早起き鳥 

【未明混沌】今日も必ずお元気で…!

rakuten

仕事中心、家庭中心・・・

2016年09月30日 05時17分57秒 | コラム







 家族中心の親は、

子供の最終的な幸福を考える

感情的な余裕と力を持っていない。

家族が心の安定、よりどころになっていると、

子供たちの成長を

長い目で見ることの大切さよりも

その場その場で子供に好かれたい欲求を

優先していまうかもしれない。


お金を稼ぐことを人生の中心にしている人も

もちろん大勢いる。

経済的な安定があれば、

多くのことができる機会も増える

欲求の階層では、

生命維持と経済的安定がくる。


私の知人の男性が、

子供たちを連れてサーカスに行こうとしていた。

そこに職場から呼び出しの電話があった。

彼はそれを断った。

仕事に行った方がいいんじゃないの

と言う奥さんに彼はこう答えた

「仕事はまたある。でも子供時代はまたとない」


小さな出来事かもしれない。

しかし、彼の子供たちは一生涯、

父親が自分たちを優先してくれたことを

覚えているだろう。


  「七つの習慣」
          スティーブン・コビナー 著
     









 僕の現役時代を顧みれば、

もちろん仕事中心

全ての出来事に対して仕事最優先で生きてきた

とはいってもそれを容認できる環境にあったから

十分すぎるほど仕事で頑張って

それなりの結果も出してきた

申し分のない職場人生だったと思う


でも退職して責任のない暮らしに移ると

なんと味気ないというか

まだまだ戸惑いが隠しきれない

心の中では責任から解放された喜びのほうが強いのだが

なぜか現役時代が懐かしく

権力権限という鎧を着ていたころが妙に恨めしい


もっと家庭中心で生きてみたかった

という思いもなきにしもあらずだが

もう一度やり直したいとは思わない

責任のない自由な時間を持てるようになったのだから

仕事ではなく暮らしの中で

他人様のお役に立てるようなものを見つけて

取り組んでみたい


今朝のウオーキングの途中

昨日は雨だったので遠くへ行かず

家の近くにある公園を周回したのだが、

まだ暗いうちから軽自動車が停まっており

なにやら作業をしている様子


次の周回の時、僕におはようございます

と挨拶をされた

見れば汗いっぱい流しての

トイレ掃除を終えたところだった


この人、町内の仕事として

請け負っているとは到底思えない

仕事に出る前の暗いうちにボランティアで

公園のトイレ掃除をしているのだ

と思うと、熱いものを感じた



     早起き鳥




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子供へのお仕置き...!

2016年09月29日 04時33分34秒 | 読書







 私が自分の子供の行動に

過剰に反応しているとしよう。

子供たちが私の気に障ることをし始めると、

胃がキリキリし、

すぐに身構え、戦う態勢になる。

長期的な成長や理解にフォーカスせず、

今この瞬間の子供の行動が気に食わず、

目先の闘いに勝とうとする。


私は身体の大きさや父親としての権威など

持てる武器を総動員し、

怒鳴りつけ、脅し、お仕置きをする。

同然、勝つのは私。


しかし、勝者たる私は、

ボロボロになった

親子の絆の残骸の中に立ちすくむ。


子供たちは上辺では私に服従するが、

力で制圧された恨みは残る。

その気持ちはいずれ、

もっと酷いかたちで噴出することになるだろう。



  「七つの習慣」
          スティーブン・コビナー 著
     









 相手が子供であれ職場の部下であれ

親として上司として抱く感情には

複雑、悩み多き課題である

どうして自分には

自分でコントロールできない

人たちばかりが集まるのか


そしてその人たちを掌握し

リーダーシップを発揮することが

自分に対する使命なのである

こんな辛い仕事、

そしてそんな環境にあることを不幸に思い

なんとも切ない思いをしてきた


そして今、仕事として

小学生の子供たちを指導する

という仕事についている

先生として子供たちを

コントロールするのは本当に容易いが

いたずらや、ふざけた行動で

手に負えない子供たちを

一律にコントロールすることの難しさを

痛切に感じている


でも、自分自身がもし

不慮の事故で亡くなったとしよう

そのやんちゃな子供たちが

どういう感情を描くだろうか

涙を流して悲しんでくれるか

それともなんの感情もわかず

「ああ、そうなの...!」

なんて言われようものなら、

なんと悲しいことが


「あの先生、本当に優しく

いろんなことを教えてくれたよな」


「あの先生のお葬式に行きたいから学校休みたい」

と言われるような先生でありたい



     早起き鳥




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3年後に行われる自分自身の葬儀...?

2016年09月28日 04時53分12秒 | コラム







 ある人(愛する人)の葬儀に参列する

場面を心の中に思い描いてみよう。

あなたは葬儀場に向かって車を走らせ、

駐車して車から降りる。

中に入ると花が飾ってあり、

静かなオルガン曲が流れている。

故人の友人たちや家族が集まっている。

彼らは別れの悲しみ、

そして故人と知り合いであったことの

喜びをかみしめている。


あなたは会場の前方に進んでいき、

棺の中を見る。驚いたことに、

そこにいたのはあなた自身だった。

これは、今日から3年後に行われる

あなたの葬儀だ。

ここにいる人々は生前のあなたに対する

敬意、愛、感謝の気持ちを表して来ているである。


あなたは彼らに

自分がどのような人物だったのかを

見て欲しかったのか。

どういう功績や貢献を覚えておいてほしいのか。

その場にいる人たちの顔をよく見てもらいたい。


  「七つの習慣」
          スティーブン・コビナー 著
     









 3年後に行われる自分自身の葬儀...!

ぞっとするようなイメージではあるが

演習として真剣に考えてみよう


要するに自分の最後をどう演出するか

いや葬儀は遺族や自分が影響を与えた人たちが

執り行うわけで

自分としては今日からの3年間をどう生きるのか?

このことに尽きると思う


たった3年しかない

その余命3年...!

元気であれば最低限

関わる人に嫌われたくないし

関わる人を少しでも

幸せな気持ちにさせてあげたい

そして力あればもっともっと

多くの人に積極的に関わり

影響力を発揮して、元気、健康、幸せを

享受できるよう生き抜きたい


自分の終わりを演出するということは

最期を思い描き

今を生きるということなのかもしれない


自分が生きてきた過去

そしてこれから生きる未来

自分の心だけは幸せな気持ちでありたいものだ


     早起き鳥




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主体性を試すテストに挑戦...!

2016年09月27日 03時37分48秒 | 読書







 30日間、自分の主体性を試す

テストに挑戦してみてほしい。

実際にやってみて、

どういう結果になるか見るだけでいい。


30日間毎日、

小さな約束をして、それを守る。

裁く人ではなく、光を照らす人になる。

批判するのではなく、模範になる。

問題を作り出すのではなく、

自らが問題を解決する一助となる。


これを家庭で、職場でやってみる。

他者の弱点や欠点を批判的な目で見るのをやめ、

慈しみ深い目で見る。

問題はその人の弱点や欠点ではなく、

それに対してあなた自身がどんな反応を選択し、

何をすべきかである。


問題は「外」にある、そんな考えが芽生えたら、

すぐに摘み取ってほしい。

そう考えることこそが問題なのである。


  「七つの習慣」
          スティーブン・コビナー 著
     









 あの人はなんと気のきつい人だ

あの人さえいなければ

あの人の顔さえ見るのもいやだ

あの人は俺のことを相当嫌っているな

でも俺もあいつだけは許せない

あいつには頭に石をぶつけてやりたいくらいだ


なんとも日常的にある人に対して抱く感情

悲しいサガである

どの組織に入ってもどういうわけか

そういう人が一人くらいは必ず存在するのである

神様は僕自身を鍛えてくださっているのだろう

といつもそう思いつつ

そんな嫌な感情に耐え忍んでいる


こちらからは感情を顔に出さず、

できるだけ関わらずそっとしておく

でもこの気持ちそのものが

批判的マインドであることはいうまでもない


この気持ち、他者の弱点や欠点を

批判的な目で見るのではなく

慈しみ深い目で見る

問題は相手の弱点や欠点ではない

それに対して僕自身がどういう反応を選択して

何をすべきかあるのだが

悲しいけど、

なぜか、あいつは!あいつは!となってしまう


これは相当に練習が必要である



     早起き鳥




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一度目の失敗を取り繕う二度目の失敗...!

2016年09月26日 04時42分58秒 | 読書







 IBMの創立者 T・J・ワトソンはかつて

「成功は失敗の彼方にある」と語った。

しかし過ちを認めず、行動を正さず、

そこから何も学ぼうとしなければ、

失敗は全く異なる様相を帯びてくる。

過ちをごまかし、正当化し、

もっともらしい言い訳をして

自分にも他者にも嘘をつくことになる。


一度目の過ちを取り繕うという

二度目の過ちは

さらに、一度目の失敗を増幅させ、

必要以上に重大なものになり、

自分自身にさらに深い傷を負わせることになる。


私たちを深く傷つけるのは

他者の行動ではないし、

自分の過ちでもない。

重要なのは、過ちを犯したときに

どういう反応を選択するかである。



  「七つの習慣」
          スティーブン・コビナー 著
     









 同じ失敗を何度も何度も

繰り返す悲しいサガ

こんな思いはもう二度としたくないと

そう思うけれど、

またまた喉元過ぎればなんとかで

また同じ失敗の繰り返し...!

こんな経験をしてその度に暗くなってきた


その原因として

「一度目の過ちを取り繕うという二度目の過ち」

この結果として

その過ちは必要以上に重大となり

深く自分を傷つけてしまう


確かに的を得たご指摘である

胸にグサッと突き刺さる想いである


例えば車を使って行動する暮らしの中で

自損事故にしろ相手と絡む事故にしろ

忘れた頃に遭遇する

最近は相手に迷惑をかける事故は全くなくなったけれど

自分で側溝に脱輪してしまうとか

どこかで駐車中に誰かに当て逃げされるとか

なにか取り憑かれたように起こることがある


そして自分の意識の中では

「クソッタレ・・・、なんでこんなところに側溝が...!

当て逃げとはフテー野郎だ...!」

と暗い気持ちになる


でも、誰かを傷つけるような

大事故に至らないで本当に良かった

と思うと同時に自分のケアレスミスが必ずある

注意を怠ること集中できていない

自分の慎重さを欠く運転が

そして安易で軽率な駐車意識がそこにあると

自分を律し行動を是正することを忘れまい



     早起き鳥




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