つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

滅法強い

2017-03-31 | Weblog
地上の生命が、
滅亡の危機にあるのはまんざら嘘でもないが、
故意に、何かしらの意図的作用が強く働いて危機に直面しても、
地上に君臨する神々がそれを阻止するものである。
すべての神々が、
この地球上から立ち去るなら、もはや滅亡を阻止することはできないものとなる。
あるいは、神々同士がこの地上を舞台に争うなら、
絶滅も否めないものである。それは、人知を超える争いである為に、
一瞬のうちに魂の世界へと旅立たされる。
だから、痛いも痒いも感知することなく、夢の世界となってしまう。
それは、その人の心の質によって夢の世界が現れてくるもので、
現れた世界は、もはや修正ができないものとなっている。
今生の心模様がその人の現象世界となるのである。だから、ある意味自業自得の世界と言える。
そのために、
神々は、善悪双方にして魂の在り方を諭していたものである。

仏陀がこの世を去ってから、優に二千五百年は経つが、
いよいよ末法の世、滅法の世である。
さて、
およそ三千六百年周期で太陽をめぐる星がある。
楕円を描いて回っているために、なかなか見つけることができなかったが、
人間も科学の進歩で宇宙を読み解くようになってきた。もちろん神々の導きがあればこそでもあるが、
十番目の惑星と捉えられている。
本来太陽系には十二の惑星があるのだが、まだ地上に於いては知る由もない。
この楕円を描きながら回る運動に問題がある・・・。
道理は真円にして円満な動きとなっている。偏りのある動きはそのままでははじかれていくもので、
はじかれないでいるには、同じような動きをするもう一つの星がなければならない。そして、
そのつり合いを円満にする
もう一つの楕円軌道の星を必要としてあらねばならない。
太陽はゼロポイントの星である。人間の常識では知ることができないことだが、
地球と同じく地殻のある星である。燃え盛る表面の下には、
地上の様な空間があるもので、当然生命が存在している。
地球と比較にならない大きさを持つために、燃え盛る熱の星に生命が存在するとは思えないのが
人間の科学であり、そして、宇宙から見ての存在が、一秒にも満たない存在でしかないためである。
太陽をめぐる十二の星が、やがて人間にも知れるようにはなるのだが、
地上の時間に縛られてあるうちは、知ることに相応の時間を要することになる。
正義であるかどうかは別にして、神々の導きにより時空を超えることを覚えるが、
過去は変えることはできないものとなっている。それは、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」といわれるように、
存在の道理となっているためである。どんなに進化してもそれは変わらないのである。
エネルギーの法則を変える力というのは、他に存在しないのである。
おぉっと、話がそれてしまった。
真円でない動きをするものは、正しい動きでは無い為に歪として、
様々に摩擦を起こしてしまい、終には崩壊してしまう運命にある。
それは、独楽の動きを見てもわかるように、円満に回っていれば倒れることはないが、
摩擦によって力が無くなれば、歪な動きとなりやがて止まってしまう。止まれば独楽としての存在は無くなる。
して、独楽を回していた人は気落ちする。かなしい思いをするという、少なからずそのような影響を受ける。

道理は、すべてに於いて通じるものである。マクロにしてもミクロにしても同じである。が、
その立場、置かれた状態においては、それぞれにはない動きはするものである。
それは、道理が自由から成っているためである。

・・・様々に摩擦を起こしてしまう軌道にあるものが近づいているのが昨今の地球である。
末法、滅法にちょうど当てはまる。
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生き残るものと死ぬものの違い

2017-03-30 | Weblog
俗世、人というのは日常の常識たることに流されていて、
不可解な事、つまり、不思議な現象には驚くはすれども、
それまでにとどまり、さして探求していくという事をしない。
そういう荒唐無稽的ことに興味を持つと変人扱いされていくためなのだろう?
非日常的事柄が起きても、幻覚だの錯覚だのと肯定しようとしない。
何かとこじつけて日常的感覚にこだわるのである。
そうして常識人たる者として、非日常的感受感覚を捨て去るのである。
あれは夢だったんだとして封印してしまう。
もちろん非日常的事柄側にしては有難い事である。
探求されないで済まされていくのだから。
そうして、秘密めいたことが粛粛と行われていき、
とんでもない事態を引き起こすに至る。
誰もが一瞬先は闇として理解していく。
全ての物事に、兆候なくして起こる術はないものであることを理解することが無い。
これが、ありふれた日常に同化しているための感覚である。
有難い事に、智者はこのことをうまく利用して、堂々と不可思議現象を垣間見せる。
が、垣間見せるものとして操る為に、当然のごとく常識人は否定してくれるものとなる。
そうして、ありえないことが起こり、突然突如として淘汰となる。

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無償の愛

2017-03-29 | Weblog
この地球というのは非情なところである。
生命の種の違い、或は、同種にしても互いに殺し合うものとしてある。
奪い合うものとして存在している星なのである。
それは、高等にしても下等にしてもであるが、
希望として高等なる動物は、精神的進化が見込めるために、
共存と共栄を知り、僅かではあるが、これが後々
楽園を作り上げていく。
共存共栄には何よりも愛情が必須である。
その愛情は献身にあり無償である。
互いの為に互いに無料奉仕で生きていくもので、
これこそが生かされているという感謝の念い。
全ての高等なる動物が、この清浄な念いを発して生きている世界が、
極楽浄土である。最も優れた知的生物の住む星である。
その星は、地球より西へ十万億土いったところにある。
青く燃えているとてつもなく大きな星としてある。もちろん、
時空のない航路を通って辿り着く。
もちろん、これは魂の正しく進化する者だけが知れることである。
それは、
愛情あるものだけということになる。
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茨の国

2017-03-27 | Weblog
都道府県、市区町村として国があり、
公務として各議員が司る。
義務として税を集めて贅沢を為す。
民は重税にあえぎながら貧困になり
格差是正の嘘をつかれながら、ただ権力にひれ伏される。
馬鹿と阿呆の絡み合いは憐れなり。
いばらの国ジャポン!
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不福

2017-03-26 | Weblog
日本社会はすでに崩壊し始めている。
それは、格差をほったらかしにして改善しようとしなかったためにある。
人の心には、「他人の不幸は蜜の味」とするいやらしい思いがある。
この思いを滅することができていないために、何もかもが裏腹に現れて、
迷いの世界となっている。豊かにしてとても貧しい国となり病んでいる。
地獄に仏を探して生きているのは憐れである。
嘘偽りがまかり通り、
汚物に金粉を塗り手繰った社会が、存続する道理はない。
自然災害は、自業自得をもって起こるのである。
先ず福という字を否定して。
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共存の選択

2017-03-25 | Weblog
世の中は、
相対的にあるから
互いを認識できるものである。
様々がまじりあって成り立ってある世界である。
だから、
純粋というのはあり得ないものである。
あるとするなら不自然となる。
そのために、この世の中では為にならないものとなる。
好いように思われるが、害されてしまう。
正当性というのは、選択して律していることにある。
正負があって道理なのであるから。


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生が死の絶対条件であるのは・・

2017-03-25 | Weblog
「火のない所に煙は立たぬ」というではないか。
下劣な心がある為に困った問題が起こる。
それは、社会的地位が低いとか高いとかに関わらずある心だから、
品性そのものにかかわってくる。
凡そ人間というものは、煩悩具足であるから、如何に律して倫理的に生きられるかである。
地位と名声に長けていればいるほど尚更であり、はたまた、そのような人の間にこそ卑しさというのは芽吹くものである。
嘘で固めてその地位と名声に執着しても、あの世には通用しないもので、それこそ自業自得にして地獄の攻めを受けることになる。
現世というのは、あの世を幸せにするためにあるもので、魂の向上にただ一点絞られてある。
現世の儚い幸せにあるものではない。大方、人というものは現世の幸せのみに惑わされて、
好き勝手を為して生きるが、本当に品格のある人は、質素にして素朴であり、それなのに煌煌とあるもので、
どことなく貧しさの中に身を置いているが、実に心身ともに豊かにしてある。
貧富の神は常にその人の味方をして、時に応じて利他的にある。
だから、いつも徳に与る。
さて、現世は見かけがよくても裏腹なもので、だから、迷わされて生きている。
そのために、正しく知恵を具えていけば、迷いに惑わされることもなくなっていく。
感受というのは正しくなされて、それとなく善悪を訓えられるものである。
現世というのは、ただただ死後の世界の為にある。死後の世界の幸せのためにある。
このことを忘れなければ、
悪いことはしないものである。できないものである。
生が死の絶対条件にあるのは、そのためである。
これは、取りも直さず生命に死がないためである。
それは、エネルギーの法則が永遠となっているためである。
この永遠はエネルギーの自由である。
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善悪は無い

2017-03-24 | Weblog
悪いことは露呈するものである。
悪いことは暴露されるものである。
悪いことは露顕するものである。
悪いことは不法にしてあるために。
不法とは、エネルギーの法則に反しているという事である。
人間の作った法律とは異なる。
エネルギーの法則は、万物の主であり、森羅万象の
すべてである。
さながら、無形にして精神的であるすべてに於いても。
だから、
不法にあれば、必ず崩壊するものである。
ちなみに、
エネルギーの法則は、善悪が無い為の絶対善の動きとなっているものである。
「善悪の無い為の絶対善の動き」であることを理解できなければならない。
このことを理解できなくては、何を見聞きしても理解することはない。
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しあわせは・・・

2017-03-22 | Weblog
幸せというのは現世にはない。
来世でもない。
魂の世界にある。
魂の世界は、生命の経験の記憶にある。
幾つもの幾つもの積み重ねられた記憶の中にある。
混じり合って一つの経験となった記憶、それが魂である。生命エネルギーである。
その記憶が「正しい記憶」であるなら、それが幸せを作る。
「正しい記憶」となることを経験することにある。
どうぞ、この「正しい記憶」というのを理解してほしい。
一つに、「是」を覚れば、人生の羅針盤となり、
過つことのない人生を送れることになる。
それが師であり、また、本物の師となれるのである。
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無知

2017-03-21 | Weblog
ほぼ、或は
ほとんど
といえるほどに、
世界の国々の指導的立場にある者に
善人はいない。
これは、是の以心伝心にして受ける感性である。

世界は修羅にあり、苦に満ちている。
不条理さ極まりない社会が作られている。
現実に、過去から現在まで、争いは絶え間なく続いてきていることを
歴史は語っている。すると、当然未来も同じであることを覚る。
人類の歴史は紛争、して殺戮の歴史である。そのために、人類の
進化は、ただひたすら滅亡への進化となっている。
この誤りに気が付かないのは、
同化してしまっているためである。

エネルギーの法則、是を理解できないためである。


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