つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

羯諦

2011-04-30 | Weblog
諦・・・あきらめる。
本来、明らかにすることであり
途中で投げ出してしまうことではない。
それ故、言葉に帝の字をつけ、諦として
真理とする。
言葉の王をあらわす。
諦観、妙諦、要諦、などと掲げて、羯諦(ぎゃてい)の意味が見えてくる。
感きわまり思わず上げた声、歓喜の叫び声である。
真理を諦めて、悟りとなっていった民衆の歓喜の叫び声である。
理解する人はいるだろうか?
羯、羯・・に諦である。
歓喜の声は必ずそう聞こえるために、さらに褒め称えた諦の字である。
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ばか

2011-04-29 | Weblog
おい、おまえ

呼ばれるに等しい奴もいる。
そのような奴には、
善意も悪意を生む羽目になる。
下劣な奴になるな。
えてして、
そのような奴が行政を担ったりしていて、
うまくいくものも
うまくいかないものとなっていく。
便利を興じていて
奢るものとなって、驕れるものとなっていく。
下劣な奴というのは、
同化してしまっている気の利かない奴である。
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惹かれる人

2011-04-28 | Weblog
心を若く保てば、いつまでも魅力的でいられるものだ。
人は、
心にもとづいて動いているために、
心を制し調えていれば、人を好く惹きつける。
若い心と書かれるように!
誰にでも好かれる。
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我欲

2011-04-27 | Weblog
損だとか得だとか、
自分に利のあることは良しとして、他人が利となることを羨み嫉む為に
図らずも事が速やかにはかどらない。
他人が困っている状態を見て、元気になる自分がいる。そして、
いともやさしくなれたりもする。

哀しい思いがあるものだ。

どうにも人というのは、
自分よりも優位に立つものを疎ましい。
平等であることを広く望むのも、卑下を厭う為。

哀しい心が起こらないように、
いつも怠ることなく精進努力して理性を持ち倫理を保つ。

人が幸せになることを喜べて
自分も幸せに浸れる者

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無師独覚

2011-04-26 | Weblog
人は、
どう死ぬかのために
どう生きたかの人生である。

苦しんで死んでいくのか
喜んで死んでいくのか

死んでいくのに‘喜んで’は無いだろうと思うのは浅はか。
絶対
人は死んでいく。
死んでいくと決まっていながら
では
なぜ生まれる?
死ぬとわかっていて生まれるのは
死に意味があるためである。
そのために
死を目的として人は生まれ生きる。
人生の目的は死である。
死後の世界が大事であるために
死にどんな意味があるのか人生迷い知り得て
その役目を果たすこととなる。それを悟りという。
仮に10憶人いたとして
99憶9999人までは悟らずに死ぬ。
悟ることなく死んでいくものは
目的がわからない為に
何をしていいのかわからず
悟ることができない。

死後のことが大事であること
それは
生命が不滅であるためである。
それが
理解できるなら
人生の目的がわかり
目的がわかれば何をしていけばよいかわかってくる。
人生は死ぬ為にある。
死後の世界が幸せとなるようにとしての人生。
だから
人生は浄化の為の行為となっているもので
自然と善悪の分別がつき
正しい浄化の行為となっていく。

目的がわかれば悟れる。
喜んだ(穏やかな)死に顔となる。
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金持ちたる重圧

2011-04-25 | Weblog
もし、お金持ちでありながら、
何かを買えなかったということに出会ったことが無かったなら
不幸であり、けだし不幸の中で暮らしていることに気づくことが無く、それを不幸とも思わない。

昔ならまだしも、今は時代に合わせて
ほとんどのものがお金によって手に入る。
お金によって幸せが買えるものであるとするのも理はあるが、
その理は、薄っぺらな人の作り出した中の理である。
自然の理の中には見出すことはできない不幸な理である。

お金持ちに生まれ、お金持ちであり、さらにお金持ちになり、
お金ですべてを持ち上げて、持ち上がり、自分はただの筋肉費弱、脳みそ貧弱。
有り余るお金を持って供養してもそれは当然のことながらで、功徳ということでもない。
お金持ちは、他のために散財して徳を得られるものである。
でなければ何の為の金持ちか、抱え込んで来世には、金に苦しみ金に殺される。下劣なものであるために。
金持ちであることによって試される極苦楽の道標。他より重い。



昔も今もこれからも、お金が敵わないものはある。
それを知らないのは乏しさにも劣ることである。
それ以下が無い。
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わからない

2011-04-24 | Weblog
あれやこれやと占い、
まるで見てきたかのごとく説く人がいても、一寸先は闇である。
誰もわからない。これが真実である。
前もって対応できたためしは無い。
すべて確定されていることは不定という事実。
未来を知ることはできない。
確立において想定されても、知り得た瞬間、
未来は変わる。

さて、今生の命を終えた人はどこへいったか?その人達は
誰も答えてはくれない。まして生前、生命の生と命も知らないで生きたものであるなら、
答える術もないだろう。

このまま進んでいくのなら、
一つの答えが導かれていく想定がされるだけである。
滅亡という瞬間に出会うという流れ。

テレビチャンネルがいくつもあるように、そして、互いに関与しないように、
いくつもの流れの中で不定に入れかわる。

わからないから、いつもおどろいて生きている。
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しんさい

2011-04-23 | Weblog
政=規則正しく事を行いおさめる。
治=ごたごたが起こらぬように、うまく処理する。
と、辞書にある。
物事を整え安定させて、さらに起こらぬように行い治まえて、
二つの文字を合わせて、二重の盾を持って事に当たる政治。
まさにおさめて一安心の一安心も無く、ごたごたに乱れ歪みっぱなし。
これこそ震災。(心)災。(真)災。
こころからほんとうにふるえる災いだ。
統べ治める器はどこにあるものだろうか。
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可能性

2011-04-21 | Weblog
生きているということは可能性があるということだ。
かなえられるという希望。
それが何なのかわからない人よ
あなたは何のために生きているのか。そう、喜ぶため。
喜ぶ為に生きている。かなえられるということのために。
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敬う心

2011-04-20 | Weblog
見苦しい事態に至ったとき
青ざめて
愛だの助け合いだのと言い出す
安心しきって毎日に慣れ親しんで
何事にも高を括る
まさかなんてそうそうありはしないと

物には少なからず精がある
物事を見下してしまうところに
歪が現れてくる

日々
愛しあい
労わりあい
助けあって
安心が出来上がる
何事も敬っていれば
改めて言い張ることなど無いものである
精に通じるものである為に
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