つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

護美を拾う

2013-01-31 | Weblog
道理に従い、
よく道理を行えば、よくよく道理に守られて損なわれる事がない。
だから、よく道理を通す事である。
道理は絶対であるために、裏切られるということは無い。
道理というのは絶対善である。
絶対善であるために、善い事をしていれば絶対報われる。

人が見ているか否かに関わらず善い事はすることである。
できる事はするということ。
たとえて、
道すがら道端にごみが落ちていて、拾ってゴミ箱に捨ててやる。
ゴミはあなたに保護されて、道端は美しさを取り戻した。
あなたの御蔭で美しさは護られた。ゴミは護美となった。
護美を拾って徳を積んだ。
そうして、一つ一つ徳は積まれて、
あらゆる面で得をしていく。
誰が見ているか否かではなく、自分の為となるために善い事をするのである。
これは、法則が浄化の法則となっているために、善いこと、
清浄は理に適うこととなっている。
だから、みがく、きれいにするということは
よく道理に護られる。
よい目にあう。だから、
己をみがけ、きれいにととのえろと言われる。
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不測に備える

2013-01-30 | Weblog
世の中は皆
先行き不透明で生きている。
一寸先は闇が当たり前。
暗闇だから不測が起こる。
だから、慎重にという生き方は正しいようだが間違っている。
何をするべきかに留意しなくとも、不透明であるがゆえ不測に備えて生きるのである。
助け合い生きることが共にであり、難なく生きられるものである。
助け合う事に慎重も何も無い。
助け合う事に躊躇はいらない。すぐさま手を差し伸べあって、生きるということが成り立つのである。
不測であるためにとして、自分だけをかばい、他人のことなどかばっていられないとすれば、
自分は生きていけなくなるのである。人に非ずとなるために。
人という字を見れば、互いが支えあって成り立っている。
人として生きられるのである。支えなくして人に非ずである。
不測に備えるというのは、助け合い支えあう事で賄えるものである。
先んじてそのようにしていれば、不測も免れる。
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あとかたも無く

2013-01-29 | Weblog
瞬く間に一日が過ぎていく。
そうして、あの人もこの人もいなくなった。
私もそう遠くない日、この世からいなくなる。
足跡のかけら一つも残ることなく、
いたということさえ消えてなくなる。
こだわり生きた一生さえ、何の目的あるともなく。
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至誠

2013-01-28 | Weblog
学業よろしく優秀であっても、道徳がかけていれば空しい。
周りによく心配りのできる人は理知的で、
知性のある人、頭の良い人。
老若男女、今そんな人は実に少なくなった。
傍若無人、自分勝手に振舞う人が増えて、些細な事にも規則が作られる。
本能的に具えられる事柄まで、手取り足取り事細かに決められる。
あーしなさい、こーしなさいと命令的に。
大きなお世話と思われるに至るが、
それほど幼稚で我侭、周囲に無頓着な人が多くなった。
知識が豊かになっても心が育っていない。
見かけだけが大人。そんな見かけだけの大人社会は、
真心の無い規則だらけで、行儀作法、礼儀作法と高飛車な定規が当てられ、
命令形で押し付ける。
高飛車なのもすべてあなたのためだからと、もっともらしさを当てられる。
釈然としないのは、決まりだけを重んじる人の機嫌によるものだから。

真心があれば、どうあれ、好く物事は返ってくるのだが、
下心ばかりで機嫌がはかられて、規則に作法に苦しめられる。


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物語

2013-01-27 | Weblog
年老いると時間が早く感じられるのは誰しも同じようだ。
若い頃は時間が経つのが遅かった。そういうものらしい。時間の流れに変化は無く、
人の感覚でもって違いが感じられるもので、錯覚するというものなのだろう。
もちろん、楽しいときは瞬く間に過ぎて、嫌な事、苦しい事はとても長く感じるものだ。
人の感覚というものはとかく迷わされてしまう。
見方によっては、思いと違って見える。
曖昧に生きている。
五官というのは実に迷わされる。
曖も昧も暗いという意と辞書にある。
未だこぬ日を愛しくて生きているために、迷い苦しむのだろう。して、
暗を歩いて躓くのが道理、そうして、間違えながら生きている。

ただ、今は若い人でも時間が経つのが早いと感じているようだ。
それは正しい感覚である。が、どんなに時間の長さを計測しても、昔と寸分違わない。
人の五感が六根によって正されるために感じ取る違い、第六感。
それは法則と同じものであるために的確。
私たちが、地球がものすごい高速で回って動いている事を感じないように、
他の星たちも季節ごと同じところにあるように、
高速で同じく廻って動いている事を感じない。
宇宙は高速で、更に更にと高速となって広がっている事を知るが、
惑わされて感じない。
早まるものはやがて消滅して、新たが作られる。再びが始まる。
再びが物語である。
私たちは、物語の一つ一つ。
あなたを見て私を、私を知ってあなたを見れるものである。
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後が無いと思い生きている

2013-01-26 | Weblog
自然の中で生きている動物たちは、病気になったらおしまい。
だから、病気にはならない。食うか食われるかが、
生きるか死ぬかであるために、それにだけ気を遣う。
他に気遣う事などないから、病むということがない。
食べる事だけがすべてである。体の故障が命取りとなるので、
故障などしていられないから、治癒力も優れている。
餌とされるものに出遭わない事、また、その対策として、
外部に注意を払い、敏捷性と攻撃性を主に備える。本能である。
獰猛となる。が、生きるためだけの食であるために、憎しみなどという悪意は無い。
悪意は無いために、彼らには地獄というものが無い。
人から見れば、食うか食われるかの世界であるために、地獄であると思うが、
悪意であるための苦しみというものではないから、地獄とは思わないし、地獄でもない。
感情のあまり無い世界である。
人の世界もいわば、食うか食われるかという感覚ではあるのに、この世が地獄とは思っては生きていないと同じように。
人は、よく考えて生きているから、間違いは無いとして生きているが、考えなければ生きていけなくなっている。
これが病む元である。知識で生きていて、知識が正しいとしているために、知識が間違っていても正せなくなっている。
智慧で持って生きていないために、
いじめ、暴力、憎しみ、妬み、争い等々、生きていくのに必要でないものまで持って生きている。
これらは悪意である。悪意があるために、人には地獄がある。
病気や怪我や不意の事故に出遭う。そして、避けられなくなる。
高等な生き物であるのだが、下等な生き物に無い苦しみを生んでいる。
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企業

2013-01-25 | Weblog
師も始めは素人。
誰しもはじめがありぎこちない。
誰かにいろいろしてもらい育てられる。
あれやこれやと世話が焼け、よく面倒見られて、そうして育てられる。
愛情があればこそ人として育てられる。

育てることをしないで、
技術のある人だけを募り即戦力とすれば、
最初のうちはうまく事は運んでいくが、とどのつまりはこけてしまう。
利益追求というのは、そればかりに目を奪われて、途中の育てるという過程を省いては成り立たない。
何事も段階を踏んで成就する。
よいものになればなるほど経過が大事となる。ある部分を飛び越えてしまうのは、
早く目的にたどり着くように見えるが、泡沫である。幻になる。
得たものは損じて、損を高じる。何もかもが台無しに。

人は地球上の動物の中で一番手間がかかる。他の動物より長い年月をもって育てられて、
愛情いっぱい注がれてこそ、地上の一番賢い動物?となる。心があり感情豊かとなる。
そんな過程を知って、優れたものには手間暇がかかることを知り、惜しんではならない。
何かにつけて~してもらい生きられるものであるために、~して差し上げて生きれば、
道理として辻褄が合う。幸せを思う者となる。
有名な名ではあり、継続していても、潰れてしまったという経歴を持つ企業は多い。
~してもらい、~してあげるという高飛車になるためで、
他人に厳しく、自分にやさしかった為である。
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能無し

2013-01-23 | Weblog
働けど低所得者、
理由あって働けなくて生活保護者。
経済社会で生きていくのに最低限のお金が必要、その保障。
その保障にも満たない低所得者。
保障されていない身なのだから、生きてはいけない人達。
働いているのに生きていけない人達がいるのに、生活を保護されている人達の保障までも下げて、
生きていけない人達にするという。
働いても、働けなくても生きていけない豊かな国?、見せ掛け経済大国。
冷酷悲惨な経済社会。
保障を下げてどうする、低所得者をなくす事に心を配らなければならないのに、
弱者をいじめて、この国の未来は無い。すべてが滅ぶ。
絆の意味は、死への絆か世の中は。
脳無死、愛無死、心無死。
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機会

2013-01-22 | Weblog
他人を教化することなどできないものだ。
でも、
訓えられて、気が付く人もいる。
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2013-01-21 | Weblog
何事も怠ることなく。・・是が運動であるために、止まる事がないからである。
これが道理であるために、道理に適う事は成就するからである。

是に善悪も無ければ恐怖も無い。善悪も恐怖とするのも人の思いである。

悪とすることも、繰り返し繰り返し行えば正しいとなっていく。繰り返される事で絶対となっていくために、正しいものとなっていく。
法則というものに善悪が無いというのはそういうことである。
悪が繰り返されていくそれが地獄である。善悪顛倒となれば、善が悪であり悪が善となって悪だらけとなっていく。

地獄にいるものは、苦しむ事が当たり前となるために、なんら疑問に思う事がない。なんと残酷な事だろうか。
エネルギーというものが、無くなる事のない法則となっているために、終わりということがない。つまり、魂、心がこの世(肉体)を離れた世界には、
死というものがない。
繰り返し繰り返していくのが法則であるために、
地獄に落ちたものが、鬼という獄卒に虐げられて朽ちても、
鬼が生き返れと息を吹きかけられたら生き返り、再び虐げられる。そうして、終わることなく続けられる。耐えがたい苦しみである。
しかも、法則の絶対世界であるために、時間の経過というものがない。だから、飽きるということ、退屈になるということがないために、
永遠に繰り返される。変わる事のない世界である。死んでからでは、何もかも遅過ぎるということになる。
永遠それが是、法則である。エネルギーである。唯一のという自由である。
因みに、地獄に落ちるというのも、すでにある地獄という場ではない。自分の心が作る現象の場である。
人それぞれの地獄である。そのために、知っている人に会うということは無い。

心は記憶で創られている。記憶は経験で創られている。善悪の経験で想念となっていく。想念→記憶が統一された心が今の自分となっている。
そうして、終わる事のない世界を輪廻していく。その業に応じて六つの道の一つを歩む。
人は、人として人の行為をしていくために、人として生まれる。他の生物、鉱物になる事はないが、人でなしとして生きれば、縁を結んだ場の道を歩んだための処に着く。


善は急げというように、よいことは躊躇しないで、すぐ行うこと。悔いるということがない。
悪い事は躊躇して、或いは、躊躇するまでもなく行わない事。後で悔いることがないように。
悪い事には必ず後悔がつく。善い事に悔いはない。
ありきたりのことであるが、ありきたりのことができないよ(世)であるために、ありきたりに言う。

地獄の沙汰も、餓鬼の様子も、畜生の性も、修羅の様相も、して、天の資質も人の界にはある。
だから、いかなる様も自由を持って現れる。
事、心の思いに裏腹にして、思い通りと思わざるとに、ままならずに現れる。
実に、人の世の一生というのは悲哀に満ちている。普く。
して、
人の一生、哀しく始まり悲しみに帰す。これまた、円を描いて。
六道の界より抜け出でて、極楽という。
これを何と言えど(問われて)、ただ口一文字、語る事なし。明らかなる答え。
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