高齢者は8割が病院で亡くなっています。
今、日本の医療保険は人生の最後の二ヶ月間で
半分が使われているそうです。
金のことを言ってはいけない、
そんな夢物語の世界に
我々はいつまで浸っていられるのでしょうか。
これを恐るべき道徳的敗退と精神的衰弱と
言わないで何でしょうか。
そこにあるのは自己決定能力の
喪失以外の何物でもありません。
どういう神経で「年寄りをいじめるのか」
「弱者切り捨てだ」と言えるのでしょうか。
人間としての誇りは
どこへ捨ててしまったのでしょうか。
我々高齢者はその時が来たら、
「もうこの辺で」と肚を決めて幕を引くべきです。
姥捨ての「楢山節考」の世界には
村の存続を願う老人の誠意がありました。
だからあの物語にみんなが感動するのです。
「平穏死」という選択
石飛 幸三 著
自分の親には思う存分生きていて欲しいし、
子供である僕に迷惑を
かけることのないように蓄えも十分ある
だから本人の思うがままに生きてほしい
ゆめゆめ姥捨のような
死に様だけは避けたいと思って来た
でも年寄りがいてその年寄りの最晩年には
病院で死ぬというシナリオしか思い浮かばない
突発的なことがない限り、
最後は何か致命的な病気や怪我で
病院に担ぎ込まれて
そのまま最期をむかえることになるだろう
母は昨年、老人マンショでの
不慮の事故によって亡くなったが
父はまだ元気ではいるが
残された命もそう長くはないだろう
でも旅たつ時は今住んでいるマンションで
看取ることができたらどんなにいいだろう
死ぬために病院など行かせたくないのが
偽らざる今の自分の気持ち
早起き鳥
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