癒しの音楽家でーす! ありがとうございま~す。

(登場するストーリーは、全てリアルフォトとノンフィクションのみで綴られています)

熊野復興、日本再生。

2011-11-25 21:38:52 | 癒しの音楽

解体した和歌山の実家から出て来た写真の中に、数十年前の大斎原の姿がありました。

玉石も・両脇の狛犬とその真ん中の賽銭箱もなく、何もない頃の風景で、

私の両親が撮ったものです。

 

今年九月、あの熊野が台風に襲われる直前、私は無性に熊野に行きたくなっていました。

 

それ以降まだ、残念にも本宮にも那智にも行けていませんが、

今も気持ちは熊野に向いています。

 

その後、有田川町「きびドーム」のチャリティーでは熊野復興・日本再生の曲、「リバイバル」をいただきました。

 

そんな今日、その熊野本宮大社より社報が届きました。

 

そこには、明治の大水害とこの平成の大水害の写真が掲載されていました。

 

この惨状を観ると、当時は色々な意見があったと思われますが、結果的に明治の大水害で社を山に上げた先人たちの判断が正しかった事が実証された事になります。

 

奇しくも、来年が大斎原から遷宮百二十年!

「正遷宮百二十年祭」が、鎮魂・再生・世界平和・安泰を祈り一年間におよび執り行われるといいます。

 

大斎原には今は何もありませんが、

熊野本宮の聖地であることは間違いありません。

 

昨日も、北海道・静岡・広島・島根・福島など日本中で大きな地震がありました。

まだまだ大きな災害は続くと言われています。

地震においては、あれだけ大きな歪が東北で起きたのですから、他のエリアがバランスを取り戻す為にズレるのは仕方のない事です。

 

本来信仰の対象物は、山・川・岩・などの大自然で、そこに社が建ち始めたのは仏教寺院が輸入され始めた頃からと聞きます。

よって、その信仰対象を祈る社殿は結果どこにあってもいいのです。

それは人が決めたら良い事なのです。

 

ただ、信仰対象の大自然は、人の力では誰も動かす事も・どうする事も出来ません。社があろうがなかろうが関係のない絶対的な存在です。

 

そういう意味では聖地大斎原(おおゆのはら)は、信仰の原点の形を今も護り通す場所になったのかもしれません。

 

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