はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

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原牛(葛原妙子料理歌集)

2014年11月01日 21時05分55秒 | 葛原妙子料理歌集

 「原牛」


ゆきずりに眸縋りしくれなゐに唐がらしゆきリヤカーゆけり

雉はすみれいろなる首伸べて走れる汽車の窓に垂りゐし

唐突にわれのきたりし高原に樅(もみ)匂ふ さびしといはん

犬吠ゆる闇の近きに洋菓子のごとき聖壇ともりてゐたり

ひとつかみ卓上に置く銀杏(ぎんなん)の小さき角目あひよりにけり

散らばりしぎんなんを見し かちかちとわれは犬齒の鳴るをしづめし

あたらしき銀杏の實を數へをへ奇數なりしか堅き木の實の

とほき窓に火は匂ひをり牛の舌煮えゐる鐵の鍋(パン)のたぐひか

林檎を前齒にあてし少女はかたへの硝子の中にも部屋もつ

オートミル口にはこびておもはざる窓に斷立(きりた)つ山嶽をみし

タンブラーに水湛へきてふいに逢ふつらぬくごとき白きいなづま

生みし仔の胎盤を食ひし飼猫がけさは白毛(はくまう)となりてそよげる

指先にくちなし色のバター置きひだるき年は猫をやしなふ

赤ん坊はすきとほる唾液垂れをり轉がる玉を目に追ひながら

フラスコの球に映れる緋の柘榴さかしまにして梢に咲けり

胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき

魚のうろこ流しをへしが一杯の炭酸水をわれは飲みたり

くりやの暗がりに置く茄子の實の累々たらむときにおどろく

果實倉庫に燈のともりつつ黄丹(わうたん)の李はヒメトスの蜜蠟に似ん

みどりのバナナぎつしりと詰め室(むろ)をしめガスを放つはおそろしき仕事

石灰岩に根下すオリーヴのき根をこほしめるとき月差しにけり

スコットランドの 荒地の ヒースとふ匂ひ草匂ふま晝の柱時計より

鳥の胸とあかきトマトを食べおはる曇れる街の地平は見えつつ

き木の實の憂愁匂ふうつくしき壯年にしてめとらざりにき

未明にてしばしかなしむ透きとほる藥を強く振りて飲むこと

めぐりなる山脈(やま)瀝の香をもてりピアノの高音打ちてあらそふ

馬糞の匂ひ辿りゆきつつおぼつかな漆となる森の緣(へつり)を

き影あぜをゆけるはひとりにて鹽の田に鹽の水を引くならし

鹽田に鹽しづみゐるまひるま結晶の犇たるかなしみに逢ふ

潮のいろしづかに變る大根の白花(しらはな)の十字そよぎ合へるも

ガラス工房曇らむとなしガラス器の乳博の胎黄白の胎

ひとひらの手紙を封じをはりしが水とパンあるゆふぐれありき

シャムパンの醉よりかろし日本海ますぐなる雨ふりそそげる

とらへがたく微けきひかり千鳥ゐて冷砂のあひに抱卵のさま

口暗き魚籃(びく)おのおのに影引けりひとゐぬ波止(はと)の石堤の上

海底に嵐の氣ありさわさわとみどりの爪をもつ蟹のむれ

二十四本の肋骨キリストなるべし漁夫濡れたる若布を下げて

南風に昏れざる漁村石に摺る菜のきしたたりは止まね

原牛の如き海あり束の 卵白となる太陽の下

殺したるをみなの目より粟・稗みのり垂れたる話

乳臭きかの銀杏(ぎんなん)と花粉飛ぶむなしきそらとかかはりはなし

悲傷のはじまりとせむ若き母みどりごに乳をふふますること

にはとりは高き體溫を抱きねむるきしきし砂嚢に貝殻を詰め

魚籃とわれ相似(さうじ) あさあけに濕らひし海の砂ありて

魚籃の闇とわが闇繫りゆきかひわれ坐りをり渚の砂の上

鯨油を煮し大釜空きをりて人をらぬ小屋ありしより歩みの早き

松の幹のあひだに見えて鋭き菜の花の帶 日はかげりこん

砂の丘ひたすらに下りゆきしがまばゆき菜の花を鳴らす風が吹いてゐる

おほき翳り菜畑の黄金(わうごん)に落ちゐたり 突如聽くなる魔王のうたを

父よ父よとわれの悲鳴の走らむに菜の花暗しまなこの暗し

鳥の歩み大膽となりしをのぞきゐつふとわれは暗き厨の窓より

皿に割りし卵黄に目あり 屹とわたしをみし如く思へり

蕎麥の莖小鳥の脚のかじかみに似つつ立ちゐむ野のうす曇り

戰争はふと思ふべく須臾(しゅゆ)たりしかの農の土にものを乞ひにける日よ

亡靈のあらはれしここちかたはらに猫をりてミルクの雫にふるへをり

病める猫草生をよぎる頭白し火の如き痢をわれは思へる

かすかなる顫音(せんおん)起る血と葡萄を詰めし夜の氷庫より

貝の汁に砂のこりしをこん日の憂鬱とせり雪ふれりけり

ロンドンの冬の果實はなになるかききそぶれ手紙の封をなしたり

白鳥を愛せし希臘のをとめレダ湖邊に白き卵を産みにき

乳白にかたまり合へる牡蠣の身に柑橘のするどき酸を搾りぬ

しづかなる緋(ひい)の夕ぐもコップに沈めるもろともにのみくだしたり

朱きかぼちや黄白(わうはく)のかぼちやをしたがふる冬夜ゆたかなるかなしみのごと

潜める柱に吊す唐辛子暗赤の莢(さや)焦げつつゐたり

土甕のうちらひた押す結氷のひしめきをおもひ暗夜なりにし

雪の匂ひ嗅ぐごとくせり凩の夜を透きとほるクリスタルより

木苺の燈火を欲りせり階のぼり耀く冬のラムプコレクション

黄衣にてわれもゆきたり巨いなる硫黄となりし銀杏樹(じゆ)の下

壁の一部とおもひゐたりし廣告がとある時間に飢餓の目をする

おそき夜の白き藥局に人をりぬ天秤に微かな分銅を置き

心臟の標本一つある窓にぶだうの蔓の影ある時間

齒のごとき鍵盤ありき冬となるピアノの蓋のひらかれしかば

エーテルの甘き匂ひのただよへば窓に降りゐる雪片はみゆ

數グラムの試藥の粉末を底に置き乳鉢の暗部ありと思ふも

危ふきくすり扱ふ君が雪降るに白衣のよごれ指頭のよごれ

芥子のはなとほくに充つる雪の日に唇(くち)少しあきてねむるわがため

ゆきずりの麺麭屋にある夜かいまみし等身のパン燒竈を怖れき

鶏冠(けいくわん)のごとき冬の苺みるところより地下に階つづきたり

草上晝餐はるかなりにき若者ら不時着陸の機體のごとく

山菜のみどり萌えゐるゆふぐれにみづうみの寒き胎をおもひき

薄やみの遠き窓あるは夢の中煙草炎々と人の指に燃えよ

ふしぎなる緯度にわれをり蛙樹上にをりて産卵をせり

しゃぼんの泡なせる蛙の卵塊の一つならざり水邊暗し

水中にみどりごの眸流れゐき鯉のごとき眸ながれゐき

はかりえぬ藥品の結晶しづめりとおもふあさあけみづうみの藍

薄黄(はくわう)のさくら湖岸に咲きたればまぶたに塗りぬ油一しづく

帆立貝の貝殻を積みし貨車に逢ふときわが汽車も夜も漆

かいまみし妻は緋鯉なりにし赤き胸びれに米をとぎゐし

林檎酒をつめたきひるにふふみしがあまた花の幻影をみたり

なめなめと油なじめる鍋(パン)二つ雨夜の壁に掛かりてゐたり

いはれなき生理的恐怖 そらまめの花の目、群るる人のあたまなど

一本のみどりのらうそく燃えつきしまはりにちらばるぎんなんのむれ

厨房の窓に人参の緋なるかいまみしとき宙なるあぱあと

夜の錘としづまる林檎 人ゐざる部屋のりんごの重きくれなゐ

裸木は窓に立ちをり斑(まだら)ある小禽の卵茹でてをりたり

びいかあに蒸留水の冷えをれば一顆のレモンをわれはおもへる

につぽんにレモンの花のこぼれゐるかなしまざるに海のれゐし

レモンの木にするどき棘のありしことかの鮮黄にかゝはりありや

スペインの城の寫眞にみいりてあなさびし銃眼と屋上の井戸

鐵(くろがね)の蔓草にかざりし井戸一つ石の井戸なれば石に影する

おりいぶの油暗に透きゐたり油に沈みし蟲の翅一つ

スペインは水涸れし荒土なるとき ひとみしづかに行かむ旅行者

てのひらに卵をのせてひさしきにさわだてるべしとほき雪の原

刻むごとき齒の痛みあるゆふべにてうしろをみたり うしろは壁

はらわたのごときヨルダン河は繋ぐき死海とガラリヤの湖を

ばりばりと頭髪を鹽に硬ばらせ死海より生れきし若者のむれ

くひちがひて噛みし犬齒をおそれたりわが飼猫を埋めむとして

濃き蜜にわれをやしなふさんらんとわれは女蜂の翅を光らせ

雪の道のへ消毒藥の匂ひして犬屋の白き犬は放たる

卓上にたまごを積みてをへしかば眞珠賣のやうにしづかにわれはゐる

葉かげよりジンジャの香(かをり)ながるるはをりをりにしてひるの白光(はくくわう)



 (原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))

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薔薇窓(葛原妙子料理歌集)

2011年03月06日 19時01分22秒 | 葛原妙子料理歌集

 「薔薇窓」


錠劑は覺めざるねむりもたらさむめぐりくれなゐ薄き紫陽花

闇の中に放てるちひさき石つぶて傷つきし樹皮高く匂はん

てのひらに餌をのせつつ鳥を寄する老婆よ寺院のごとくに昏れぬ

堀割の崖の上なる厨房のしばしばも開き芥を落しぬ

燐光をうちに藏する冷藏庫もの蔭に立つ中華飯店

籐の椅子遠き蝉ごゑを呼びてをりふとしも肉身の匂ひをうしなふ

その酸味鮮紅ならむよ原生の茱萸は雲疾き斷崖(きりぎし)の上

蕎麥畑先端しらみそめるのみ霧卷く信濃の朝を目覺めず

苦き菊ほぐるる匂ひとわが寡默宵々にして人を冒しぬ

胡桃を食ひ夜更かす少女きらきらときらめくまなこしばたたきをり

かすかなる搖れをみたしし一杯の水あり師の君死にたまひけれ

越の國の曇り寒きに冷水を灑がむとして一基の墓石

水仙の葉むら直ぐ立つところより酒賣觀音あゆませたまふ

赤きかぼちや火(エルフ)となりてころがれる西風吹ける夜の長椅子

なんぢ居る部屋のたそがれ食後に年よ一本の蠟を燈(とも)せよ

ぬくき冬をはらむとしてとり出でし皿に割れたる雙生の卵(らん)

おびただしき貝沈みつつ薄ら目をあきをり雨の夜の水鉢

發眼の魚卵、羊齒の胞子見え 雨夜蟠るものをおそれき

わだつみのいろこの宮魚の宮ま(さを)なりけむ鱗(いろこ)ひかりて

忽然と人ゐぬ厨水口に赤きトマトの相寄りにけり

碎氷のさやげるコップ耳に當てつかのまの鋭きいのち私語せん

水充つる玻璃にいちはやき感度あり遠き市街に雷(らい)の起れる

赤き手に碎く音する錐をもてにぶき氷を飛散せしめよ

冷たき風かよへる空にかざさるるアムプルは秋の眸となれり

軋み戸を引けるときしもあな供華は氷菓のごとくこぼれ落ちたり

冷水ほとばしりいで水仙のき葉を洗ふ 指(おゆび)を洗ふ

Death More(もっと死を)なる褐色のくすり冬の夜のねずみを取らむ藥なれども

いたましき器(うつは)なるらむ薄き玻璃くれなゐのぶだうの液充つるとき

虹鱒の燻製を裂く手もとより歸巢の性(さが)のごときをうしなふ

氷室(ひむろ)は雪明りせりき柚子純潔の種(しゆ)の匂ひ放ちて

山驛のガラスケースに蜂蜜の薄黄(はくわう)あさなあさなに凍る

風吹ける夜赤葡萄色(クラレツト)の硝子片透しあそばんき瞳あり

葡萄蔓あるひは胞衣のごときもの椅子に居睡る少女を捲きぬ

はつかなる傾斜あるらむ皿の上ころがりゆきし卵靜止す

硝子戸に透きゐる斜面山栗の毬は星のごとくまろびぬ

われの目にふとしもあかるき洞ありてたかはらのき木の實墜つるを

山蟻の引きゆく破れ蝶々にサタンの色の混りゐき

褐色の珈琲の中におこりゐる乳の雲あり 降りゐる木の葉

肉焙る火の嵐聽こえ 夜の雨聽こえ 厨に人は居ざるも

をみならは曇るガラスの中に立ちゆふぐれの食(しよく)になにを混ぜあはす

専横なる愛の證(あかし)と一頭の鹿撃たれけむ雪原の上

淡黄のめうがの花をひぐれ摘むねがはくは神の指にありたき

鮎のごとき細身の鐘塔を作りたるジオット・ディ・ボンドーネ麗はし

晩秋の深き皿にて影竝ぶ美しき配分を待つものにして

日本の梨淡くして透きとほる肌に貼りたる黄金(きん)のれってる

人の手にかち合ふ祝杯を受くるもの愕然とわが生みの子なりし

とほそけばなほもしるきか熱したる鍋(パン)を拭きゐる油布の匂ひよ

汝實る勿れ、とキリスト命じたる無花果の實は厨に影する

毛の抜けるほど辛き辛子を溶きてをり硝子の微光かぎりしられず



 (原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))

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飛行(ひぎやう) (葛原妙子 料理歌集)

2010年08月19日 16時44分41秒 | 葛原妙子料理歌集


   「飛行(ひぎやう)」



チベットの高原越えて鹽運ぶき駄獸を寫せる寫眞

かりかりと噛ましむる堅き木の實なきや冬の少女は皓齒(しらは)をもてり

酒煮ることまれにだになきわが家ぬち沁み入るごときゆふぐれはきつ

「卵のひみつ」といへる書(ふみ)抱きねむりたる十二の少女にふるるなかれよ

荒涼と書架を荒せりひもじさがわが快感のひとつとなれば

深夜の井戸水湛へくる暗きゆらぎくれなゐの鳥の風切羽(きりは)捲きつつ

押し默り人はみてをり食べる時寢(い)ぬる時のずれゆくわれを

燻製の鮭を吊らむとせしときに窓いっぱいに月はありたり

淨まりしゆふ明りにてわがうさぎかたく乾きし餌食みこぼす

夫がかたへにものを食しをるしばしなりつめたき指(おゆび)に箸をあやつり

殺鼠劑食ひたる鼠が屋根うらによろめくさまをおもひてゐたり

かかへ切れぬほどのくらやみ碎氷の音絶えしのち氷置場は

夕なづむ硝子のあをみおそれをり一つの椀(もひ)に湯氣をたてつつ

曇る硝子うしろにありて血を切ると吊りし鯨肉(くぢら)のしたたりやまず

鯨の血白きタイルに流るるをみてゐきしづかにちからを溜めて

夏のくぢらぬくしとさやりゐたるときわが乳(ち)痛めるふかしぎありぬ

さながらに鯨肉(くぢら)の暗きわが臟(ぞう)の一つに充ちくるものの質ならむ

肝臟(レバー)を食ひ強き酒飲む年の怒りをのぞく暗きハッチより

かがやける白布裁たれつわれは置く熟する前の濃のレモン

布の上にみどりのレモンを置くなれば陽はさわさわといま搖れたたん

皿と壺、果實の引ける長き影見入れるこころ歪(ひず)みをもてり

生野菜に白き鹽ふるさらさらと粒子こまかに乾ける鹽を

き肝臟(レバー)の血をぬく仕事に耐へむとすもの溶けにじむごときひぐれに

きよき泉喫すをののきそのそびら怒濤のごとく夏雲あらん

こゑ透り氷菓呼ぶなり水打ちし薄暮のホームすでにちかづき

窓下の溜水(りうすゐ)に夜々吻(くち)ふるるけものといふべくすでにしたしき

おそき月羊齒むらに射す酸の匂ひしづかにかもしゐるらむ

死の豫感ありといふべし甲蟲の食ひあらしゆく白き花みれば

栗の花の異臭たちたる葉がなか鎭まりゆくも神讚(ほ)むるうたは

貧しき音たちのぼる廚の窓よりぞひぐれなほあをきあをき山脈(なみ)

貸馬らき草食む山麓のゆふべしづまりがたきわれあり

聖水とパンと燃えゐるらふそくとわれのうちなる小さき聖壇

ひぐらしのただいまを啼くと胡桃(くるみ)割る手をとめよわれのをさな少女よ

美しからざるいまはのさまに胡桃散りき山家の戸は閉(さ)さるべし

膨るるうみまなぶたにありふふみゐるかぎりなき魚卵をわれは怖るる

巨きぶだうの房となるなり累りし卵にあをき月射すなれば

無色なるくすりに暗紅を着色し毒藥の印(しるし)と人はするなる

天窓より秋のひかりの降りきたりひと○(つか)の鹽きらめきにけり
(○は漢字)

鹽甕にいつぱいの鹽を充たすとて溢るるはなにのゆゑのなみだぞ

美しき徒(むだ)のひとつと秋の日の漏水は飛沫(しぶ)く鉛の管より

ガラスの鐸(すず)鳴らし家族を食事に呼ぶはかなかる日のわたくしごとと

ひしひしとかなしきまひる陽の散斑(はらふ)落ちたる卓布にパン屑を掃き

一輛の人みなねむりわが剥きしき蜜柑の高き香は滿つ

けづめのごとき唐辛子を吊す白き厨冬の亂射を瞑(めつむ)りうけん

雪穴のごとき茶房あり深夜にてき珈琲煮立ちてゐたり

強き酒くだけし(かめ)より流れゐむ破片のあひを素迅く縫ひて

雨衣透きつ葡萄の種子めく處女のむれもてる生理をかなしみ思ふ

アムバーといへる濃厚なる香料を補ひとせり女體爪の如し

ここあいろの乳房を垂れし犬歩み既知にいそげるもののごとしも
(「ここあ」の三字に傍点が付く)

油澱む水のおもてに浮びたる卵白の太陽をわれはまたぎつ





     (原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))


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繩文(葛原妙子 料理歌集)

2010年03月25日 21時30分31秒 | 葛原妙子料理歌集

「繩文」



炭酸水のごとくさわだつ水が見ゆ奔流は木小屋を過ぎて右折す

豆腐二丁水に沈めてあることの深き安堵よ山水に澄む

羊齒の根に腐れし牛乳(ちち)をこぼしをりなまあたたかきものを斷ち切れ

花瓶(がめ)にときをり捨つる吸殻は落葉(らくえふ)の影となりて溜りぬ

アラスカのくれなゐの鮭の罐を切る山棲みのひとりの夜を更かしゐて

海になだる四ヘクタールの芝生の闇人吸ふ煙草ひとつ赤きかも

餘の錨 尺餘の錨 砂に摺りひさげる町は魚臭に滿ちぬ

縞あらき海魚は粗き籠にゐたりそこのみ暗き魚の町ゆく

生貝(いきがい)を沈めし桶のかたはらにまて貝のさびしき汐吹をみし

にはとりは厨に吊るさるるのみレグホンの鶏冠赤く垂るるのみ

むしり了ふれば一羽の痩せし鶏となる眞白き羽毛散亂の中

銀杏(ぎんなん)の實まろべりをとめ子の疲れし眦かすかに笑ふ

人氣なき山屋(さんをく)の扉押しゐたり凍れる牛酪とマッチを持ちて

牡丹色の肉を焙りて亡き父を追憶し呉るる會の終りぬ

午後一時うすら雪舞ひ舞ひて消ゆ食ひ足りし猫もわれもねむたき

腹張りてにぶくなりゆく猫の目をみつつかなしゑしづかに吾は

晝餉前魚の血液を流しゐる人なるわれにうつろふ葉

キャベツの葉無限に刻まれ茫々と刻まれ刻みゐるわが放心をさそふ

炊飯を案ずる厨房に柘榴みゆ滅すれど火は涼しからぬを

煮沸器に大き湯玉ののぼりそむ潜めるは坊主地獄のたぐひか

飽食ののちを水飲む猫の舌きららにひかる月の水の上

影なせる幼兒水を欲しゐて水あらざりし網のごとき夜

緋柘榴は消毒藥の匂ひしておさなごはつね痢(り)を病みてゐき

水を禁じられたる子供さすらへる墓處(ど)に花筒の水涸れてゐし

金米糖にちひさき赤き角(つの)あるは壺に透きゐて怒るともなし

香ひ木の一葉二葉の散り込みしたまゆらのスープ澄みにけらずや

つま立ちし猫の目人をみあげをり伸べし手肉片をふるまふ

てのひらに葛粉きしきしきしめる新雪をゆくごとくさびしき

ちらばりて昏れのこりたる皿の上魚の骨の木の葉形なす

まづものを食ひたるのちに手にとりし赤黄(せきわう)滑らなりし陶土か

たうべたる柑橘の香のするどきはかたはらに立つ硝子を傳ふ




(原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))

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橙黄(葛原妙子料理歌集)

2009年09月26日 16時32分09秒 | 葛原妙子料理歌集

「橙黄」


乾燥野菜木屑のごとくちりぼひぬ嚴かならむ冬に入るとて

徑五寸の胡桃がき樹液ふきたふれしときに動きし嗜虐よ

炭、栗、鹽、蟻のごとくに運びきてわが體力をひそかに養ふ

南瓜の種煎りて與ふる夜長なりさびしきいくさのことは銘せよ

室(むろ)の戸をわづかにずらし温(うん)氣あがる馬鈴薯(いも)よたしかに生きてあるなり

かけ梯子下りてしばらく眺めをり幾千の藷の呼吸(いき)をするかほ

凍みキャベツころがる土間に踏み入りしこの山男まなこするどき

たまさかにわが手に入れしけだものの肉割きて焙るその赤き肉を

わがまぶたうるみてあらめこの男の子十二の食のすでにたくまし

わが少年水汲みにゆく谷の隅樺(かんば)は骨(こつ)のごとくに立てり

凍みし菜に熱湯(にえゆ)をかけるむざんさもゆるされてあり生きを欲る日は

菜の花の染(し)むがに黄なる色を戀ふ飲食(おんじき)もとむる切なさに似て

寒冷にこころひしがれ坐るとき賜ひし茨(うばら)の蜂蜜(みつ)の瀞(とろ)みよ

三月の凍みややゆるむ泥濘に鍋釜負ひて山を下れる
(獻納)

あけびの蔓手探り點(つ)くる竈(かま)のうち直(すぐ)立つ尺の焔鮮し

齒朶の芽の足(あ)うらにぬくむ沼(ぬ)の邊(へ)ゆき身ぬちに兆すけものの飢ゑあり

ばぜりといふはかなき芹を摘める沼(ぬ)よガラスのごとく早春(はる)はひかりて

室(むろ)明けて萎(しな)びし馬鈴薯(いも)を陽に曝す幾月もたさむ打算をもちて

茶の葉はりはりと噛みてビタミンの飢ゑを充たすと思ひし日ありや

雨ふれば硫氣を含む水ながら愛(を)しみて飲めりひと息にして

山麓の痩せ地はトマトも酸漿(ほほづき)も色づかぬまま秋に入るべし

杉菜さへ食さむと勢(きほ)ひし季(とき)過ぎぬ硬ばりてゆく山草の莖

敗戰が實感となるにはまだ遠し先は考へむ飲食(おんじき)のこと

訪ねきし農家のひとら皆ねむるみのり遲き南瓜の黄なる花群(むれ)

時計一つ米と替へたり粉ぬか臭き八貫の米が肩に喰ひ入る

干魚商人(ひをあきんど)桶職人など次々に山越えて入る部落の秋に

凛々(りり)として赤花(ばな)ひらく豆のあり輕石混りの山の畑の背

糧(かて)負ひて三里の道を歩むときまがなしく襲ふこころの餓ゑは

追分を西に越ゆれば實りひろきあたたかき田のたむろせるみゆ

わが棲める礫土に穫(と)れぬさつまいも香ぐはしみ食ふ知れる農家に

早成りの小豆二升を包み呉れし日灼け額(ぬか)をわするべからず

一晩に何畝の甘藷(いも)を流せりと燈(とう)なき車内にひしめく人ら

萎(しわ)びたる木の實も地(つち)に落つべしと一夜の霜の山禽(どり)のこゑ

禁斷の木の實をもぎしをとめありしらしら神の世の記憶にて

夜の葡萄唇(くち)にふれつつ思ふことおほかたは世に秘すべくあるらし

秋の虻うなりかすかにをさめたり季(とき)すぎしぶだうのき房の上

ソ聯参戰の二日ののちに夫が呉れしスコポラミン10C.・C掌にあり

致死量の目盛りを示し夫の瞳瞋(いか)りのごとくはげしかりにし

アムプルは石に砕けてやがて乾(ひ)む冬近む草の冽(きよ)き日のなか

十月の地軸しづかに枝撓(たわ)む露の柘榴の實を牽きてあり

秋の蜂柘榴をめぐり鋼鐵のひを含むけさの空なり

禮(ゐや)をつくし相語らばや放膽(ほうたん)にはぜし柘榴は陶(すえ)に置かれつ

ひややかにざくろの傳ふる透徹を掌(たな)そこに惜しめこころゆくまで

とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

電車淡く燈(とう)を點して高架ゆくわれも饑(ひも)じきそのひとりにて

アムプルをけふもしづかに截(き)る夫よ干反る落葉の吹き寄りし窓

敗戰のけだるき記憶に繋がらむりんごの歌をうたふラヂオよ

吹きとほしに燒たる隣接(となり)の町にはやバラック建てしは飲食店のたぐひ

亂醉(らんすい)のこゑしづまりし低き屋根に月のぼるなり光するどく

南氷洋の鯨を食(を)しし口臭のしみじみと顯(た)ちしぐれする夜をあり

わが脾胃よ饑(ひも)じくなりぬ智惠をあさるさびしき書(ふみ)を累々と積み

熱ばみしたなうらに觸れしひと房のぶだうをむさぼりやがてふかぶかとねむる

彫(ほ)り淺き街に沁み入るしぐれ明(あか)ししらしらとして貝をひさげり

昆蟲の蜜吸ふごとくをとめたち更けし茶房にストローを吸ふ

すがれ菊しくしくふ燈の消えし廚の隅にもの煮るゆふべ

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ

すの立ちし津輕の林檎齒に立てて智惠なき顔もときに曝さむ

會直前にビタミンを打つ老女史の顔を凝視(みつ)めをり息ふかく呑みて
(ある發會式に)

そらまめの花のふふめる街(まち)畑に口笛を吹くか十四のをとめ

「道標」の女主人公(ヒロイン)を嫉(そね)みひと日あり黄の忍冬(すひかづら)強烈にふ

夏柑の濃きひと群(むら)に陽のあたるしづかにするどき丘のなだりよ

牛乳と甘藍を積みしトラックが今動き出すエンジンの音

肝を病みていませる父をむづかしと一言ぽつりと夫が云ひし朝餉

(亡父遺愛の軸、横山大観氏作「暮色」に寄す)
き牛暮色のなかにあるいのちもの食みてをりあはあはとして

アカシヤの蜂蜜(みつ)を膚(はだへ)に塗りて寢る小さきおごりはこの山にあり

盛夏十五度けざむき朝を飲食(おんじき)のすすむと云はばはばかりあらめ

ガラス戸にフラッシュなせる稻づまのなかなる林檎と我れの片顔(へんがん)

樺の實はく垂れをり忘るべきことの一つはより鮮明に

毒ぜりの花撒形に霧の夜のダムを落ちゆく水の音あり

野葡萄に山の薄ら陽こぼれきぬ云ふべきことのいまは少し

熟れ切らぬ無花果の實のあまた落ち泥土は乾く惡氣を吐きて

きぶだう、きぶだうと重ね賣る濁水に洗はれし町角にして

水漬(づ)きたる甘藷(いも)を賣りいそぐ裸燈あり大き蛾ひとつ羽搏ききたる

カルキの香けさしるくたつ秋の水に一房の葡萄わがしづめたり

ヘルクレスの肉(しし)の隆起もつ林檎の肩燈に恍惚(みと)れありしばしのわれが

陶(すゑ)に落つるひとつ林檎のき影セザンヌ畫きし林檎にはあらで

卵黄を白飯(いひ)に落すならはしのまた復(か)へりきて冽き秋日(しうじつ)

一本の煙草に火を點けさて云はむことのしだいをひそかに整理す

みかんてのひらに乗せて去りし子よこの部屋の空気の重壓(じゅうあつ)は知るらし

みかん山みかん背負ひて人去りぬきるぎしを洗ふ波の音きこゆ

わが脈搏しづかにうてり柑橘をもぎをへし丘の斜陽あるなか

航空路といつかなりゐつ背(せな)丸く入海を抱くこの蜜柑山

酸性土壌きらひて育たぬ冬菜のむれひとたむろみゆわが廚より

ひとひらの冬梨(とうり)をむさぼる四十度の意識に兆し不敵の恣意あり

去年(こぞ)採りし銀杏(ぎんなん)の箱をとりいだすかそかに春と名のつかむ宵

をとめが煮る牛乳(ちち)の沸(たぎ)りの泡こまかゼラニュームはあかき蕾をほぐす

キューバの砂糖小瓶(をがめ)に充つるさきはひをいはばいからむ人もあるべし

いくひらかの赤い蕪(ビート)をサラダに置きわが忘れゐし誕生日を祝ふ

燒林檎の酸き香ただよふ地下食堂授乳を了へてやさしき母ら

原色の濃き雛菓子を燈にひさぐあはあはと遂にかなしきごとし

寸ばかりの蓬(よもぎ)を摘むとペンだこのぶざまに高くなりしおゆびが

菜畑のあひにトロッコを押してゆくをみなよ赤きししむらを持てり

春草に體(たい)を崩さずしばし坐る土壌の香なきわが肉體が

酵母のごとく膨るる雲あり原始なる土の露(あら)はにある丘の上

斑病に罹りし藷を少し腐らせゆとりありげのこの春のくりや

紡錘形のレモンが二つポケットにあり手觸(たふ)りつつゆくことのたのしさ

鮮黄のレモンを一つ皿に置きあさひとときの完き孤りよ

一顆のレモン滴るを受くる玻璃の皿てのひらにあるは薄ら氷(ひ)に似る

柑橘の鋭き香ひびける早春の稀薄の空気いのちを磨(と)がしむ

ことなかりし春日よ長く暮れ落ちず鮮しき蔬菜(そさい)は市(いち)にむらがれり

舅姑の世になかりし亂雜食事あとの皿を舐(ね)ぶれる猫をゆるして

夏柑の粗き膚(はだへ)に爪立つる刹那を兆すふたたびのいかりよ

怒りに乘ずるわが決斷のその素迅さ柑橘の黄のむらむらと濃し

ビタミンの足らざる肉(しし)に針を打つ葉翳(かげ)りつつ水の如き窓あり

わが好む魚を燒かせてゐるひ病めば常凡(じやうぼん)のやさしきうからら

貪婪にいのち惜しみてわがむさぼるあかきトマトと黄なる牛酪(ぎゅうらく)

贅肉のややつきそめし頤(おとがい)を撫でゐる時もみじかくはあらず

柔和なるわれの咫尺(ししゃく)の視野越えて柘榴燃えたつきのふもけふも

七月の空にいのち刻むもの寂々としてざくろは緋なる

緋のざくろ眞盛りとなりし一夜の闇こころ動悸うち思ふことあり

嬬戀農場の甘藍のトラックが峠越すしみみに露に濡れたる車輪

群馬よりもろこしを負ひてきし女ひとくさり語る子の多きこと

溶岩礫(ラババラス)打ちつつ落つるき胡桃火(ひ)山に近きわが夜の家

銅の小さき時計が時刻む怖れよ胡桃は濃き闇に垂れ



(原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))
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「葛原妙子 料理歌集」について(決まり事など)

2009年09月26日 16時30分00秒 | 葛原妙子料理歌集
(1)収集の基準について

ア)基本的に、物を食べる、飲む、あるいはそれに準ずる行為が歌に詠まれていた場合、収集の対象とします。
イ)飲食でなくとも、飲食物等が歌の一部に詠み込まれていた場合も対象とします。
ウ)その他、飲食に関わりがないと思われる歌でも、食欲を喚起させそうな歌は対象にします。
エ)収集はすべて中村が行い、その責任もすべて中村にあります。

(2)原典は『葛原妙子全歌集』全1巻(砂子屋書房 2002年配本)によります。
(3)歌は、それぞれの歌集に記された順とします。
(4)漢字、仮名づかいは、できる限り原典に沿います。
(5)コンピューター内の漢字表に無い場合は新字体で記します。対応する新字体が無い場合は、カタカナで記した後、カッコ書きでその旨をお断りします。
(6)読み難い字には、その後にカッコ書きでルビを記します。ルビは原典どおりとします。
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葛原妙子料理歌集

2009年09月26日 16時27分51秒 | 葛原妙子料理歌集
 「斎藤茂吉料理歌集」、歌集『暁光』まで終わり、道のりの半分まで来たところで、ちょっとお休みします。
 さすが大茂吉、膨大な数の歌にちょっと息切れしてきました。作業が惰性になりつつあるので、ここらで目先を変えてみようかと思います。
 充分にリフレッシュしたらまた続きを行いますので、ご理解ください。

 さて、どこに目先を変えるのか?
 ちょうど奮発して『葛原妙子全歌集』(砂子屋書房)を購入したところなので、これにチャレンジしてみたいと思います。
 おお、いいのか。ほんとにリフレッシュになるのか。

 写生主義の重鎮である茂吉と、「幻視の女王」とまで言われた妙子とでは、傾向が180度違うように見えます。
 しかしこの二人、現実を体内に取り込み、咀嚼して、自分独自の世界として提示する過程が、なんとなく似ているのではないかと、前から感じておりました。

 それに、葛原妙子も食べ物に関する歌が多いんですよね。
有名な

  飯食(おんじき)ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪の如し

もそうですし、

  うすらなる空気の中に実りゐる葡萄の重さははかりがたしも

  暴王ネロ石榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな

なんて歌もあります。
 その他、全集をパラパラめくるだけで、茂吉に勝るとも劣らない、絢爛たる料理の世界が展開されます。

 そういった意味では、リフレッシュどころかさらなる混迷の渦に巻かれてゆく可能性もありますが。
 まあ、しばらくは斎藤茂吉と交互に(サウナと水風呂のように)、ぼちぼちと更新してゆきますので、気長におつきあいをお願いします。
 では、はじまり始まり。
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