つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

心を洗う覚悟

2024-05-19 | Weblog
「負けず嫌い」負けることを嫌う言葉である。「負け嫌い」と「負けず」の混合、他人に負けることを極端に嫌い、常に他より優位に立とうとする性向の人、と辞書にある。しかしながら、「負けず」とは「負けない」ことの意、すれば、「負けないこと」を嫌がる事と捉える。つまりは、負けてこそ本望であるとする。これは、「勝つ事ばかり知りて負けることを知らざれば、害その身に至る」に適する。だから、「負けず嫌い、負け嫌い」は禍をもたらす。これもまた洗脳である。諦める=明らかに見ること、明らかにすること、が本意。途中で投げ出してしまう事という意味ではない。
我慢、我の驕りの意。だから、我慢してはならない。我慢ばかりしてると人間ダメになる。我慢しないことが肝要である。このようにして意味を全く逆にして、本当の事(真理)を覚られないようにされた。
真理=正しい道理の意。大衆に正しく道の理を覚えられたら、困る輩たちがいたのである。そのようにして間違った洗脳教育をして、大衆を馬鹿なままでいさせて、奴隷化させたのである。この洗脳は現在も解かれていない。
「信じるものは救われる」とする説教を上手に使い「信じるものがバカを見る」にさせられたことである。さて、何を信じて、何を疑っていいのか分からなくなってしまった社会にあって、自分の心を覚り、性善としてあれば、自分を信じ、他に振り回される事は無くなる。それが「洗心」である。
洗われた心、浄化された心、意志である。
それは、常に清浄の願いを発する意となって、道の理を見極める。


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