はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

初版赤光から(「斎藤茂吉料理歌集」)

2008年09月22日 20時10分05秒 | 斎藤茂吉料理歌集
  初版赤光から


たらの芽を摘みつつ行けり寂しさはわれよりほかのものとかはしる

この朝け山椒の香のかよひ来てなげくこころに染みとほるなれ

杵あまた馬のかうべの形せりつぼの白米(しろこめ)に落ちにけるかも

獨りなれば心安けし谿ゆきてくちびる觸れむ木の實ありけり

猿の肉ひさげる家に灯(ひ)がつきてわが寂しさは極まりにけり

猿の面(おも)いと赤くして殺されにけり兩國ばしを渡り来て見つ

きな臭き火縄おもほゆ薬種屋に龜の甲羅のぶらさがり見ゆ

あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にてし居れば灯(ひ)があたりたり

にんげんは死にぬ此(かく)のごと吾(あ)は生きて夕いひ食(を)しに歸へらなむいま

南蠻(なんばん)の男かなしと戀ひ生みし田螺にほとけの性ともしかり

黒き實の圓(つぶ)らつぶらとひかる實の柿は一本(いつぽん)たちにけるかも

けふの日は母の邊にゐてくろぐろと熟める桑の實食ひにけるかも

かがやける眞夏日のもとたらちねは戰(いくさ)を思ふ桑の實くろし


(原本 齋藤茂吉全集第一巻(昭和四八年))

(中村 注)
*「赤光」は大正二年に刊行されましたが、その後、斎藤茂吉の意思により全面改定がなされ、大正十年に定本として再度刊行されました。
定本には無い歌、改作とは趣が違っている歌をここに記します。
*定本に掲載された歌の原作も多くありますが、二~三字の改訂、または趣がほとんど変わっていない歌は、中村の独断により省きました。ご了承ください。

赤光(定本)(「斎藤茂吉料理歌集」)

2008年09月22日 20時04分39秒 | 斎藤茂吉料理歌集
  「赤光」(定本)


  明治三八年から四二年

霜ふりて一(ひと)もと立てる柿の木の柿はあはれに黒ずみにけり

はるばると母は戰(いくさ)を思ひたまふ桑の木(こ)の實(み)の熟める畑に

たらちねの母の邊(べ)にゐてくろぐろと熟める桑の實を食ひにけるかな

桑畑の畑のめぐりに紫蘇生(お)ひて断(ちぎ)りて居ればにほひするかも

飯(いひ)の中とろとろと上(のぼ)る炎見てほそき炎口(えんく)のおどろくところ

来て見れば雪消(ゆきげ)の川べしろがねの柳ふふめり蕗の薹も咲けり

凱旋(かへ)り来て今日のうたげに酒をのむ海のますらおに髯あらずけり

はるさめは天(あめ)の乳かも落葉松(からまつ)の玉芽(たまめ)あまねくふくらみにけり

豊酒(とよみき)の屠蘇に吾ゑへば鬼子(おにこ)ども皆死しにけり赤き青きも

旅ゆくと泉に下(お)りて冷々(ひやひや)に我が口そそぐ月くさのはな

春闌(た)けし山峡(やまかひ)の湯にしづ籠りタラ〔ココ漢字〕の芽食(を)しつつひとを思はず

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり

萱(くわん)ざうの小さき萌(もえ)を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ

あなうま粥(かゆ)強飯(かたいひ)を食(を)すなべに細りし息の太りゆくかも

しまし間も今の悶えの酒狂(さかがり)になるを得ばかも嬉しかるべし

おのが身しいとほしければかほそ身をあはれがりつつ飯(いひ)食(を)しにけり

隣室に人は死ねどもひたぶるに帚(ははき)ぐさの實食ひたかりけり


  明治四三年

とほき世のかりようびんがのわたくし兒(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ戀(こ)ひにけり

田螺はも背戸(せと)の圓田(まろた)にゐると鳴かねどころりころりと幾つもゐるも

わらくづのよごれて散れる水無田(みなしだ)に田螺の殻は白くなりけり

気ちがひの面(おもて)まもりてたまさかは田螺も食べてよるに寝(い)ねたる

赤いろの蓮(はちす)まろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし

味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉佛(のどぼとけ)うれしがり鳴る

ためらはず遠天(えんてん)に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる

木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり


  明治四四年

よるさむく火を警(いまし)むるひやうしぎの聞え来る頃はひもじかりけり

生くるもの我のみならず現(うつ)し身の死にゆくを聞きつつ飯(いひ)食(を)しにけり

うつしみは死しぬ此(かく)のごと吾(あ)は生きて夕いひ食(を)しに歸りなむいま

くわん草(ざう)は丈(たけ)ややのびて湿りある土に戰(そよ)げりこのいのちはや

はるの日のながらふ光にき色ふるへる麥(むぎ)の嫉(ねた)くてならぬ

春淺(あさ)き麥のはたけにうごく蟲手(た)ぐさにはすれ悲しみわくも

うごき行く蟲を殺してうそ寒く麥のはたけを横ぎりにけり

いとけなき心葬(はふ)りのかなしさに蒲公英(たんぽぽ)を掘るせとの岡べに

さみだれのけならべ降れば梅の實の圓(つぶら)大きくここよりも見ゆ

汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも

見てを居り心よろしも鶏の子はついばみ乍(なが)らゐねむりにけり

乳のまぬ庭とりの子は自(おの)づから哀(あは)れなるかもよ物食(は)みにけり

常のごと心足らはぬ吾ながらひもじくなりて今かへるなり

ま夏日の日のかがやきに櫻實(さくらご)は熟(う)みて黒しもわれは食(は)みたり

死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁(ちしる)の色のみづ見ゆるかな

秋づけばはらみてあゆむけだものも酸(さん)のみづなれば舌觸(さわ)りかねつ

さにづらふ少女ごころに酸漿(ほほづき)の籠(こも)らふほどの悲しみを見し

栗の實の笑(ゑ)みそむるころ谿越えてかすかなる灯に向ふひとあり

秋のあめ煙りて降ればさ庭べに七面鳥は羽もひろげず

寒ざむとひと夜の雨のふりしかば病める庭鳥をいたはり兼ねつ


  大正元年

都會(とくわい)のどよみをとほくこの水に口觸(くちふ)れまくは悲しかるらむ

なげきより覚めて歩める山峡(やまかひ)に黒き木の實はこぼれ腐りぬ

ふゆ山に潜(ひそ)みて木末(こぬれ)のあかき實を啄(ついば)みてゐる鳥見つ今は

赤茄子(あかなす)の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり

満ち足らふ心にあらぬ谿谷(たに)つべに酢をふける木の實を食(は)むこころかな

紅茸(べにたけ)の雨にぬれゆくあはれさを人に知らえず見つつ来にけり

かうべ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡(とち)の木の實は落ちにけらずや

ひとり居て朝の飯(いひ)食(は)む我が命は短かからむと思(も)ひて飯はむ

我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや

雪の上を行けるをみなは堅飯(かたいひ)と赤子(あかご)を背負ひうたひて行けり

雪のべに火がとろとろと燃えぬれば赤子は乳をのみそめにけり

よる更けてふと握飯(にぎりめし)くひたくなり握飯くひぬ寒がりにつつ

さみだれは何に降(ふ)りくる梅の實は熟(う)みて落つらむこのさみだれに

にはとりの卵の黄身の亂(みだ)れゆくさみだれごろのあぢきなきかな

胡頽子(ぐみ)の果のあかき色ほに出づるゆゑ秀(ほ)に出づるゆゑに歎かひにけり

けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりて食(は)むも

雨ひと夜さむき朝けを目の下(もと)の死なねばならぬ鳥見て立てり

ほのかなる茗荷の花を目守(まも)る時わが思ふ子ははるかなるかも

をさな児の遊びにも似し我(あ)がけふも夕かたまけてひもじかりけり

みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障(さは)りあらすな

酒の糟あぶりて室(むろ)に食(は)むこころ腎虚のくすり尋ねゆくこころ

何ぞもとのぞき見しかば弟妹(いろと)らは龜に酒をば飲ませてゐたり

萱草(くわんざう)をかなしと見つる目にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ

ものみなの饐(す)ゆるがごとき空戀ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞(きこ)ゆ

かかる時菴羅(あんら)の木の實くひたらば心落居(おちゐ)むとおもふ寂しさ

としわかき狂人守(きやうじんも)りのかなしみは通草(あけび)の花の散らふかなしみ

ゆふさればくたまりし墓みづに食血餓鬼(じきけちがき)は鳴きかゐるらむ

白なみの寄するなぎさに林檎食む異國(いこく)をみなはやや老いにけり

櫻實(さくらご)の落ちてありやと見るまでに赤き珠ゐる岩かげを来し

いちめんの唐辛子畑(ばた)に秋のかぜ天(あめ)より吹きて鴉(からす)おりたつ

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童(わらべ)のまなこ小さし

秋づきて小さく結(な)りし茄子の果を籠(こ)に盛る家の日向に蠅居り

女のわらは入日のなかに両手(もろて)もて籠(こ)に盛る茄子のか黒きひかり

天傳(あまつた)ふ日は傾きてかくろへば栗煮る家にわれいそぐなり

いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯食(を)せば悲しこよなし

火葬場に細みづ白くにごり来(く)も向(むか)うにひとが米を磨(と)ぎたれば

上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を

けだものは食(たべ)もの戀ひて啼き居たり何(なに)といふやさしさぞこれは

けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明(あか)く息づきにけり

霜ふればほろほろと胡麻(ごま)の黒き實の地(つち)につくなし今わかれなむ

ひとりなれば心安けし谿ゆきて黒き木の實も食ふべかりけり

わが歩みここに極まり雲くだるもみぢ斑(ふ)のなかに水のみにけり

射的場(しゃてきば)に細みづ湧きて流れければ童(わらべ)ふたりが水のべに来し

くろぐろと圓(つぶ)らに熟るる豆柿(まめがき)に小鳥はゆきぬつゆじもはふり

あま霧(ぎら)し雪ふる見れば飯(いひ)をくふ囚人(しうじん)のこころわれに湧きたり


  大正二年

日あたれば根岸の里の川べりの蕗のたう搖(ゆ)りたつらむか

杵(きね)あまた竝(なら)べばかなし一様(いちやう)につぼの白米(しろごめ)に落ちにけるかも

淺草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが歸(かへ)るなる

すり下(おろ)す山葵(わさび)おろしゆ滲(し)みいでて垂るみづのかなしかりけり

このこころ葬らんとして来(きた)りつる畑(はたけ)に麥(むぎ)は赤らみにけり

麥の穂に光のながれたゆたひて向(むか)うに山羊は啼きそめにけり

ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり

たらの芽を摘みつつ行けり山かげの道ほそりつつ寂しく行けり

湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゅんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり

山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ

狂じや一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子(いちご)食べたしといひにけらずや

ひもじさに百日(ももか)を經たりこの心よるの女人(をみな)を見るよりも悲し

飯(いひ)かしぐ煙ならむと鉛筆の秀(ほ)を研ぎながらひとりおもへり

まはりみち畑にのぼればくろぐろと麥奴(むぎのくろみ)は棄てられにけり

屋根踏みて居ればかなしもすぐ下の店に卵を數へゐる見ゆ


(原本 齋藤茂吉全集第一巻(昭和四八年))