早起き鳥 

【未明混沌】今日もきっと良いことあるような…!

生涯現役 (ダビンチ文学賞応募作品)

2006年12月31日 10時53分33秒 | 生涯現役
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生涯現役(マスターズスイマーの夢)

作 睦月 仁

あらすじ
福井県新田スイミングクラブ所属、立花満は、マスターズスイマーとして活躍中!
週三回、所属クラブで練習している。2004年の県マスターズ水泳大会で個人レース3種目、団体レース2種目の5種目をエントリーして、なんと全種目制覇を果たした。
そして個人種目100メートル平泳ぎは大会記録を立花満は更新したのである。その泳ぎは実に素晴らしく、無欲の勝利であったと言える。そのレースの駆け引きは先輩達クラブメイトに囲まれながらチームワークで勝ち取った記録であった。
 だが、その素晴らしい記録更新となったレースの後、肩の故障というアクシデントに遭遇することとなる。肩の故障のリハビリに専念するのだが、来る日も来る日も肩が上がらず、筋肉は衰えるばかりの日々を過ごした。
 しかし、満はクラブメイトの佐藤から末長い目で水泳をとらえて、目先のことに一喜一憂するのではなく大きな目、長い目で練習することが大切。そしてレースにはいくら故障していても出場し続けることが大切とのアドバイスを受けるのである。
 現在、日本のマスターズスイマーの世界では、トップスイマーとして70歳80歳を超える人たちがビッグな成績を上げていることを満は知る。それも世界記録を目指す素晴らしいごシニアスイマーの存在を知るのである。
 そして立花満は息の長いマスターズスイマーを目指してモチベーションを高めるのであった。



つづく
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生涯現役 1章

2006年12月31日 10時50分52秒 | 生涯現役
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生涯現役(マスターズスイマーの夢)

1.
「ただいま4コースを泳ぎました、立花満君の記録1分27秒78は本大会新記録です。」
「4コース…!」「4コース!」
と歓声が上がった。
満は嬉しさをこられ切れず、思わず水面を叩いた。
「やったぜ…!」

今日2004年11月28日は福井県マスターズ水泳大会、場所は福井市内にあるベルフィットネスクラブ。
このプールはたくさんの老若男女が楽しく健康に励む会員制のフィットネスジムをもつ25メートルの公認プールである。
 プールには本格的な電光掲示板に着順判定が自動的におこなわれるタッチ板などが配備され、記録判定も寸時に行われ、レースのスタート、着順判定、計時、そして速やかに結果公表と上位表彰のセレモニーが淡々と進んでいく。
 満のこの大会新記録はプログラムの中に大会記録として次回以降から記載されるのである。彼は51歳。エントリー区分は50歳~54歳の区分である。5歳刻みの区分で各種目が競技される。25メートルクロールや50メートルクロールなどの種目は参加エントリー者の多い種目で、1種目だけ、1年に一度レースを楽しむために参加する人もいる。
 目にする高齢者は80歳を越える年長者も色艶の良い顔をプールサイドでシャキシャキと歩いていて、背筋もピーンと伸びている
「久しぶりだな…!まだ命があったようだな。今日こそは負けないぞ。」
「何を死にぞこない、め!スタート瞬間で勝負ありだ…!」
なんて勇ましい会話をしているあの老人は、今まさに青春真っ盛り。晴れ晴れとした空気が流れている。
 これがマスターズスイマーだ何歳からでも選手登録さえすればマスターズスイマーになれる。定期的に練習さえしていれば水泳を競技として楽しく取り組む事ができるのである。
元オリンピック選手が高齢になって強いとは限らない。50を過ぎてから日本新記録をバンバン塗り替えている高齢の女性もたくさんいるのである。
満が所属するスイミングクラブは福井市内にある新田スイミングクラブ、満はシニアのメンバーで週三回練習に通っている。
そしてスイミングクラブに併設されてあるフィットネスクラブ「マーク」の会員でもある。マークにも20メートルではあるがプール施設があり、水質は見事に管理されている。満はスイミングクラブとマークフィットネスとの併用会員なのである。だから毎日、いつでも泳ぐことができる環境にある。
 満の出身は兵庫県の尼崎市。大学を卒業するまでは尼崎の自宅で過ごし、兵庫県立尼崎高等学校、そして近畿大学のキャンパスで学生時代をすごした。高校・大学と満の青春時代は水泳一色で塗りつぶされている。高校では兵庫県大会で1、2を争う兵庫県のトップスイマーとして台頭を現していた。泳げば常に自己ベストを更新し、数々の記録を塗り替えてきたキャリアがある。
 その頃昭和40年代前半はまだまだ温水プールが無く水泳選手は学校の部活として選手としてトレーニングに努めていた、プールでの練習期間は4月から9月いっぱいである。10月に入ると実質プールでの練習は不可能となる。クリスマス遊泳や年賀初泳ぎと言ったお遊びはあるもののプールには氷が張る状態でとても泳ぐといったようなものではない。
 でも月に一度、大阪豊中にあるホリディインというホテルのプールで泳げるのが楽しみだった。そしていつもは、学校内の各部活を転々とジプシー展開をおこなって来た。特に満は足が速く大柄な事から、駅伝、ラグビー、柔道と引く手あまたで、駅伝メンバーにも選ばれる俊足の持ち主であった。
 満自身が一番得意とした、いや、のめり込んだ競技はスキーだった。
高校2年生の時に行った修学旅行は信州の池の平スキー場を貸切ってのスキー教室で、これを契機として、スキーにはまっていったのだ。
 そして満の人生にこの夏季の水泳と冬季のスキーは、彼との人生に深く関わっていく事となった。
 
 時が経ち、満は福井県の県庁職員に採用され、尼崎で過ごした生活を後に、福井市での社会人としての生活に変わっていくのである。昭和50年春、満の人生にとって就職という、大きな転換期となった。
 しかし、福井での身寄りのない生活となれない社会人としての激務は水泳もスキーも遠ざけ、仕事一色の生活が続く事となる。とはいえ仕事の入らない休みの日には市営のプールで泳いだり、冬には友達とスキーに行くなど、また市民マラソンにも参加するなど、職場においてもスポーツマン気質の若者として光る存在であった。
 
 前置きが長くなったが話をもどそう!
プールは本格的な公認プールなのである。プールサイドにはエントリーしている各スイミングクラブが陣取り、それはそれは賑やかで爽やかな水泳大会なのである。このプールに響く大会新記録のアナウンス、それはもう天にも昇る快感…!
「超気持ちいい…!」
 男子100メートル平泳ぎの競技が行われた福井県マスターズ水泳競技大会は2004年11月、県内12団体、男女188名の参加者で個人種目362レース、リレー種目34レースの賑やかな県内最大の水泳大会なのである。
 大会当日の朝、満はいつもどおりに起きて、風呂に入り、入念にストレッチをして瞑想した。
……今日の100メートルのレースは絶対に勝つ、勝って表彰台の一番高いところで表彰者の激励を受け「ありがとうございました!嬉しいです」とインタビューに答える……
こんなイメージを描きながら瞑想をして朝の時間を過ごした。プールに到着するとコーチが元気よく声をかけてくれた。
「立花さん調子はいかがですか?今日は頑張って下さいね。応援しています。」
「はい、絶好調なのですが少々緊張気味です。」
そうなのです!満はかなりの緊張をしているのである。
歩く足に力が入らないと言った感じで、これでスタート台を蹴ることができるのだろうかと心配になるほどであった。
今日のレースは朝一番に100メートルメドレーリレー、続いて休憩無く100メートル個人メドレー、そしてお昼前に100メートル平泳、次に50メートル平泳、そして最後に100メートルフリーリレーとなっている。
 満の年齢区分はGグループ(50歳~54歳)の区分である。参加者のうち自分がどういう世代なのかとプールサイドを良く眺めてみるとなんとも満自身もうとっくに高齢の部類…!
……よく仕事も忙しかろうによく出場できますね!
などと叱責に近い声が聞こえてきそうな気がする、そして60歳以上の選手達はまたその存在感があるというか目立つ存在なのである。仕事をリタイヤした人たちが楽しみで水泳を続けている人たちだろう。特に女性の中高年パワーには驚かされる。水着も選手が着用する競技用のスーツを身にまとい、レースごとに着替えるといったファッションを楽しんでもいる。僕達だって1レース済めば身体が冷えるし次のレースのために新しい気持ちになろうと水着を替えるくらいだから、おばさんたちの気持ちも十分理解できる。
80歳近いと思える老夫婦がなにやら語っている。
「おい!調子はどうだ…!今日は大会記録をねらうぞ。」
「お祖父さん、止めて下さいよ。去年は試合の後一週間も寝込んだんですからね。ダメですよ。頑張ってというのは、ゆっくりと完泳を目指してくださいという意味ですからね。」
「何を言ってんだ、明日ぽっくり逝くか知れないんだ、この今のレースに全力投球だ、生き絶えるなら本望だ!」
「まあせいぜい頑張って下さい。私は、50メートル背泳ぎよ、75歳以上は私だけだから、最後まで泳いだら、優勝ですよ。お祖父さん…!新しい水着買ってくださいね。」
「わかったわかった、良いなおまえは…!」
その老夫婦はたまらなく嬉しいひと時のようだ。年齢を重ねる事が全く嫌でない。むしろ早く歳を取りたいとでも言うのだろうか、老若男女が集い、競技する喜びと、健康でいられる幸せをかみ締めながらそれぞれの体力に合わせた泳ぎ方でレースを戦う。素晴らしいマスターズ水泳なのだ…!
 そろそろ、プールに選手が集まり、各人が開会セレモニーまでの間ウオーミングアップが許可される。1コースから8コースのプールは次第に練習プールに早代わり、そして1コースは飛び込みスタート練習専用のコースとなっている。1コーススタート台の後ろにはスタートの飛び込み練習をしようとする長い列が出来ている。
満は4コースに入ってウオーミングアップをはじめた。4コースは満の今日のメインイベント100メートル平泳ぎの指定コースレーンだ。4コースの感触を味わいながら、水中での駆け引きの為に左右の視野、そしてターンのタイミング、そんなものを一応チェックする意味で4コースに入ってウオーミングアップをはじめた。
 はじめはクロールでのんびり脱力しながら、深い腹式呼吸をしながら泳ぎ始めた。身体が少しずつ温かくなってきて、呼吸もわずかずつ短くなってきた。そして平泳ぎのウオーミングアップに切り替えて行った。クロールで200メートルくらい泳いで平泳ぎに替えて少しばかりペースアップ、心拍数が一分間に120~130くらいを目指して泳ぎ始めた。なかなか水の感触が軽い。水が身体にまとわりつくような粘性の高い水のように思う。
……今日は良いイメージで泳げそうだ。でも勝負で興奮して自分を失うと、自らの動作がブレーキとなり失速しそうでもある。不思議な水の感触を味わっている。
平泳ぎでほぼ200メートくらい泳いだ頃だ。ゴーグルが曇り始めた。嫌な感じだな。新品なのに…。本番レースの時にはゴールまでクリアな視界が欲しいと満は思った。スタート台付近で止まり、休息を取りながら、ゴーグルの曇りを自分の唾液で消すために、ゴーグルの内面を舐めながらボーっと天を仰いでいた。
「立花さん!おはようございます。」
とウオーミングアップ中の同じクラブのメンバーが声をかけてターンしていった。
……頑張っているな。彼はなかなか乗っている、僕も負けずにがんばろう。
とさらに開会セレモニーまでまだ十分に時間があるので、さらならウオーミングアップをはじめた。
 泳ぎ始めて暫らくすると、深く瞑想状態に陥った満はなぜか過去の出来事が走馬灯のように思い描くのだった。



つづく
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生涯現役 2章

2006年12月31日 10時49分21秒 | 生涯現役
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 2.
1971年夏
「満!今日の調子はどうだ!今日もとことん行くぞ…!」
「はあぁぁ…!」
「今日は来月の県大会レース目指して、スピード練習だ。県大会を優勝して、近畿大会で入賞するんだ、お前はインターハイ出場の標準記録を突破する事は不可能だ。わかってるな。急きょ、競争率の低い平泳ぎにコンバートしたんだから、お前!わかってるんだろうな…!
今日の練習メニューを伝える、100メートル10本だ。単に1000メートルくらいの話だ。いいな!単なる10本では練習にならない。自己ベストが制限タイムだ。」
満は特別に表情も変えずに、うなずいた。」
「今日は長くなりそうだな…!僕は大会で常に自己ベストを更新する、本番勝負のスイマーなんだ、練習で自己ベストを出せなんて…!馬鹿みたいだ。勝手にすればいいさ!」
満の専門種目は平泳ぎ、前年の新人戦で100メートル平泳ぎで1分16秒で優勝した実績があり、いちおう兵庫県内高校生としてはトップスイマーとして自他ともに脚光を浴びる存在なのだ。そんな満にとって練習では1分20秒を切って来るくらいの制限タイムで10本20本をインターバル練習を積み重ねていれば本番レースで大きな爆発力に期待が出来ると満自身いつもかんがえ、そんな練習イメージを描いているのである。
 ところがその日は監督から自己ベストの1分16秒を10本切るまで無制限で100メートルを泳ぐという練習メニューなのである。
 気が遠くなるような気持ちの満を同級生のクラブメイトが励ましてくれた。
「立花、大変だけれど、頑張ってくれ。そして必ず優勝してくれよな…!期待している。」
「これ以上頑張れないよ、僕は休みたい。今日は家に帰れない。そう思うとなおのこと今日の練習が恐怖でしかない。」
立花以外の選手の制限タイムは緩やかなもので、悪くても倍の20本も泳げば達成可能である。しかし一様にクラブメイトも満には風当たりが強いのである。担当コーチも学生時代のキャリアを生かしてのコーチングだろうし、先輩も激励やアドバイスもたくさんもらえる環境に満はあり、嫉妬めいた感情も感じているのである。
 さてとんでもない練習が始まった。
一本目、この一本だけでも自己ベストをねらうぞと意気込み最高のスタートで壁を蹴った。前半の50メートルでかなりの体力の消耗をしてしまった。でもラップは自己ベストのラップを上回っていると確信して50のターンをして折り返し後半に入る。75のターン目前で満は一杯一杯となる。筋肉には乳酸が蓄積すると言ったそういう状態である。所謂失速なのだ。ダメだ。でも最後まで頑張って泳ぎきった。
タイムは1分18秒台だ。
 クラブメイトはみんなこの練習で一本を消化したのだが、満はまだ一本にならないのだ…。
地獄の練習が始まった。

「マネージャー!満は今何本だ?」
「38本です。」
「そうか…!満の意識はまだあるか」
「まだあります。今の所まだ一本一本の記録に大きなばらつきがあります。
彼は今、自分の意識と戦っているはずです。」
「そうか、そのまま続けろ…!」
満は徐々に意識が薄れていくのがわかる、さっきの40本目のスタート台でも現実が頭から消えている。そして身体の感覚が麻痺して来た。きっとこの当たりから意識が消えてしまいそう感じがする。
満にはもう成り行きに任せるしか道は無かった。ただただこの今のメニューをこなすために泳ぎ続けなければならない。と、そう思った。
…どうでもいいや!今畜生。
「コーチ!満の記録が1分17秒で何本泳いでも一定となりました。不思議です。全く同タイムで彼は泳いでいます。」
「なに、そうか。意識が途絶えたな…!そろそろ止めよう。もう意味が無い。」
「満!お疲れ様」
「……!」
満には今まで何をしていたのかわからない状況だ。100メートルのインターバル練習40本目で意識が飛んでしまったのだろう。
こんな練習をして本当にレースで記録が出るんだろうかと、満は不安でしかたが無かった。

1972年1月
 学校のプールはには氷が張っている、もちろんプール中央は薄い氷がさざなみのようにざわついているがともかく冷たく間違いなく水温は0℃以下である。
今日は満の誕生日、クラブ員が部室に集まってきた。
「満の誕生日だ初泳ぎをしようか…!」
「俺はまだ死にたくない!」と満
「ダダッ…と泳いで満のお祝いをしよう。そしてそばの銭湯に突っ込もうぜ!」
「満行くぞ。」
と仲の良い同級生の川上は満を誘った。そして下級生も満の後を追った。
飛び込むんだぞ、じわじわ風呂に入るようにしての入水は駄目だぞ…!
胸の冷たい水を手のひらであてがうように押し当て、次に水で顔を洗い、一気に飛び込むんだ。
「死ぬなよな…!お先」と川上は飛び込んだ。そしてグングン加速して25メートルと泳ぎきったようだ。
満も後を追った、
「エーェイ…!」
「生きているようだ、でもこの頭の痛さはなんだろう。皮膚は冷たいというようより、かきむしられるような痛さだ。エエエイ!」
と裸の選手達は全員25メートルを泳ぎきり、そしてせっかくのプールだとみんなターンして氷を割りながら泳いだ。
「満、おめでとう。お前も18、卒業だな…!」
川上は日本体育大学へ満は近畿大学農学部へと進路が決まっている。
川上は満との別れの思い出に一緒に氷の張ったプールで泳ぎたかったのだろう、良い奴だと満は思った。
「川上! 俺はもう水泳はこりごりだ…。特に平泳ぎは苦痛過ぎる、たまらんよ。
頑張ればもう少し上のレベルを狙えるのかもしれないけれど、おれはもうたくさんだ。だから川上!俺の分まで頑張ってくれよナ。お前はクロールだし、フォームも綺麗だし、これからまだまだ現役生命を続けられるだろう。」
「寂しいけれど、俺達は違った道を選んだんだ。お前は北陸。俺は東京!卒業して、新しい生活になれたら時間作って会いに行くよ。」

あれから30年、満は50歳を超えた。
 そして今、30年前に青春の炎を燃やしたプールでウオーミングアップをしているのだ。その後川上とは会っていない。どうしているのだろう。風の便りでは水泳部の顧問をしていると聞く先輩達もいろんな職業についてはいるが水泳とは精神的には切れていないようだ。
満はなぜかウオーミングアップの最中に過去を回想し、自分が水泳と切っても切れない宿命を感じているのである。いってみれば、水泳とともに生きて水泳に育てられた。
就職してから、こんな事があった。
 1986年に満は胃潰瘍で入院する事態を経験している。社会人スタート以来10年間まっしぐらに仕事人として昼夜を問わず寸暇を惜しんで仕事をした。
夜は毎日、午前零時に深夜のラジオから流れる城卓也の「ジェットストリーム」を聞いて帰路につく、わずか4時間足らずの睡眠と入浴を取ってまた職場に出勤し、執務に就くといった生活を何年も続けてきたのである。家で食事をとる事も無く、家族との触れ合いも無く、ただひたすら仕事に没頭していた。いやさせられていた。若いから続くのであろうが、とてもまともな勤務状況ではなかった。そのうえ上司からは上司の勉強用資料やヒアリング、はたまた冠婚葬祭までひっぱりまわされ、また部下には部下の悩みや愚痴を聞いてやらねばならない。どっちにしろ、毎日の暮らしはとても絶え難く、ついついアルコールの力を借りてストレスの解決を先送りする毎日であった。
そんな生活を重ねていた満の生活は、一方では胃痛という自覚症状との戦いという苦しみも抱えていたのである。苦しい激痛をこらえながらの勤務であったが、ひと言の弱音も吐かず、ただひたすら、瞬間瞬間を生きている満であった。きっと満はいつ死んでもそれはそれで止むを得ないと腹をくくっていたのかもしれないのだ…!
 とうとう満の胃は忍耐の堤防を越え、吐血下血による出血多量を起こし、貧血状態に陥ったのである。救急車で運ばれ即胃潰瘍と診断、即刻入院と相成った。ところが満はこの症状を彼の人生でやっと手に入れた休息の時と内心ホットするのである。それは彼にとって、悩まされつづけたストレスから解放される休息の到来なのである。三度三度の食事に入浴、休息、なんとも天国のような療養生活である。幸い、満の場合悪性腫瘍ではなく、胃潰瘍であり、薬による治療をすることで手術の必要も無く、安静第一の入院生活で治癒が約束されたのである。
そしてその療養生活が矢のように過ぎ、また職場復帰を向かえることとなった。
 病気を戦っている間、死を意識していた満だったが、彼は見事に復活を成し遂げたのである。これからは二度とこの親から得た肉体を痛めるまいと心に誓い、生活習慣の改善改革をはじめたのである。
まず、最初に取り入れたのがストレスと薬との決別である。入院中は医師から処方される薬で治療を図るものの、退院後はできるだけ薬に頼らない療養を心がけた。
 そしてストレスの解消に水泳を始めた。おりしも福井市内の中心市街地にワシントンホテルが建設され、室内プール付きのフィットネスクラブがオープンしたのである。早速満はメンバーとなり、水泳とジムでのエクササイズをはじめたのである。
仕事オンリーの猛烈サラリーマンといえどもまだまだ30代、福井マラソンも職域のソフトボール大会も運動と言うものは全て花形といえるほどの体力とセンスは消えていないである。そしてその自負心を持ってのプールデビューなのである。
 ところがなんとクロールだと20メートルしか泳げないのである。ワシントンホテルのフィットネスクラブはエグザス福井といってプールの施設は20メートルの3コースである。満はそのプールを往復クロールで泳げないのである。そして満のかつての専門種目である平泳ぎにいたっては、ゆっくりリラックス泳ぐ程度ならいいのだが、競技フォームでの泳ぎとなると全く息が続かない。20メートも泳げないのである。なんともこのブランクは厳しいものである。自転車に10年ぶりに乗るようなわけにはいかないようだ
 それでも満は勇気を出して、エグザス福井で胃潰瘍の療養と精神のリラックスのために水泳をはじめたのである。毎日少しずつ泳ぐ距離を延ばしていった。無理をせず、息が苦しくなったらそこで止める。とこんな感じで通い始めた。
とはいえ昔取ったきねづかからか、20メートルを力いっぱい泳ぐとさすがにその泳力は半端ではない。満は昔…俺は平泳ぎはやらない。…とのこだわりが頭の片隅に残っていたのである。平泳ぎには興味が無いらしくてただひたすらクロールを泳いだ。泳ぐ距離は日に日に伸びて行き、1500メートルをゆっくりとしたペースで泳ぐ事ができるようになったのもさほど時間はたたなかった。
 そして、それ以降は毎日プールでは長い距離をただひたすら泳ぐ事に専念していった。
……最初の10往復はアップ代わり、次の10往復はメイン。最後の10往復はクールダウン代わり、と自分に言い聞かせるように泳ぐのです。そして一番辛いのも10往復を超えてあたりからの10往復はなかなか辛いものがある。平泳ぎでとてもこんな長い距離は泳げないな…。
 プールに通う習慣が定着した頃から、満の胃の調子はとてもいい感じとなり、退院後1年も待たずして薬との縁も消えたのである。これからは水泳とともに健康でいようと心に決めてプールにフィットネスクラブに通う毎日の満であった。
 この当時満はどこにも選手登録をしておらず全くのフリーのスイマーであった。そして
平成1995年から3年間の転勤を経て、福井に帰還、1999年の選手登録を今の新田スイミングで行い、マスターズ水泳を目指す事となったのである。




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生涯現役 3章

2006年12月31日 10時46分36秒 | 生涯現役
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3.
満はウオーミングアップをしながら、10年以上も前のことや、最近の出来事を回想しながらのんびり泳ぎながら身体を温めている。
「やっぱり水泳をしてきてよかったな…!もしあのまま倒れてしまって、生活の習慣を変えずに仕事一点張りで過ごしてたら今のような元気にはならなかっただろうな…」
「レースに勝つとか負けると言った事の問題ではない、泳ぐ事でストレスが解消され、泳ぎながら無・空になれるといういわば悟りの空間を自分で得る事ができる。勝負への執念とかそういうものも関係ない。ただ楽しみで少しずつ自分の体力に合わせて練習メニューを変えていけばいい。いつかきっと試合レースで勝てる日がくるだろう。」とう信じて頑張ってきた
今の自分の事を思うと、喜びさえ感じてくるのである。
 
「プールでウオーミングアップをしている選手の皆さんにお知らせします。30分後の10時から開会式をはじめますので10分前にはウオーミングアップを終了してください。」
 開会式の通告アナウンスをプールで聞いた満はそろそろ身体の準備が出来上がってきたなと感じている。身体がほんのり赤く火照り、全身の力が抜けてとても良い感じに仕上がっているように自分で思うのであった。
さあ、レースが始まる。満の全身に熱いものが伝わり、アップの泳ぎにも力が入っていく。水温30度、室温32度のコンディションはちょっと汗ばむくらいで、プールサイドに陣取る各スイミングチームのテンションも一段と高まってきている。
新田スイミングクラブのメンバーも各人ウオーミングアップを終えてプールサイドにあがり身体を拭いている。
「立花さん、今日は入念だね…!」
「いや…!でも今日は絶対に記録ねらいだからね。あの大会記録を何とか今日のレースで塗り替えたくてね。」
「立花さんなら楽勝ですよ。頑張って下さい。応援しています。」
「ありがとうございます。頑張りますから。」
と口で入ったものの、記録ねらいを口走った事でさらにプレッシャーを感じることとなったようだ。喉は渇く、汗は引かないし、ちょっと興奮気味…!
「立花さん、あそこにいるちょっと大柄な人いるでしょう。あの人が立花さんの種目の大会記録保持者ですよ。山本さん…!」
「そうですか、立派な体格をしてらっしゃる。それはそうと、林田さんが僕らの年齢区分でなくて良かったですよ。」
「いや、僕も全く同感です。でも僕の区分にはすごい人がいるから、なかなか、勝負に勝つのは容易ではありません、ましてや記録ねらいはなかなか難しいです。」
と同じクラブの林田さんは星勘定をしているようだ。
 実は林田も平泳ぎを専門とする県内マスターズスイマーの第一人者なのだ
そしてその林田と区分を同じくする45歳~49歳台には谷口さんという記録保持者がいるのである。この45~49、50~54の区分でそれぞれの種目で大会記録を持つ役者がそろっているのである。
林田、谷口は45~49区分、山本、立花は50~54区分なのだ、
きっと100メートル平泳ぎはこの4人がいっしょに泳ぐ事になるだろう。

「ただいまから第16回福井県スイミングクラブ協会、マスターズ水泳競技を開始します。」
とアナウンスがあり、大会会長からあいさつがあり、競技上の注意などのセレモニーが続くわずかの時間の中で満の頭の中は集中することに専念しながら、レース展開における力の配分に苦心惨憺の状況である。
 開会式終了直後に100メートルメドレーリレーそしてその後スグに100メートル個人メドレーとレースが続く、満のメインイベントの100メートル平泳ぎと50メートル平泳ぎは午後のレースなのである。午前中にリラックスできる種目で身体と気持ちをほぐすのには最適だと満は考えている。

 さあ、レースが開始された。
「男子100メートルメドレーリレーの召集を行います。選手は召集所にお集まりください。」
「皆さん頑張って下さい!」
とコーチの激励を受けて満は上坂、林田、佐藤とお互い「頑張るぞ…!」のハイタッチをして気合を入れた。
レースは一組、参加チームは4チームの合同レース、僕達の新田スイミングチームは4人の年齢の合計が200歳以上のクラスで、同じクラスでは2チームの争いである。その他の2チームは年齢区分が若いクラスだ。満達ははその若いチームのペースについていけばいいのである。
満は51歳、佐藤は62歳、上坂47歳、林田49歳と、なんと209歳である。
 まず林田の背泳ぎ、そして満の平泳ぎ、次に佐藤バタフライ、ラストクロールは上坂だ。第一泳者と第三泳者はスタート地点へ、第二泳者、第四泳者は折り返し引継ぎ地点へそれぞれ散った。第一泳者の林田がスタート台後ろの椅子に腰掛け、アナウンスを待っています。第三泳者の佐藤はさらに後ろでストレッチをしている。反対サイドには満が椅子に座っている。第四泳者の上坂が満に声をかけている。
「立花さん、きっと勝つから表彰台には立花さんがお願いします。僕はスグに200メートル自由型があるので召集場へ急がないといけません。」
「すみません。僕はスグ次のレース、個人メドレーがあって、僕の方が早い招集なので表彰台には行けないのです。ごめんなさい。」
「解りました。じゃ、僕が賞状もらってきますね。立花さんに表彰台に立ってもらいたかったんですけど仕方ないですね…。」
「すみません。その代わり、気張って泳ぎますから、ラストスパートは頼みます。」
と上坂の満に対する気配りが満は嬉しかった。
「お互いがんばりましょう。今日のメインレースは個人種目平泳ぎで記録ねらいなんですが、リレーは何か武者震いのような興奮…!たまらないですね。」
「いよいよです。上坂さん行きますね…」
と第二泳者の満、第四泳者上坂とも気合十分である。
そして、レースの通告アナウンスが始まった。
「ただいまから男子100メートルメドレーリレー、タイムレース決勝を行います。第2コースベルSSチーム、第一泳者伊藤君、第二泳者田中君、第三泳者辰巳君、第四泳者澤田君。第3コース新田SCチーム福井林田君、立花君、佐藤君、上坂君。第4コースアミSSチーム岩本君、山崎君、戸田君、橋本君。第6コースベルSSチーム五十嵐君、長谷川君、久保君、前田君。以上。なお第五コースは棄権です。」
林田が立って深々と一礼して、手をぐるぐる回しながら立っている。
そしてアナウンスが終わると同時に水の中に入った。
スタートとホイッスルが鳴った。第二泳者平泳ぎの立花も折り返しサイドにいつでも飛び込めるようにスタートを待った。スタートの号砲がプールにこだました。林田のスタートダッシュは凄まじいピッチで立花の足元向かって近づいてくる。
「2コースに勝っているぞ…。優勝は頂きだ。後は記録だ。」
立花は自分の平泳ぎで記録が決まると確信した。立花は自分の指の先で林田の背泳ぎストロークの手を追い、引継ぎタッチを待っている。
「よしいくぞ…!」
林田の右手が壁にタッチすると同時に立花はスタート壁を蹴った。見事な引継ぎだ。全くロスタイムガない。完璧だ。ライバルのベルSSとはかなりの差がついて優勢だ。立花の平泳ぎは水中で一かき一蹴りが認められている種目、なんとも立花が浮き上がった時には2位との差は身体三つは空いている。第4コースの若いチームに並んだ。さあ、ピッチを上げゴール寸前、立花は心の中で叫んだ
「佐藤先輩お願いします。」
佐藤は余裕の顔でスタート台に立っている。
立花が突っ込んでくる。そして佐藤が空を飛んだ。その空を飛ぶ姿を満は見上げた。満に疲労感は全く無い。心地酔い、泳ぎきった爽快感が押し寄せている。
と満が責任を果たした安堵感でいると、もう第4泳者の上坂がゴール目指してノーブレッシングでグングンピッチを上げ目の覚めるようなラストスパート。
1分を経過、
「後少しだ、3秒、4秒、行くぞ行くぞ、やったぁ……!
1分7秒86、大会新記録だ、実にこの種目2秒以上短縮しての記録更新だ…。やったぜ…!」
上坂がゴール前見事なラストスパートを見せてくれた。
「サンコース、サンコース!サンコース!…」のコールがプールサイドに響いている。
その歓声を聞きながら立花は招集場へ急いだ。立花のレースは時間の余裕が無く、男子100メートル個人メドレーのレースなのである。その召集だ、もう召集は済んでいるはず、リレーに出ている選手だけが遅れて召集場に着く。まだ満も肩を大きく上下に息が上がっている。
「新田SCの立花さん、立花さんいますか…?」
「はい!立花です。ただいま点呼にまいりました。」
満が召集場で次のレースの点呼を受けている時にアナウンスがあった。
「ただいまのレースで大会新記録のお知らせをします。第3コースを泳ぎました新田SC福井チームの記録1分7秒86は本大会新記録であります。」
とのアナウンスにプール館内ざわめきが響きわたった。このアナウンスを立花はなんともいえない幸福感、満足感で聞いた。
個人メドレーレースの召集をすまして、今女子100メートル個人メドレーの選手達がスタート台に向かって歩き出した。満たちはレースを前にした緊張感が走る。だが、満だけは緊張感から解き放たれて大会記録更新アナウンスの余韻を至福の感慨で浸っているのである。
…次のレースは単にウオーミングアップ程度、気合は入らない。
 満は考えている。
……それぞれ各人が50という年齢を越えて、初老の域に入って来た。何とか健康で生きてこられた。ここに集う選手達にもいろいろの人生があっただろうな。僕自身も大病をして、仕事に人生を奪われそうになって今まで生きてきた。苦しい事ばかり、所帯を持って良い事なんて何も無く、苦しきことばかりの連続、一時酒で現実を逃避しても津波のように押し寄せる、障害や苦労…!半ば生きることに疲れきっていた時に出会った水泳…。青春の時の情熱!辛い競泳なんてもう二度とやるまいと堅く祈ったのに、今50にしてプールサイドにいる。そして殊勲のアナウンスを聞いているのである。素晴らしい…。
「佐藤先輩、聞いていますか。良かったですね。個人種目も頑張りましょう。」
とつぶやいた。
 さあ、満は頭を切り替えて100メートル個人メドレーのイメージを描き始めた。
満のメインレースは午後からの100メートル平泳ぎである。これからの個人メドレーレースはリレーのクールダウン兼平泳ぎレースのウオーミングアップなのだ、満の特に苦手種目である背泳ぎで体力を消耗したり、肩でも痛めたら元も子もない。まずはスタートから最初のバタフライで、ゆっくりとした大きなストロークでダイナミックに泳ぐ事に専念!そんなイメージを膨らませている。
 女子100メートル個人メドレーがスタートした。
「男子100メートル個人メドレー第一組の選手はスタート地点に移動して下さい。」
選手達はお互いに目を合わさず、集中してうるのだろう赤い顔で歩き始めた。
満には特に何の緊張感も無い、たった今メドレーリレーを泳ぎ切った満足感で満たされており、この個人メドレーは軽く泳いでも満の年齢区分では優勝間違い無いだろうと踏んでいるのである。とはいえ、エントリー種目全てに集中している満である。
「ちょっとお尋ねしますが、あなたはたった今メドレーリレーを泳がれたのですか?」
「そうですが、何か…?」
「いや、私は毎年このレースにエントリーしてレースに参加できるだけで幸せと思い、週三回の練習に通っているんですが、あなたはたった今のレースで泳がれてまた個人メドレーで泳ぐなんて信じられないです。すごいですね。」
「いやお恥ずかしいです。個人種目のエントリー制限は3種目でしょう。だったら三つとも出ようと決めましてね。実は私、平泳ぎが専門で午後からの100メートルと50メートルにエントリーしているんですね。25メートルの平泳ぎもあるんですが、もう私も若くなくて、短い距離のスタートダッシュは苦手で肩でもいためると嫌だなと想い、100メートル競技が一番ふさわしいと思っているんですね、そして、ストレスとプレッシャーの負担かからない種目として100メートル個人メドレーをエントリーしたんです。だから、皆さんには悪いんですがこのレースは遊びです。流すつもりは無く一生懸命には泳ぎますが勝負は意識していないから、気になさらないでくださいね。」
「そうですか!素晴らしいですね。ええっと…!50歳~55歳のG区分よね。私は45歳台のF区分なんですかとてもあなたのような、度胸は無くて今スタート台に向かうこの今の心境すらもうはちきれんばかりです。」
「そうですね。いよいよスタートです。どうあがいたところで、もうスタートの号砲は鳴り響いて、私達は否が応でも飛び込まなくてはいけないんです。」
「どなたか存じませんが、自分を失ってスタートしてはダメですよ。スタート用意のホイッスルが鳴ったら、ともかく深呼吸して自分のリズムにして号砲を待つんですよ」
などと説教じみたことを、声をかけてくれた隣の選手に言ってしまったのだ。
そして選手紹介のアナウンスが鳴り響き、満自身が高揚して来た。
「ゴコース」「ゴコース」と満の声援が満の耳にはっきりと聞こえている。
……良いもんだな、最高の気分だよ。まださっきのレースの呼吸の乱れがあるけれど、このレースも期待されているな、と思える満足感はたまらんな。
いやちょっと待て、さっきのお隣さん。ひょっとすると僕より早いかもしれない。あんな事を言って説教したけれど、こんな柔には負けたくないな。最初のバタフライは軽くいなして戦意を奪ってやるか…!だめだだめだ、僕は午後の100メートルの平泳ぎに記録をねらっているのだ。このレースはクールダウンとウオーミングアップだ、絶対に飛ばしてはダメだ。…
そう満は1、2秒の間で思考をめぐらせて号砲を身体でとらえた。満の全神経が爆発して水中に飛び込んだのである。ゴーグルもしっかりフィット視界良好入水による泡もあまり無い。ツーキックのドルフィンを打って、ストロークを開始した。
 …どうした事だ、お隣さんすごいじゃないか。くそっ!
 ダメだ満、お前は平泳ぎだぞ!流すんだ。相手はこの個人メドレーにかけているんだ。それに何歳も若いんだから負けて当然だろうが…!
と満ははやる気持ちと、押さえる気持ちが錯綜して、混乱状態でバタフライを泳いでいるがなぜかやはり、呼吸せずに飛ばしている満である。もっとも専門種目ではないバタフライではゆっくり泳ぐ事が出来ないのだ。25メートルのターンを目前に隣のコースを泳ぐ彼には1身長の水をあけられている。
 背泳ぎは満の苦手種目、ストロークが始まると同時に苦しくなってきた。
…飛ばすな!満。
ピッチが上がって、回転数が増すのだが、その力が推進力に反映されていない。やはり苦手種目である事はゆがめない。でもなかなかいい展開である。差が広がっていない。お隣さんは45歳台F区分の2位以下を大きく離して平泳ぎにスイッチして水中にいる。満はその水中の彼を見え様も無いが察しは付いている。スムースな背泳ぎから平泳ぎへのスイッチだ。満は水中で差の距離感を測った。
…満、この平泳ぎではピッチを上げるなよ。
との天の声を聞いたが、身体が言う事を聞かない。激しいピッチで追っかけた。さすが満は専門種目の平泳ぎである。1ストロークの伸びは見事である。しかしバタフライ背泳ぎと引き継いで来ての得意種目平泳ぎは意識の中では休息のときなのであるが、それはやはりレースである。ここでタイムを稼ごうと満は筋肉のスロットルを踏んだ。しかしお隣さんとはさほど距離がつまらない。
…あいつなかなかやるな!あいつのおかげで僕も火がついてしまった。でもいい練習だし、初めての個人メドレーのレースでなかなか好タイムが出そうだ。
そんなことを考えながら満は余裕を持ってラストの自由形にスイッチした。あとは残り25メートル、20メートル、15メートルと次第にゴールが近づいていく、フォームもあったもんじゃないノーブレシングでただひたすらピッチを上げた。ゴールまでまっしぐら…!そしてゴール。
 このレース一位はお隣さんの45歳台の名前も知らない選手、そして二位は満である。満は50歳台のトップでこの種目を制したのである。満の記録は1分25秒90と平凡な記録である。そしてお隣さんは1分17秒28と格の違いを見せ付けられた。
…もし僕もこの種目にかけて練習いていたら1分20秒は切れそうだな…
と満はかすかな自身みたいなモノを感じている。
「おめでとう!」満はお隣さんに握手を求め、ぎゅっと握り締めた。
「ありがとうございます。あなたに声をかけられて嬉しかったです。来年もきっと会いましょうね。」
お隣さんは大会記録をねらっていたのだろう。この100メートル個人メドレーの大会記録は45~49歳クラスで1分14秒78。そして50~54クラスで1分24秒06である。お隣さんも満も一歩及ばずといったところである。
 特に満は今日のメインレースではなくこの種目は捨てレース、それにもかかわらず。あと2秒足らずで記録更新なのである。これから先のねらい目レースとして満は確かな手ごたえを感じたのである。
 そしてまた新しい友達が出来た。お隣さん!とは彼に失礼な話だが名前なんてどうでも良いと思った。彼の泳ぐ4種目のフォームを後方からしっかりと頭に焼き付けることが出来た。まだ彼も若そうだから満と同じ区分で泳ぐ事はなさそうだが、レースは合同レースまた来年もこの種目にエントリーしなければと、そして来年はこの種目に賭けるためにも今回の大会で目指す100メートル平泳で記録を塗り替えなくてはいけないと、強気一本で闘志が湧いてくるのであった。
プールサイドでは表彰の準備が整ったようだ。
「立花さんは優勝の位置に上がってください。」
立花は力を温存してのレースで表彰台に立てた、喜びでいっぱいだ。大会会長から表彰状を授与さてご満悦!
「立花さん!おめでとう!来年もまた頑張って下さい。」と会長が祝福の声をかけてくれた。嬉しい気持ちでいっぱいの満に後ろから、例のお隣さん、久保君が
「おめでとうございます。今日はリレーに続き二冠ですね。」と激励の声!満はもう十分だと思った。そして久保君の表彰が始まった。満は心からの拍手を贈った。
「久保さんおめでとう!来年は勝負しましょう。」
「立花さん、目指して頑張ります。今日はありがとうございました。」
となぜか表彰式が済んで二人で親しくなってしまったのです。目で会釈して、満は所属クラブの仲間達がいるところへ戻った。大きな声援と完成が満を迎えたのである。
「立花さん!すごい…!こんな人が新田SCにいるなって感動!私も絶対に頑張る。」
にんまり顔のコーチも「立花さん午後のレースも頑張って下さい。」
 この歓声がたまらない満だった。50歳を過ぎて、初老の域にはまだ早いが誰もが頭に白いものが気になり染め始め、おなかはメタボリックのポッコリ腹をきつめのベルトで隠し、ゴルフ談義に花を咲かせている職場の50代男性の中にあって、ひたすらアスリートの自覚を持って日々練習して来た立花は、一番幸せに感じるシチュエーションに身を置き最高の気分を味わっている。中高年にも青春があるんだと満は思った。
…あの時水泳を捨てたけれど、やっぱり水泳は僕の人生そのものかもしれない、頑張って続けよう…
と新たな気持ちで満はジャグジーへ消えた


 

つづく
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生涯現役 4章

2006年12月31日 10時43分53秒 | 生涯現役
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 4.
朝一番のメドレーリレーを泳いだ佐藤は60~64歳区分のバタフライ泳者、満の大先輩でもありライバルである。印刷会社を経営し、自宅に手作りのジムを持ち日々体力トレーニングに勤しみ、水泳に一生懸命の最年長泳者である。
本マスターズ大会記録の55~59歳区分50メートルバタフライで35秒10の大会記録を持つ人である。
 立花満はいつも佐藤と練習で同じメニューをこなして切磋琢磨しているのである。
「満!今日は調子が良さそうだな。リレー、混メと乗っているぞ…!この調子で平泳ぎ頑張るんだぞ。」
「佐藤さんこそ、頑張っておられるし、すごく励みになります。」
とかんたんな会話を交わして佐藤は二階席に消えた。
佐藤の奥さんが新田SC所属メンバーの大会エントリー選手全員のビデオ録画をしているのである。佐藤は奥さんに撮影の状況、露出の具合などをチェックしに二回に消えたのである。なんともいやはや、この配慮はなかなかできることではない。そしてメンバーひとりひとりにビデオ編集して本大会記念ビデオテープをプレゼントしてくれるのである。満はこの大会が済んで、後の忘年会の席上この記念ビデオの贈呈を受けるのであるが、さて、今、佐藤は奥さんと一緒に録画に余念がない。
「種目が沢山だから大変だと思うけれど、頼むな…!」
「ええ、いつもの事だから、任してください。でも、あなた、レースの事あまり無理はだめですよ!」
「でも、これだけが生き甲斐で頑張っているんだから、後悔の無い泳ぎをしたいんだから上手く撮ってくれよな。みんなの分も頼むね」
と奥さんに声をかけてそして今日のプログラムに、撮影の必要なレースとフォーカスする選手にカラーマーカーして奥さんに渡した。奥さんの撮影位置は二階席中央でプールが一望できる。上からのアングルだからフォームチェックにも最適、旧いメンバーはいつもこのテープの世話になっているようだ。音声入り、BGM入りで多少凝った仕上げとなる。
 と佐藤はクラブの長老であり、一番の人気者なのである。彼の肉体は見事に鍛え上げられた贅肉の無い身体をしており、陸上のランナーの肉体をしている。水泳選手としてはもう少し脂肪があった方が良いのではなかろうか…!
その佐藤の悩みはやはり、老化によるタイムの後退である。何がしかの原因で好調不調の時があるのだろうが、やはり、若いときのようにいつでもレースがOKと言う訳にはいかない。佐藤といえども、このレースに望むにあたって入念なトレーニングと調整をしてきているわけだし、メンタル面においてもそれはそれは、強固なものがある。
佐藤はプールサイドに戻ってきた。午前中のレースが終わり、選手達は昼食に消えた。プールでは午後に備えてウオーミングアップしている選手もいるが、この昼休みは近くのレストランや喫茶店が交友を深める格好の場なのである。
「満!食事はどうしたんだ?」
「僕は外に出ると集中力が欠けるから昼食持参です。カロリーメイト3種とバナナ、そしてスポーツドリンクです。一応もう済ましました。佐藤さんこそ、お昼まだじゃないですか?」
「うん。僕は午前中最後の25メートルバタフライのレースが済んだところだから、まだ食欲無くて…」
「そうですか?佐藤さんのレース、僕は見られなかったのですがいかがでしたか?」
「平凡だよ、午後からの50メートルにかけようと思ってね。」
「頑張って下さいね。僕も午後3レースありますから…!」
「お互い午後にかけよう!」
満は午後からの100メートル平泳ぎのレース展開をイメージしているところだった。目指すは大会記録保持者山本の1分27秒68、山本は25メートルも50メートルも25メートルも大会記録を持っている。平泳ぎの中高年トップスイマーである。彼に挑む満は今日エントリーレースが5レース、午前中2レースを消化した。最後のリレーはお祭りのノリで一気にいけば良いのだが、まずは100メートル、この距離は短距離でもなく中距離でもない、ある人は最初から積極的にがんがん乗っていき最後まで切れることなく泳ぎきる人もいれば、前半押さえ気味で後半猛烈にスパートする人、そしてともかくレースのトップに喰らいつき、最後のラストスパートに賭ける人。それはそれは多くの人のいろんな考えがある。そしてレース中に自分を失って自滅する事もある、この平泳ぎは極めてメンタルな側面を持つ種目である。
「佐藤さんに聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「良いよ、なんだい!」
「佐藤さんにとって水泳って何ですか?そして60過ぎてもレースに参加しているそのファイトはどこから生まれてくるんですか?」
「それは僕に聞くまでもなく、満、君自身が自分の胸に手を当てて考えてみれば良いと思うよ。それに僕の場合は本職が陸上だったけれど、中高年になると水泳は実に良いね。怪我する事は無いし、練習の前後に十分なストレッチをしていれば大きな故障は考えられないからね。それにスタートの緊張感は陸上短距離の比じゃないね。
 飛び込む勇気みたいなものが必要だろう。でも陸上ってありふれていると思わないか…?まあ、僕も病気や怪我をたくさんして来たけれど、これが中高年だと思う。何か持病や怪我をもって頑張っているんだから、一病息災だよ…!そしてそのやる気という大きな力が優勝とか記録更新とかいった勲章のような結果が待っていることもある。これほどの胸躍る、興奮するものは無いと思うよ。」
「そうですよね。僕ももうとっくに水泳なんて諦めて、青春時代の遺物と若年寄の物言いをしていました。ところがマスターズスイマーは80なってもそれ以上でもしっかりと練習してイキイキレースに出ている。こんな事を思うと憂うつな気持ちは吹き飛んでします。」
 満は佐藤の存在が水泳を続けている励みのように感じているのである。
満が10年後に佐藤同様に記録を目指すマスターズスイマーでいられるかどうかそれは非常に難しい問題だ…!ただ、平平凡凡とスイミングに通いながらレースに出場するくらいなら可能だろうが、常に記録を意識し努力精進のスイマーとしての人生は多少の不安があるが満はそういう生き方を目指そうと、佐藤に対して憧れに似た嫉妬を感じているのである。そして常に佐々木をライバルとして意識して行こうと、そう満は感じている。
「佐藤さん!5歳刻みの年齢区分は意味があると思うんですが、僕の場合は1年後の老化と記録の後退はまさに相関関係にありこの今の年齢は加齢に伴う記録は修正が聞かないのではないかとさえ思えるのです。」
「満!そうかも知れないし、そうでないかも知れない。でもな、ともかくレースには出、続けるのだよ…!毎年毎年、挫折を積み上げるのかも知れないが、あるとき爆発的に目覚める時があるよ。私がそうだったんだから、諦めずに続けてきて良かったと本当にその時は思ったものだった。だから満!これからいろいろあると思う。それに君達の年代は仕事に対して一番責任がともなう年代だ。そうそう水泳ばかりしているわけにはいかないんだから!」
「佐藤さん!ありがとうございます。激励の言葉、嬉しいです。今日はレースよりも何よりも佐藤さんの『出、続けるんだよ…!』の言葉が胸に響きました。ありがとうございました。佐藤さん自身もこれからまたさらに現役生活を続けて言って下さい。僕は最後まで追っかけていきます。」
大会の昼休みに満と佐藤は願っても無い二人っきりで話をする時間を持つ事が出来た。
そろそろ、クラブメイトが昼食から帰ってきた。
「立花さん!お昼食べたんですか?今隣のファミレスで盛り上がっていたんですよ。立花さんの話題で持ちきり、もてもてですよ…!午後からの100メートル平泳ぎ頑張って下さいね。みんなで応援するから、必ず優勝してくださいね…!期待しています。」
「頑張ります!でもあんまりプレッシャーかけられるとつらいです。」
「立花さんにプレッシャーなんてあるんですか…?プレッシャーを楽しむって感じに見えますよ。」
「嬉しいこといってくれるけれど、それほどではなく、ノミの心臓なんだから…」
そろそろ午後の競技の準備がプールサイドでは行われており、メインプールで泳いでいた選手も一斉にプールサイドに上がった。
午後のプログラムは100メートル競技、まずは背泳ぎ男女、バタフライ男女、自由形男女、平泳ぎ男女である。
まずは自由形の上坂さんのレース、そして満のレースだ。上坂さんが召集場に消えた。そしてすぐ3レース後に満のレースがある。
満たちの招集点呼が始まった。
「1コース横山さん」「ハイ…!」
「2コース榎本さん」「ハイ…!」
と以下順次プログラムに従って点呼が始まっている。
平泳ぎは一組だけなので40~45、45~50、50~54、55~60、65から70と、各グループの合同レースとなった、満のいる50~54のFグループは山本の独走か、もしくは満とのデッドヒートか?、そして45~50の谷口と林田との一期撃ちである。
点呼が進みそれぞれ顔を見合わせながら駆け引きが始まる。
 クラブメイトの上坂さんが出場する100メートル自由形競技の選手紹介のアナウンスが始まった。
 召集場では100メートル平泳ぎの召集が終わりスタート地点への移動を待っている。
「立花さん、調子良さそうですね。僕はちょっと練習不足で自信が無いんですが…!」
と林田が僕に声をかけてきた。
「そうやね、今日の水はいい感じですね。頑張りたいと思っているんだけれどね。」
と満。しかし満は山本が気になるところであるが、彼の息遣いを全身で感じている。
「林田さん、いつ50~54区分に上がるんですか?」と谷口
「来年は50だから、今年は捨てて来年ねらいだね…!」と林田、
とこんな何気ないやり取りをしながら、前のレースの号砲が鳴り響いた。
「さあ、100メートル平泳ぎの選手はおのおののスタートコースレーンの椅子に座って待機してください。」
100メートル自由形のレース、クラブメイトの上坂がトップで50のラップを奪ってターンしていった。さてなかなかタイムも良い、75もトップ、さあ、ラストスパートグングンピッチを上げている。
「セェイ!セレイ!セェイ!……!」
泳者は流れるようにゴールしてきて。上坂がトップでゴール、優勝だ。さてタイムはどうだっただろう。との思いがかすかによぎったが満の頭の中は、このレースを引っ張るであろう谷口、林田、山本の三人とも最初から飛ばすタイプ、満が送れず身体一つくらいで食いさがり、ラスト勝負に持ち込めば勝負は面白い結果となる。しかし谷口、林田はかなりレーンが離れているのである。ようは山本を完全マークするしかない。

 

つづく
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