つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

天性を得る

2016-10-31 | Weblog
本物というのは素晴らしいものである。
本物といわれるには、
それなりの質でなければならない。
それなりの質にあるには、
エネルギーの法則の道理を心得て、
それに沿い生きることである。
そうすれば、誰に教わることもなく、
師となるものである。

法則は自由にある為に、顚倒してはならない。
法則には善悪は無い。そのために、
絶対善となっていることの理解が必要である。
このところの解釈を誤ると、意に反した世界となって、
物事が現れてくる。
凡その人は、生を受けてから死に至るまで、
意に反した世界となっているはずである。
それはまた、このエネルギーの法則に無知のまま、
一生を終えるためである。
人生を三つの区分に分けたとして、一つの区分にでも
エネルギーの法則の道理を理解するなら、
希望となって未来は明るいものである。
そう遠くない世に、倖せと成れるものである。

一生というのは、大いに意味があるものである。
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天稟

2016-10-29 | Weblog
あの人にはできて私にはできない。
私にできてあの人にできないことはない。
あの人にはできないが私にはできる。

エネルギーの質というのは一様ではない。
エネルギーにはそれぞれに性がある。
その性と質がそれぞれに合わさった時、
その特徴を示す。
性は格段にあり、質は上下にある。
そこに品性と品質が付く。
天性というのは、一生涯である。
稟性と稟質である。
次の生涯に受け継がれていくものであるが、
その格段の差は上下していくものである。
だから、
いつの世も上質に生きなければならない。
そうすれば、自ずと天稟となり、
独自としてなる。
個性となり、師として現れてくる。
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仏陀・阜と蛇

2016-10-27 | Weblog
死ねば仏になるのだが、
成仏というのは、ただ単に死んだから仏さまということではない。
仏に成ると書いているのだが、仏と成るということは、
輪廻から解脱できているということである。
だから、生まれ変わってこの世に再び生を享けるということは、
成仏していないことになる。
二度と再び生まれ変わることが無く、
涅槃寂静にあり、それこそ極楽浄土で自由気ままに生きていることである。
成仏の世界は、発大清浄願の世界である。
すべての魂が清浄なる願いの発している世界である。
悪など微塵もない世界、この上ない安心の世界である。
この世界を天国といい、この世界が永遠に変わらない世界で、
生きていることを
成仏という。
エネルギーの法則がゼロの世界で、絶対世界となっているためである。
無常であることが常住であるために、ゼロの世界を常住たる天国とするのが
生命エネルギーである魂の使命、目的である。それがこの世である。
死後の世界は心の世界である。心はエネルギーであり生命である。
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成仏

2016-10-26 | Weblog
お金がなければ生きていけない社会である。
だから、お金に隷属して本音ではなかなか生きられない。
お金の奴隷である。
建前で生きる社会はうつろである。
本音で生きられるなら生きてみたいけど、即死ぬな。
それほど社会はうつろで、奪い合いの騙し合い。
傷つけあって傷ついて生きるものである。
この世は偏に我利我利亡者である。
だから、
世知辛くて生き苦しい。

成仏して、
輪廻を離れたいものである。
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属すな

2016-10-25 | Weblog
経済的というのは金銭の奴隷。
隷属社会の根源、悪魔な体制である。
階級社会は闘争社会、支配的社会、
格差を好む社会である。不平等社会。
非平等であるのに平等を謳う馬鹿丸出し社会。
だから、何もかも矛盾だらけで、不条理この上ない。
そんな社会だから、嘘八百まかり通る。
まんまと騙されて、従順なる労働者たるものである。

従属というのは、不安である。

サイの角の様に、独り歩め!
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ばかげたよ

2016-10-24 | Weblog
世は馬鹿げたものである。
だから、
そんな馬鹿げたことがあるはずはないとして一笑にふしてしまうが、
実のところ、「事実は小説よりも奇なり」で、
馬鹿げてあるのが世の中である。
常識とされてあることの見方こそが馬鹿げてある思いなのである。
常識を破れ。
希であるとするのは、鈍感であるだけである。
観ようとしないための稀。
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喝破する

2016-10-23 | Weblog
性の乱れは今に始まったことではないが、
あからさまな程度の良し悪しは、品性下劣となるばかりで、
堕落の一途にある。
怖いもの見たさというのがある。本当に悲惨な場面を嫌うものの、
垣間見たがるのである。ある意味、他人には厳しいが自分には甘くという
なんともいやらしさが人にはあるのである。と同じように、
いけないとしながらも、いけないことに染まってしまうのも人の心である。
そこに倫理という感がある。
どのように観たのであろうか?観るのであろうか?
それぞれである。が、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という大衆心理は恐ろしいものである。

いみじくも
毅然としてあることは立派である。
頼もしい限りである。
そのために、哀しい思いをしても、
じきに軍配は毅然たるものに上がるものである。
仏の言われるように、俗世間は火宅なのである。
憐れなところであるが、そこから逃げ出せるか否か。

善い人ほど生き辛いものとなっている。
悪い人ほど生き易いものであるが、その顛末は逆になり、終には天国と地獄に分かれる。
よいものは善いところへ、悪いものは悪いところへと辿り着くのである。
それが縁起の法でもあるために、矛盾などこれっぽっちも無い。
この世は道程であり凸凹である。起伏がある為に難儀な場所である。
誘惑ばかりであるが、倫理観正しくもって律していくことは、
誰もが心の奥底に抱くように正義なのである。

「人間とは欲に手足のついたものだ」と喝破したのは井原西鶴だった。

ん~、
この世は、よい人は、善い人ほど生き辛いものである。

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危惧してのこと

2016-10-22 | Weblog
現在の世界人口は72~73億人とされている。
あと10年程もたてば80億人を超えると思われる。
未来と書くように、まだ来ない先のことははっきりと知ることができない。
そのために、まだ知られていないことである為に未知と書かれるが、過去を見て
現在を知り、まだ来ぬ先のことを計れば、
生死の加減で凡そが予められる。が、唐突に予期せぬことは起こり得るものである。
ある時、すでに遠く過ぎ去った日々に於いて、
優れた神々は、凡そ80億の魂の宇宙に散りばめられた様を
芥子粒の如くあるものと知り得て、エネルギーの法則の自由という無常さを
如何ともしなかった。ただ、
ある者(素直な者)には、それは、あなた方の自由からきているために、如何ともしがたいのだが、
それ故にまた、エネルギーの法則であることの慈悲にあることを伝えた。
慈悲の慈と悲は天国と地獄、楽と苦を示しているもので、
愛ある者は慈しまれ、無き者は悲しみにくれるものであることを訓えた。
まさに天国と地獄の様をである。

自由というのは、全てに与えられている性質である。
それは、エネルギーの法則が自由であるためである。
すべてがこの法則の下の存在であり、神も仏も同様である。
それ故、法を超えて存在するものは無く、法の自由を変えられることのできる力は
存在しないのである。それが、如何ともし難いという事である。
神仏とて、その優れた能力進化によって未来を予められても、その道を変えることはできないのである。
道程に於いて修正を即しても、選択の自由は強制することができないのである。
なんど訓示ても改められることなく、
崩壊の道を進むことは「人」という者の、エネルギーの法則に無知なるが故のことである。
それ故、人類の進化は悪の進化となり、悪のエネルギーによって滅んでいくこととなっている。
人類の創造する産物は悪なるものとなって、自らにして自らを害うものとなっている。
すでにこの世紀中とロックされてしまった。
エネルギーの法則による施錠であるために、救いようのない事である。
なんどもいう事であるが、
生命そのものには死というものは無いのである。
それが救いとするかしないかはやはり、自由である。
地上は運命共同体である。致し方ないが、
分かれるのは、愛ある者とない者との違いだけである。
神仏が説き訓えたのは、
間違えて進化していった人類の死後に於いての救いなのである。
肉体は滅んでも、魂、いわゆる心という生命エネルギーは生きているのである。
その心という生命エネルギーの現象の世界の救いなのである。
神仏は、人類よりはるかに進化した優れた能力の生命体である。
エネルギーの法則の道理を知り、道徳を知り、地上の未来を予めたものである。
それは法則の予言でもある為に、絶対となっている。
そのために、今生の救いではなく、行為による生命世界の未来世の救いなのである。
くれぐれも、くれぐれもと、危惧しながら、だから、
「願解如来真実義」と付け加えた。
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地上の運命

2016-10-21 | Weblog
諸々は無常である。
その無常は、地上に於いての変化である。
宇宙は何も変わらない。
地球上の人類に明日は来なくなっても、
宇宙には何も変わらずに明日という日は訪れる。
地上の生命は、全て運命共同体である。

無常が常住となって時は流れている。
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脆弱性、建前と本音

2016-10-20 | Weblog
実に、
地球社会は混沌としてきて、
一途に崩壊の様相にある。
どの国もである。
貧困と富裕、格差は広がるばかりで、
一向に改善の様子が見えない。
多くはそう思い暮らしているのだが、
権力に伏されて太刀打ちできない。
権力者は巧みに一理あるようにして、
多くを惑わす。「あなた方の為に、
あなた方の社会がある。一人は皆の為に、皆は一人の為にある」として、
群れて暮らす隷属社会の今がある。
過去も、現在も紛争に明け暮れていて、
いけないことだといいながら、止めさせることができない。
そうして、
未来は崩壊となっている。
歪な社会である。
しかし、これは生命エネルギーの救いとなっている。
改められるという救いである。
それは、法則の裁きであり、円満とならないものの淘汰である。

生命エネルギーには、死は無いものであるために、
一旦滅亡であるが、新が始まる。
希望とすることである。

エネルギーの法則は善悪は無い。
ただ現実が正義となっている。
自由とは、
はき違えると怖い。

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