ごろごろと走る列車に詰められたマッチになって温泉に行こう
やはらかき花びらにふれ指先は指先であることに気がつく
(野良ゆうき) (野良犬的)
固定もしていない花びらに、指先でそっと触れる。
見ただけでは分からない、あるか無しかの静脈。意外なほどの
弾力。微妙な温度。
花びらの精妙さと同時に、センサーとしての指先の優秀さにも、
改めて驚く。
セクシーな読み方もできますが(そちらの方が正しいのかもし
れないけれど)、あえてこちらの方の読み方をしてみました。
そのほうが、この歌に似合っているのではないか、とふと思っ
たもので。
---------------------------------
あれはマナ(ふるるふるると花びらは棺の上に)あれはマナです
(村上きわみ) (北緯43度)
「マナ(Mana)は太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教におい
て、神秘的な力、または元素とされる概念である。(後略)」
(フリー百科事典『ウィキペディア』)
初めの「あれはマナ」は自失と自問が合わさって口をついた呟
き。次の「マナ」は自答と周囲への説明、そして確認でしょうか。
花びらのような形をした「マナ」が棺に吸い込まれていくのか
(マナ=花びら)、それともマナが込められた花びらが棺に降り
注いでいるのか(マナ in 花びら)。
「ふるるふるる」の擬音が、「降る」「震える」など幾通りの
意味を込めながら、全体に効いています。
---------------------------------
向日葵の花びら落ちて仰ぎ見て花だったんだと気づく花びら
(ひらそる) (*ひねもすもずく*)
ふだん向日葵を「花」として見ることは、確かにあまりないです
ね。あまりの存在感に。
周りのたてがみ様の花びらが散って、改めて植物として認識し
直すのかもしれません。
象徴するものの不在によって、その存在に気づく。
なんだか哀しくも頷けるお話です。
(関係ないかもしれませんが、「ひらそる」って、スペイン語で
向日葵っていう意味なんですね。)
(野良ゆうき) (野良犬的)
固定もしていない花びらに、指先でそっと触れる。
見ただけでは分からない、あるか無しかの静脈。意外なほどの
弾力。微妙な温度。
花びらの精妙さと同時に、センサーとしての指先の優秀さにも、
改めて驚く。
セクシーな読み方もできますが(そちらの方が正しいのかもし
れないけれど)、あえてこちらの方の読み方をしてみました。
そのほうが、この歌に似合っているのではないか、とふと思っ
たもので。
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あれはマナ(ふるるふるると花びらは棺の上に)あれはマナです
(村上きわみ) (北緯43度)
「マナ(Mana)は太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教におい
て、神秘的な力、または元素とされる概念である。(後略)」
(フリー百科事典『ウィキペディア』)
初めの「あれはマナ」は自失と自問が合わさって口をついた呟
き。次の「マナ」は自答と周囲への説明、そして確認でしょうか。
花びらのような形をした「マナ」が棺に吸い込まれていくのか
(マナ=花びら)、それともマナが込められた花びらが棺に降り
注いでいるのか(マナ in 花びら)。
「ふるるふるる」の擬音が、「降る」「震える」など幾通りの
意味を込めながら、全体に効いています。
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向日葵の花びら落ちて仰ぎ見て花だったんだと気づく花びら
(ひらそる) (*ひねもすもずく*)
ふだん向日葵を「花」として見ることは、確かにあまりないです
ね。あまりの存在感に。
周りのたてがみ様の花びらが散って、改めて植物として認識し
直すのかもしれません。
象徴するものの不在によって、その存在に気づく。
なんだか哀しくも頷けるお話です。
(関係ないかもしれませんが、「ひらそる」って、スペイン語で
向日葵っていう意味なんですね。)
そういうわけで、「2006題詠100首blog」を無事完走しました。
でも、せっかく作ったこのブログ、遊ばせといちゃもったいあり
ません。
そこで、題詠からちょっと離れて、ふつーに湧き出してきた短歌
を綴っていくカテゴリを新設しました。
名付けて「日詠短歌」。
「日詠」と言っても、毎日短歌を詠むわけではなく(そうなればいい
なあという希望もありますが)、日々の暮らしの中からふと詠んで
みた短歌、という意味のつもりです。
ご感想などありましたら、遠慮無くお聞かせください。
では、はじまりはじまり。
でも、せっかく作ったこのブログ、遊ばせといちゃもったいあり
ません。
そこで、題詠からちょっと離れて、ふつーに湧き出してきた短歌
を綴っていくカテゴリを新設しました。
名付けて「日詠短歌」。
「日詠」と言っても、毎日短歌を詠むわけではなく(そうなればいい
なあという希望もありますが)、日々の暮らしの中からふと詠んで
みた短歌、という意味のつもりです。
ご感想などありましたら、遠慮無くお聞かせください。
では、はじまりはじまり。
「2006年題詠100首blog」完走いたしました。
よかった…。
途中、ちょっとズル休みしているうちにスランプに陥ってしまい、一時はどうなることかと思いました。
これからも、「鑑賞サイト」そのほかで「題詠100首blog」に関わっていきたいと思っております。
どうもありがとうございました。
題詠100首blog 完走報告
よかった…。
途中、ちょっとズル休みしているうちにスランプに陥ってしまい、一時はどうなることかと思いました。
これからも、「鑑賞サイト」そのほかで「題詠100首blog」に関わっていきたいと思っております。
どうもありがとうございました。
題詠100首blog 完走報告
このところ番組表が心地よくなっているのでとてもうれしい
(笹井宏之) (【些細】)
はじめ、あまりのシンプルさに思わず笑ってしまったので
すが、何度か読み返しているうちに
「これはそう単純な歌じゃなさそうだぞ」
と思えてきました。
「番組表」とは、新聞の最終面にあるテレビやラジオの時
間割のことなのでしょうが、これが「読みやすく」とか「すっ
きりと」ではなく「心地よく」なっているというのは、どういう
状態なのか。
「このところ」は、「以前に比べて」と読むよりは「予測がつ
かないある一定期間内」という雰囲気があります。
つまり、以前はあまり心地よくなく、ちょっとしたことでまた
以前の状態に戻ってしまいかねない、ということ。
かっちりとプログラムされているはずの「番組表」には、あ
まり相応しくない言葉のように思われます。
下二句が全部ひらがななのも、単純なうれしさよりも「ほ
っとした、緊張から解放された」というニュアンスがあるの
では。
さて、この「番組表」は果たしてどんな「番組表」なのか。
興味は尽きません。
-----------------------------------
優しさはつけ込みやすさ腕組みをほどく間合いで冷麺が来る
(岩井聡) (North Marine Drive)
阿吽の呼吸と言いますか、この「つけ込」んでいる人は、絶
妙の間合いを計れる人なのでしょうね。
そもそも「冷麺」は、そう簡単に作れる料理ではありません。
様々な具を刻み、調理し、麺を茹で、スープを冷やし、盛り
つけ…。
間合いを間違うと、スープが生ぬるかったり、麺がのびてし
まったり。
つまり間合いを計っていると言うよりも、間合いをコントロー
ルし、冷麺がちょうど出来上がる頃合いに「腕組みをほど」か
せるよう仕向けているのではないでしょうか。
うーむ、達人だ。
これは個人的な好みですが、第一・二句がちょっと説明調っ
ぽいかなと感じました。
ではどうすればよいか、というと、なにも思い浮かばないの
ですが。
-----------------------------------
πとe唱えて傘を抜け出した彼らは天に近いひと組
(瀧口康嗣) (可燃性連鎖)
「円周率πと自然対数の底eは超越数である。超越数(ちょう
えつすう)とは、代数方程式
anxn + an-1xn-1 +…+ a0 = 0
(n ≥ 1, an ≠ 0 かつ各 ai は整数)
の解とならないような複素数のことである。有理数は一次
方程式の解であるから、実超越数はすべて無理数である。
超越数論は、超越数について研究する数学の分野で、与
えられた数の超越性の判定などが主な問題である。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
解りますか?僕にはぜんぜん解りません。あ、頭が痛い…。
つまり彼らは、人の支配から抜け出た特別な存在だという
ことでしょうか。
それを唱えつつ傘から抜け出した人々もまた、「天に近い」
存在であると。
しかしどうも僕には、πとeがふたり仲良く手をつないで雨の
中をスキップしているのどかな風景が(どこがのどかなんだか
よくわからないけど)頭に浮かんで離れません。
作者の意図とはだいぶかけ離れてしまう読みでしょうけれど
も。すみません。
(笹井宏之) (【些細】)
はじめ、あまりのシンプルさに思わず笑ってしまったので
すが、何度か読み返しているうちに
「これはそう単純な歌じゃなさそうだぞ」
と思えてきました。
「番組表」とは、新聞の最終面にあるテレビやラジオの時
間割のことなのでしょうが、これが「読みやすく」とか「すっ
きりと」ではなく「心地よく」なっているというのは、どういう
状態なのか。
「このところ」は、「以前に比べて」と読むよりは「予測がつ
かないある一定期間内」という雰囲気があります。
つまり、以前はあまり心地よくなく、ちょっとしたことでまた
以前の状態に戻ってしまいかねない、ということ。
かっちりとプログラムされているはずの「番組表」には、あ
まり相応しくない言葉のように思われます。
下二句が全部ひらがななのも、単純なうれしさよりも「ほ
っとした、緊張から解放された」というニュアンスがあるの
では。
さて、この「番組表」は果たしてどんな「番組表」なのか。
興味は尽きません。
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優しさはつけ込みやすさ腕組みをほどく間合いで冷麺が来る
(岩井聡) (North Marine Drive)
阿吽の呼吸と言いますか、この「つけ込」んでいる人は、絶
妙の間合いを計れる人なのでしょうね。
そもそも「冷麺」は、そう簡単に作れる料理ではありません。
様々な具を刻み、調理し、麺を茹で、スープを冷やし、盛り
つけ…。
間合いを間違うと、スープが生ぬるかったり、麺がのびてし
まったり。
つまり間合いを計っていると言うよりも、間合いをコントロー
ルし、冷麺がちょうど出来上がる頃合いに「腕組みをほど」か
せるよう仕向けているのではないでしょうか。
うーむ、達人だ。
これは個人的な好みですが、第一・二句がちょっと説明調っ
ぽいかなと感じました。
ではどうすればよいか、というと、なにも思い浮かばないの
ですが。
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πとe唱えて傘を抜け出した彼らは天に近いひと組
(瀧口康嗣) (可燃性連鎖)
「円周率πと自然対数の底eは超越数である。超越数(ちょう
えつすう)とは、代数方程式
anxn + an-1xn-1 +…+ a0 = 0
(n ≥ 1, an ≠ 0 かつ各 ai は整数)
の解とならないような複素数のことである。有理数は一次
方程式の解であるから、実超越数はすべて無理数である。
超越数論は、超越数について研究する数学の分野で、与
えられた数の超越性の判定などが主な問題である。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
解りますか?僕にはぜんぜん解りません。あ、頭が痛い…。
つまり彼らは、人の支配から抜け出た特別な存在だという
ことでしょうか。
それを唱えつつ傘から抜け出した人々もまた、「天に近い」
存在であると。
しかしどうも僕には、πとeがふたり仲良く手をつないで雨の
中をスキップしているのどかな風景が(どこがのどかなんだか
よくわからないけど)頭に浮かんで離れません。
作者の意図とはだいぶかけ離れてしまう読みでしょうけれど
も。すみません。
株主の去りたるのちを椅子たたむ音春の音ひびく日の暮れ
(春畑 茜) (アールグレイ日和)
春の風物詩として、株主総会。目の付け所が違います。
「椅子たたむ音」を「春の音」として聞いているのか、
「椅子たたむ音」に重ねて「春の音」(例えば春何番かの
風音)を聞いているのか、いくつか解釈ができますが、前
者を取った方が素直かな、と僕は思います。
句またがりの「音春の音」が、片付けのあわただしい雰
囲気を表しています。
-------------------------------
合併でどこへ行くのか町の名がまた遠くなる雨の切り株
(みあ) (言の葉たち)
町村合併を繰り返し、親しんでいた地名が移り変わり、
消えていく。
ようやく慣れた地名が、自分達の知らないうちに、また
遠くへ行ってしまう。
昔からそこにあった切り株は、自分が座っている土地の
名前がどんどん変わっていることに、気づいているのだろ
うか…。
雨に濡れた切り株を、なにかの比喩と捉えてもいいし、
そのままの意味で読んでも、静かな情感が滲んでくる歌で
す。
-------------------------------
気がつけば庶務でいちばん古株の九官鳥しか社是を知らない
(岩井聡) (North Marine Drive)
「社是=会社・結社の経営上の方針・主張」(「大辞林」)
ジョージ・オーウェル『動物農場』のような『動物会社』
を想像しそうですが、ここは「九官鳥」というアダ名の社員、
と考えた方が素直でしょうね。
「気がつけば」が「古株の」にかかるのか、「九官鳥しか」
にかかるのか、という所で読みにちょっと迷いますが、両方に
かかる、と読むほうがこの歌の楽しさが増すようです。
庶務課は経営方針など知らなくても仕事はできる、と言えば、
まあそうなのかもしれないけれど、よりによって「九官鳥」し
か知らないってのも、ねえ。大丈夫かこの会社。
(春畑 茜) (アールグレイ日和)
春の風物詩として、株主総会。目の付け所が違います。
「椅子たたむ音」を「春の音」として聞いているのか、
「椅子たたむ音」に重ねて「春の音」(例えば春何番かの
風音)を聞いているのか、いくつか解釈ができますが、前
者を取った方が素直かな、と僕は思います。
句またがりの「音春の音」が、片付けのあわただしい雰
囲気を表しています。
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合併でどこへ行くのか町の名がまた遠くなる雨の切り株
(みあ) (言の葉たち)
町村合併を繰り返し、親しんでいた地名が移り変わり、
消えていく。
ようやく慣れた地名が、自分達の知らないうちに、また
遠くへ行ってしまう。
昔からそこにあった切り株は、自分が座っている土地の
名前がどんどん変わっていることに、気づいているのだろ
うか…。
雨に濡れた切り株を、なにかの比喩と捉えてもいいし、
そのままの意味で読んでも、静かな情感が滲んでくる歌で
す。
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気がつけば庶務でいちばん古株の九官鳥しか社是を知らない
(岩井聡) (North Marine Drive)
「社是=会社・結社の経営上の方針・主張」(「大辞林」)
ジョージ・オーウェル『動物農場』のような『動物会社』
を想像しそうですが、ここは「九官鳥」というアダ名の社員、
と考えた方が素直でしょうね。
「気がつけば」が「古株の」にかかるのか、「九官鳥しか」
にかかるのか、という所で読みにちょっと迷いますが、両方に
かかる、と読むほうがこの歌の楽しさが増すようです。
庶務課は経営方針など知らなくても仕事はできる、と言えば、
まあそうなのかもしれないけれど、よりによって「九官鳥」し
か知らないってのも、ねえ。大丈夫かこの会社。