をご覧になるなら、ぜひ『資料』でお楽しみ下さい。



湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (4)

2012年09月21日 19時54分13秒 | インターミッション(論文等)

   4.まとめ


連作「日本空爆 1991」を近的、遠的に眺めてきた。
これは、ニューウェーブ運動全体から言っても、一種の極北的作品であり、一首としてはともかく、連作ではこれ以上過激な一連は発表されていない(発表されても、すべてこの連作の亜種としてしか見られなくなっている)。
実際、荻原裕幸も、この一連を含む記号短歌を作った後、盟友である穂村弘や加藤治郎から「そろそろ帰ってこいよ」と言われた、と述懐している(2011年『未来』創刊六〇周年記念大会「ニューウェーブ徹底検証」席上において)。
それほどまでにこの一連は実験的であり、同時に荻原裕幸自身の短歌観が詰まった作品だった。

同時に、短歌が示すことの出来る機会詠、時事詠としても、この作品は、その裾野をぐっと広げた、と言って良いだろう。
湾岸戦争以後、日本を波状攻撃的に襲い、今も襲い続けている様々な事件について、短歌が曲がりなりにも対応を示し続けている一つのきっかけとして(反発、拒否も含め)、この「日本空爆 1991」は位置してはいないだろうか。

初出誌に付されたコメントで、荻原裕幸はこう言っている。

「日本もまた湾岸戦争といふ物語を、悪意があるかないかは知らないが、特殊な演出をしながら報道してゐるやうにしか見えないのだ。なぜこんなにリアリティがないのだらう。(中略)「日本空爆 1991」は、リアリティを失つて困つている僕の、精一杯のところで出した答である。」

また、歌集『あるまじろん』のコメントでは、こうも言っている。

「湾岸戦争でのアメリカ軍の力はもの凄かつたけれど、湾岸戦争そのものが世界にふりまいた力は、そのアメリカ軍もかすんでしまふくらゐに烈しかつたと思ふ。(中略)一九九一年、それはぼくたちが、そして言葉が、いかに無力かといふことを思ひ知らされた年だつた」

「リアリティ」を失い、「言葉」の無力を思い知らされる。
我々は、何度もその思いを噛みしめてきた。
「湾岸戦争」とはこうした、世界が高度に情報化され、同時に、言葉が単なる言葉として機能することが難しくなるほど複雑化された《現在》への、入口だったのかも知れない。


湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (3)

2012年09月21日 19時50分41秒 | インターミッション(論文等)

   3.「日本空爆 1991」


そういった作品群の中で、ひときわ異彩を放ったのが、荻原裕幸による「日本空爆 1991」だ。
初出は、俳句誌の『地表』Vol.29・No.5(1991年5月20日発行)。その後、改稿され、歌集『あるまじろん』(1992年)に載せられている。
ここでは、初出を中心に見ながら、話を進めていこう。

内容は、15首による連作。
見開き2ページに掲載され、末尾に10行二段のコメントが付されている(別紙参照)。
ちなみに、これが歌集『あるまじろん』になると、歌は20首に増やされ、前半の歌の並びも変えられている。コメントも新しく書き直され、歌群の始めに置かれている。なにより、ページ数が5ページに増え、それによって読者が受けるインパクトや印象が、少なからず違ってくることになる。

細かく見ていこう。
まず、最初の二首。

  空爆のけはひあらざるあをぞらのどこまでもあをばかりの一日

  ジンセーの沸点である二十代を越えつつもはや待つものもなし

歌集での一首目は

  おお!偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路

という、初出では無かった歌が配置され、「空爆のけはひ~」は二首目に置かれている。
「セイギ」とカタカナで書かれた、どこか胡散臭い当時の空気を示す歌で始まる歌集も良いが、タイトルのすぐ左にまた「空爆」の文字を持ってきた初出も、ビジュアル的に見て悪くない。
つづいて、やはりカタカナの「ジンセー」(末尾を伸ばすことにより、より胡散臭さを増している)で始まる二首目。「待つものもな」い、と空しさを歌い、空爆を待ち望んでいるかのようにも見える。
三~五首目、

  むかしむかしわれの異国でありソコクならざる父は軍人だった

  日日はしづかに過ぎゆくだらう虹彩を揺れながらゆく燕あるのみ

  おだやかと言ふほかになきごみの日のごみ袋にはサヨクシソーが

荻原裕幸の父が軍人であったかどうかは、ここでは関係ない。「むかしむかし」、今とは全く違う日本は軍事大国であり、そこに生きるすべての人は「軍人」だったのだ。
「しづかに」「おだやかに」と、しつこいほどに平穏さ(その底に流れる空しさ)を強調している。
六、七首目。

  戦争で叙情する莫迦がいつぱいゐてわれもそのひとりのニホンジン

  四月のある日に猫にどうでもいいことの履行を求めてゐるひるさがり

「戦争で叙情する」とは、短歌や文学のみを指しての語ではないだろう。
「戦争」という言葉に生々しさを持てず、気分的に反対、賛成を叫ぶ「ニホンジン」全体を示すものと思われる。
猫に「どうでもいいことの履行を求め」るような、虚しい毎日。いや、主体は本当に、猫に求めているのかもしれない。
ここまでの七首のうち四首で、あえて漢字をカタカナに変換している(セイギ、ジンセー、ソコク、ニホンジン)ことに留意。これが、後半になって生きてくる。

八首目から、有名な、記号による絨毯爆撃が始まる。

  世界の縁にゐる退屈を思ふなら「耳栓」を取れ!▼▼▼▼▼BOMB!

第四句までは、前半の続き。いい加減「退屈」にうんざりした主体が「耳栓」を取ったとたん、世界が異界に変わる。

  ▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

  ▼▼誰カ▼▼爆弾ガ▼▼▼ケフ降ルツテ言ツテヰタ?▼▼▼BOMB!

  ▼▼▼▼▼ココガ戦場?▼▼▼▼▼抗議シテヤル▼▼▼▼▼BOMB!

九首目以降はひらがなが消え、カタカナ、漢字、記号のみの世界となる。
平和日本において、降ってくるものは「雨」しか無かった。
爆弾は普通、予告されてから落とされるものではない。
「抗議」という単語が出てくること自体、主体が今まで甘っちょろいニヒリズムの中にいたことを示している。

  しぇるたーハドコニアルンダ何ダツテ販売禁止?▼▼▼▼▼BOMB!

  ▼▼金ガ▼▼▼アマツテ▼ヰルノカ▼▼遊ブノハ止セ▼▼▼BOMB!

平和で情報豊富な日本では、「しぇるたー」の存在は知られている。が、見たことのある者も、そこらで「販売」されている物でないことは知らない。
「金」が余って「遊」んでいたのが、たった今までの自分たちであった、という皮肉。

  ▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!

  ▼▼▼▼▼最後ニ何カ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!

最後の二首。
「▼」という記号は、もちろん降ってくる爆弾をイメージしたものだろうが(第二次大戦やベトナム戦争の大空襲)、音として読んでも、短歌のルールを逸脱していないことに留意。
仮に「▼=ど」、「BOMB=ボム」として読むと、

  どどどどどココガ戦場?どどどどど抗議シテヤルどどどどどボム!(十一首目)

  どど金ガどどどアマツテどヰルノカどど遊ブノハ止セどどどボム!(十三首目)


句跨り等はあるものの、八首目以降すべて定型に収まっている(八首目のみ、初句七音)。
これはもちろん、詠者のこだわりだろう。新規なるものを短歌に加える代わり、それ以外のルールの逸脱を嫌ったのだ。
それはともかく、この十四首目はどう読んだら良いだろう。
いろいろな街に、あるいは街のあちこちに、爆弾が降り注いでいる。そう読んでもおかしくはないが、三つの「街」の上に付けられた▼は街の名を表している、と見ることも出来る。
タイトルは「日本空爆」であり、ひとつの都市のみが攻撃を受けている、と規定することもないのだ。
ただそうなると、日本では都市を○○街と呼ぶ習慣(べーカー街やニューヨーク街のように)があまり無いことがネックになる。無理読みではあるが、可能性の一つとして考えても良いだろう。
ラスト十五首目は、五文字と「BOMB!」以外、すべて▼で埋まる。最後に言い残すことが出来る、とまだ信じている主体の甘さが悲しい。

この一連が発表され、一年後に歌集に収められたとき、短歌界では賛否両論が巻き起こった。
そのほとんどは、大胆すぎる記号の取り扱いについて論じられたが、今見てきたとおり、連作「日本空爆 1991」は、決してアイデアにのみ寄りかかった、発作的作品ではない。
実に用意周到にストーリーや伏線が張り巡らされた一連であり、連作という点で見れば、伊藤左千夫の連作論以降、営々と築き上げられた伝統をフルに活用している。
旧仮名遣い、文語使用(混合ではあるが)、調べの重視等、先に言ったように、短歌のルールを頑ななまでに守る姿勢。
それらがあるからこそ、記号とアルファベットの過剰仕様が生きてくるのだ。

さらに「短歌の伝統」、ということで言えば、「縦書きの効能」が挙げられる。
この一連が発表された当時は、インターネットはまだほとんど普及しておらず、パソコンはおろかワードプロセッサーでさえ、ようやく仕事場などで使われ出したころだ。
それでも、日本語が従来の縦書きから横書きへと、公用文書さえも含めて移行しつつあるのが、この時代だった。
実際、この数年後には、短歌でも横書きの作品は珍しくもなくなる。
だが、この連作に関して言えば、縦書き以外では絶対に効果を発しない。
これを横書きにした時点で、作品の意図、面白味は全て失われ、意味も分からない文字の羅列と化すだろう。
ニューウェーブの旗手の一人である詠者は、数年後に訪れる横書き全盛の時代を、おそらく予感していたはずだ。
だからこそ、日本の伝統である縦書きでしか表現できない作品群を、この時代の変換点に留めたかったのではないか。
 タイトルの「1991」のみ横書きであるところに、詠者の逆説的な意図が伺える。

もうひとつ、特に初出に関して、挙げなければならないことがある。
八首目以降最終首に至るまで、文字数が全く同じであることだ。
カギ括弧やクエスチョン・エクスクラメーションマークも1文字と数え、三十二文字。
ページを開き、まず目に飛び込んでくるのが、その異様なまでの整然さだ。
縦も横も、まるで軍人の整列を見るように、過ぎるほどに揃っている。
見開き二ページの中に、これだけきっちりそろった▼マークが展開された場合、そのインパクトはかなりのものになる。末尾に並べられた「!」が、それをさらに強調している。
初出誌『地表』は、俳句の個人誌である。
俳句は通常、数句をまとめて載せる場合、均等割(頭と尻の文字を揃える)を行うが、その流れで、この一連も(前半七首を含め)綺麗に上下が揃えられている。
そのことが、詠者の意図(当然、意図的だろう)を、ますます浮かび上がらせている。
残念なのは、歌集『あるまじろん』では、そのインパクトが若干薄まっていることだ。
初出誌は、狭い紙面に十五首を詰め込まざるを得なかったハンデを逆用し、▼の破壊力が一目で分かるようになっている。
だが、歌集の場合、その常として、一ページにはそれほど多くの歌を詰め込まない。
もちろん、そこは工夫され、最後の八首は見開きの中に収まるようになっているが、どうしても初出のような密集感が薄れてしまっている。
これは仕方のないことだろう。


湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (2)

2012年09月21日 19時47分44秒 | インターミッション(論文等)

   2.短歌が捉えた湾岸戦争


1990年、91年は、短歌における「ニューウェーブ」運動の最盛期としてよい。
もう少し具体的に言えば、その数年前から半ば自然発生的に展開していた「ライトヴァース」を、意図的に先鋭化、多義化したのが、この時期である。
ニューウェーブとは何か、について論ずると方向を見失う可能性があるので、
「ライトバースの影響を色濃く受けつつ、口語・固有名詞・オノマトペ・記号などの修辞をさらに先鋭化した一群の作品に対する総称」(『岩波現代短歌辞典』)
という定義に従って、とりあえず話を進める。

無論、この時期、短歌界がニューウェーブによって染め尽くされたわけでは無い
しかし、現在(2012年)の立場から見れば、その運動自体は収束しても、方法論はしっかりと短歌界に根付き、その土壌自体を大きく塗り替えた。
「短歌は滅びた」と岡井隆に言わせるほど、その浸透は大きかったと見るべきだろう。
だが、視野をもう少し広げてみれば、これは文学史、日本史、世界史レベルで起こった変革の、ほんの一端であり、「ニューウェーブ運動」と呼ばれるものがことさら起こらなくとも、短歌が現在ある姿になることは、すでに決定づけられていたのかも知れない。
言い方を変えれば、ニューウェーブ運動自体が、歴史に要請された自然発生的なものだったのだろう。

時代の変革が産み落とした、鬼子としての湾岸戦争。
同じく、時代の流れによって生まれた、ニューウェーブ運動。
先に筆者は「偶然によってこの二つは重なった」と書いた。
しかし、両者の発生時期が重なっているのは、別段何の不思議も無く、(グローバルとミニマムの差はあっても)同じ親から生まれた兄弟のようなものなのかも知れない。

ところで、ニューウェーブのみならず、短歌界いや文学界にも多大な影響を及ぼしたはずの湾岸戦争だが、当時の文献を調べてみると、意外にそれに関する評論が少ない。
たとえば現代詩で言えば、藤井貞和の『湾岸戦争論―詩と現代―』(河出書房新社)が比較的有名だが、短歌に限ってみると、まとまった論文も、座談会などの研究も発表されていない。
東北大震災における、活発な論議を目の当たりにしている現在から見れば、ちょっと拍子抜けするほどだ。
それでもコラムや時事評などから拾い上げてみると、
「テレビや報道などを鵜呑みにして作られた歌が多い」「対岸の火事として歌ってはいけない」「時事を扱うときは慎重にならなければならない」
等、今回の震災でも方々で言われた意見が目に付く。

歌われた作品を見ても、ちょっと驚くほど、話題になった作品が少ない。
二、三上げてみると、まず、一番早く目に付くのが、黒木三千代の「クウェート」(『歌壇』1990年11月号)

  侵攻はレイプに似つつ八月の涸(ワ)谷(ジ)越えてきし砂にまみるる

  生みし者殺さるるとも限りなく産み落とすべく熱し産道(ヴァギナ)は

  ペルシャ湾までやはらかな雲充つる最終の日のための、絵日傘

戦争勃発前の、クウェート侵攻を歌ったものだから、これは早い。
続いて、近藤芳美の「大地」(『短歌』1991年1月号)

  掌に掬うほどの温もりを平和とし愚かに日常のかぎりもあらず

  イスラムの世界を知らずかの神も誇りたかき怒りも大地の飢えも

  分割され分割され国土あり埋蔵油田ありなべて砂漠のひかりのくるめき

戦争勃発前の混乱時期に歌われたものだろう。
また、高野公彦「バグダッドの雀」(『短歌』1991年4月号)
これは、おそらく戦争中か集結間際。

  砲弾の焦がして火定三昧の跡のごときを人々囲む

  バグダッドに雀はゐるか雀居らば爆撃に破裂したるもあらむ

  女欲し戦恐ろし男とは思ふことみな羞しき一生

もちろん、この他にも様々な歌人が様々な手法で(例えば、日常詠の中に紛れ込ませたり)歌っているが、正直に言って、首を傾げるものが多い。
歌人はまず詩、作品であることを目指すため、あまり慣れない題材を扱うと、ぎくしゃくしてしまうのかもしれない。
むしろ、歌人に寄らない新聞等の投稿作品の中に、当時の情景を写す歌を見る。
 1991年の『朝日歌壇』から。

  戦争ははじまったかと行商の荷をほどきつつ媼たづぬる   松井 史

  受験など戦争ではない勉強する私たちなど戦士ではない   友岡佐紀

  命乞う捕虜が軍靴にキスをするおのれのために妻子のために   家弓寿美子

  「掃海艇に乗らなかったわけを聞いてくれ」何度も話す酒に酔いつつ   深津豊子

今回の震災を受けて、現在も「報道のみを題材に歌う事の是非」について論議が盛んだ。
だが、報道でしか情報を得るすべのない一般市民において、それを「非」とされることは、「歌うな」と言われるに等しい。
地球の裏側が戦場、誰も兵として赴かず、なのに情報だけは(おそらく偏って)ふんだん過ぎるほどに入ってくる。
そんな高度情報化社会に突入したばかりの時代。一つの時事に対してどのような態度を取るべきか。リトマス試験紙の一つとして、湾岸戦争は作用したのではなかったか。
投稿歌を読むと、生な歌い方がされている分、そんな一人ひとりの苦悩が伝わってくる。

考えてみれば、日本史的な流れで見ても、湾岸戦争は決して対岸の火事などではなかった。
国際連合加盟国の中でもトップの供出金を出しながら、軍隊を派遣しなかったことにより国際的非難を浴びた。
戦争終結後、掃海艇部隊を派遣したことにより、国内で議論が沸いた。
「世界の中の日本」が流行語になり、今まで金だけ出せば解決できると信じていた、高度経済成長期の神話が崩された。
言い方を変えれば、第二次大戦後(もう少し近く言えばベトナム戦争後)、初めて訪れた国家的規模の時事が、湾岸戦争だった。
それまで個人の叙情を歌うことに重きを置き、その技術を磨いてきた短歌にとって、「現代の戦争」という時事は、大きすぎ、生々しすぎる物だったのかも知れない。
そう考えれば、当時の時評・作品等に見られる、どことなく戸惑いを含んだ、腰の引け具合も納得できる。
この後、日本は様々な戦争、震災、事件を連続的に経験し、経済的な冷え込みが常態となり、時事に向き合わざるを得なくなっていく。
その、向き合った《現在的》時事の最初が、湾岸戦争であった、と筆者は考える。


湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (1)

2012年09月21日 19時43分36秒 | インターミッション(論文等)

   1.当時の情勢


ここで言う「湾岸戦争」とは1991年に行われたイラク対多国籍軍による戦闘を指す。
まず、概略を記してみよう。

 1990年8月2日  イラクが隣国クウェートに侵攻。同日中に同国を占拠。
 1991年1月17日 国際連合の決議により、多国籍軍がイラクに攻撃開始。
 同年   3月3日  イラクが敗北を認め、停戦協定締結。戦争終了。

戦闘そのものは1ヶ月半、発端からでも7ヶ月。
人類有史から見れば、小規模の戦闘と片づけてしまっても良い。
だがこの戦争は、世界史上から見ても、日本史、あるいはミニマムな視点で見れば短歌史から見ても、極めて重要なターニングポイントの上に置かれていた。
戦争そのものが、ではなく、後になって「ここがポイントだった」と気づいたときに、偶然(あるいは必然か)この戦争が起こっていた、と言うべきだろう。

流れを分かりやすくするため、年表風に記してみる。

 1989年
  ベルリンの壁崩壊。天安門事件。
  昭和天皇崩御。平成始まる。
  『夢見る頃を過ぎても』藤原龍一郎、『びあんか』水原紫苑
 1990年
  韓国・北朝鮮分裂後初の両国首相会談。ドイツ再統一。
  第二次海部内閣発足。バブル景気崩壊。
  「現代短歌のニューウェーブ」荻原裕幸(朝日新聞)
  『シンジケート』穂村弘、『甘藍派宣言』荻原裕幸
 1991年
  韓国・北朝鮮国連に同時加盟。ソビエト連邦消滅、
  海上自衛隊ペルシャ湾掃海派遣部隊が出発(自衛隊初の海外派遣)。宮沢内閣発足
  『マイ・ロマンサー』加藤治郎、『最後から二番目のキッス』林あまり
 1992年
  ボスニア紛争。クリントン米大統領に。
  佐川急便事件。天皇初めての中国訪問。
  『あるまじろん』荻原裕幸、『ドライ ドライ アイス』穂村弘

『短歌ヴァーサス 十一号』「現代短歌クロニクル」(佐藤りえ作成)から抜粋、多少加筆した。
バブル景気崩壊の時期については諸説あるが、クロニクルに書かれた時期が一番妥当だろうと筆者も判断し、そのままとした。

世界史的に見れば、冷戦の終結、それによる新たな紛争の多発。
その紛争の代表的、サンプル的な一つとして、湾岸戦争は勃発した。
日本史的には、元号の変更、第二次大戦後から続いた好景気の終結。
それまでの歪みが一気に噴出する、その手始めとして、日本はこの戦争に関わった。
そして、有史の中では取るに足らないことではあるが。
短歌の歴史の中でも、この一時期は、重要なターニングポイントとして存在した。そしてその表現のあり方について、湾岸戦争は、深い問いを投げかけたのである。

一日一首

2012年09月19日 18時29分17秒 | 日詠短歌

2012/8/20(月)
   朝晩は少し涼しく、と思ったのは錯覚だった。

 夕凪に黒の日傘を巻きながら影ひとつぶん先の娘へ


8/21(火)
   《キリン 秋味》(アルコール分6%)が、スーパーに並んでいた。

 林から原へと虫の音は移り今宵三日の月のするどさ


8/22(水)
   秋虫のすだきが、空き地に。昼の猛暑はなんなのだ。

 あかねさす明滅灯に先は濡れ夏の余熱を放つクレーン


8/23(木)
   扇風機の羽根は、一日に何回転しているんだろう?

 蝙蝠傘を低くひろげて日没を待つあいだによ夢の切れぎれ
 (蝙蝠傘=こうもり)


8/24(金)
   過程と結果はワンセットじゃない。それらは別のものだ。
   結果を出せない努力に意味はない? 愚かしい詭弁だよ。
   過程と成果はそれぞれ独立したものだ。
   時には選ぶこと自体が、答えになる事もある。
     (『Fate Prototype』)

 それはまあ《義》って付き合いにくくってけれど根刮ぎ刈られた蔦は


8/25(土)
   たいていの人は、いじめられた経験を持っている。
   いじめた経験も、実はけっこう忘れられない。

 ひと筆に詠むつぶやきよ電源を入れてたやすく糸はつながる


8/26(日)
   気付けば、稲穂が頭を垂れはじめている。

 実りにもくきやかすぎる大気にもまだなお蝉にしがみつく夏


一日一首

2012年09月11日 18時48分42秒 | 日詠短歌

8/13(月)
   野菜の牛馬が、門の内に頭を向ける。
   そんな家を、何件も見た。

 縁石へ「蜥蜴」の文字を描く少女流れる雨に足をひたして


8/14(火)
   正直、冷製パスタを侮っていた。

 空仰ぎにわかの雨を受けとめる口腔内のすこやかな赤


8/15(水)
   家族親戚と会食。
   祖母とも久々に会えた。

 一本に立つ山百合の大きさをこわごわ覗くスカートの青


8/16(木)
   お盆でも来庁者の数は変わらない。いや、だからこそ、か?

 送り火の燻りの香をゆうらりと巡らせてゆく東の風は
 (燻り=くすぶり)


8/17(金)
   掃除のおばさんからおみやげ。
   郡上踊りに行ってきたと。

 清流の袖をしぼるも忘れては濡れるにまかせ踊るかがり火


8/18(土)
   久々のビアガーデン。
   大学時代の友人と。

 何回も脱ぎ替えられるシャツだからジョッキの露に触れたところで


8/19(日)
   有りありて吾は思はざりき暁の月しづかにて父のこと祖父のこと
     (『山谷集』 土屋文明)

 証裏には臓器提供意思表示5時半にもう陽は沈んでた



「Robin's Blue」について

2012年09月09日 18時32分30秒 | 日詠短歌

下の一連は、『第五十五回 短歌研究新人賞』に応募した作品です。
例によって一次予選堕ちだったので、供養のため、こちらに乗せました。

特定の小説や音楽に触発されて、連作を作ることが多いんですが、今回もそうでした。
下敷きになったのは、ビジュアルノベル『魔法使いの夜』(TYPE-MOON)。

数年前にも、同会社制作のゲームをモチーフにしたことがありました。
どうも自分は、この会社の作品と相性が良いらしい。
―――と言っても、コンピュータゲームは、他にほとんどやったことが無いんですが。

これもいつものことですが、その作品の世界をなぞっているわけではなく、それを核にした心象世界を(勝手に)作り上げ、描写する、といった方法を試みています。

ただ、見るからに構成が甘いですね。
もう少し、固有結界を明確に固めてから、作れば良かった。
機会があれば、再挑戦してみたいテーマです。

よろしければ、ご感想などお聞かせ下さい。