つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

怒涛坂巻ながら

2024-05-14 | Weblog
現在起きている事象は、悪事が悪事を裁けるかとして、民衆の判断に委ねる現象。現政権の今、「赤信号皆で渡れば怖くない」としてある。三権分立は成り立っていない状況にある。そのため、抜け穴だらけで、悪いことは成立、善いことは却下と見て取れる。これほどまでに堂々と、国民を嘲笑う仕草は、終に近い状況を表している。あからさまに「変」な状況(見せる)にあるのは第一段階、6月第二段階として「姑息」(見せる)な事柄が起こり、第三段階霜月騒動、決定的訣別現れる。ある意味三度までの物事の終始。悪事が善に変わる事は無い。
悪事は悪事の報いとなるのである。
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愚民政策は愚民大衆をあらわした

2024-05-14 | Weblog
心を浄化するのに修業は要らない。自然に生きていれば浄化となっている。
変に学んで俗世間の常識を得れば、その知識が邪魔して誤った浄化となってしまい、それに伴う難行苦行が正しい道を作るとして、その苦労に報いる。そのため、強靭な精神と身体を持つ人で無ければ浄化はできないとして、衆生済度の道から逸脱する。それ故、世俗の知識を滅っするために、自然の中で暮らし、自然を師とし学ぶ。自然から得られる経験の感覚を記憶し、その統一された記憶が想念である。想念が生命エネルギーとなって動きとなっている。その動きが心の判断となっている。経験が誤っていれば記憶の誤りとなり想念の誤りとなる。想念の誤りが心の誤りとなって、判断の誤りとなっていく。
知恵は自分の経験である。知識は他人の経験を正しいとして学ぶために、その経験が誤っていても正すことができない。自ら経験しないことは正しく判断とならず知識とならない。知識とならないことは分からない。分からないことは誤りに繋がっていく。それを想像で判断していくと、誤っていても誤りが分からなくなってしまう。そうして、この世が誤った世界となっていても知ることが無い。
地獄となっていても、当たり前の世界として同化してしまう。同化してしまうために気づかなくなっていく。苦しむことが喜びに繋がっていく道程であるとして、疑うことが無くなっていく。して、地獄の世界も天国として、糾う縄の如しとしての理屈をつける。その肯定が一切の反省もなされなくなっていく。
「縁は異なもの味なもの」、ここに、天の配剤としか言いようのない事と認識する出来事が起こる。すべてが不定の中にあるために、確定するのは自身の心の問題とする。‘天は自らを助けるものを助ける’何分にも自らに由る事である。自らに気づき、気を付けていく人生が自身を助ける。外部はただ諭すのみである。その刺激を受けて、八つの正しい行いをしていくことで、エネルギーの法則である浄化に適い、幸せを得ていく。特に難しいことは要らない。
ただ極端にならず、中庸を行けば中正不易の徳を得る。
我が心の不徳の致すところを改め、日々「掃除」をすることである。
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