つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

過ぎると書いて過つとも読む

2024-05-12 | Weblog
取りも直さず現政権このままいくようだ。小賢しさは抜け目がない様だ。
して、99%のまさか(真逆)の下り坂が現れてくる。1%の余白は、愛の有る振舞である。できるかどうかは今までの過程の中でまず無理とする。如何なる道に於いても理の無い道は無い。道理は道徳に基づき、過去におけるいきさつまで露に見る。そのため、如何なる作り立てもできない。この自業自得の償いは、まったく無抵抗にして成される。その時、初めて自らの愚かさを知るも、後の祭りである。
この世は縁起の法則でもある。人の行動は心に従い、心に基づいて動く。心が怪しければ、どんなに繕っても雲行きは怪しいまま。怪我で収まればよいのだが、その怪我は大怪我となって終(死)に至る。怪我とは我が怪しいと書いている。
我が慢として我慢、我が慢心のために縁起となったのである。この自由(自らに由る)は仕方のないことにある。起こった事象は、決して消すことは適わない。
前は後になり、後は前になる円運動にして、時間の上書きにて消えていくとする知恵が必要である。科学は化学として時を選ぶのであるが、それにしても、兎にも角にも貴方達は若過ぎる。
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