はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト2008(017:頭)

2008年08月27日 19時01分55秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
ほらここが頭蓋骨よ、となぞらせる 教わるために指先はある
                末松さくや(旅人の空(待ち人の雪別館)

官能的な歌です。
頭蓋骨に触られるのではなく、(おそらく)相手の手を掴んで自分の頭まで持って行き「なぞらせる」。
そして、「ここが」と断っているところから、なぞらせるのは「頭蓋骨」だけではないかもしれません。
下句は、なぞらされた相手が言ったのではなく、主体自身の台詞でしょう。
「指先って、なんのためにあると思う?」と。
読点と一字空けに、意味深な艶めかしさがあります。

鑑賞サイト2008(016:%)

2008年08月27日 18時56分24秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
「%」並べて天気予報図がウルトラの星めく日曜日
             ひぐらしひなつ(エデンの廃園)

「%」がウルトラマンの顔に似ている、という意味の歌は、投稿歌にもいくつかありました。
このお歌はそれと同時に、日本地図を囲むように浮かんだ「%」のマークが光のキラキラに見え、そこから「ウルトラの星」(=光の国)を連想したのでしょう。
毎日の天気予報も、こんな風に想像を働かすだけで楽しく見られる。
クスリと笑う主体の笑みが見えるようです。
結句の「日曜日」は、もう少し動かすことができるかな、と個人的には思いました。

鑑賞サイト2008(015:アジア)

2008年08月24日 21時14分17秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
まっさらな地図をひろげてevianをこぼすアジアの果てのみどりに
                    015:アジア(こはく) (プラシーボ)

「エビアンは、フランスのエヴィアン=レ=バン近郊、カシャ水源で採取される、フランス・ダノン社のミネラルウォーターのブランドである。水質は硬水」(ウィキペディア)

「アジア」の地理的定義は諸説ありますが、一般にはヨーロッパを除いたユーラシア大陸全般を指すようです。
そのアジアの真新しい地図に、ヨーロッパ生まれの水をこぼす。
この場合、地図は撥水加工の紙よりも、滲んで染み込むふつうの紙であって欲しいです。

さて、「果て」とはどこを指しているのでしょう。
方角的に見ると「みどり」あふれる「果て」は、南のインドまたは東南アジア、あるいは東の日本(最近はそうでもないですが)。
アジアよりも西で生まれた水をこぼす、という意味で言えば、相応しいのはやはり東の果て、日本でしょうか。
しかし地理的な場所としてより、むしろ「アジアの中のどこでもない場所」と読んだ方が、歌がさらに広がる気がします。
こぼしたのは地図のさらに外側、とまで行くと、さすがに深読みしすぎかな。

「まっさら」「evian」「アジア」と、どことなく音が似通う語がさりげなく配置され、心地よさが増しています。

鑑賞サイト(014:泉)

2008年04月12日 18時36分38秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
耳たぶは鉄鉱泉の味がした ピアスホールが二個増えていた
                        矢島かずのり(蟲短歌)

 二通りの解釈ができます。
 (1)相手の耳たぶを口に含んだら、ピアスの移り香の味(変な言い方ですが)がした。
 (2)温泉の湯船の中で、相手の耳たぶを口に含んだら、湯の味がした。

 (1)ならば、金属の味から「鉄鉱泉」を連想するという、なまめかしいながらも冷静な部分を持った歌。
 (2)であれば、それこそとろけるほどなまめかしいお歌です。
 どちらの解釈でも、「ホールが」「増えていた」のに気づいたのは、視覚ではなく触覚でなのでしょう。
 なまめかしいのに不思議にいやらしさがなく、「泉」と体温の暖かさが伝わってきます。
 僕自身はどちらの読み方も好きですが、(1)の解釈の方が素直でしょうね。

 いきなり現実的になりますが、アレルギー体質の人は、ピアスの材質もいい加減には選べないそうですね。
 質の悪い合金などが使われていたら、冗談じゃすまないとか。
 そんなことを考えながらこの歌を読み直すと、違った感慨も湧いてきます。

鑑賞サイト(013:優)

2008年03月30日 19時00分59秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
(ゆるゆると)蛇口ひねれば(思い出す)いつも(優しい)さびしい(あなた)
                           こはく (プラシーボ)

 なんとなく、村上春樹の「海辺のカフカ」を思い浮かべました。

 地の文と( )内の文、それぞれ別の世界が読まれています。
 それを交互に配置してゆくことによって、二重螺旋のようにさらに大きな、新たな物語が生み出されます。
 しかも何度か読み返していくうち、それらの物語はそれぞれに呼応して、相乗効果による万華鏡のようなきらめきを発し始めます。

 たおやかな言葉が続く中、「蛇口」という語だけが多少角張って響きます。
 しかしそれも鋭角的というほどではなく、歌の流れの中で瀬の役目を果たし、全体を引き締めています。

鑑賞サイト2008(012:ダイヤ)

2008年03月19日 18時45分18秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
ゆっくりと降りる光だ さんざめくダイヤモンドダスト、シーユー ・
                           斉藤そよ(photover)

 「ダイヤモンドダスト」の形容に「さんざめく」が使われたのは初めて見ました。
 「さんざめく」の語感はなんとなく静謐なイメージもあり(「さ」行の効能でしょうか)、不思議に合います。
 初二句も、ダイヤモンドダストの運動に似合っていますね。

 迷ったのが「シーユー ・」です。
 その直前に読点があるので、三・四句と繋がる語だとは分かるのですが、誰に向かっての言葉なのか。
 普通に読めばダイヤモンドダストに対してですが、この歌に登場していない誰かに言っている可能性もある。
 最後の「・」も意味深です。
 シーユー・アゲイン、・ネクストウィークなど時勢にかかわる言葉が続きそうなところを、まるでぶった切るように唐突に終わっている。
 色々と深読みができそうです。

 でもこれは、無理に読み込むお歌じゃないですね。
 むしろすっと読んで、その涼しげな輝きを胸の上で転がして楽しむのが、正しい読み方のような気がします。
 ここまで無理に読み込んできて、いまさら言うのもなんですが。
 中村の趣味だとお思いください。

鑑賞サイト2008(011:除)

2008年03月18日 18時58分09秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
除光液にマネキュア落とし明日よりはふたたび愛を語らぬ戦士
                           橘 みちよ(夜間飛行)

 主体の静かな覚悟と緊張感が伝わってきます。
 「明日よりは」から、歌われている時刻は夕方から夜にかけてと推測します。
 その暗闇と「除光液」、さらには明日から始まる光(希望)のない戦いの予感が呼応します。
 ただ、上の句の読みにちょっと迷いました。

 「マネキュアに除光液落とし」ならば分かりやすいのですが、「除光液」に「マネキュア」を「落と」す。
 まず思い浮かぶのは、器に汲んだ除光液に、マネキュアを1,2滴落とす。
 場面としてはおもしろいですが、「だから?」となって、下の句につながりません。
 次に考えたのは、除光液を塗って普段の爪に戻していた指先に、再度マネキュアを塗ったという解釈です。
 これなら下の句の「ふたたび」につながるし、風景も見えてきます。
 ただ、マネキュアを指につけるとき「落とす」という形容をするのか?
 お化粧関係には詳しくないんですが、確か小さい刷毛のようなもので塗っていた気がします。

 そう考えると、この読みも違うかなあ。
 違う読みをされた方、教えてください。

鑑賞サイト2008(010:蝶)

2008年03月16日 19時57分39秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
(蝶っぽい)フーッと伸びたくるくるがしゅるっと戻るアレないですか
                         穴井苑子(猫のように純情)

 一読して好きになりました。
 丸々会話調で短歌をつくるって、意外に難しいのです。
 僕も何度か挑戦しましたが、ダメでした。
 どうしても説明っぽくなったり、文法がそろったりしてわざとらしくなるんです。

 この歌では、
「フーッと(息を吹き込むと)くるくる(したものが)伸び(て、それが)しゅるっと戻る」
 そう表現したいところを、わざと舌足らずにして、単語の配置も置き換えている。
 それによって、店頭でもどかしげに説明している主体の焦りが、リアルに伝わってきます。

 また、擬音がそのままタイポグラフィーのように形を表しているのも楽しい。
「フーッ」が、あの「くるくる」がピーンと伸びたように、
「る」が、それが幾重にも丸まっているように見えます。

 正直、ここまできたら初めの( )も無くして、全編もどかしげな説明調で迫ってほしかったなあ。
 まあ、このへんは完全に好みの問題ですが。
 あるいは、この「(蝶っぽい)」は主体の言葉ではなく、第三者の囁きなのでしょうか。
 だとすれば、また違った読み方が出てきますね。

 それにしても「アレ」、なんていう名前でしたっけ?

鑑賞サイト2008(009:会話)

2008年03月15日 19時32分19秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
いちにちの会話があいさつだけだったのんびりとした休日でした
                      天国ななお(お月様は許さない)

 一人暮らしをしていると、こういうことってよくあります。
 ひどいときは一言も発しなかったりとか。
 初めは「わかるなあ」と思って読んでいたのですが、ふと気づきました。
 別に、一人だったとは書いていない。

 どうしてこんなひねくれた読みをしたのかというと、「た」行「だ」行の多さからです。
 「会話」「休日」以外はひらがなで構成されており、普通なら滑らかに読んでいけそうなのですが、
 「ち」「つ」「だ」「た」などで、妙にブレーキがかかる気がします。
 それが全体にバランス良く配置されている。
 これはもしかすると、意図的なのではないか?

 そう思って読み直すと、「のんびりと」が別の意味を持って浮かび上がってきます。
 いや、深読みだとは思うのですが。うーむ。

鑑賞サイト2008(008:守)

2008年03月14日 19時00分55秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
洗いたての膝むきだして守衛室前を駆け抜ければ赤い花
                   ひぐらしひなつ (エデンの廃園)

意味そのものは、読んだとおりですね。
でも、状況設定を、歌はなにも明示してくれません。
なぜ「洗いたて」?どうして「駆け抜け」?「赤い花」って?
想像しようと思えば、いくらでも拡がっていきます。
つまり、これは読む側がどんなに深読みしてもよいという種類の歌なのでしょう。

深読み好きな中村としては、充分に堪能したいところですが、今回は控えておきます。
意味そのものよりも、目の前にフラッシュのように浮かぶ光景を楽しみたい。
まだ湿った、赤みを残した膝。
その赤が、残像を残しつつ駆け抜けていく。
それは「赤い花」とオーバーラップして、鮮烈に目に焼き付きます。

後半は句跨りの連続です。
この方法は、使い方を誤ると一首を台無しにしてしまう恐れがあります。
でもこの歌では、主体の危うい疾走を表現し、読み手に快い緊張感を与えてくれます。