つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ポイント(特定の箇所)

2024-05-19 | Weblog
経済的苦しみから解放されていく未来が招来である。今は未だ来ていないとする時間が未来であるが、自身が描く想念に、明日が確実に信じられるために、生きていられるのが招来という時間である。貴方がこの世に生まれる以前も、また生まれてからも、一日たりとも太陽の昇らない日は無かった。これからもそうであると信じられるから、貴方は安心して生きていられる。日はまた昇る。だから、常に明日は明るい日と書く。この現実を直視して、自分勝手に暗く思わない事である。明日は必然明るい日となっている。それが自然である。だから、自然に逆らってはいけません。
経済とは、経国済民の事、つまり国を治める人民の生活苦を救う事を意味する。
経世済民とは、民生を安ずる事を本意とする、人民のための政治。
経済によって、私達の暮らしが楽(幸福)になるのが本来の役目である。それが、今まで、今も経済によって苦しめられている。それは、欲に塗れた一部の権力者によって為されている。欲に長け、覇者となったものが作った仕組み、金融制度支配社会が作られ奴隷的構造社会となった。階級は格差を確実にし、歪が生まれた。そのしわ寄せは社会のしみじみにいき渡った。
格差是正と言いながら、格差は広がる一方。だが、
俄かに、この不平等は浄化の法則に触れ、転轍機が作動、スイッチが入った。
「まさか」という前代未聞の事柄が次々と起き、さらに、「そんなことがあるはずもない」とした妄想が幻想となって、更に現実味を帯びてきた。いつの間にか、
金融は途方もなく豊かに行き渡り、いつしか価値が無くなってしまった。庶民の喜びは束の間だったが、物つくりの方便は失われず、心を込められた魂の使命によって流通していった。本物の愛情が芽生えていった。そのため、そこに救われた魂が、かろうじて繋がっていった。14万4千衆であった。
この数に秘められた意の識は「救」である。



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