はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

「野だて茶話会」終了します

2009年01月25日 07時58分01秒 | イベント

 そんなわけで、「野だて茶話会」を終了します。
 今回は、初めて「付け句」の会に挑戦してみました。
 僕も、付け句自体ほとんどやったことが無かったのですが、ご参加いただいた藻上旅人さん、やすまるさんのおかげで、いつもの野だてとはちょっと違った味の歌会になりました。


 やすまるさんへ

 この3首、推敲はしたつもりだったんですが、今から読むと、やはり分かりにくいですね。
 特に3首目は、これじゃ意図が伝わりません。
 自分としては、遺影にかかる線香を詠んだつもりだったんです。

   モノクロの写真にかかるひとすじの香りの中できみは微笑む

とすれば、もう少し伝わりやすかったのかな(まだダメか)。
良い勉強になりました。

 藻上さんへ

 「3首続けて詠むとと、少し哀しい」
というのは、言われてみて気づきました。
 意図はしませんでしたが、うん、なにか哀しさが漂っているかもしれません。
 「香り」という言葉自体が持つ哀しさなのか、僕がそのようにしかこの言葉を使えないのか。
 考えてみる価値がある問題です。


お二方、どうもありがとうございます。

 さて、2月からはいよいよ「題詠100首2009」が始まります。
 この会がウォーミングアップになれば、とてもうれしいです。
 「野だて歌会」も、また忘れた頃にひょっこりと開催するかもしれません。
 その節は、どうぞふるってご参加下さいね。

「野だて茶話会-付け句会」

2009年01月24日 18時39分19秒 | イベント
「野だて茶話会」と称して、歌の会を開催します。
今回は、「付け句」の会です。
下句「中できみは微笑む」
に上句+αを付けてください。

○○○○○ ○○○○○○○ ○○○○○ ○○○○中できみは微笑む

(下の記事欄『「野だて茶話会」提出歌』を参考にしてください。)
来たる「題詠100首2009」のウォームアップにどうぞ。
ただし、野だてですので暖かくしておいでください。

【受付期間】   1月11日(日)~1月24日(土)
【ルール】
・参加希望者は、ご自分のブログに、提出歌を掲載した記事欄を作成してください。
・そこから、この下にある記事欄(「野だて茶話会」提出歌)にトラックバックしてください。
・提出歌は、何首でもO.k.。
・その際、特に意見を聞きたい点などがあれば、提出歌の記事欄かコメント欄にあらかじめ書き込んでおいてください。
・余裕があれば、他の参加者のブログに行き、提出歌のコメント欄に感想などを書き込んでください(歌単体でも、付け句の技術等についてでもO.k.)。

 『Fate/hollow ataraxia』(フェイト/ホロウ アタラクシア)

2009年01月14日 22時46分46秒 | たんたか雑記
 コンピュータゲームは、ファミコン(初代)以降ほとんどやったことがなかったのですが、なんか一口で言えない紆余曲折によって、初めてDVDゲームソフトなるものが手に入りました。
 もっとも、これは正確に言えばゲームではなく「ビジュアルノベル」なのだそうです。違いがよく分かりませんが。
 『Fate/hollow ataraxia』(フェイト/ホロウ アタラクシア)。
 直訳すれば、「運命/虚ろなる平穏」となるのでしょうか。
 ある大人気ゲームの続編で、魔法戦争モノだとか。
 続編なので、その世界観等は当然前作より引き継がれています。つまり、前作をやったことがない人は、なんだかよくわからない。
 ウィキペディアで検索してみると、

「第五次聖杯戦争の終結から半年後。そこには再び現界したサーヴァントとの穏やかな日常が存在していた。ありえない現実でありながら、それらに疑問を抱かない前聖杯戦争参加者たち。繰り返される四日間と暗躍する魔術師。夜にのみ進行する新たな聖杯戦争。空虚なる平穏の先にあるものは……?」

…余計、分からなくなったような。
 まあ、やっていくうちに分かるだろうと、軽い気持ちでスタートしました。


 まいった。見事にはまりました。
 魔法や戦闘、英雄譚など、マニアックな味付けが散りばめられていますが、幹はシンプルで太いものです。
「正義と日常」。

 主人公であるマスターと、ヒロインであるサーヴァント。
ヒロインは先の戦争後に消えるはずだった。なのに、未だに主人公と幸福に暮らしている。かすかな違和感を抱きながら、平凡に、幸福に。
 ありえない日常に気づいた主人公は、その虚偽を正しにゆく。
 誰一人、その世界の終わりを望んではいないのに。それが、幸せな生活を終わらせるのみならず、最愛の人を消すことになると分かっていながら。
 ヒロインは、そんな主人公を肯定し、全面的な協力を誓う。
 それが、最愛の人との生活を終わらせるのみならず、自分自身を消すことになると分かっていながら。

 物語内では、様々な理屈や解釈が付けられていましたが、要するにヒロインが「消える」とは、「死ぬ」ということです。
 もう二度と、その人に会うことは出来ない。残される側にとって、死とはそういうものです。
 誰ひとり望まない「正義」のために、「日常」を、最愛の人を殺すことが出来るのか。自らを殺すことが出来るのか。
 正義と日常は、どちらが重いのか。
 この物語は、「あなたなら、どうしますか」と、まっすぐ問うてきます。


 語られる日常の部分が、コミカルで幸せそうであるだけに、余計に切なさが染みわたる。

「ええ。ですがもう少しだけ眺めていたいのです。この景色を、ずっと覚えておくために」

 物語の終盤、ヒロインが主人公とともに、坂の上から夕暮れの街を眺めるシーンでは、不覚にも涙が止まりませんでした。

「そうでしょう?この、誰も失われていない理想郷で。貴方だけは、失われたものに価値を見いだそうとしている」

 放っておけば、いつまでも続けられる幸せ。その一つひとつを噛みしめながら、ヒロインは穏やかにほほえみます。

「そんなに悲しい顔をしないでください。大丈夫。仮に終わりがあるとしても、それは別れではありません」
「別れではない?」
「ええ-私たちはそれぞれ、望んだ未来に還るのです」


 もし、部屋で第三者が僕を見ていたら、とっても異様に見えたでしょう。
 四十過ぎの男が深夜にひとり、パソコンの前でうつむいて涙をこぼしているんですから。
 さすがに人に見られると恥ずかしいですが、幸いにして一人だったので、思い切り泣きました。
 その余韻は今も残っていて、こうして恥ずかしい文章を書かせています。

 何年かに一度、自分の心を大きく揺さぶる本や映画などに出会います。
 この『Fate/hollow ataraxia』(フェイト/ホロウ アタラクシア)も、どうやらその一つのようです。
 万人に薦められるかというとちょっと考えますが、機会がありましたら、どうぞ。