つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

悪魔に洗脳された意識の誤り

2024-04-27 | Weblog
11月23日、勤労を感謝する日として祝日とする。も、労働に勤しまなければならない人が大勢いて、ただ黙々と働く。生活のためにお金を稼がなければならない、休んでなんかいられない。或いは、休みたいけど休めない。
仕事というのは、いつしか奴隷となって、仕方なく続けていかなくてはならない人がほとんど。隷属、従属は依存にして、苦しみという不自由を生む。
楽しんでする人は、使命にして気づきとする勘を受ける。継続にして感受は定かになるも、真実、分からずしてある。その道の職人ともなれば、ただ一途に心を込めて行う事を知る。天命を天運に委ね技術のみを追う。して、その道の天上天下唯我独尊となる。無上甚深である。
ただ、使命として語るだけで、本望とする。その身を置き去りにして、次世代に繋ぐ。そうして生まれ変わり、生まれながらにして天性を継ぐ。

この三次元世界、矛盾の中に生まれ矛盾に生きる。その経験によって統一された生命エネルギーの記憶が想念となり心となる。この身は心に付き従い動かされる。経験が誤っていれば、心は誤り、判断はこの身に現れる。すべて誤った行為となる。生命エネルギーは、この身の経験となる事は無く、故に死を経験することはない。経験とならないことは知識とならず分からない。そのために、
意識も想念も心も判断することができず、つまり、分からないとなる。
人は、死を経験することが無い。人の動きは生命エネルギー、心によって動く。心は意識であり物理に縛られないエネルギーである。そのため、エネルギーには死という事は無い。肉体が物理に従って死となった瞬間、意識は記憶の現象世界となる。意識は三次元から別次元に移動するのである。死というのがないためである。これが、人間を動かす意識、魂が死を経験できないという事である。だから、意識は経験できないことは分からないために、恐怖を抱く。
分からないことは怖いと意識する。これが誤った判断であるために、この三次元から抜け出すことができないでいる。意識は死なないのであると分かれば、恐怖は消える。恐怖が消えれば、誤った世界は作られることはない。つまり、地獄が作られることは無くなっていく。
不安、恐怖、これがあなた方を三次元世界にとどめておく唯一の方法。
貴方達を奴隷のままにしておくために、悪魔は不安を煽り恐怖とするのである。悪魔は低次元に生きる輩、次元上昇はできないのである。それ故に、貴方達を縛り、騙して低次元のままでいさせたい。奴隷にして楽しんでいる。
この宇宙、
数字がゼロから九まであるという事は、そこまで世界がある事を示している。
戦く(おののく)とは戦う(たたかう)という字で表される。だから、
争ってはいけません。気に留めず、気にしてはいけないという事が肝要である。エネルギーの法則を理解して、戦う事をやめることです。すれば、戦き恐怖に震えることは無くなっていくのです。
意識に死は無いのですから。誤った記憶、想念、心の判断を正す意識が貴方を救うのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きれいになる

2024-04-27 | Weblog
政治という絡みについて、どう見ても2026年までに崩壊という言葉が示唆されてくる。もし、今まで通りとする圧力がかかり、取り払われていないなら、2032年頃より数年の間に、激動という天変地異、つまり、ポールシフト現象となり地上は一変する。宇宙的時間では、千年二千年も地上に於いては、今としての差はない。昔々の地球の大地が、今と違った位置にあったのを、学者は知っているだろう。悠久の時を経て、たまたま今に生きる魂は、エネルギーの浄化の因果に由る事である。エネルギーの法則(是)は、浄化の性質である。その動きは常に浄化であるために、ゼロに戻る。あらゆる宇宙の法則であるために、動きは常にゼロに戻る。だから、自然はただ美しい。なんでも綺麗な存在となる。
円運動というのは、元に戻ってくる。ゼロから発しゼロに還る。それを綺麗になると言い浄化という。私という魂、意識がこの道理を覚れば、もう二度と苦しむことはなく、低レベル(次元)に生じることは無く、そして退屈することもなく、永遠に安寧な世界、極楽浄土の魂となる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議を得る

2024-04-27 | Weblog
世界的な病原菌の流行は2019年に始まった。約3年の期間を経て、終息感にあるが、未だ安全に消滅しているわけではない。随分と犠牲は払われたが、世界人口は少しも減るどころか増え続けている。ただ目に見えない恐怖としての不安は、地上の荒廃を促進させたことには違いない。一時は全く手の付けられない状態に陥るところまで行ったのだろうが、麦踏の現象は、生命力の底知れなさを逆に表す。生命の生きる力というのは、感情という情に溢れ、機械的性質思考には及びもつかないことである。逆境こそ、得体の知れない力を発揮する。生命の不思議である。生命エネルギーというのは意識、その記憶の下、光度が増す。波動の間隔が小さく短いほど鋭いが遠くには及ばないのであるが、宇宙的意識の波動は、消えてなくなることは無く、平坦になって線に見え、量子的にして波動は微細にして進み続ける。進み続けるために時を得て、経てば過去も今として現す。
瞬時としての時を使うが、時は無い。ただ今としてのみ在る。貴方に、それを同時として示す。量子はどちらも存在として、貴方の意識に掛ける。貴方の意識次第は称賛を軸とする。この意識思考は、おそらく理解しがたいと想像する。
ただ、想像だにしない事が宇宙である。如何や!
世の中というのは、不可思議ではないという事である。
貴方が、不可思議と思うなら、不思議は得られない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非礼

2024-04-26 | Weblog
私の子供の頃はⅠドル360円でした。今にしては超円安という事になるが、その当時は消費税という悪税はなく、物品税であった。主にお金持ちが買える高価な品物に掛けられていた。だから、当時、日本は高度に経済成長期であった。
生きていくために人は必ず物を消費する。今、お金の有る無しに関わらず、消費する物には税を掛けられる。一見、平等に見えてもものすごく不平等にある税である。ある意味、裕福な人は優遇され、貧乏な人には冷遇な税である。そしてまた、必然取りはぐれない税となる。物価が上がれば当然税も上がる。そのため、なるべく物価は下げたくないのが政治家の思惑。本音である。増税を求めれば非難囂囂になるために、易々口に出して言えない。特にガソリン価格を見ればよく分かる。なんだかんだ言ってトリガー条項をしないで元売りにお金を出す。元売り業者は有難うと言って、献金をして戻す。決して多重課税となっているガソリン価格をいじらない。一度下げた税を基に戻すのは世間の批判を浴び、政党の存続を危うくするに値するほど、大変な目にあうために、当たり障りのない下げたふりの努力にして誤魔化す。そのためガソリン価格は今なお高騰して、高止まり状態。政治家は公用車を使うため、一向に痛くもかゆくもない。他国の戦争にかこつけて、物価の上昇をそれほど拒まない。寧ろ、税収アップ、過去にないほどの消費税増収である。それでも、もっともっとと増収を図りたい。性悪にして人の執着である。
他国の恐怖の脅威は、防衛が第一として防衛費の増収を目論む。
世界は、また戦争に走っている。いけない、いけないとして、戦争の準備と見て取れる。この世は矛盾に満ちている。
あるジャーナリストは、自分は安全なところにいて、皆さんは国を守るために、戦えますか、戦地に行けますか?と質問していた。情けない識者である。
人というのは自分のことはさておいて、正義面してよく語るものである。
今まさに、何を信じてよいのか、誰を信じてよいのか、分からなくなってきている。信頼していたものが嘘にあった、と疑いの世の中にある。
そして、民主が洗脳されていたのでは、もはや助かるものも助からない。
地は揺れ動き、天気もはしたなく、安穏としていられない世の中にあるも、
新旧入れ替わり時というのは、何かと騒がしいものである。今、しばし激動は続く。まさか、まさかの激動の世の中に、だから、「君たちはどう生きるか?」と問われる。
政治家は、税金で裕福な暮らしをしていながら、多くを民間に任せて、自分たちの非を認めない。














コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

化けの皮が剝がれる様

2024-04-26 | Weblog
さて、戦争を終わらせたくない軍産複合体にある現米国はウクライナにミサイルを供与した。人を殺すために作られた武器を与えるとは、はっきり言って正義の化けの皮がはがされたと見て取れる。堂々と悪の所業を世間に示したと言える。
それでも、現米国が正義であるとする人達は、悪魔の宗教に洗脳された信者そのものと言える。実に宗教というのは恐ろしい。人の心(良心)を正反対に変えてしまうのだから。現米国の指導者は、権力を悪に使い、力でねじ伏せようとしている。それも、(アルキメデスは手を汚さない)という、汚いやり方で繕っている。善の仮面をかぶっても、仮面は仮面、いずれ剥がれる。
化粧というのは、化けて装う、
仮に装う、または、気を装う「気装」とも書く。仮粧とも書き、いずれにせよ「仮」である。仮に化けることを言う。一時の装い、化けて出るものである。
武器供与は、化けの皮が剥がれた所業である。
本当の民主主義が、共に和むことにあるなら、世界は諦かに変わる時点に来ている。今年の霜月からはっきり表れる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「禽獣だに恩を知る、いわんや人においてをや」

2024-04-25 | Weblog
ハラスメント=嫌がらせ、いじめなどの意味を持つ。
近年、特に最近になって、各自治体のトップにある人のハラスメント事件が
報道で目に付く。日本人、いったいどうなってしまったのだろう?それも、
人倫に悖る行為、人として、或いはその職業上の立場にあってはならないほどの低レベルの行為である。
国、また都道府県にしての議員たちの荒みようは、はなはだ遺憾である。この国はどこへ行こうとしているのだろうか?皆頭のいい人?なのに。
本日も、米国の現大統領、戦争にあるウクライナに支援の予算をつけたと聞いた。貴方が、喧嘩をしている相手に、やめさせるのではなく加勢すれば、更に事態は悪くなるし、罪になると思うなら正常である。だから、加勢してはならないし武器を与えてはならない。戦争を煽り続けることに加勢している今の米国は、
もう世界の警察ではなくなっている。寧ろ、軍産複合体となって、金儲け主義に支配されていると思われる。どうせ、今回の選挙で入れ替わると知って、今のうちにとして、見境が無くなっているのだろう。末期症状というのは、何でもがむしゃらになるものである。だから、他国のトップも前大統領詣でをしている。我が国の副大統領ですら、右に倣えでお伺いを立てている。さて、
どこに正義があるのだろうか?人類、釈迦の予言通りにならなければよいのだが、と思う次第である。地上は運命共同体である。痴情に絡む事柄が多い世間の感情は、禽獣にも劣るのか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議ではあるが不可思議ではない

2024-04-25 | Weblog
少し前の意識から思えば、この時間線上の先,2032年からの未来は見えない。恐らく、過去の化学の誤りのまま進んで、大きなきのこ雲が現れ、その閃光は地上を焼き尽くしたのかもしれない。それは、今現在にして、この世界が戦争に向かっているきな臭ささがあるためである。第三次世界大戦となれば、過去の比ではない。一瞬にして地上は一変する。釈迦の予言が本当に気にかかる。二度ある事は三度あると言われるのも事実、そうならないとする知恵は人々にはあるのだが、なぜか争いが好きな民族として、どの国も歴史は常に略奪を示してきた。そのうえで、地球は底辺にある意識、矛盾を超えることができていない。動物が動物を飼いならして、家畜とし食す。動物愛護を唱えながらである。
都会に住んでいる人達程、欲求は残酷である。それは、自ら手を汚さずして食すからである。人間というのは、斯くも仕方のないものであるとして、
動物的であるのは、精神が霊魂を意識できていないためと思われる。
意識が幻想を抱き、現実よりも本物であると認識できるなら、もう飲食することなく、精神的エネルギー生命体となれるであろうに。
因みに、稀に稀に世界には、窒素固定菌を腸に宿し、食事することなく生きる人もいる。肉体を維持するエネルギーが、その固定菌によって賄われているためと思われる。不思議な事であるが、不可思議な事ではない。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独学こそ将来となる(将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ)

2024-04-25 | Weblog
日本国人口1億2千万人強、、年々減っているのだが、狭い国土にはこれだけいるために、過疎地と都会の差の開きに、招来を上手く計れない。これから(二十年から三十年)も経てば、人口は一億人に達しなくなる。が、再び増加に転じてはいく。急速な変化が訪れてくるが、今のままの意識状態であるなら、負の方向に傾く。今現在が、正と負の狭間にあり、どちらに傾くかの転換期にある。その転換期は今年より2026年とされる。未だ、人類は量子コンピューターの確立には至っていない。そのため、試行錯誤の段階であり、一歩間違えば、がらりと状況は一変してしまう。それは人類存続の危機に匹敵する。
未来として先の事を語っても、未来とすれば、未だ来ていないとする時の流れにあるために、意識的にいつまでも「未だ来ない」とする時間となる。どんなに野望を抱いても、達成することに至らない時間を作る事になる。少し知恵を使って、未だ来ない時間(未来)を、招き入れる意識の時間に換えて表現すれば、野望は実りとなる。今までの固定観念を変える発想は大事である。
荒唐無稽な話として取り合わない姿勢は、自身をいつまでも「井の中の蛙」のままにする。無理とするのは自身の固定観念である。その観念を取り払う事から、招来となって来る。何事もはじめの一歩は、千里の道に達する。確かに自身の野望、将となって来る。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常識の間違い

2024-04-24 | Weblog
日本の仏教、葬式仏教と揶揄されている。
いまだに般若心経を智恵の経典と訳している以上、悟りを開くことはできない。
そもそもお経というのは、梵語で書かれた横文字を、縦文字である漢文に訳されたために経という。「経」という文字は「たて」を意味する。地球の経度は縦線、緯度は横線というように、経は縦文字のために経としてつけている。つまり、
横文字である梵語を縦文字である中国語に「訳」されたという意味である。
梵語の音読みで発音が似ているからとしてパーニャを般若と音写してあてた字と解釈しているが、そうではない。パーニャが梵語の意味、智恵と訳されているために般若を知恵として訳し、智恵の経典としているが、間違いである。
般若の「般」は一般を表す「般」であり、「若」は若干名という「数」を表す言葉の「若」である。それ故に、般若とは「一般大衆」と訳す言葉としてつけられたのである。
般若心経というのは「一般大衆の心の経」と訳すのが正しい。
智恵の経典と訳したために、智恵が何なのかもわからず、分からないのは仏の言葉だからとして、訳が分からない経典となってしまった。それ以来、心経で
悟りを開く者はいなくなった。
般若心経は、大衆の為の経典である。そのため、難しくあっては何にもならない。だから、要点だけを述べ、短い経となっている。般若心経が初めて説かれたときは、正しく訳されていったために、広く知られていったのである。
それゆえ多くの悟りが開かれ、素晴らしい経典であると絶賛されたのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見掛け倒し

2024-04-24 | Weblog
ギャングの服装のまま、次期大統領になるだろうことを予想して、トランプ前大統領に会いに行った麻生副総理、なんとか会えて、褒められ犬のようにしっぽ振り喜んだ。ありのままの光景は、人それぞれにどのように映ったのか、これから先にわかってくる。一時の気の迷いは彼の思惑通りに動くのか、米国は一枚上手である。人生100年時代とは言え、70歳後半と80歳過ぎの人生に波瀾万丈の天秤ばかりは、どちらに傾くのかはもう見えている。
情けに欲と愛があれば、当然愛に情けは傾く。
愛情深くある人生は、長く生きたことにあるわけではない。不思議だが「憎まれっ子世に憚る」と言われる。寿命近きある者達は、何を為すべきかを覚らねばならない。この世でできることはあの世ではできない。あの世が絶対であることを知るなら、必然、この世の置かれた立場は、重大であることが分かるはずだ。
さて、100年生きても豚は豚である。人を養うために食われ、ただ食べて寝るものである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする