感染が終わっているわけでもないのに、食事をしに行きなさい、旅行しなさい、
と推奨する。あるところでは、解雇、雇い止め、仕事を失い収入を絶たれて、
明日をどう生きようかと路頭に迷う人達がいる。自然災害で家屋を失い、住むところもなく、
辛うじて仮設住宅にありついて、明日に不安を抱いている人達がいる。
苦しんでいる人達をしり目に、余裕のよっちゃんで旅に出て、美味しいものを食する人達がいる。
同じ人間である。或いは、同じ民族である。或いは、同じ星の人間である。
我が身に置き換えて考えられる人たちがいるとするなら、意味のないことなど起こりはしない。
宇宙の選別には善いとか悪いとかは無い。ただ正義があるだけ。
その正義が絶対善である宇宙であるために、悪を抱いてはいけない。
悪を思えば、悪が正義となって善となるためである。
「心無罣礙 無罣礙 故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多」
心は文字にこだわらず、文字を理解するのは心の自由である。円運動の法則を理解できれば、
法が身に付いて、夢の世界となっている善悪の転倒した世界が正されて、恐怖は一切遠くへ離れて、
恐怖からの解脱となっていく。それが一般大衆の三世も続く仏の究竟の涅槃の世界である。
恐怖の根源は死である。人間は意識体生命である。特に形あるものではない。
死もない。
物質的世界を介してのみ成長する。そのために、肉体という物体、物質に宿り、経験を通して魂(意識)の
成長を得る。魂(意識)は、エネルギーの円運動による生命エネルギーであるために、
無くなることのないエネルギーとなっている。そのために、死というのは無い。
エネルギーの法則を身につけるということは、死からの解脱となる。
所謂、恐怖からの解脱である。
と推奨する。あるところでは、解雇、雇い止め、仕事を失い収入を絶たれて、
明日をどう生きようかと路頭に迷う人達がいる。自然災害で家屋を失い、住むところもなく、
辛うじて仮設住宅にありついて、明日に不安を抱いている人達がいる。
苦しんでいる人達をしり目に、余裕のよっちゃんで旅に出て、美味しいものを食する人達がいる。
同じ人間である。或いは、同じ民族である。或いは、同じ星の人間である。
我が身に置き換えて考えられる人たちがいるとするなら、意味のないことなど起こりはしない。
宇宙の選別には善いとか悪いとかは無い。ただ正義があるだけ。
その正義が絶対善である宇宙であるために、悪を抱いてはいけない。
悪を思えば、悪が正義となって善となるためである。
「心無罣礙 無罣礙 故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多」
心は文字にこだわらず、文字を理解するのは心の自由である。円運動の法則を理解できれば、
法が身に付いて、夢の世界となっている善悪の転倒した世界が正されて、恐怖は一切遠くへ離れて、
恐怖からの解脱となっていく。それが一般大衆の三世も続く仏の究竟の涅槃の世界である。
恐怖の根源は死である。人間は意識体生命である。特に形あるものではない。
死もない。
物質的世界を介してのみ成長する。そのために、肉体という物体、物質に宿り、経験を通して魂(意識)の
成長を得る。魂(意識)は、エネルギーの円運動による生命エネルギーであるために、
無くなることのないエネルギーとなっている。そのために、死というのは無い。
エネルギーの法則を身につけるということは、死からの解脱となる。
所謂、恐怖からの解脱である。