はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

斎藤茂吉料理百首

2014年10月21日 17時52分41秒 | 斎藤茂吉料理歌集
 「赤光」(定本) 

たらちねの母の邊(べ)にゐてくろぐろと熟める桑の實を食ひにけるかな

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

あなうま粥(かゆ)強飯(かたいひ)を食(を)すなべに細りし息の太りゆくかも

隣室に人は死ねどもひたぶるに帚(ははき)ぐさの實食ひたかりけり

味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉佛(のどぼとけ)うれしがり鳴る

木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり

ひとり居て朝の飯(いひ)食(は)む我が命は短かからむと思(も)ひて飯はむ

我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや

みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障(さは)りあらすな

天傳(あまつた)ふ日は傾きてかくろへば栗煮る家にわれいそぐなり

上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を

すり下(おろ)す山葵(わさび)おろしゆ滲(し)みいでて垂るみづのかなしかりけり

山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ


 「赤光」(初版) 

たらの芽を摘みつつ行けり寂しさはわれよりほかのものとかはしる


 「あらたま」 

きちがひの遊歩(いうほ)がへりのむらがりのひとり掌(て)を合(あは)す水に向きつつ

きのこ汁くひつつおもふ租母(おほはは)の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ

いささかの爲事(しごと)を終へてこころよし夕餉の蕎麥(そば)をあつらへにけり

ふる郷(さと)に入(い)らむとしつつあかときの板谷峠(いたやたうげ)にみづをのむかな

味噌汁をはこぶ男のうしろより默(もだ)してわれは病室に入(い)る


 「つゆじも」 

わが心あらしの和(な)ぎたらむがごとし寝所(ふしど)に居りて水飲みにけり

支那街(しなまち)のきたなき家に我の食ふき皮卵(ぴいだん)もかりそめならず

みすずかる信濃高原(たかはら)の朝めざめ口そそぐ水に落葉しづめり

あららぎのくれなゐの實を食(は)むときはちちはは戀(こひ)し信濃路にして


 「遠遊」 

東海(とうかい)のくにの旅びとこよひ食ふ復活祭の卵と魚を

このゆふべ數(かず)の子食ひぬ愛(かな)しくもウインナの水にほとびし數の子

貝(くろがひ)のむきみの上にしたたれる檸檬の汁は古詩(こし)にか似たる

蠅多き食店(しよくてん)にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも


 「遍歴」 

大馬(おほうま)の耳を赤布(あかぬの)にて包みなどして麥酒(ビイル)の樽を高々はこぶ

友とともに飯(めし)に生卵かけて食ひそののちき川原に默(もだ)す

イサールの谷の柳の皮むきて箸をぞつくる飯(いひ)を食ふがに

イタリアの米を炊(かし)ぎてひとり食ふこのたそがれの鹽(しほ)のいろはや

はるかなる國に居りつつ飯(いひ)たきて噛みあてし砂さびしくぞおもふ

齒をもちて割るはしばみの白き實を從ひてくる妻に食はしむ

港町(みなとまち)ひくきところを通り來て赤黄(あかき)の茸(きのこ)と章魚(たこ)を食ひたり

セイロン的ライスカレエを食ひしとき木の葉入りありこの國の香ぞ


 「ともしび」 

やけのこれる家に家族があひよりて納豆餅(もちひ)くひにけり

かへりこし家にあかつきのちやぶ臺(だい)に火○(ほのほ)の香(か)する澤庵を食(は)む
〔○=漢字〕

茂吉には何かうまきもの食はしめと言ひたまふ和尚のこゑぞきこゆる

吾つひに薯蕷汁(とろろ)をくひて滿ち足らふ外面(とのも)に雨のしぶき降るとき

ひる未(まだ)き高野(かうや)のやまに女子(をみなご)と麥酒(むぎざけ)を飲みねむけもよほす

峠路のながれがもとの午餉(ひるがれひ)梅干のたねを谿間(たにま)に落す

をさなごを遊ばせをればくりやより油いたむる音もこそすれ

をさなごは吾が病み臥せる枕べの蜜柑を持ちて逃げ行かむとす

鹽づけにしたる茸(きのこ)を友として食へばあしびきの山の香(か)ぞする

木曾やまに啼きけむ鳥をこのあしたあぶりてぞ食ふ命(いのち)延(の)ぶがに

朝あけし厠(かはや)のなかにゐておもふけふのゆふべは何を食はむか

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻(うなぎ)を食ふは樂(たぬ)しかりけり

にぎり飯(いひ)を持てこし見ればほほの葉に包まれながらにほふひととき


 「たかはら」 

はかなごとわれは思へり今までに食ひたきものは大方(おほかた)くひぬ

あたたかき飯(いひ)くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも

ビステキの肉くひながら飛行士は飛行惨死のことを話(はなし)す

雨のひまに谷に入り來て胡桃(あをぐるみ)いくつも潰(つぶ)すその香なつかし

午(ひる)過ぎにはやも宿かり親しみて油揚げ餅食ひつつ居たり

わが家より持ちて來たりし胡瓜漬を互(かたみ)に食ひぬ谿の川原に

田麥俣(たむぎまた)を眼下(まなした)に見る峠にて餅(もちひ)をくひぬわが子と共に

石龜(いしがめ)の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け


 「連山」 

饅頭(まんとう)を頬ばるときも痘痕(あばた)ある顔一面(いちめん)を笑みかたまけて

油燈(ゆとう)にて照らし出されしみ佛(ほとけ)に紅(べに)あざやけき柿の實ひとつ

わがそばに克琴(くうちん)といふ小婦(せうふ)居り西瓜の種子(たね)を舌の上(へ)に載す


 「石泉」 

むかひ居て朝飯(あさいひ)をくふ少年は聲(こゑ)がはりして來(きた)れるらしき

朝々(あさあさ)の味噌汁のあぢ苦(にが)くして蕨をひでて食ふこともなし

そこはかとなく日くれかかる山寺(やまでら)に胡桃もちひを呑みくだしけり

ゐろり火にやまべあぶりていまだ食はず見つつしをれば樂しかりけり


 「白桃」 

ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり

味噌汁に卵おとしてひとり食ふ朝けの山をさびしとおもふ

わがこもる部屋に來りて穉兒(をさなご)は追儺の豆を撒きて行きたり

街にいでて何をし食はば平(たひら)けき心はわれにかへり來むかも


 「曉紅」 

燠(おき)のうへにわれの棄てたる飯(いひ)つぶよりけむりは出でてく燒けゆく

朝な朝な味噌汁のこと怒(いか)るのも遠世(とほよ)ながらの罪のつながり

いま少し氣を落著(おちつ)けてもの食へと母にいはれしわれ老いにけり

朝の茶の小つぶ梅の實われひとり寂しく食ひて種子(たね)を並べぬ


 「寒雲」 

乳(ちち)の中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞする

わが側(そば)にをとめ來りてドラ燒をしみじみ食ひて去りたるかなや

通草(あけび)の實ふたつに割れてそのなかの乳色なすをわれは惜しめり

むらさきの葡萄(ぶだう)のたねはとほき世のアナクレオンの咽(のど)を塞(ふさ)ぎき

をとめ等(ら)がくちびるをもてつつましく押(お)しつつ食はむ葡萄(ぶだう)ぞこれは

餅のうへにふける黴(あをかび)の聚落(しゆうらく)を包丁をもて吾けづりけり


 「のぼり路」 

しめぢ茸(たけ)栗茸(くりたけ)むらさきしめぢ茸木の葉のつきしままに並(な)めたる


 「霜」 

いろ赤き砂もまじりて遙かなる洋(うみ)彼方ゆ來つる米(よね)はも

ためらはむことひとつなしくらきより起きて飯(いひ)くふ汝(な)が父われは


 「小園」 

どしや降りの午後になりつつものをいふことさへもなく木瓜(ぼけ)の實煮たり

このゆふべ嫁がかひがひしくわがために肉の數片(すうへん)を煮こみくれたり

これまでに吾に食はれし鰻(うなぎ)らは佛(ほとけ)となりてかがよふらむか

やうやくにれたる山のゆふまぐれからびてゐたる茄子を煮にけり

東京の弟がくれし稚鯉(をさなごひ)こよひ煮たればうまらに食はむ

久々にくひたる川の稚鯉こなれてゆけばわが現身(うつしみ)よ

のがれ來て一時間にもなりたるか壕(がう)のなかにて銀杏(ぎんなん)を食む

わが生(あ)れし村に來りて柔き韮を食むとき思ほゆるかも

握りたる飯(いひ)を食はむと山のべにわが脚を伸ぶ草鞋をぬぎて

よわき齒に噛みて味はふ鮎ふたつ山の川浪くぐりしものぞ

雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ


 「白き山」 

あまつ日の強き光にさらしたる梅干の香が臥處(ふしど)に入り來(く)

進駐兵山形縣の林檎をも好しといふこそほがらなりけれ

名殘(なごり)とはかくのごときか鹽からき魚の眼玉をねぶり居りける


 「つきかげ」 

現實(げんじつ)は孫うまれ來て乳(ちち)を呑む直接にして最上の春

三椀(さんわん)の白飯(しらいひ)をしもこひねがひこの短夜(みじかよ)の明けむとすらし

ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過(こす)ぐと言はむとぞする

わが生(せい)はかくのごとけむおのがため納豆買ひて歸るゆふぐれ

われつひに六十九歳の翁にて機嫌よき日は納豆など食(は)む

冬粥を煮てゐたりけりくれなゐの鮭のはららご添へて食はむと


「斎藤茂吉料理百首」を選びました

2014年10月21日 17時50分35秒 | 斎藤茂吉料理歌集

先に掲載した「斎藤茂吉料理歌集」の中から、中村が独断で100首を選びました。
いずれも茂吉を代表する……かどうかまでは断言できませんが、その魅力の一端を確実に伝えてくれる歌達です。
「料理歌集」に手をつけ始めてから丸六年、ようやく念願を達成できました。

「この歌が入っていないのはどういう事だ!」
等、ご意見などありましたら、ぜひお寄せください。

「斎藤茂吉料理歌集」終了です

2014年04月02日 20時10分52秒 | 斎藤茂吉料理歌集

そんなわけで、五年半かけてお送りしてまいりました『斎藤茂吉料理歌集』、やっとのことで終了です。
歌集未収録の歌には当たっていませんが、どうぞお許しを。

『赤光』から『つきかげ』まで十七歌集の中から拾った歌が千七百以上。
もちろん、すべてが飲食を題材にしたものではなく、中村が
「あ、これ食べ物っぽい」
と直感的に思った歌を集めました。
けれどそれを差し引いても、斎藤茂吉という人は実に美味しそうな歌を詠む歌人だなあ、と改めて感服しました。

少し間を置いたら、中村独断の『茂吉料理百首』なんかを選んでみたいものです。
それでは、お付き合いいただきありがとうございました。


つきかげ(斎藤茂吉料理歌集)

2014年04月02日 19時46分51秒 | 斎藤茂吉料理歌集

  「つきかげ」


 昭和二十三年

にひ米を搗きたる餅(もちひ)あひともに食(を)せとしいへば力とぞなる

雪のうへに立てる朝市去年より豊かになりてわれ釘を買ふ

上ノ山の山べの泉夏のころむすびたりしがわかれか行かむ

充ち足らふ食(しよく)にあらねど食(く)ひてのち心を据ゑむ年あらたにて

日本の漁船活動のもとゐなる石油すらも湧きいでて來ず

さはしたる柿のとどけばひとつ食ひにけり東田川(ひがしたがは)のをとめおもひて

肉厚き鰻もて來し友の顔しげしげと見むいとまもあらず

豚(とん)の肉うづたかけれど「食はざればその旨(うま)きを知らず」噫

米粒(べいりふ)は玉のごとしといへる句も陳腐といはばわれは默(もく)せむ

現實(げんじつ)は孫うまれ來て乳(ちち)を呑む直接にして最上の春

いぶくごときしづけさなるかこの河の二百萬の放魚(はうぎよ)はてたるときに

東京の春ゆかむとしてあらがねのせまきところに麥そよぎけり

かみつけの山べの●(たら)はみつみつし吾にも食(を)せともてぞ來(きた)れる
(●は常用漢字に無し)

納豆は君が手づからつくりしを試みよちふことのゆたけさ

ほそほそし伊豆の蕨も樂しかりわが胃の中に入りをはりけり

やまがたの最上こほりの金山(かなやま)の高野蕨(たかのわらび)もこよなかりけり

羽前より羽後へ越えむとする山の蕨をつみてわれさへや食(は)む

おそらくは東北縣(とうほくけん)の米ならむ縁にかがみて籾(もみ)選りゐるは

供米をかたじけなしと言ひにけり粗(あら)を選りつつ粗を噛みつつ

味噌の香を味ふなべにみちのくの大石田なる友しおもほゆ

かしの實のひとり心(ごころ)をはぐくみてせまき二階に老いつつぞゐる

カストリといふ酒を飲む處女子(しよぢよし)らの息づかひをも心にとめず

ありさまは淡々(たんたん)として目のまへの水のなぎさに鶴(つる)卵をあたたむ

鰻の子さかのぼるらむ大き川われは渡りてこころ樂しも

黄になりて梅おつるころ遠方にアラブ軍師團ヨルダンわたる

紅梅の實の小さきを愛せむとおり立ち來たりわれのさ庭に

くれなゐににほひし梅に生(な)れる實は乏しけれどもそのかなしさを

人に醉(ゑ)ふといふことあれば銀座より日比谷にかけてわれ醉ひにけり

大石田に飯(いひ)くひに來よと君いへば行かむ術(すべ)もが晝の汽車にて

しらたまの飯(いひ)をみか腹満つるまで食ひての後にものを言ふべし

カブタレの餅(もちひ)もことをわれ書きぬ縁(えにし)ありたることをよろこぶ

三椀(さんわん)の白飯(しらいひ)をしもこひねがひこの短夜(みじかよ)の明けむとすらし

ある時の將軍提督の如くにも四椀(よんわん)といはばこの世のことならず

人の世の鰻供養(うなぎくやう)といふものにかつても吾は行きしことなし

隣人のさ庭にこごる朱(しゆ)のあけの柘榴(ざくろ)のはなも咲くべくなりて

汗垂れてわれ鰻くふしかすがに吾よりさきに食ふ人のあり

今ごろになればおもほゆ高原(たかはら)の葡萄のそのに秋たつらむか

山の家に次男ともなひ吾は來ぬ干饂飩(ほしうどん)をも少しく持ちて

早川のにあぎとへる鰻をもかくのごとくに消化せむとす

栗のいがまだ小さきが見えて居りそれに接して直ぐ葛(くず)の花

銀杏がおびただしくも落ちてゐるみ苑(その)をゆけば心たひらぐ

ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過(こす)ぐと言はむとぞする

春さむくわが買ひて來し唐辛子ここに殘りて年くれむとす

香の物噛ゐることも煩(わづら)はしかかる境界(きやうがい)も人あやしむな

西方の基督國の人々も新年めでたと葡萄の酒を飲む

味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば

おそらくはこの心境も空しからむわが食む飯(いひ)も少なくなりて

もろびとのふかき心にわが食みし鰻のかずをおもふことあり

新年にあたたかき餅(もち)を呑むこともあと幾たびか覺めておもへる

たかむらの中ににほへる一木(ひとき)あり柿なるやといへば「應(おう)」とこそいへ

勝浦に君ゐしときのことおもふその朝飯(あさいひ)もその夕飯(ゆふいひ)も

食日記(しよくにつき)君の記せるをわれは見て仰臥漫録おもひてゐたり

日をつぎてうまらに君の食(を)すきけば君の癒えむ日こころ待ちどほし

朝な朝なわれの樂しむ汁の味噌を大石田なる君がおくりぬ

最上川に住むうろくづもしろじろと雪ふるときはいかにかもあらむ

しも河原に薔薇の實あかくなるころを幾たび吾はもとほりけむか

きさらぎにならば蕗の薹も店頭に出づらむといふ心たのしも


 昭和二十四年

新年といへば何がなく豊かならずや銀杏(ぎんなん)などをあぶり食(は)みつつ

けふ一日(ひとひ)心おちゐて居りにけりヴイタミンの液も注射せざるに

温泉のうしろの山に毬(いが)ごもり赤き栗の實おちたるも好し

藥物(やくぶつ)のためならなくに或宵は不思議に心しづかになりぬ

あらたまる年のはじめに平和(たひらぎ)の心きはまりて飯(いひ)はむわれは

いく藥(ぐすり)つぎつぎに世にあらはれて老(おい)の稚(をさな)のいのち樂しも

あひともに人勵むとき最上川にひそめる魚もさをどるらむか

わきいづるきながれに茂りたる芹をぞたびし食(を)したまへとて

牛(ぎう)の肉豚(とん)の肉をも少し食ふ人に贈らるるかたじけなさに

をとめ等が匂ひさかえてとどまらぬ銀座を行けど吾ははなひる

わが生(せい)はかくのごとけむおのがため納豆買ひて歸るゆふぐれ

山形のあがたよりくる人のあり三年味噌を手にたづさへて

どくだみのこまかきが庭に生えそめぬ人に嫌はるる草なりながら

老殘を退屈ならずおもへども春川(はるかは)の鯉みむよしもがも

山もとに生ふる蕨をもらひければはやはや食はむわれひとりにて

われの住む代田(だいだ)の家の二階より白糖(はくたう)のごとき富士山が見ゆ

よもすがら君安寐(やすい)すといふゑにうまらにか食(を)す朝の麥飯(むぎいひ)

梅の實の落ちゐたる下陰にいくたびか行きし疎開の時は

朝々に納豆を買ひて食(は)むこともやうやくに世の回復のさま

秋田あがた山形あがたの納豆をおくり來(きた)りぬ時には汁にもせよと

けぶりたつ淺間の山の麓にてをだまきの花見つつか居(を)らむ

麥の秋に近づくらむか麥飯(むぎいひ)をくはずしばらく我は過ぐれど

櫻桃の花白く咲く頃ほひを哀草果らはいかにしてゐる

この家の雨の沁まざる軒(のき)したに殘りてにほふ檜あふぎの花

山家(やまが)なる庭に穴ほり玉葱の皮など棄ててわれ住みはじむ

わが次男に飯を焚かしめやうやくに心さだまるを待ちつつぞ居る

トマト賣りに來(こ)し媼(おうな)あり今朝あけがた村を出でぬと笑みかたまけて

今ゆのちいくばく吾は生くらむと思ひつつ三島(みしま)の納豆買ひつ

十餘年たちし鰻の罐詰ををしみをしみてここに殘れる

大石田おもひすごせば幽かなる木天蓼(またたび)の花すぎにつらむか

朝飯(あさいひ)をすまししのちに臥處(ふしど)にてまた眠りけりものも言はずに

茄子うりに來し媼より茄子を買ひ心和ぎつとたまたまおもふ

竹行李(たけがうり)くふ昆蟲のひそめるをつひにとらへて保護しつつあり

桃郷(たうがう)の桃といひつつ君たびぬ紅(あけ)のとほりてきはまりけるを

野いちごを摘みつつ食ひぬ七十に近き齡にわれはなれども

少年の時せしごとくかがまりて路傍のいちごつみ取りて居る

たたかひのはげしきあひだ飼はれゐて生きのこりたる猿蠅を食ふ

さ霧だつころとなりける強羅にて氷(こほり)食はむと吾はおもひき

焜爐(こんろ)の上に藥缶ぽつねんとかかりたるわが住む家はあはれ小さし

烏賊賣りに人來れどもわれ買はず二十年間魚賣りに親しみなく

八月も今し盡(つ)きむと山家(さんか)なる雨のゆふぐれ次男炊事をする

豪雨ふる山の家にて炭火ふくわが口もとを次男見てゐる

豚(とん)の肉少し入れたる汁つくりうどん煮込みたり娘とともに

われひとり山形あがたの新米(にひごめ)を食ふよしあらば食はむと思ふ

戰後派の一首の歌に角砂糖の如き甘きもの少しありたり

秋の丘に整理されたる畑(はたけ)ありきにとなり大根の列(れつ)々(あをあを)

新しき時代たふとくけふの契りいよよたふとく咲けのみ祝がむ


 昭和二十五年

われつひに六十九歳の翁にて機嫌よき日は納豆など食(は)む

苦蟲(にがむし)をつぶしし如き顔のもち主もゑみかたまけて餅(もちひ)をも食(は)む

みちのくより百合の根をわれに送り來ぬ大切にしまひ置きたるものか

場末をもわれは行き行く或る處滿足をしてにはとり水を飲む

この身一つさへもてあますことのありある時はわが胃ひもじくともな

朝食をすましたる後におもひいづ昨夜地震のありたることを

魚(うろくづ)は一つも居らずなりたりとわれひとりごつ廢園の池のみぎは

店頭に蜜柑うづたかく積みかさなり人に食はるる運命が見ゆ

孫ふたりわれにまつはりうるさけど蜜柑一つづつ吾は與(あた)ふる

三月の木(こ)の芽を見ればもろもろのいのちのはじめ見る心地して

身みづから飯(いひ)をかしぎて命(いのち)のぶる人あるものを何かかこたむ

園いでてかへりて來ればいちじゆくの熟せる果(このみ)の觸覺あはれ

かにかくに吾の齡(よはひ)も年ふりて萬年(おもと)の玉にしぐれ降りくる

春風がたえまなく吹き蕗の薹もえたつときに部屋に塵つもる

片づけぬくくり枕より蕎麦がらが疊のうへへ運命のこぼれ

臥處(ふしど)には時をり吾が身臥(ふ)せれども「食中鹽(しほ)なき」境界(きやうがい)ならず

をさな兒と家をいでつつ丘の上に爽(さわ)やぐ春の香をも欲する

わが生(せい)の途上にありて山岸の薔薇の朱實(あけみ)を記念したりき

一月の二十一日深谷葱(ふかやねぎ)みづから買ひて急ぎつつをり

肉體の衰ふるとき朝食後ひとりゐたるがものおもひなし

籠の中の蜜柑をひとり見つつをり孫せまり來(こ)む氣配もなきに

捕鯨船とほく南氷洋に行きたるが今や歸らむ時ちかづきぬ

下仁田の葱は樂しも朝がれひわが食ふ時に食み終るべし

蕗の薹味噌汁に入れて食はむとす春のはじまりとわが言ひながら

わが庭の梅の木に啼くうぐひすをはじめは籠の中とおもひき

梅の空しく落つるつかさには蟻のいとなむ穴十ばかり

櫻桃の花白妙に咲きみだれここのにわれは行きつく

左背部に二週このかた痛みあり藥のめどもなかなか癒えず

一顆(ひとつぶ)の栗柿にてもわが胃にてこなれぬれば紅(くれなゐ)の血しほになる

くれなゐの梅のふふまむ頃となりおのもおのもに心のべこそ

睡眠の藥を飲まず臥たりしがあかつきに夢を見ながらねむる

黄卵(わうらん)を味噌汁に入れし朝がれひあと幾とせかつづかむとする

冬粥を煮てゐたりけりくれなゐの鮭のはららご添へて食はむと

内苑の木立のなかにほほの木の若葉の色やしたたるがごと

わがために夜の汽車にてもて來たる秋田の山の蕨し好しも

夏に入るさきがけとして梅の實が黄いろになりて此處に竝びき

ほのぼのと香をかぐはしみみちのくの金瓶村より笹巻とどく

櫻桃の品(しな)よきものが選ばれて山形縣より送り來りぬ

ねむの花あかつきおきににほへるをこの山峽にひとり目守(まも)らむ

茄子の汁このゆふまぐれ作りしにものわすれせるごとくにおもふ

口中が専(もは)ら苦(にが)きもかへりみず晝の臥處(ふしど)にねむらむとする

戰中の鰻のかんづめ殘れるがさびて居りけり見つつ悲しき

くずの花にほひそめたる山峽を二たびわれは通らむとする

みちのくの藏王の山が一等に當選をして木通(あけび)霜さぶ

川原ぐみくれなゐの色あざやかになりてゆく時いのち長しも

いちじゆくの實を二つばかりもぎ來り明治の代のごとく食(は)みけり

あけびの實我がために君はもぎて後そのうすむらさきを食ひつつゐたり

柿の實の胡麻(ごま)ふきたるを貰ひたり如何なる柿の木になりたる實か

くれなゐの木(こ)の實かたまり冬ふかむみ園の中に入りて居りける

銀杏(ぎんなん)のむらがり落つる道のべにわれは佇ずむ驚きながら

枇杷の花白く咲きゐるみ園にて物いふこともなくて過ぎにき

冬の魚くひたるさまもあやしまず最上(もがみ)の川の夢を見たりける

大栗の實をひでて食(は)まむとこのゆふべ老いたるわが身起きいでにける

わが家の猫は小さなる鼠の子いづこよりか捕へ來(きた)りて食はむとす

みちのくのわが友ひとり山に入りきのこ狩りせし後の話す

わが家の猫が庭たづみを飲みに來て樂しきが如しくれなゐのした

若草のいぶきわたらふ頃ほひに大野を越えてわれ行かむとす


 昭和二十六年

枇杷の花冬木(ふゆき)のなかににほへるをこの世のものと今こそは見め

うめのはな咲きのさかりを大君のみことのまにまよろこびかはす

松島のあがたに生くる牡蠣貝(かきがひ)を共にし食(く)ひて幸(さいはひ)とせむ

冬川の最上の川に赤き鯉見えゆくときぞこころ戀(こほ)しき

小田原の蜜柑をわれにたまはりぬたまはりし人われと同じとし

梅の花咲きみだりたるこの園にいで立つわれのおもかげぞこれ

梅の實の小さきつぶら朝々の眼に入り來(きた)る東京の夏


 昭和二十七年

ゆづり葉の紅の新(にひ)ぐきにほへるを象徴として今朝新たなり

濱名湖の蓮根をわれにおくり來ぬその蓮根をあげものにする

梅の花うすくれなゐにひろがりしその中心(なかど)にてもの榮ゆるらし


 原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)


白き山(斎藤茂吉料理歌集)

2014年03月20日 20時59分40秒 | 斎藤茂吉料理歌集

  「白き山」


 昭和二十一年

さすたけの君がなさけにあはれあはれ腹みちにけり吾は現身(うつせみ)

雪の中に立つ朝市は貧しけれど戰(たたかひ)過ぎし今日に逢へりける

最上川みづ寒けれや岸べなる淺淀にして鮠(はや)の子も見ず

ここにして天(あめ)の遠くにふりさくる鳥海山は氷糖(ひようたう)のごとし

わが庭の杉の木立に來ゐる鳥何かついばむただひとつにて

横山村を過ぎたる路傍には太々(ふとぶと)と豆柿の樹は秀でてゐたり

あたたかき粥と菠薐草(はうれんさう)とくひし歌一つ作らむと時をつひやす

臥處(ふしど)よりおきいでくればくれなゐの罌粟(けし)の花ちる庭の隈(くま)みに

われひとりおし戴きて最上川の鮎をこそ食はめ病癒ゆがに

梅の實の色づきて落つるきのふけふ山ほととぎす聲もせなくに

晝蚊帳(ひるがや)のなかにこもりて東京の鰻のあたひを暫しおもひき

罌粟(けし)の花ちりがたになるころほひに庭をぞ歩む時々疲れて

みづからがもて來(きた)りたる蕗の薹あまつ光にむかひて震ふ

ひとときに春のかがやくみちのくの葉廣柏(はびろがしは)は見とも飽かめや

山鳩がわがまぢかくに啼くときに昼餉を食はむ湯を乞ひにけり

えにしありて樂しく吾も食はむとす紫蘇の實を堅鹽(かたしほ)につけたる

峯越をせむとおもひてさやさやし葛(くず)ふく風にむかひてゆくも

稲の花咲くべくなりて白雲は幾重の上にすぢに棚びく

颱風の餘波(よは)を語りて君とわれと罌粟の過ぎたるところにぞ立つ

砂のうへに杉より落ちしくれなゐの油がありて光れるものを

年ふりしものは快(こころよ)し歩み來て井出(ゐで)のの橡(とち)の木見れば

あまつ日の強き光にさらしたる梅干の香が臥處(ふしど)に入り來(く)

朝な朝な胡瓜畑を樂しみに見にくるわれの髯のびて白し

わが歩む最上川べにかたまりて胡麻の花咲き夏ふけむとす

秋づくといへば光もしづかにて胡麻のこぼるるひそけさにあり

かぎりなく稔らむとする田のあひの秋の光にわれは歩める

高々とたてる向日葵とあひちかく韮(にら)の花さく時になりぬる

黄になりて櫻桃の葉のおつる音午後の日ざしに聞こゆるものを

蕎麥の花咲きそろひたる畑あれば蕎麥を食はむと思ふさびしさ

茨(いばら)の實くれなゐになりて貌(かたち)づくるここの河原をわれは樂しむ

最上川に手を浸(ひた)せれば魚の子が寄りくるかなや手に觸るるまで

はだらなる乳牛(ちちうし)がつねにこの原の草を食ひしが霜がれむとす

大川の岸の淺處(あさど)に風を寒みうろくづの子もけふは見えなく

諏訪の湖(うみ)の鰻を燒きて送りこし君おもかげに立ちて悲しも

天傳(あまづた)ふ日に照らされて網船(あみぶね)のこぎたむ見ればいきほふごとし

いちはやく立ちたる夜の魚市にあまのをみなのあぐるこゑごゑ

あけびの實うすむらさきににほへるが山より濱に運ばれてくる

魚市の中にし來れば雷魚(はたはた)はうづたかくしてあまのもろごゑ

夜ごとにたつ魚市につどひくるあまの女の顔をおぼえつ

はたはたの重量はかるあま少女或るをりをりに笑みかたまけぬ

しづかなる心に海の魚を食ひ二夜(ふたよ)ねぶりていま去らむとす

わが友は潮くむ少女(をとめ)見しといへどわれは見ずけりその愛(かな)しきを

旅人もここに飲むべくさやけくも磯山かげにいづる水あり

家出でて吾は歩きぬ水のべに櫻桃の葉の散りそむるころ

最上川の支流の岸にえび葛(かづら)く色づくころとしなりて

はやくより雨戸をしめしこのゆふべひでし黄菊を食へば樂しも

健(すこや)けきものにもあるかつゆじもにしとどに濡るる菊の花々

とし老いてはじめて吾の採り持てるアスパラガスのくれなゐの實よ

朝な朝な寒くなりたり庭くまの茗荷の畑(はた)につゆじも降りて

うるし紅葉のからくれなゐの傍に岩蕗(いはぶき)の葉はく厚らに

目のまへにうら枯れし蕨の幾本(いくほん)が立ちけり礙(さまた)ぐるものあらなくに

去年(こぞ)の秋金瓶村に見しごとくうつくしきかなや柿の落葉は

にごり酒のみし者らのうたふ聲われの枕をゆるがしきこゆ

みちのくの瀬見(せみ)のいでゆのあさあけに熊茸(くまたけ)といふきのこ賣りけり

朝市はせまきところに終りけり賣れのこりたる蝮(まむし)ひとつ居て

小國川(をぐにがは)迅(はや)きながれにゐる魚をわれも食ひけり山澤(やまさは)びとと

この鮎はわれに食はれぬ小國川の蒼(あを)ぎる水に大きくなりて

新庄にかへり來りてむらさきの木通(あけび)の實をし持てばかなしも

山岸の畑(はた)より大根を背負ひくる女(め)の童(わらは)らは笑みかたまけて

のきに干す黍(きび)に光のさすみればまもなく山越え白雪の來(こ)む

ひとたびはきざす心のきざしけり稲刈り終へし田面(たづら)を見れば

わが先になれる少年酒負ひてここの山路を越えゆくものぞ

街頭に柿の實ならび進駐兵聖(サンクト)ペテロの寺に出入(いでい)りつ

進駐兵山形縣の林檎をも好しといふこそほがらなりけれ

またたびの實を秋の光に干しなめて香にたつそばに暫し居るなり

はるばると溯(さかのぼ)りくる秋の鮭われはあはれむひとりねざめに

やうやくに病癒えたるわれは來て栗のいがを焚く寒土(さむつち)のうへ

あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに

栗の實のおちつくしたる秋山をわれは歩めりときどきかがみて

おのづからみのり豊(ゆた)けき新米(にひごめ)ををさめをさめて年ゆかむとす

もろもろはこぞり喜びし豊(とよ)の年の大つごもりの鐘鳴りわたる

きさらぎにならば鶫(つぐみ)も來むといふ桑の木はらに雪はつもりぬ

供米のことに關(かか)はるものがたりほがらほがらに冬はふかみぬ

冬の夜の飯(いひ)をはるころ新聞の悲しき記事のことも忘るる


 昭和二十二年

冬の鯉の内臟も皆わが胃にてこなされにけりありがたや

重かりし去年の病を身獨りは干柿などを食ひて記念す

われひとり食はむとおもひて夕暮の六時を過ぎて蕎麦の粉を煮る

春たてる水港ゆおくりこし蜜柑食(は)む夜の月かたぶきぬ

大石田さむき夜ごろにもろみ酒のめと二たび言へども飲まず

名殘(なごり)とはかくのごときか鹽からき魚の眼玉をねぶり居りける

やうやくに病は癒えて最上川の寒の鮒食むもえにしとぞせむ

わが國の捕鯨船隊八隻はオーストラリアを通過せりとぞ

オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや

歳晩の夜にわが割りし黄の林檎それを二つに割りて食はむとす

晩餐ののち鐵瓶(てつびん)の湯のたぎり十時ころまで音してゐたり

最上川に住む鯉のこと常におもふ●●(あぎと)ふさまもはやしづけきか
(●●は常用漢字に無し)

老いし齒にさやらば直(ただ)に呑めあら尊(たふ)と牛肉一片あるひは二片三片

東京におもひ及べば概論がすでに絶えたり野犬をとめを食ふ

南海(なんかい)より歸りきたれる鯨船(くぢらせん)目前にしてあなこころ好(よ)や

門齒(もんし)にても噛みて食はむとおもひけり既に鹽がるるこの蕪菜(かぶらな)よ

蕗の薹ひらく息づき見つつをり消(け)のこる雪にほとほと觸れて

かたはらにくすがれし木の實みて雪ちかからむふゆ山をいづ

最上川の鯉もねむらむ冬さむき眞夜中にしてものおもひけり

春彼岸に吾はもちひをあぶりけり餅(もちひ)は見てゐるうちにふくるる

人は餅のみにて生くるものに非ず漢譯(かんやく)聖書はかくもつたへぬ

まれ人をむかふるごとく長谷堂(はせだう)の蕎麥を打たせて食はしむるはや

年老いてはじめて來たるこの家に家鶏(にはとり)の肉をながくかかりて噛む

すゑ風呂をあがりてくれば日は暮れてすぐ目のまへに牛藁を食む

ひと夜寝て朝あけぬれば萌えゐたる韮のほとりにわが水洟はおつ

櫻桃の花咲きつづくころにして君が家の花梨(くわりん)の花はいまだ

かたまりて李(すもも)の花の咲きゐたる本澤村(もとざはむら)に一夜(ひとよ)いねけり

田を鋤(す)ける牛をし見ればおほかたは二歳牛(にさいうし)三歳牛(さんさいうし)にあらずや

この村の家々に林檎の白花の咲くらむころをふたたび來むか

山に居ればわれに傳(つた)はる若葉の香(か)行々子(よしきり)はいま鯛岸(たいがん)に啼く

わが體(からだ)休むるために居りにけりしづかに落ちくる胡桃の花は

この川の岸をうづむる蓬生(よもぎふ)は高々(たかだか)となりて春ゆかむとす

郭公(くわくこう)と杜鵑(とけん)と啼きてこの山のみづ菜ととのふ春ゆかむとす

山岸に走井(はしりゐ)ありて人ら飲むこころはすがしいにしへおもひて

したしくも海苔につつみしにぎり飯(いひ)さばね越えきて取りいだすなり

慕ひまつり君をおもへば眼交(まなかひ)に煙管(きせる)たたかす音さへ聞こゆ

ふと蕗のむらがり生ふる庭の上にしづかなる光さしもこそすれ

ゆたかなる君が家居の朝めざめ大蕗(おほぶき)のむれに朝日かがやく

太蕗(ふとぶき)の並みたつうへに降りそそぐ秋田の梅雨(ばいう)見るべかりけり

この潟に住むうろくづを捕りて食ふ業(げふ)もやや衰へて平和來し

白魚(しらうを)の生けるがままを善(よ)し善しと食ひつつゐたり手づかみにして

大きなる八郎潟をわたりゆく舟のなかには昼餉も載せあり

三倉鼻に上陸すれば暖し野のすかんぽも皆丈たかく

鉢の子を持ちて歩きしいとけなき高柳得實われは思はむ

田澤湖にわれは來りて午(ひる)の飯(いひ)はみたりしかばこのふと蕨

たかだかたと空しのぐ葉廣●木(はびろかしはぎ)を武士町とほりしばし見て居る
(●は常用漢字に無し。木偏に解)

松庵寺に高木となりし玄圃梨(げんぽなし)白き小花の散りそむるころ

角砂糖ひとつ女童(めわらは)に與へたり郵便物もて來し褒美のつもり

今しがた羽ばたき大きくおりし鸛(こふ)この沼の魚を幾つ食はむか

高はらの村の人々酒もりす凱旋したる時のごとくに

山のべにうすくれなゐの胡麻の花過ぎゆきしかば沁むる日のいろ

しづかなる朝やわが側(そば)にとりだせるバタもやうやくかたまりゆきて

かば色になれる胡瓜を持ち來(きた)り疊のうへに並べて居りき

松葉牡丹すでに實になるころほひを野分に似たる風ふきとほる

去りゆかむ日もちかづきて白々といまだも咲ける唐がらしの花

水ひける最上川べの石垣に韮の花さく夏もおはりと

朝市に山のぶだうの酸(す)ゆきを食(は)みたかりけりその眞(まくろ)きを

あけび一つ机の上に載せて見つ惜しみ居れども明日(あす)は食はむか

りんだうの匂へる山に入りにけり二たびを來(こ)む吾ならなくに

栗の實もおちつくしたるこの山に一時(ひととき)を居てわれ去らむとす

秋山のき木(こ)の實は極まりてここに來れる吾は居ねむる

魚くひて安らかなりし朝めざめ藤井康夫の庭に下りたつ

秋の光しづかに差せる通り來て店に無花果(いちじゆく)の實(このみ)を食む

湯田川に來りてみれば心なごむ柿の葉あかく色づきそめて

紅き茸(たけ)まだ損(そん)ぜざる細き道とほりてぞ來し山に別ると

しぐれ來む空にもあるか刈りをへし狭間田(はざまだ)ごもり水の音する

牛蒡畑(ごぼうばた)に桑畑つづき秋のひかりしづかになりてわが歸りゆく

丈たかくなりて香(か)にたつ蓬生(よもぎふ)のそのまぢかくに歩みてぞ來る

最上川の水嵩ましたる彼岸(かのきし)の高き平(たひら)に穗萱(ほがや)なみだつ

あさぎりのたてる田づらをとほり來て心もしぬにわれは居りにき

をさな等の落穗ひろはむ聲きこゆわが去りゆくと寂しむ田ゐに


  原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)


小園(斎藤茂吉料理歌集)

2014年03月12日 12時18分26秒 | 斎藤茂吉料理歌集

  「小園」


 昭和十八年

大きなる時にあたりて朝よひの玄米(くろごめ)の飯(いひ)も押しいただかむ

ゆたかなる稔(みのり)をさめて新しき年を祝がむとあぐるこゑごゑ

備後なる山の峽(かひ)よりおくりこし醤(ひしほ)を愛でていのちを延べむ

穉(いとけな)くてありけむ時のごとくにて麥飯(むぎいひ)食(は)めば心すがしも

麥の飯(いひ)日ごとに食めばみちのくに我をはぐくみし母しおもほゆ

あらた米(ごめ)すでにをさめてみちのくは日毎夜毎(ひごとよごと)に雪ふるらむか

萬年(おもと)の實くれなゐふかくなるころをわが甥がひとり國境(こくきやう)へ行く

翁(おきな)にてわれはすわりぬ傍(かたはら)にくれなゐの梅くれなゐの木瓜(ぼけ)

ただひとつ樂しみとする朝々の味噌汁にがくなりてわが臥(ふ)す

岡の上に萱草(くわんざう)くもえつつぞ低きくもりの觸(ふ)るらくおもほゆ

夜な夜なに霜ふりたりし庭土(にはつち)のうへに擬寳珠は芽を出しそめつ

配給をうけし蕨のみじかきをおしいただかむばかりにしたり

供米(きようまい)のことにかかはる話あり聞きつつわれは涙いでむとす

街ゆけど食事すること難くなり午後二時すぎて歸りて來たり

小峽(をかひ)なる田を鋤(す)くをとめ疲るらむ二人ならびてまだ休まぬに

日の光とほりてゐたる泥(ひぢ)のうへ田螺(たにし)のうごくありさまあはれ

孤獨(こどく)なるものとおもふなこの澤を魚さかのぼる本能かなし

胡桃(くるみ)あへにしたる○(たら)の芽あぶら熬(い)りにしたる○(たら)の芽山人(やまびと)われは
【○は植物のタラ。該当漢字無し】

かたくりの實になりたるを手にとりてしばしば口に含(ふふ)みてゐたり

ひとときを小澤(をさは)のみづに魚(うを)の子のさばしる見つつわが命(いのち)のぶ

この庭にひと本(もと)ありて夏のころいくつか生(な)れる桃さにづらふ

狹霧(さぎり)たつ山にし居ればおのがためきのふも今日も米をいたはる

杉の樹のしたくらがりに當薬(たうやく)がひそみたてるを見らくし樂し

しづかなる生(せい)のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ

いささかの畑(はた)をつくりてありしかばこの林中(りんちゆう)もおろそかならず

晝飯(ひるいひ)を食ひたるのちに板(いた)のへに吾は打ち込む錆(さ)びたる釘を

雉子(きじ)ふたつわれの前より飛びたちぬ彼等亂(みだ)らむわれならなくに

年々に○牛兒(げんのしようこ)の實をむすぶころとしなりてわれ山くだる
【○は該当漢字無し】

どしや降りの午後になりつつものをいふことさへもなく木瓜(ぼけ)の實煮たり

朝よひに米(よね)ををしみて幽(かす)かなる私(わたくし)ごとをゆるしたまはな

開帳のごとき光景に街上の鰻食堂けふひらきあり


 昭和十九年

おのづから六十三になりたるは蕨(わらび)うらがれむとするさまに似む

かぐはしみ吾にも食へと蕗の薹あまつ光に萌えいづらむか

このゆふべ嫁がかひがひしくわがために肉の數片(すうへん)を煮こみくれたり

にひ年にあたりて友がわがために白き餅(もちひ)をひそませ持ち來(く)

黴(かび)ふける餅(もちひ)ののこり食ひつつぞ勇みて居らむ汝(な)が父われは

君とふたりあひむかふとき釜の湯の沸(たぎ)てる音は心さだむる

朝はやき土間のうへには々と配給の蕗の薹十ばかりあり

南瓜(たうなす)を猫の食ふこそあはれなれ大きたたかひここに及びつ

雨ふらぬ冬日つづきてわが庭の蕗の薹の萌えいまだ目だたず

ちひさなる餅(もちひ)かたみに食ふときは春の彼岸にものおもひなし

家の猫が菎蒻(こんにやく)ぬすみ食ひしこと奇蹟(きせき)のごとくいふ聲のする

少しばかり隠して持てる氷砂糖も爆撃にあはば燃えてちり飛べ

南かぜ一日(ひとひ)ふきしき庭隅(にはくま)にいでたる羊齒(しだ)の渦(うづ)のをさな葉

相模なる畑(はた)のくろ土にこもりたるアスパラガスよあな尊しよ

これまでに吾に食はれし鰻(うなぎ)らは佛(ほとけ)となりてかがよふらむか

くだものを實(みの)らしめむとあたたかき伊豆を戀ひつつ行きし汝(なれ)はも

草かげにひと處なる當薬(たうやく)はわれ見いでつと人に知らゆな

おくりこし唐きびの香をなつかしみ杉の落葉の火もてあぶれる

いかにしてわれ食はむかとおもひ居り目ざむるばかり赤きトマトを

やうやくにれたる山のゆふまぐれからびてゐたる茄子を煮にけり

人參(にんじん)ををしみ置きしがこのゆふべ五目(ごもく)の如く入れてしまひぬ

葛の花さくべくなりて歩みくるここの小峽(をかひ)もわれに親(した)しも

にはつ鳥○(かけ)のきこゆるは猶太人(ゆだやじん)家族が飼へるをんどりのこゑ
【○は該当漢字無し】

かすかにしわれは住めども朝夕の米(こめ)とぼしらになりまさりたり

くろく蔽(おほ)へる燈(ともし)の下に貯への米計りをり娘とともに

去年より用意をしつつ持て來たるともしき米も食ひ終えむとす

配給をうけぬ生活をわれすればこだはりなくて歸りなむいざ

くだりゆかむ娘のためにいささかの紅茶を沸かすわが心から

馬追のしげき夜ごろを米ぶくろひとつたづさへのぼり來まさね

臺所(だいどころ)ながるる水がながれそめわれの心ははじめて樂し

飯(いひ)を焚く火の音きこゆをりをりは撥ぬる音さへ聞こゆるものを

餘光(よくわう)とほく及べるころを一人住(ひとりずみ)の釜のそこひに飯(はん)煮ゆるおと

味噌樽のあきたるをけふつつがなく山形あがたへ送らむとする

東京の弟がくれし稚鯉(をさなごひ)こよひ煮たればうまらに食はむ

小さき鯉煮てくひしかば一時(ひととき)ののちには眼(まなこ)かがやくものを

久々にくひたる川の稚鯉こなれてゆけばわが現身(うつしみ)よ

去年(こぞ)われら來たりしがごと石の間のいづみを飲みつただひとりにて

いつしかも強羅山べに葛(くず)にほふ頃としなりてかへりゆかむか

來年の夏われ來なば射干(ひあふぎ)もこの高萱(たかがや)もいかにかあらむ

ひとりゐて飯(いひ)くふわれは漬茄子(つけなす)を噛むおとさへややさしくきこゆ

配給の澤庵みれば黄ににほふその黄のにほひわが腹のなか

肝むかふ友は心に吾(わ)をおもひこのたまものをわれに食(く)はしむ

ぎばうしゆも茗荷も地(つち)に枯れふして和(のど)にはあらぬ年くれむとす


 昭和二十年

のがれ來て一時間にもなりたるか壕(がう)のなかにて銀杏(ぎんなん)を食む

老いゆかむ吾をいたはりたまひたる飯(いひ)の中より気(いき)たちのぼる

きさらぎの三日の宵よ小ごゑにて追儺(つゐな)の豆を撒きをはりけり

冬の夜のふけしづむころみちのくの村にし居りて栗食むわれは

ことわりも絶えがたしがごとくせまりくる泉の音はわが眞近より

雪の上すれずれに飛びし頬白は松の根方にものをついばむ

宵ごとに下劑を飲めばわづらはし烏芻沙摩明王(うすさまみやうわう)護りたまはな

ゆふがれひ食ひをはりたる一時(ひととき)を灰となりゆく燠を目守(まも)りつ

わが生(あ)れし村に來りて柔き韮を食むとき思ほゆるかも

おとろへしわが齒哀れと言ひつつぞ豆腐のめづら吾に食はしむ

われの居る金瓶村を出はづれてやぶ萱草の萌えいづる野に

椋鳥は群れて戯るるごとく啼く櫻桃(あうたう)の花しろく咲くころ

四つの澤に満ち足らはむとする水はいくさ劇しき時に流るる

つねの世のごとくに歩む々と木通(あけび)の花のふふむ坂路(さかぢ)を

この山の中に田あれやほがらほがら鳴ける蛙(かはづ)のこゑをし聞けば

松根(しようこん)を掘りたるあとの狹間(はざま)なる新しき泉の水おとぞする

小園(せうゑん)のをだまきのはな野のうへの白頭翁(おきなぐさ)の花ともににほひて

あはれなるものにぞありける五十年にして再會ぜる谷の泉の水

櫟(くぬぎ)の葉みづ楢(なら)の葉のひるがへる淺山(あさやま)なかに吾はしづまる

ひとり寂しくけふの晝餉(ひるげ)にわが食みし野蒜(のびる)の香をもやがて忘れむ

朴(ほほ)がしはまだ柔き春の日に一日(ひとひ)のいのち抒(の)べむとぞおもふ

たたかひの劇しき時に茱萸(ぐみ)の花むらがり咲きて春ゆかむとす

握りたる飯(いひ)を食はむと山のべにわが脚を伸ぶ草鞋をぬぎて

みちのくの春逝く山のふところに白く散りたる大根の花

またたびの花たづねゆく川原ぎし酢川(すかは)はここに堰(せ)かれつつあり

のがれ來てはやも百日(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ

實になれる菠薐草(はうれんさう)に朝な朝な鶸(ひわ)が來りて食みこぼしけり

●豆畑(ささげばた)の雜草(あらくさ)とるとあまつ日の入りたる後に連れられて來つ
(●は常用漢字に無し。豆偏に工)

十右衛門が手入をしたる玉葱の玉あらはれて夏は深まむ

さみだれは二日降りつぎ蠶(かふこ)らの繭ごもらむ日すでに近づく

朝々はすがしくもあるか此庭に雀あらそひて松の皮おとす

藻のなかに鯉のやからの眠るべくこのしづけさをたもたむとすや

豊後梅(ぶんごうめ)と稱する梅の大き實が寳泉寺よりとどきてゐたり

美しき斑を持ちながら夏ふけて梅の木の葉を食ふ蟲のあり

診察の謝禮にもらひし●卵(けいらん)を朝がれひのとき十右衛門と食ふ
(●は常用漢字に無し。「鶏」の異体字か?)

この村の小さき園に●(ひゆ)といふ草はしげりて秋は來むかふ
(●は常用漢字に無し。草冠に見。)

たかだかと唐もろこしの並みたつを吾は見てをり日のしづむころ

たたかひのため穉(をさな)らの競(きほ)ひたる路傍の豆を見つつ歩めり

おちつかぬ朝餉(あさがれひ)にて石噛みし齒をいたはりて山のべに來し

たのまれてたまたま藥あたへたるそのおほむねは貧しく疎開せりけり

麥飯(むぎいひ)の石をひろふは夜(よ)ぶすまゆ蚤捉ふるに豈(あに)おとらめや

停戰ののち五日この村の畑(はたけ)のほとりにわれは休らふ

よわき齒に噛みて味はふ鮎ふたつ山の川浪くぐりしものぞ

山のべの繁みが中に蓁栗(はしばみ)もやうやく固く秋づかむとす

すでにして山道くれば新しき栗のいがおほく落されてあり

戰ひのをはりとなりし秋にしてかすかなる村の施餓鬼おこなふ

白萩は寳泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ

朝寒ともひつつ時の移ろへば蕎麥の小花に來ゐる蜂あり

稲を刈る鎌音(かまおと)きけばさやけくも聞こゆるものか朝まだきより

みちのくの最上川べの大石田にわが齒は痊えてすがしこの朝

わたつみの海よりのぼり來し鮭を今ぞわが食ふ君がなさけに

桑の實はやうやくしのがれ來て感冒もせずわれは居りしに

椋鳥ははやも巣だちて岡べなる胡桃の花も過ぎむとぞする

しづかなる時代(ときよ)のごときこころにて白き鯉この水にあぎとふ

こゑながく鳴きをはりたる蝉ひとつ暫しはゐたりこの梅の樹に
(蝉は旧字体)

ひそかなる吾の足音(あのと)におどろけり桑のはたけの蟋蟀(くろこほろぎ)は

いつしかに黄ににほひたる羊齒の葉に酢川(すかは)の水のしぶきはかかる

漆の葉からくれなゐにならむとす秋の山べのにほひ戀(こほ)しく

むらさきににほひそめたる木通(あけび)の實進駐兵は食むこともなし

いでゆきて疊のうへに持てきたる南蠻鐵色(なんばんてついろ)の柿の葉ひとつ

天保の代に餓死(うゑじ)にしものがたり今も悲しく語りつたふる

すがしくも胸門(むなと)ひらけばこの縣(あがた)の稲の稔りを見て立つわれは

くさぐさの實こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて

あららぎのくれなゐの實の結ぶとき淨(さや)けき秋のこころにぞ入る

沈默のわれに見よとぞ百房のき葡萄に雨ふりそそぐ

秋のひかりとなりて樂しくも實(みの)りに入らむ栗も胡桃も

颱風の遠過ぎゆきしゆふまぐれ甘薯(かんしょ)のつるをひでて食ひつも

いばらの實赤くならむとするころを金瓶村にいまだ起き臥す

よの常のことといふともつゆじもに濡れて深々し柿の落葉は

わが心しづかになれど家隈(いへくま)の茗荷黄いろにうらがれわたる

のがれ來てわが戀(こほ)しみし蓁栗(はしばみ)も木通(あけび)もふゆの山にをはりぬ

雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ

穉(をさな)かりし頃しのばなと此ゆふべ帚(はうき)ぐさの實われに食はしむ


 昭和二十一年

しづかなる冬の日向にいださるる(さや)けくも白き豆くろき豆

寒(かん)の粥くひをはりたるひと時をこの夜の話聽かむとおもひし

黄になりて地(つち)に伏したりし紫萼(ぎばうしゆ)に三尺あまりの雪はつもりぬ

あまぎらし雪はつもれどあららぎのくれなゐの實はいまだこもれり

農のわざつぶさに見つる一年(ひととせ)ををしむがごとく村去らむとす


  原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)


霜(斎藤茂吉料理歌集)

2013年03月10日 17時20分46秒 | 斎藤茂吉料理歌集

「霜」


 昭和十六年


白き餅(もちひ)われは呑みこむ愛染(あいぜん)も私(わたくし)ならず今しおもはむ

海の幸あふるるばかりよりて來(こ)むはや呼べわが背はや呼べ吾妹(わぎも)

あかときの男女(をとこをみな)のこぞりたる網引(あびき)のこゑは海の幸(さち)呼ぶ

もろともに朝のこゑあぐる汀(なぎさ)には今こそ躍れ大魚小魚(おほうをこうを)

朝日子(あさひこ)を眞面(まとも)に受けて入りつ船海の幸(さちはひ)あふるるばかり

鰭(はた)の狹物(さもの)鰭のひろものに至るまで置き足(た)らはして朝明けむとす

哈爾濱(ハルピン)の市場にありて食料品買はむと誘惑を感じけるころ

きさらぎの鮒をもらひぬ腹ごとに卵をもちていかにか居(ゐ)けむ

飯(いひ)の恩いづこより來る晝のあかき夜のくらきにありておもはむ

納豆もしばらくは食はずしかすがに恣(ほしいまま)にてわれあるべしや

蕗の薹五寸あまりに伸びたちて華(はな)になりたり今朝はあひ見つ

吾がとなり若き母乳(ちち)を飲ませをりあまたたび乳兒(ちご)に面(おもて)すりつく

三越の地階に來りいそがしく買ひし納豆を新聞につつむ

狂者(きやうじや)らの殘しし飯(いひ)もかりそめのものとな思ひ乾飯(ほしいひ)にせよ

蕗の薹むらがり立つをよろこびてほほけぬ日日(ひび)を來て立ちまもる

みちのくの農に老いつつみまかりし父の稻刈(いねかり)がおもかげに立つ

酢章魚(すだこ)などよく噛みて食ひ終へしころ降りみだれくる海のうへの雨

タイ國(こく)の砂とおもひて身にぞ沁(し)む宵々(よひよひ)に米(こめ)より砂ひろはしむ

いろ赤き砂もまじりて遙かなる洋(うみ)彼方ゆ來つる米(よね)はも

配給を受けたる米(こめ)を愛(を)しみつつ居りたるなべに砂ひろひけり

まじりゐる籾(もみ)をし見れば細長くわがくにぐにの籾ごめに似ず

底ごもり安(やす)からぬものの傳はるをわれ否定して米袋解く

佐渡にして羽茂川の鮎愛(は)しといへど旅をいそぎて一つだに見ず

佐渡の春行かむとしつつかげともに白きを見れば梨の花さく

女等(をみなら)も田を鋤くなべに現身(うつしみ)にあまつめぐみの垂りつつゐたり

あはあはと苺の花のにほひゐてき蜂こそまつはりにけれ

ぜんまいのわたをかむれる萌立(もえだち)をひとり見つれば默(もだ)にしありき

櫻桃(あうたう)の花しらじらと咲き群るる川べをゆけば母をしぞおもふ

粒粒皆辛苦(りふりふかいしんく)すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ

粒(りふ)卻(しりぞ)けて霞を喰ふといふことを古(いにしへ)の代に誇りしもあり

米を縁がはに干せば米の蟲いくつも出でて逃ぐるを見てゐる

たまはりし食物(をしもの)をおしいただきぬ朝のかれひにゆふの餉(かれひ)に

おぼろなる心うごきは安からず米(よね)に係はりつ昨日も今日も

山中(やまなか)にくもり深けば惜しみつつ珈琲(コオヒイ)を煮しこの私事(わたくし)よ

山中にこもれるわれに樂しめと最上川の鮎十(とを)おくりこし

こもりゐる吾(あ)にも食へよとたまものと熱海のうみの生き足りし魚

米の蟲の白米(しろごめ)侵すありさまを見たりけるいたく驚きながら

一椀(いちわん)の味噌汁の恩(おん)干し蕨いれてたぎてる汁をし飲めば

ものきびしき世相(よさま)にありてはしけやし胡瓜(きうり)噛む音わが身よりする

しげみにはき葡萄の房も見てそこはかとなく山を遊ぶも

白膠木(ぬるで)の實うすくれなゐになりにけり秋ふけにして鹽ふくらむぞ

哀草果われにくれけむ納豆も七日(なのか)たもたずかたまりゐるを

山形のあがた新米(にひごめ)のかしぎ飯(いひ)納豆かけて食はむ日もがも

山なかにわが持て來つる二斗餘の米を愛(を)しみて疊にひろぐ

ものなべて乏(とぼ)しといひて粘(ぬめり)ある山草(やまくさ)くへばよろこびまさる

小つぶなる金平糖を見いで來てをしみつつ居る女中等のこゑ

納豆を食はずなりしより日數經てその味ひもおもひいださず

刈りをへし稻田(いなた)にくだり晝の飯(いひ)食ひつつ見守(まも)る松尾山(まつおやま)ひくし

勝さだまりし最後の陣のあとどころ稻田のうへに西日さしたり

山椒の實を摘みとりて秋山をおもひいでむと語りあひける

うつくしく柿落葉せるかたはらに茶の花咲けりひとのたづきに

胡頽子(ぐみ)の實のくれなゐ深(ふ)けしこの峽(かひ)は夜空はれて霜ふるらむか

みちのくの秋田あがたより送りこし榠櫨(くわりん)ななつをわれは愛(を)しむも

黄色なる榠櫨枕べにひとつ置くわれの眠らむその枕べに

香(かう)のもの食(は)むときさへにただならず國(くに)のお歴々感冒を爲(す)な

厚(あつ)ら葉(は)のなかにこもりて萬年(おもと)の實紅(あか)きころほひ時雨ふりけり

健康の遺傳すること見つつくる路傍の石榴(ざくろ)くれなゐふけて

わが心たひらになりて快し落葉をしたる橡(とち)の樹(き)みれば

牛飼と牛飼どちの交りは歌をつくりて樂しかりけめ

高ひかるひじりのみよにためらはず鰻をめでてこころいさまむ


 昭和十七年


この川は時にあらぶる川となり森ながし畑(はた)流し田ながす

この沼にはりし氷を方形(はうけい)に挽きて運びしあとを見てゐる

梨の花家をかこみて咲きゐたり春ゆくらむとおもふ旅路に

霜よけの紙のおほひも心親し胡瓜のたぐひ双葉に萌えて

くろぐろと咲ける木通(あけび)の花をしも道のべにしてわれはかなしむ

大根(おほね)の丸ぼしを軒に吊したり雪ふるときの食物(をしもの)なるか

このに著くまでわれの目にとめしつぼ菫(すみれ)の花ぜんまいの萌え

その母は畠(はた)たがやすと畠すみの行李の中に稚兒(をさなご)置けり

みちのくの笹谷峠のうへにのぼり午餉(ひるげ)ひさしくかかりて食へり

わたつみの魚(うを)を背負ひて山形のあがたへ越えし峠路(たうげぢ)ぞこれ

そのみづのうへにかぶさり消(け)のこれる雪ふみ越ゆる時に雪食(は)む

から松の木原(きはら)めぶきてにほへるを目交(まなかひ)にして下りつつあり

ほほの木はふとく芽ぶくにさにづらふかへるでの萌(もえ)もゆるがごとし

わが心充(み)たむがごとく山中(やまなか)のふと樹の橡(とち)は芽ぶきそめたり

くろぐろとして我がそばに咲きゐたる通草(あけび)の花のふるふゆふぐれ

桑の花かすかに咲きて垂りをるを一たび吾はかへりみにつつ

萌えそめし木々の木芽(このめ)の愛(は)しきかもそのおほむねはいまだ開かず

澤のべにむらがり居りて薇(ぜんまい)のいまだ開かぬ萌(もえ)を愛(かな)しむ

栗の毬(いが)などかたまりありてそのほとりかたくりの花にほひてゐたり

くわん草(ざう)のひとつらなりに竝(なら)びたるあやめぐさには紫(むらさき)ふふむ

ふた山のよりあふ小峽(をかひ)にさ蕨のもえいでて春逝かむとすらむ

のぼりゆく山のいただき近くしていでし蕨はおよびのごとし

山のべの沼に下り來て蓴菜(じゆんさい)をもとむる吾をあやしとおもふな

眼下(まなした)に平たくなりて丘が見ゆ丘の上には畑がありて

出羽(いでは)なる山の蕨も越(こし)のくにの笹餅(ささもちひ)をも食ひてあまさず

櫻の實くろく落ちたる下かげをわれ行きしかば人しおもほゆ

日にむかふ油ぎりたる草を目のまへにしてしづ心なき

春野菜滿載したるトラツクの勢(いきほひ)づきてゆくを見守(まも)りつ

いでたたむ軍醫中尉の弟とひるの餅(もちひ)を食(を)すいとまあり

蕗の葉の裏につきゐる蟲をけさもつぶしに吾は來りぬ

木瓜(ぼけ)の實はまだしなどいへれどもやうやくにして夏は深まむ

おごそかに古りけるものか樹膚(きはだ)には白ききのこをやどらしめつつ

秋さりてやうやく茂る草のあり傍(かたはら)のくさ實のこぼるるに

くろぐろと實になる草のかたはらに月草(つきくさ)いまだにほふあはれさ

九月になれば日の光やはらかし射干(ひあふぎ)の實もくふくれて

かぎりなき稻は稔りていつしかも天(あめ)のうるほふ頃となりしぬ

ひと夏を山に明け暮れかへり來て稻の稔りをおもひつつ居り

ためらはむことひとつなしくらきより起きて飯(いひ)くふ汝(な)が父われは

あまのはら冷ゆらむときにおのづから柘榴(ざくろ)は割れてそのくれなゐよ

据ゑおけるわがさ庭べの甕(かめ)のみづ朝々澄みて霜ちかからむ

ゑらぎつつ酒相のみし二十五年のむかしおもへば涙おちむとす

わが庭をみればくれなゐの實をもてる萬年(おもと)のうへに雪ふりしきる

酒(さか)やけに常あかかりし君の鼻はや白きかなやつひのわかれは

たまはりし信濃のうなぎ忝(かたじけ)な三日かかりてわれ食ひをはる





   原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)


のぼり路(斎藤茂吉料理歌集)

2012年05月18日 20時35分14秒 | 斎藤茂吉料理歌集

「のぼり路」


 昭和十四年 十月以後


天孫(すめみま)の神のみまへにひれふして豊酒(とよき)を飲みぬあはれ甘酒(あまき)を

裏山の徑(みち)をのぼりて木犀の香を嗅ぐころぞ秋はれわたる

おしなべて國分煙草(こくぶたばこ)の名に負へる米葉(べいは)ぐるまにあまた逢うひつも

栂樅(つがもみ)の密林すぎてあな愛(かな)し四照花(やまばうし)の實共にし食へば

大隅(おほすみ)の串良(くしら)の川に樂しみし鰻を食ひてわれは立ち行く

しぐれ降る頃となりつつ植うるもの茄子(なすび)の苗に顔ちかづけぬ

この町に近づきくれば魚の香ははや旅人の心に沁みつ

幾萬を超えたる鰹(かつを)港より陸にあがるを表象とする

こもりづのしづかさ保つさもさらばあれ海のうろくづ此處につどへる

萬里紅(まりこう)の鯉を食はむとわれ餓鬼は石の階(かい)三百三十忽ちくだる

萬里紅の鯉は珍(とも)しもをとめだちかはるがはるに笑みかたまけて

海龜の卵をひさぎ賣るといふこの町なかを歩き見まほし

芋の葉は油ぎりたるさにてこの秋庭(あきには)に我を立たしむ

くれなゐの木の實といふもかすかなる斑(ふ)のあるものと吾は知りにき

ゆくりなく霧島山にあひ見つる四照花(やまばうし)の實をいくつか食ひぬ

むらがりて生(な)れるこの實を小禽(ことり)らが時に樂しむその嘴(はし)のあと

霧島の山のなかなる四照花その實の紅(あけ)をひとり戀(こほ)しむ

けふ一日(ひとひ)砂糖商人と同車して砂糖の話題にも感傷しゐる


 昭和十五年


日本産狐は肉を食ひをはり平安の顔をしたる時の間

飲食(のみくひ)の儉約をすといひたてて朝々を一時間餘多くねむる

一つ鉢にこもりつつある蕗の薹いづれを見ても春のさきがけ

十以上かたまりてゐる蕗の薹を冬の寒きに誰か守らむ

十あまり一つ鉢なる蕗の薹おくれ先だつ一様(ひとさま)ならず

五寸あまり六寸あまりに伸びたちて蕗の薹し鉢の眞中(まなか)に

あをあをと冬を越したる蕗の薹彼岸を過ぎて外にもち出す

わが部屋のすみに置きたる蕗の薹をぐらきにかく伸びにつらむか

ひらきたる苞の眞中に蕗の花ふふみそめつつ十日を經しか

蕗の薹の苞のきがそよぐときあまつ光を吸はむとぞする

かたまりて冬を越えたる蕗の薹五寸餘(ごすんよ)のびて部屋中にあり

タイマイといふはタイ國(こく)の米にして心もしぬに其國(そのくに)おもほゆ

六十(むそぢ)なる齡(よはひ)いたりて朝宵(あさよひ)の食物(をしもの)のべに君はしづけく

東北辯の夫婦まうでて憩ひ居り納豆のこと話してゐるも

朝々(あさあさ)に立つ市(いち)ありて紫ににほへる木通(あけび)の實さへつらなむ

しめぢ茸(たけ)栗茸(くりたけ)むらさきしめぢ茸木の葉のつきしままに並(な)めたる

朝市の山のきのこの(かたはら)に小さき蝮(まむし)も賣られて居たり

この市に野老(ところ)を買へりいにしへの人さびて食(は)む苦き野老を

この市は海の魚のいろいろを朝のさやけきままに賣りゐる

この園に鳥海山のいぬ鷲は魚を押(おさ)へてしばしかが鳴く

五つばかり西洋梨をカバンに入れ越後まはりの汽車にまたゐつ

朝飯(あさいひ)をすます傍(かたは)らにわが次男も参拝をへてはや歸りゐる

夕飯(ゆふはん)に會合(くわいがふ)のことも少(すくな)くてわが五十九の歳ゆかむとす



  (原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年))


寒雲(斎藤茂吉料理歌集)

2011年02月09日 21時08分59秒 | 斎藤茂吉料理歌集


 昭和十二年

むらぎもの心(さや)けくなるころの老(おい)に入りつつもの食はむとす

子らがためスヰトポテト買ひ持ちて暫(しば)し銀座を歩きつつ居り

街上(がいじやう)の反吐(へど)を幾つか避(さ)けながら歩けるわれは北へ向きつつ

まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹(ふきのたう)萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ

しづかにも老いたまひたる岡大人(をかのうし)に祝酒(ほぎざけ)ささぐわれも飲ままく

洋食をこのごろ食ひてあぶらの香(か)しみこみしごとおもふも寂し

おさなごの筥(はこ)を開(あ)くれば僅(はつ)かなる追儺(つゐな)の豆がしまひありたり

乳(ちち)の中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞする

みづうみに下(くだ)りて行かむ道のべに苺(いちご)の花は咲きさかりけり

莖(くき)赤く萌えにし蕎麥(そばを)たまはりぬ朝な朝な食(を)すわがいのち愛(を)し

つちのうへに莖(くき)くれなゐに萌えいでしものを食ひつつ君しおもほゆ

酒宴(さかもり)にもろごゑ響き洲本(すもと)なる旅の宿りに一夜(ひとよ)いを寐(ね)ず

田のあひに人のかへりみせぬ泉(いづみ)吾手(わがて)にひびくまでにつめたし

人に言はむ理由(ゆゑよし)もなし色づきし麥生(むぎふ)のあひに泉(いづみ)もとむる

群れ生ふる擬寶珠(ぎばうしゆ)つむと友ゆけば高野(たかの)のうへに自動車が待つ

わが友は山の入野(いりぬ)に擬寶珠のやはらかを摘(つ)む明日(あす)食(く)はむため

わが側(そば)にをとめ來りてドラ燒をしみじみ食ひて去りたるかなや

横濱の成昌樓につどひたる友等みな吾よりわかし

わがそばの女(をんな)しきりに煙草(たばこ)吸ふ芝居みる時は多く吸ふらし

幾年(いくとせ)ぶりにわが身に沁みしものの一(ひと)つ泉(いづみ)におりて鷲が水飲む

この峽(かひ)も日でりつづけば汗あえておりて來にけり泉を飲みに

おもひ殘す事なしと云ひ立ちてゆく少尉にネエブル二つ手渡(てわた)す

陣(ぢん)のなかにささやかに爲(せ)る靈祭(たままつり)二本の麥酒(びいる)そなへありたり

たたかひに出でゆく馬に白飯(しらいひ)を焚きて食はせぬと聞きつつ默(もだ)す

塹壕に見ゆる眞裸(まはだか)の工兵が今し酒のむ物恐(ものおそ)れなし

いささかの氷砂糖等(など)君の陣に届かむ日ごろ雨な降りそね

枸杞(くこ)の實のあけのにほへる冬の野に山より小鳥くだりて鳴くも

よひよひに露霜(つゆじも)ふれか擬寶珠(ぎばうしゆ)はさながら白くなりて伏したり

ひろ葉みな落ち盡(つく)したる太木(ふとき)よりくれなゐの實の房(ふさ)垂(た)りに垂(た)る

じやのひげの瑠璃(るり)いろふかくならむ實をそこはかとなくあけくれて見ず

嬬(つま)ゆゑに心なやましきことなしと上海戰線に蕎麥うつところ

あるゆふべ君がみづから呉(く)れたりし我口(わがくち)ひびく佐賀(さが)の蟹(かに)づけ

わがあゆみ立ちどまりたる茄子畑(なすばたけ)老(おい)のいのちをしばし樂しむ


 昭和十三年

ゆたかなる武運(ぶうん)にあれとうちこぞり部隊の兵は餅(もち)食ふらむか

忽ちに飯店(はんてん)出來て兵(へい)いで入る「突撃(とつげき)めし」といふ看板(かんばん)あはれ

榧(かや)の枝(え)につもりし雪を口づから食はむとぞする我ならなくに

鎌もちて、楤(たら)のこのめを君が切るおどろが中に吾(わが)待ち居りて

楤(たら)の芽の萌えしばかりを食(く)はむとて軍手(ぐんて)をはめし君が手摘(つ)むも

我庭の隅に萌えいでし蕗の薹幾つかありてはやくほほけぬ

伊太利(イタリヤ)の使節人(つかひびと)らを迎へたる酒筵(さかむしろ)にゆきてのぼせつつ居り

羽前(うぜん)なる弟(おとうと)の子が満州に行くをよろこび飯(いひ)くふわれは

吾が歩むみぎりとひだり畑(はたけ)にて大麥よりも小麥が秀(ひい)づ

出羽(では)ヶ嶽(たけ)勝ちたるけふをよろこびて二(ふ)たりつれだち飯(めし)くひはじむ

來禽(らいきん)はすなはち林檎(りんご)のことにして或るときは露伴先生の「音幻論(おんげんろん)」

自轉車のうへの氷を忽ちに鋸(のこぎり)もちて挽きはじめたり

蒸暑き日にはおのれの額(ひたひ)より汗は垂りたり紅(あけ)の胡頽子(ぐみ)の實

戸をしめて遠地(とほち)をおもふこの夜ごろ杏子(あんず)黄いろになりにつらむか

豊かなるこの水中(すいちゆう)に鰻(うなぎ)鱸(すずき)沙蠶(ごかい)を食はむさましおもほゆ

くろずむまでになりたる茱萸(ぐみ)の實を前を通(とほ)り幾つか食ふも

あまつ日の遂に見えざりし市中(いちなか)に色新(いろあたら)しき茄子(なす)並びけり

みづからの食(く)はむ米(こめ)もち入りて來し峽(かひ)大門(おほと)に雲とぢわたる

通草(あけび)の實ふたつに割れてそのなかの乳色なすをわれは惜しめり

むらさきの葡萄(ぶだう)のたねはとほき世のアナクレオンの咽(のど)を塞(ふさ)ぎき

おほつぶの葡萄(ぶだう)惜しみてありしかどけふの夕(ゆふべ)はすでに惜しまず

ただ見てもわれはよろこぶ(あを)ぶだうむらさき葡萄(ぶだう)ならびてあれば

葡萄(くろぶだう)われは食(く)ひつつ年(とし)ふりしグレシヤの野(の)をおもふことなし

をとめ等(ら)がくちびるをもてつつましく押(お)しつつ食はむ葡萄(ぶだう)ぞこれは

まをとめの乳房(ちぶさ)のごとしといはれたる葡萄(ぶだう)を積みぬわがまぢかくに

秋の陽は雲のしたびに熟(じゆく)したる苺(いちご)のごとくなりて入りゆく

巖鹽(がんえん)は幾何幾何幾何(いくばくいくばくいくばく)と計算すみといふを聞きゐる

山のさちはさもあらばあれ海(うみ)の幸(さち)おのれが幸(さち)とものおもひもなし

みどり兒(ご)のおひすゑ祝ふともしびのかがよふもとにわれ醉ひにけり

鉢の子に赭(あか)くなりたる栗(くり)入れて歸りましけむ聖(ひじり)しおもほゆ

久々に君と相見れば一國(いつこく)の米(こめ)を論ずるいきほひぞよき

酒のみて痴(し)れむとすとも在りしひの神保(じんぼ)おもへば涙し流る

醉泣(ゑひなき)は誰とかもするありし日の君を偲びて醉泣(ゑひな)かむとす

朗(ほがら)けき神保おもへば今日(けふ)こよひ倒れむまでにとよもして飲め

日のつとめ果(はた)して飯(いひ)を食ふ時は高き心を汝(なれ)に與(あた)ふる

あたらしき光のごとき建國(けんごく)の心を持ちて飯(いひ)を食(く)はむぞ


 昭和十四年

白柚(しろゆず)は南(みなみ)のくにのかぐの實(み)ときのふもけふも愛(め)で飽かなくに

やはらかき餅(もちひ)を咽(のど)にのみこみて新幸(にひさいはひ)の心を遂げぬ

天皇の御下賜(おんかし)の御酒(みき)前線(ぜんせん)にごくりと飲みて年ほぎわたる

野のなかの丘を越えたるわれひとり冬(ふゆ)の泉(いづみ)をむすびて飲みつ

百萬(ひやくまん)皇軍(くわうぐん)ともに豊酒(とよみき)を飲みほす時ぞひかりかがよふ

いざ子ども世のさいはひは健(すくや)かに豊酒(とよみき)を飲むこの一ときを

餅のうへにふける黴(あをかび)の聚落(しゆうらく)を包丁をもて吾けづりけり

はりつめし甕(かめ)の氷(こほり)をかへりみずこの夜(よ)ごろ魚(うを)は生きつつゐむか

ひとり寝のベツトの上にこの朝け追儺(つゐな)の豆はころがりて居り

豊酒(とよみき)はためらはず飲め樂(たぬ)しかる今日のゆふべのこの一時(ひととき)を

竟宴(きやうえん)のゆふべとなりておのづから心ゆたけし戀(こひ)遂(と)げしごと

竟宴(きやうえん)のあかりの下(もと)に吾等つどふ馬醉木(あしび)の花もそこににほひて

鹽(しほ)斷(た)ちてこやる童(わらべ)を時をりにのぞきに來つつ心しづめ居り

をさな兒は鹽(しほ)を斷(た)たれて臥しをれど時々(ときどき)ほがらかに笑(わら)ふ聲すも

擬寶珠(ぎばうしゆ)の芽は鉾形(ほこがた)にのび立ちてけふの夕方(ゆふがた)あたり葉開(ひら)かむ

をさな子が癒(い)えむとしつつ鹽味(しほあぢ)を少しづつ食(く)ふ時にはなりぬ

入學のしらせ受けたる長男をよろこびこよひ洋食(やうしよく)くへり

わが子等と共に飯(めし)くふ時にすら諧謔(かいぎやく)ひとつ言はむともせず

夏茱萸(なつぐみ)がいろくれなゐにむらがりて生(お)ふるを見れば古(いにし)へ思ほゆ

佐比賣野(さひめの)は生ふる蕨の數しれずひくくして蕨ほほけつつあり

茂吉(もきち)われやうやく老いて麥酒(ビール)さへこのごろの飲まずあはれと思へ

年毎(としのは)におもふみ墓にあららぎの實の落つるころ我は行かむか

淺草のみ寺にちかく餅(もちひ)くひし君と千樫(ちかし)とわれとおもほゆ

山腹(やまはら)の三本楢(さんぼんなら)といふところ水湧きいでて古(いにし)へゆ今に

平(たひら)ぐらの高牧(たかまき)に來てあかときの水のみ居れば雲はしづみぬ

みちのくの藏王(ざわう)のやまに消(け)のこれる雪を食ひたり沁みとほるまで

わがためにここに起臥(おきふ)し炊(かしぎ)せし媼(おうな)身まかりて日々に悲しも

白桃(しろもも)の大きなるものわが部屋に並(なら)べつつあり(すが)しといひて

豆(まめ)もやし蒸(む)せるがごとき感動よ歐洲戰を背景とする

餅あまたくひ飽かぬてふ伯父のきみを今壽老人(いまじゆらうじん)とわれ申しける


 (原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年))


曉紅(斎藤茂吉料理歌集)

2009年05月26日 05時38分57秒 | 斎藤茂吉料理歌集

 昭和十年

かすかなる御民(みたみ)のわれも若水(わかみづ)を汲みつつまうせけふの吉事(よごと)を

納豆もちひわれは食ひつつ熊本の干納豆(ほしなつとう)をおもひいでつも

富人(とみびと)は富人どち貧しきは貧しきどちと餅(もちひ)をぞ食(を)す

春川のながれの岸に生(お)ふる草摘みてし食へば若(わか)やぐらしも

磯におりてかすかなる水の湧くを見つ水にちかく磯の浪のおと

わたつみの海にむかひて屯(たむろ)せる家居(いへゐ)にはみな鰯を干せり

川原茱萸(かはらぐみ)やうやく赤く砂丘(すなをか)の麓(ふもと)のところ二木(ふたき)ばかりあり

利根河の河の水近く大規模(おおきも)に醤油(しやういう)をつくる一劃(いつくわく)を來し

あたたかき飯(いひ)をゆふぐれ食ふときに天(あめ)の命(いのち)も怖(お)ぢておもはず

燠(おき)のうへにわれの棄てたる飯(いひ)つぶよりけむりは出でてく燒けゆく

つつましくして豚食はぬ猶太族(ユダぞく)のをとめとも吾は谷をわたりき

かぎろひの春逝きぬればわれひとり樂しみにして居る茱萸のき實

くれなゐのこぞめの色にならむ日をこの鉢茱萸(はちぐみ)に吾は待たむぞ

谷間(たにあひ)に行かむ閑(ひま)あり三たり等は蕨の餅(もちひ)もとめつつ行く

赤々と色づきそめし茱萸(ぐみ)の實は六月二日(ふつか)に十(とを)まり七つ

くもり日の二日(ふつか)經(ふ)れども茱萸の實の色づく早し悲しきろかも

まどかなる赤(あけ)になりつつ熟(う)みし茱萸六月五日にも吾は數(かぞ)へつ

うつせみの吾(わが)見つつゐる茱萸の實はくろきまで紅(あけ)きはまりにけり

をさなごの吾子(わがこ)は居れどくれなゐの茱萸の木(こ)の實を食ふこともなし

百(もも)あまり濃きくれなゐにしづまれる茱萸の實こほし朝な夕なに

あしびきの山路(やまぢ)せまめてむらがれる車前草(おほばこ)のうへに雨の降る見ゆ

いたどりの白き小花(こはな)のむれ咲くを幾たびも見て山を越え來ぬ

飲食(のみくひ)にかかはることの卑しさを露(あら)はに言ひし時代(ときよ)おもほゆ

嫩江(のんこう)のほとりに馬が草食(は)むといふ短文にも心とどろく

デパートを上(のぼ)り下(お)りして精米の標本のまへに暫し立ちけり

朝な朝な味噌汁のこと怒(いか)るのも遠世(とほよ)ながらの罪のつながり

のみ食ひのあけくれに君のみとめたる「人生物理」をいまはおもはむ

人に云はむことならねどもいつの頃よりか抹茶(ひきちや)のむこと吾ははじめぬ

秋しぐれ降るべくなりて樹のもとに白く露(あらは)なる銀杏(いちやう)の實いくつ

霜ぐもる朝々子等と飯(いひ)を食ふひとり兒(ご)だにもなき人思(も)ひて

梅の實は黄にいろづきてこの朝明(あさけ)すがしき庭に一つ落ちをり

とよさかにさちはふ君のいでたちを味よろし魚(うを)くひて送らむ

故(こ)先生がハバナくゆらしゐたまひしみすがた偲ぶこよひ樂しも

みづからの子に毒盛りて殺さむとしたる現身(うつせみ)を語りぐさにす


 昭和十一年

大阪の友の幾たりわがために命のべよと牡蠣を食はしむ

春川(はるかは)のほとりに生(お)ふるつくづくし生ふれば直ぐに摘みて食(たう)べむ

もろこしの大き聖人(ひじり)もかくのごとへる木(こ)の實食ひしことなし

酒にみだれて街頭をゆく人少(すくな)しいかなるところにて人酒飲むや

ひととせの勤め果(はた)して新らしき年に餅(もちひ)を食へど飽かなくに

鉢植の茱萸(ぐみ)にもえたる新芽(にひめ)らののびつつありと今夜(こよひ)おもへり

鼠等を毒殺せむとけふ一夜(ひとよ)心樂しみわれは寝にけり

楢(なら)の葉のあぶらの如きにほひにもこのわが心堪へざるらしも

たわたわと生(な)りたる茱萸を身ぢかくに置きつつぞ見るそのくれなゐを

この茱萸を買ひ求め來て夏の日を樂しみしより三年(みとせ)經につつ

海のかぜ山越えて吹く國内(くぬち)には蜜柑の花は既に咲くとぞ

毒のある蚊遣(かやり)の香(かう)は蚊のともを疊におとし外へ流るる

いま少し氣を落著(おちつ)けてもの食へと母にいはれしわれ老いにけり

味噌汁を朝なゆふなにわが飲めば和布(わかめ)を入れていくたびか煮る

赤土(あかつち)のなかよりいでて來る水を稀々(まれまれ)にして人は掬(むす)ぶも

ものなべて終(をは)りしごときおもひにて夜半(よは)の桑畑(くははた)とほりて行きつ

草いちごの幽(かす)かなる花咲き居りてわが歩みゆく道は樂しも

車前草(おほばこ)は群れひいでたるところあり嘗(かつ)ての道とおもほゆれども

こころ和(のど)に馬が草食む音をききなほみづうみにそひて吾(あれ)ゆく

せまり來(こ)しかの悲しさも天(あま)ゆ降(ふ)る甘露(あまつゆ)のごと消えか行くらむ

幾たびかこの道來つつ葛(くず)の花咲き散らふまで山にこもりぬ

・谷々(たにだに)の夏はふけしとおもふにしここの流(ながれ)にうろくづを見ず

鯛を飼ふ水のみなもとは硫黄ふく谿と異(こと)なれる山山(やまやま)のかげ

たたずめるわが足もとの虎杖(いたどり)の花あきらかに月照りわたる

木香(もくかう)の赤實(あけみ)を採りて手(た)ぐさにすわが穉(をさな)くてありし日のごと

つぎつぎに起る國際の事件(ことがら)も顎につきし飯粒(めしつぶ)ひとつと言ふかも知れず

箱根路の山をくだりし幾日(いくか)めに納豆食ひたく思ひし日あり

あらくさに露の白玉かがやきて月はやうやくうつろふらしも

ひさかたの乳(ちち)いろなせる大き輪の中にかがやく秋のよの月

れとほる空をかぎりて黍(きび)立てりある一時(ひととき)は音さへもなし

蜀黍(もろこし)はあかく實(みの)りて秋の日の光ゆたかに差したるところ

秋の日のそこはかとなくかげりたる牛蒡の畑(はたけ)越えつつ行けり

煙草やめてより幾年なるか眞近(まぢか)なるハバナの煙なびきて戀(こほ)し

われひとり秋野を行けば草の實はこぼれつつあり冬は來むかふ

蓬生(よもぎふ)は枯れつつゐたり吾等ふたり蓬生の中に入りてやすらふ

きみづ湧きかへるそばに米(よね)とぐを木曾路(きそぢ)の町にたまたま見たり

朝鮮の人の妻等がうら安く山の茸(きのこ)を手に取り見つつ

秋茱萸(あきぐみ)のくれなゐの實は山がはの淵に立てればこの夕べ見つ

桑の葉の黄にもみぢたる畑(はた)のべを心むなしきごとくに行きつ

蕎麦の畑(はた)すでに刈られて赤莖(あかぐき)の殘れるがうへに時雨(しぐれ)は降るらむ

山椒の實が露霜(つゆじも)に赤らみて山がは淵(ぶち)にのぞみつつ見ゆ

深淵(ふかぶち)にのぞみて居(を)れば朴の葉のいまだきが向岸(むかぎし)に立つ

鞍馬(あんば)よりのぼり來(きた)れる途(みち)の上の蓼(たで)は素(す)がれて山峡(やまかひ)さむし

つゆじもは幾夜降りしとおもふまで立てる唐辛子のくれなゐ古(ふ)りぬ

一夜(ひとよ)あけて時雨のあめの降り過ぎし菜(あをな)が畑(はた)にわが歩みいる

時雨(しぐれ)のあめ降りくるなべに砂のへに山○(やまたら)の實のきが落ちぬ
(○は漢字)

藥賣(くすりうり)この狭間(はざま)まで入り來つる時代(ときよ)のことを語りあひけり

上松(あげまつ)より四十二基(キロ)を入り來つつこころ靜かに晝(ひる)の飯(いひ)食(を)す

歩みつつ烟草(たばこ)のむことを警(いま)しめて山の茂木(しげき)を人まもり繼(つ)ぐ

せまき峡に稻田(いなだ)がありてゆたけしとおもほえぬ稻なかば刈られぬ

この淵に見ゆる岩魚よあな悲し人に食はるなとわれは思へり

赤き實はすき透りつつ落ちむとす雪ふるまへの山中(やまなか)にして

よつづみのくれなゐ深くなれる實を山の小鳥は樂しむらしも

渦(うづ)ごもり巖垣淵(いはがきぶち)のなかに住む魚をしおもふこころしづけさ

山葡萄のく沁みとほる實を食(は)みてひとのあはれに遠そくがごと

友あまた今宵つどひてわがために豊酒(とよみき)飲みぬ豊酒の香や

松楊(ちしや)の葉は黄にとほりつつもみぢたりいつの日よりのその黄なるいろ

人ひとり横(よこや)をさして行かむとす日暮(ひぐれ)に著(つ)きて蕎麥食ふために

わが側(そば)にくれなゐ深く動きゐし山葡萄の葉はしづまらなくに

朝の茶の小つぶ梅の實われひとり寂しく食ひて種子(たね)を並べぬ

あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月おし照れり

うづたかく並べる菓子を見てをれど直ぐに入りつつ食はむともせず

冬の陽のしづかに差せる野のうへに高き蓬(よもぎ)はうら枯れにけり

山こえて藥もらひに來る老(おい)はときどき熊の肉を禮(れい)に置く


(原本 齋藤茂吉全集第二巻(昭和四八年))