つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

使命

2015-08-31 | Weblog
生まれてくるのに目的などなく、
ただ刺激に反応して現象となっている。
外部より受けた刺激に応じたものの現象である。
そのために、「受」の世界として、
受けた刺激に反応して、想行識となっている。
よって、「受」が生命世界である。
外部の刺激を受け入れたもの、それが受想行識、生命の世界である。
自由という使命をもって誕生している。
その世界が生き苦しくなるのも、快適とするのも自由である為に、
自由を理解していなければ、不自由な世界になる。
自由というのは単純にしても深遠である

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致知

2015-08-29 | Weblog
愛情をもっているために、愛するものをつくらない。
それは、真に愛する者である為に見出す面持である。

つらい思いをすれば
自分だけにとどめて、
他に同様の思いはさせないようにする。

つらい思いをして、
心が歪んで、他に同様の仕打ちをする。

同じ辛い苦しみを味わいながら、正反対の心持ちがある。
その質の良し悪しにあり、格というものの違いがある。

自由というのは是の本質である。
その自由にして、良し悪しを分けるのも自由であるために、
是に沿ってその性質を得ることである。
是は浄化の法則となっている。それは何も無いというゼロの容となるための、
‘きれい’ということであり、分別のないものである。
無記というものであり、無垢というものである。
そのための浄であり、清浄となっている自由である。
それが自由である。故に、
善悪というものは無く、常に繰り返すという事の分別となっている。
正しい浄化というのは変な言い方であるが、
間違った浄化としないことが「格」に繋がっていく。致良知にして
格物致知ということである。

是は、日の廻りが正しいとして、太陽の運行を示す言葉である。
その太陽の運行が絶対であり不変である為の法則となっている。
故に、無くなることのない法則となっていて、宇宙のエネルギーの法則となっている。
この一事が万事であり、全てに通じている法則である。
この法則の下の存在というのが物事であり事物である。
この法則は唯一であり無二である。

繰り返すことが正しいとして絶対となるために、
誤った繰り返しをすることで誤りが正しいとなって行く。
何が誤りで何が誤りでないのかが分からなければ、
地獄も正しいとなってしまうのである。
同化してしまうというのは気が付かなくなってしまうことでもある。
「あいつはどうかしてるよ?」と言われないように、常に反省して生きることは大事である。

それぞれには波長があり、波長が合えば気持ち良いものである。
清浄という是の持つ波長に合わせて生きていくことで、生き苦しくなくなっていく。
己の心の性根を正すことが肝要である。
是は回るという事である。それは、返ってくるということでもある。
そのことをよく心得して「行為」とすることである。


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道理に守られるということ

2015-08-26 | Weblog
知識は他人の経験を正しいとして学ぶもので、
自分の経験としないうちはやがて忘れてしまう。
智恵は自分の経験による識で、よって、
一度覚えると忘れることはない。

知識だけでは先見の明は開けてこないが、経験することによって、
判断することができるようになる。それも即断が可能となってくる。

知の恵みというのは広大無辺、無比である。
だから、
知恵を付けること。法(是を覚り)を身に付けて智恵を具えれば、
無敵である。恐れということが無くなる。
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中道

2015-08-25 | Weblog
私たちは曖昧の中に生きている。
デジタル的に物事を運ぶが近似である。
これと言って特定されているわけではない。
だから、生きる価値が面白い。
味わい深く見出される。
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執着という煩悩

2015-08-23 | Weblog
硬化、梗塞的傾向にある血管。
鬱的傾向にある精神疾患。
癌化傾向にある体内。
精神、心、脳も心臓もそれから、体内各臓器、
器官が病に侵されていくのは、
人工的添加物に影響を受けている。
自然には無い構造を持つ為に、
分解が上手くできずに、長く体内に留まり、
必要以上に刺激し続ける。
異常に刺激し続けられれば、
異状事態となって変化する。
正常な働きができなくなる。
少量も様々から取り入れれば大量となる。
「塵も積もれば山となる」
を心して、
自然にして良いものを摂取することである。

商売として売らんがために、
日持ちする事、
口当たりの好いもの、美味しいという追求に専念して、
病発症、病院と製薬会社の商売につなげる。

ある種が異常に増えれば自然淘汰が起こるが、
人工的に淘汰をすることを思いつけば、
病というのは、自己責任に委ねて、
隠れ蓑とすることができる。
企画するというのは、好い事業としてであるが、
企てるとなるとある一部の為の好ましさにあり、
企むという悪いことにある。

独り占めにするのはある範囲までで、
統率することが容易にするのは、多勢では長くは持たない。
そのために・・・。
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生老病死苦 以漸悉令滅 真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

2015-08-22 | Weblog
エネルギーの法則が円運動であり、そのため、浄化の法則となっているために、
円運動である「繰り返す」ということをよく理解して、縁起というものを知るなら、
善悪を理解する。
法則はただ廻るというものである。善悪という隔ては無い。
繰り返すことが絶対となり善となるために、誤った繰り返しをすることで、誤りが正しいとなって善となってしまう。
善悪顚倒した行為となれば、すべからく悪の世界となって、それが正しいとなってしまう。
その誤った世界が地獄という世界である。苦しみが善であり、苦しむことだで当たり前となっている世界である為に、
一切の疑問となることもなく、救われる事の無い世界となってしまう。だから、地獄を作ってはならない。
心に地獄を作らないことである。
地獄はもともとあるという世界ではなく、自らの思いで作りだされる世界である。そのために、
心が無知で善悪顚倒していれば、その心の思い通りの地獄が現れてくる。
自分自身の地獄という世界に対しての概念である。ただ、地獄である為に、優しい地獄という世界は無い。
一切が苦しみの世界であり、それをどのようにして解釈記憶しているかの世界観である。
その強く記憶している世界観がその人の地獄となってくる。そのために、そのような仕組みを理解して、
地獄を心の中に抱かない事、これが地獄とならない方便であるが、縁起によって作られていく世界は、
悪いことは悪いところへ、善いことは善いところへという法則に基づいて記憶は作られるために、
だから、悪いことをして生きていってはならないといわれるものである。
生前悪行を為して生きてきたのであれば、どんなに天国へ行きたい、地獄へは逝きたくないと思っていても、
叶わぬ思いである。
生前、その事に気が付いて、悪行悔い改めて善行に専念、一つ一つ悪の報いを消し去る行為をして生きていかなければならない。
一つの悪を消し去るために、三つ四つの善行を持って対処していかなければならない。それにはまた、長い月日を要するが、
命のともしびが消えないうちにと思えばまた、残された人生の時間はあまりにも短いものと感じてくる。
人生の三つの区分の内、一つでも目覚めてあれといわれるのは、出来るだけ地獄へ行かないための訓えである。
おぎゃーと生まれて人生無智にして歩み、歩むことによって智慧を得て、
その知恵によってのみ道理を覚り法則を身に付ければ、
諸々の悪の行為、地獄の鬼畜生、生老病死が浄化されて、
苦悩することのない人生となっていく。生涯病気することもなく、一切の禍からも離れられていくとして、
「生老病苦、以漸悉令滅」と説かれている。
法則が身に付けば、思いは正しい思いとなり、全てを正しく判断できる力となって行く。
「真観清浄観、広大智慧観」と説かれている智恵の思いである。「観」とは‘思い’である。
この思いの行為が、人生の浄化の行為となり、生命の浄化の行為となって行く。
清浄観というのは、浄化の行為の思いである。

法則の身に付いた智慧の思いは、
地獄の世界も天国の世界も正しく判断して、その行為にして、無知にして作られていった地獄の世界の
浄化の行為としていく。浄化の行為としていくことによって天国の世界となり、常に正しい思いがされていく。
「悲観及慈観、常願常瞻仰」。悲観は誤った思い、慈観は正しい思いである。
地獄の誤った思いの世界が浄化されて、天国の正しい思いの世界となって、常に願となり常に正しい思いとなり、日々の行為となって行く。
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誰しもがなること

2015-08-18 | Weblog
慈悲深く
しかも
頭脳明晰。

道理の質に合い、
正しく浄化となっているために、
予めて物事を知り得る。

是にあって、よく覚り
よく実行すれば、この上なく道理に守られて
悉く災いを避ける。

慈悲深くあり頭脳明晰、必然である。
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自立

2015-08-17 | Weblog
己の判断のみで選択する。
善いも悪いも自己責任に委ねて道を切り開いていく。
大人ということは、自分の尻は自分で拭う。
そうでないものは子供。
子供から独立して、
立派な大人になる。普通なこと。
普通でないことがしばしばで、
普通で無い人しばしば。
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浅ましき心の求めるところ

2015-08-16 | Weblog
人は常に何かを食べて過ごしている。
どこかへ行っても飲食に勤しみ、
美味しいものを食べるためにのみ生きているような感じがする。
最も、食べていなければ体を維持できず、食べることによって、
人生の半分は成長に値し、後の半分は衰退に属して身体の一生である。

しかしながら、肉食にあれば肉体は維持向上覇気を得るが、
精神は鈍りただやみくもに貪りに生きていく。
菜食が主たれば、肉体は落ち着き、精神が研ぎ澄まされて
善悪の導を知る。

身体は煩悩にあり、精神は寂静にあるも無知にして、
身体を媒体として寂静を得るものである。

菜食にして足るを知り、精神研ぎ澄まして心身一対となれば、
その身にして、飲食を離れて精神現象の身体を得る。
まさに不滅の身である。

食して生きるとは、煩悩に克つことである。
ただ美味しいものをあさり貪るだけでは、
その身、その心、病となるのみである。

心身ともに成長に値するのは、
足るを知り、貪りに与ることの無いように、
心の食事をすることである。
偏に、感謝の念をもって与ることである。
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善応諸方所・歴劫不思議

2015-08-15 | Weblog
過去を忘れて
今にある。
そのようにして、
久しく生きているが、
生きている思いは連綿である。
幾久しく受け継がれてきた過去の記憶の交じりは、
統一されて今の心となっている。
本能として、
瞬時を具えるまでに至っていなければ、
幾久しく継がれた思いも無駄にして、未だとるに足らないもの。
ただ一時を生きていただけ。過ぎたるは及ばざるが如しにあるものとなる。

学習する。この意味に於いて記憶は正しく刻まれて、
魂は向上していき、先見の明を得て、
智恵による瞬時の技を具える。
右と左、前と後ろ、上と下と分岐を覚る。
常に選択は正しい判断となり、迷うことが無い。

善の行為は、諸々の所に於いて、正しく対応した行為となっている。
生涯考える必要のない行為となっていく。
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